第十二章 5
考えていたことがある。
Tジャックによる全感覚投入。舌にあてる電極が脊髄からの電気信号に偽装し、脳の感覚域を乗っ取って全感覚投入を実現する。
それはすなわち私の行った実験。枝に生った桃に舌を当てるという実験と同じなのではないか。
演算力は半導体である場合もあり、桃が生み出す分子機械の場合もあるが、肉体が演算力に触れたとき、魂の一部が演算力に流れ込むのではないか。
では、ここでこうして迷宮を走っている私も同じなのか。
私はクッションに座って夢を見ているのではなく、魂の一部が電脳世界に引き込まれているのではないか。
それは恐ろしい想像だ。魂の紐が死神の手で引っ張られ、その先端が漆黒の扉をくぐるような感覚。
もし迷宮世界に魂の一部が取り残されれば、その魂に果たして自我はあるのか。感覚は残っているのか。もはやどこにも帰れない迷宮の中で何を想うのか……。
「登るぞ」
ミノタウロスの言葉にはっと意識が浮上する。彼は目の前に表彰台のようなコンクリート塊を出し、大股で登っていく。そして走行する青い車の上に飛び乗った。私もそれを追う。
「ミノタウロス、まだこの迷宮の構造が見えていないわ。どうするの、下手に戦うとゴール不能になるかも」
「それは見えている」
意外な発言に、私は目を見開く。
「どういうこと」
「下まで降りて確信できた。この迷宮には目印がない、ゴールは存在しない」
目印……。
確かに、今まで無闇に広大な迷宮はいくつかあったけど、何かしらゴールを示す目印は隠れていたはず。
それが存在しない……必要ないということは、ゴールがすでに見えている場合が考えられるが……。
「どの車も下まで降り、上に戻っている、目的地など無い」
牛鬼が指で示す。そこには地上付近まで降りてきた車両が、また上に戻っていくような道がある。
「……でも、じゃあこの迷宮のゴールって何なの」
「門番だ」
ミノタウロスは車線を飛び移りつつ答える。
「どこかに迷宮の門番がいる、倒せばゴールだろう」
……それは、かつてのウィンフィールド邸と同じか。巨大な屋敷を生物のように使役した番人、迷宮を守る演算力の使い手。
白夜封刻の迷宮。番人とはやはり、この迷宮に光を与える白夜のことだろうか。高架道路の枝葉を透かして淡い光をもたらすもの……。
「あの円盤しかありえない、上まで行く」
ミノタウロスが腕を振るう。鉄板を折り曲げたような階段が空中に出現し、そこを駆けていく。
「ちょっと、上までかるく1キロ以上は……」
言った後で気づいた。そうだ、拡張世界に疲労はないのだった。
ミノタウロスは仰角45度を目測で図り、ライトの光を当てるように階段を出現させる。そして大きなストライドで登っていく。
『――ミズナさん、聞こえますか』
タケナカの声だ。まだノイズが混ざっているが、スタート地点に近づいたために通信が回復したようだ。
「タケナカ、マイクを広域にして、ミノタウロスと合流したの」
『ミノタウロスと……分かりました』
彼は動じるでもなく私の判断に合わせてくれた。彼の声が周囲に響き、ミノタウロスもわずかにこちらに意識を向ける。
『現在、亜里亜さんとプルートゥが円盤の上で交戦中です。映像回します』
周囲にドローンが出現し、高架道路のあちこちを映写幕として映像が投影される。
それはいきなり始まった。
「万里覇蝗!」
亜里亜の言葉とともに打ち出されるのはフォーミュラーカー。エンジンから火を吹きながら回転。一瞬で赤白青の円盤に変わったそれがプルートゥに迫る。
「フン」
プルートゥはというと手にナイフを出現させる。それは細く長い刃を持つ直線的なナイフで、根本の部分に黒いバッテリーのようなものがある。
それを自分の胸に突き立て、あろうことか瞬時に爆発。自らの体を肉片に変えて散乱させる。
「覇蝗!」
亜里亜を囲むように複数の大型トラックが出現。それがやはり回転しつつ互いに触れあって外側に弾かれる。亜里亜にしかできない回避によってその中央にいる彼女は、さらに大型車両を連続で出して車両を外側に弾き飛ばす。
あれはまさに攻防一体の技。爆薬を用いても容易には近づけず、触れれば大型のタイヤで蹂躙されるか、円盤から叩き落とされるだろう。
「亜里亜の迷宮世界……車両を出す速度が格段に上がっている。でもプルートゥは肉片からも再生する、あれでは」
車両の一つが爆発を起こす。数トンはあるトラックが冗談のように空中で縦回転し、やや斜めになっている円盤の表面を転がり落ちる。腰から下が骨になっているプルートゥが不敵に笑い、瞬時に残りの肉とスーツと包帯を再生させる。
「無駄なこと」
「そうでもありませんわ」
映像の一つを目が捉える。回転する二台のコンボイ、それがピンボールのフリッパーのように一つの車両を打ち出した瞬間を。
それは大型タンクを備えた車両。表面に時限式爆薬を貼り付けており、プルートゥに当たる寸前で爆発。狭霧のような白煙が広がる。
「液体窒素運搬車ですわ! 9000リットルの液体窒素でカチコチになるがいいですわー!」
少しハイになっているのか、まるで悪役のようなノリで高笑いを放つ。亜里亜は跳ねるように後退して冷気の外へ。
それは極寒地獄の眺め。回転していた車両が瞬時に凍りつき、あるいはアイスバーンの上を滑って円盤から落下していく。それは私の上方で道路と激突。爆発炎上を起こしつつ、緋線と黒煙を曳いて落下していく。
極低温攻撃が有効なことは検討している。プルートゥは封印しても爆発物で脱出してくるが、極低温状態では爆発物を起爆させる雷管が作動しない。あれなら脱出不能になるはずだが……。
その指摘はタケナカから飛んだ。
『亜里亜さん! 防壁を!』
「!?」
彼女の反応は速い、迷宮世界を用いて瞬時に戦車を出現させて体を覆う。そこへ飛来する高速の飛翔体、着弾と閃光。そして世界を震撼せしめる炎。ビル十数棟を包み込むほどの爆炎が天を焦がす。
「あれは……」
さすがに毒気を抜かれた声を上げるミノタウロス。私も今のは何が起きたのか分からない。ミサイルを打ち込まれたように見えたが。
「いくつか設置してたのですよ」
炎の中から現れるのはプルートゥ、その肉が融けて崩れながら、白い歯を見せて笑う。
「私は常に複数のミサイルに狙われている。この身から出ている発射抑制の電波が途切れれば、すぐさま最後に信号が出た位置に打ち込まれる。その名を報復兵器(Vergeltungswaffe)第二号。V2ロケットと呼ばれた兵器がこの身を炎で清めるのです」
「ぐっ……滅茶苦茶なことを。リセットボタンでも押してるつもりですの……」
亜里亜は距離を取っていたが、そのゴスロリ服は焼け焦げて、彼女自身も顔に火膨れができている。自ら顔に触れて、やや緩慢ながらも治していく。
「ならば! パリ砲で地平線の果てまで吹き飛ばしてやりますわ!」
プルートゥはその気当てをいなすように脱力し、刀を腰に納めて肩をすくめる。
「巨大砲。いつぞや見せていただきましたよ」
周囲は氷と灼熱の混ざりあう地獄。極冷却された車両に火焔が迫り、炭化したタイヤが霜を張り付かせている。
そこを、地獄の王が歩く。
「やってみて、そして思い知るといい。私を上回る死など存在しないことを」
「……」
亜里亜のパリ砲。おそらく今の彼女ならほぼ一瞬で出せる。プルートゥの動く速度はあくまで人間のレベルのはず。爆発物で肉片をばらまくにしても、おそらく亜里亜の方が早いはずだが……。
「急ぐぞ」
ミノタウロスが登るペースを上げる。周囲の光量はだいぶ増しており、もうすぐ最上層に着けそうだ。
しかし、この迷宮はいったい何なのだろう。
あの円盤がつまりは迷宮の番人なのだろうか。あるいは円盤の中に灰色で巨眼の宇宙人でもいるのか。別にいたって構わないが、ではこの高架道路に意味などないのだろうか?
レーザー攻撃から身を隠す盾にしろとでも言うのか、あるいは移動に使えとでも……。この深くまで入り組んだ迷宮の意味は……。
「……」
その時。
私の胸に去来するものが。
迷宮。
番人。
私のまだ形にならない連想を吹き飛ばすような、亜里亜の叫びがとどろく。
「受けなさい!!」
それは瞬時に形成される超巨大砲。全長150メートル以上。列車のような戦艦のような体躯を持ち、砲の口径はなんと1メートル以上の怪物。亜里亜の無意識領域から掬い取られた数十万の部品が一瞬で組み立てられ絡み合い、溶けあって砲を形成する。
しかも天から眺めれば、そこに平行に伸びる、七つの砲門が!
「多連装超巨大砲!?」
「斉射!!!」
衝撃波が世界を揺らす。
それは10トンを超える炸薬が生み出す破壊の風。1マイクロ秒のズレもなく打ち出される七発の砲弾が大気を引き裂き、音の壁をたやすく越えた爆圧が円盤表面を突っ走る。
それぞれが大陸間をまたぎ越えるほどの速度と威力。そして砲弾自体も戦車のように重い。ほぼ並列に打ち出されたそれはまさに面的破壊の権化か。出現していた数十台の大型車両を紙細工のように消し去り、炎や煙すらも吹き飛ばして後に何一つ残らぬ暴威。数万人が住む城塞都市すら地図から消す威力。
では、それをまともに受けたプルートゥは……。
周囲は台風のような風。吹き戻しの風によって噴煙が薙ぎ散らされている。プルートゥの肉体も煙と同じく、完全に粉々になって吹き散らされたはずだが。
「なっ……!」
亜里亜の声。私は絶望的な予感を込めて歯噛みする。
そこに立つのはプルートゥ。黒いスーツと包帯に身を包み、何かの戯れのように赤い血を流す彼女が。
「まさか……ありえませんわ。不死身だとしても、超巨大砲の一撃を受けて後退してないなんてこと……」
直立している。余裕すら窺わせる脱力のままに。
何が起きた……?
足元に肉片を残し、砲弾が行き過ぎた後に肉体を再生した? いや、コンクリートで貼り付けたとしても衝撃波で吹き飛ばされるはず。
それに今の一撃、人体など木っ端微塵どころではない。いくらネクタルがあったとしても、肉体が数ミリグラムでも残っているはずが……。
「……タケナカ、あなたから見てどう? 今の亜里亜の攻撃、プルートゥが肉体をわずかでも残しておける可能性はあった?」
『あ、ありえません。あの場所は大まかな地形の他には隠れる場所もありませんし、穴を掘って肉片を埋めようにも円盤は破壊不可能です。分子レベルの残滓すら残らないはず……』
ネクタルは分子機械、とはいえ演算力を発動させるにはそれなりのノードが必要になるはずだ。分子一個でも発動するとは考えにくい。あの衝撃波に耐えて一定量を残す方法など……。
……。
方法が、あるとすれば、もしかして。
「くっ……もう一度……」
「もう結構」
冥王が歩み寄る。亜里亜はまだ戦う気配を見せていたが、そこへ私から呼びかける。
「亜里亜、その場から離脱して」
「ミズナさん? でも……」
「大丈夫、あとは私たちがやる。おそらくだけどプルートゥの技の本質が分かった。その破り方も」
「……分かりましたわ。御武運を」
彼女は背中にジェットパックを背負い、自らを打ち上げて離脱。
そして冥府の王が、私を見る。
望遠で撮影していたドローンに気付いたか。刀を突きつけて挑発の視線。
「上がって来ますか北不知ミズナ。それとも私から出向きましょうか」
「タケナカ、もうすぐ迷宮の一番上に出る。円盤まで飛ぶから何か乗り物を、ミノタウロスの分も」
『分かりました』
プルートゥの不死の秘密、それはネクタルだけではないのだろう。
そしてこの不可思議な迷宮の真の姿とは。
謎は深遠の度合いを増す。
だが私は走破者、形のない謎という迷宮であっても走破せねばならない。
私を中心に出現した竹トンボのようなドローンで、四キロ上空の円盤へ。
円盤のヘリを大きく回り込んで飛ぶ。大気が熱い。亜里亜の砲の余波だろう。
「ミノタウロス、まだ推測に過ぎないけどプルートゥのトリックが見えた。私の言う通りにして」
「分かった」
これは、ほんの少しの気付きの問題。
あるいはプルートゥは生と死の本質に迫った走破者。誰よりもこの迷宮の摂理に肉迫した存在なのだろう。
それを打ち破る術が、あるとすれば……。
Tips V2ロケット
第二次大戦中に開発された世界初の弾道ミサイル。重量は約12トン、弾頭部分と火薬が計1トンであり、燃料と液体酸素は9トン近くに及ぶ。
宇宙空間に到達した初の人工物体でもある。




