第十二章 2
時は移り、場所を変えて、三ノ須にある隠し部屋の一つ。
「攻略完了ですわ」
ちょうど亜里亜が攻略を終え、一休みしていたところだった。私はアフロディーテを連れだって入る。
「お疲れさま、誰かに会った?」
「スタート地点にはカメラ付きドローンを置いてましたけど、誰もログインしてきませんでしたわ」
ログアウトすると24時間は再ログインできないルールだ。場が煮詰まってきたこの状況で、うかつにログインはしないだろう。私たちが連続して迷宮に潜ってるのは罠の警戒の意味もある。
『えっとですね、ふと思ったんですけど』
離れた場所にいるタケナカが呼び掛ける。
「なに?」
『走破者が現実世界で死んでしまった場合ってのはどうなるんでしょう? 所持していた演算力は一ヶ月ルールでやがて失われるわけですが、それはどこに?』
「……それは」
失われた演算力はどこへ行くのか。
いや、どこかへ行くという言い方は適切ではない。それは天塩創一が世界中から集めた演算力なことは変わらない。
一ヶ月ルールによって演算力を失った走破者は多数いるはずだが、それをもう一度手に入れるチャンスはあるのか、という問いかたが適切だろう。
亜里亜が疑問の顔になって話に加わる。
「迷宮のクリア報酬はサーバーマシン100から500台相当、それは変わってませんわ。やがて迷宮が尽きるなら、演算力の入手はそれで打ち止めですの?」
「……違うのよ亜里亜、本来はこんなに早く迷宮が尽きるはずはなかったし、失われた演算力もまた誰かが手に入れるべく迷宮が用意されたはず。もし最後に一人を選ぶ試みだとしたら、決戦用の迷宮だって作られるはずだったと思う」
「はずだった? どうしてそんなことが……」
「……それは作られることはなかった。天塩創一が死んでしまったから」
はっと亜里亜が気づく。迂闊な発言だったと悔やむように奥歯を噛む。
「迷宮は予想よりもずっと早くに尽きようとしてる。本来はもっと長い年月、十数年もかけるはずだった。数多くの走破者が挑み、代替わりをして、切磋琢磨を繰り返して最後の一人が選ばれるはずだったの、でも……」
完成され尽くしたシステムのようであっても、それは未完成だったのか。
いずれは至高の迷宮と卓抜の走破者たちが出揃い、めくるめく夢のような時間が訪れるはずだったのか。天塩創一が、ノー・クラートが見たかった世界とはそれなのか。
「マスターコードを入手すればいいのです」
ふいに、アフロディーテが発言する。
「マスターコード?」
「ええ、ここから演算力の総取りがあるとすれば、マスターコードが奪取される場合でしょうね」
「……ゲームマスターだったのは天塩創一氏。彼が亡くなって、後を継いだのがノー・クラート。でも彼女も生死不明だし……」
私ははっと気づく。
それは亜里亜も同じだったようだ。立ち上がって私の方に詰め寄る。
「じゃあ、もしかして現在、マスター権限を持っているのは!」
「……」
天塩五神楼。
彼がそれを持っているのだろうか。彼はノー・クラートに命じられて迷宮を作っていたというが、システム権限を持っているなら……。
『ミズナさん、迷宮が』
「ええ……そうねタケナカ、結局やることは変わらない。イカロのいる迷宮を探すだけ」
『違います。赤文字が出ました』
……!
亜里亜がダイダロスを操作し、次の迷宮を表示させる。
ホワイトボードが黒く染まり、その上の方に波紋が生まれる。どうやら夜の海のような暗い水中のようだ。波紋を描いて降りてくるのは書き文字。江戸文字のような巨大な書き文字が泡を残しながら沈降していく。
やがて見えるのは半球だ。海底に沈むいくつものドーム。そこに画面をほぼ埋め尽くす範囲で書き文字が降り注ぎ、その下では半球が潰れて小爆発を起こす。いや、もしやそれは海底都市ではないのか。数万人が住まうドームを意味もなく押し潰し、しかしおどけるような気配もない不気味な静けさ、その中で文字が居並ぶ。血のように赤い文字が。
―――白夜封刻の迷宮―――
「確か……ノーの言うところの赤文字の迷宮……ここへ来て」
これは天塩創一の作ったものか、それとも今度こそイカロの手になる迷宮か。
「タケナカ、この段階で作成者を識別できる?」
『いえ……ロゴだけでは。タイトル画面については様々な演出がありますが、あまり傾向もつかめなくて』
白夜封刻……白夜とは緯度が高い土地において、太陽が一日中沈まずに回り続けること。それに何の意味が。それから封刻、刻を封じるとは……。
強く頭を振る。
動揺するな、タイトルから傾向など読んでも仕方がない。迷宮は潜ってみなければ分からないのだ。
「潜るしかないわ。おそらくプルートゥとミノタウロスもこれを見逃すことはないと思う」
赤文字クリアは走破者にとって大いなる栄誉。かつてケイローンもそれを追い求めた。プルートゥが放っておくとは思えない。
そして彼女が潜ることを読んで、あの牛面人身の怪物も動くだろう。彼はプルートゥを一度倒している。対人戦は望むところのはずだ。
それに基本的に、あの二人はかなり好戦的だ。この終盤戦で戦いから逃げるとは思えない。
私はふと、脇にいたアフロディーテを見る。
彼女は私の視線を受け、あるかなしかの微笑み、アルカイックスマイルで返す。
「私は潜りません」
けして意固地さはないが、動かしがたい道の真ん中の木のような声だった。
「私は演算力の奪い合いには関わりません。一度は戦いから離脱した身ですからね。あなたの味方をすることは正しくないと考えます」
「そう……残念ね」
彼女を三ノ須に匿ったことに打算はない。
だけど彼女は迷宮世界の使い手。戦ってくれるならかなりの戦力だと思っていたのだけど……。
「でも本当の理由は、ゼウスと戦えないからです」
彼女は私にではなく、部屋の片隅にこぼすように言う。
「恐ろしいんですよ。オフラインでなければ迷宮にも入れないのです。彼と遭遇する可能性は侵したくない」
「ゼウスですの? でも彼は生死不明ですわよ」
「私は彼が死んだなんて信じてませんよ。あれは生と死の輪廻から抜け出すほどの怪物です。どこかに身を隠したようですが、間違いなく生きています。私は彼が恐ろしい。彼の居る国には入りたくないし、彼の読んだのと同じ本は読みたくない、そのぐらい怖いのです」
「……タケナカ、ちょっと回線を閉じて、五分だけ」
『はい』
音声が途切れ、部屋にあったダイダロスもスリープに入る。
「ゼウスに何かされたの?」
「お気遣いありがとうございます。でも何もされてませんよ。何度か話をしただけです」
「……まあ確かに、彼の考え方と言うか、宗教観はぶっ飛んでるけど」
「言葉で言っても伝わらないでしょう」
両手を広げ、深海や月面について言及するときのように、ある種おおらかな抑揚を乗せて言う。
「あれはこの世の生き物とは違います。話していると世界というものの整合性を疑ってしまう。人の世の倫理観の外側へ蹴り出されそうになる。怪物というものが精神性にも与えられる称号なら、彼は心もまた怪物なのです。くれぐれも用心してください」
「……」
彼女もまた高位の走破者のはずなのに、ここまで怯えを見せるとは。その首筋にはじっとりと汗をかき、手の甲には鳥肌が浮かぶように見えた。
「大丈夫よ」
ゼウスの強さは十分に目にしたが、見たものが全てとは思わない。死んだという希望的観測も捨てよう。
私は胸を張る。強がりと言うわけでもないが、その態度を示すことで己の運命を変えようとするかのように。
「必ず勝つ。相手がどんな怪物でも関係ない。勝利してイカロを見つける。マスターコードだって手に入れる。私たちならできる」
「その通りですわ。ゼウスなんて片手でこうですわ」
亜里亜も勢い込んで腕を振り、どかりと床に腰を下ろす。
「先に行きますわ、ミズナさんも準備を終えていらして」
そしてTジャックをくわえ、顎を落として眠りに入る。
「アフロディーテ、私は別のダイダロスから潜る。タケナカに誘導させるから、あなたは離れた場所にいて」
「分かりました」
三ノ須のガードは万全だが、戦略級兵器による干渉がないとも限らない。可能な限り対策は取る。そしてログインしている間は絶対に誰も近づかせない。タケナカも、アフロディーテさえも。
私はアフロディーテと別れて地下を歩き、そして地下深くへ。
深度80メートル以上。建造したばかりの核シェルターへと降りる。そこにはホワイトボード型端末が一つあるのみ。
複数のルートでダイダロスの通信回線を確保し、そしてTジャックを通して五感を拡張世界に送り込む。
意識の停止、そして覚醒。
瞬時に揺れを感じて身を沈める。私がいるのは車の屋根の上だ。
周囲を見る。あまり視界はよくない、やや黄色がかったもやの立ち込める世界。気温は暑くも寒くもなく。エンジンの音だけがわずかに響く。
「亜里亜……?」
周囲を見るが彼女の姿はない。
「タケナカ、亜里亜は先に行ったの?」
『いえ、スタート地点でミズナさんが来るのを待ってましたが、こっちのモニターでは二人とも同じように車の上にいます、これはおそらく……』
ログインすると同時に強制的に移動させられる……。
確かにそんな迷宮があっても不思議ではない、迷宮が対人を想定している場合なら尚更だ。
「タケナカ、双眼鏡を」
『はい』
手の中に出現したそれを覗き込む。
そこは高速道路の眺めだ。四方に広がるのはまるで山盛りのパスタのよう。高速道路が蛇行しながら走行し、花咲くようなインターチェンジが展開される。
私が乗っているのと同じような白一色の車が走行し、巨大な角柱型の建物に入り、また出てくる。
「何あれ……スタントカーか何か?」
そう私が呟くのは、数十台もの車がほとんど間隔を空けずに連なっているからだ。
しかも一列ではない。高架道路の太さはまちまちだが、大きなものでは片側四車線、それが見事に車で埋め尽くされている。
「誰も乗ってませんわ、自動運転車ですわね」
亜里亜の声がする。タケナカを通して中継しているようだ。
「あんなに車間詰めるもんなの?」
「精度が現行のものと段違いなのですわ。どうやら未来世界って感じですわね」
無機質なビル。無機質な車。連なった車列と煤煙の空。どことなくディストピアSFのような眺めだ。
詰まった車列はよくある合理主義の極みという表現だろうか。
では、この迷宮のゴールとはどこに?
私は双眼鏡を水平に向ける。どこかに亜里亜もいるのだろうか。
その時、下方で爆発。
「……!」
何が起きたのか、車の列が一瞬すべて制止する。
しかしそれは数秒のこと、車は淀みなく進路を変え、爆発の起きた地点を迂回するように流れ始める。
「タケナカ、ドローン群を飛ばしてマッピングを」
『はい』
私は今乗ってる車から身を踊らせる。
下までは30メートルほど、降りながら腕の先に傘を出してもらう。チタンの骨組みと極めて丈夫な樹脂膜でできた傘だ。私は減速をかけつつ着地。
これはSF的技術ではない、傘によるスカイダイビングは2019年にオランダのメーカーが達成している。胴までをハーネスで補強した状態で出現させたから、関節が脱臼したりもしない。きっとどこかの家庭教師もこんな傘を使ってたのだろう。
さてそれはともかく、私はやはりというか、車の上に着地する。
速度は50キロ毎時というところか。道が多少アップダウンしており、膝で揺れを吸収する。煤煙の中で少し目を細める。
「スモッグがあるわね。呼吸に支障があるってほどでもないけど」
迷宮は騙し討ちはしない。ただ降りただけで毒ガスで即死ということはないだろう。
さて、とりあえずさっき見た爆発の方に向かうには……。
ふと、私は自分の手を見る。
光がぼんやりとしている。指紋があまり見えないのは光源が複数あるからだ。それに陸上競技者としての肌感覚で分かる。この光は太陽光ではない。
「何なの……? そういえば白夜の迷宮のはずだけど、街灯が多いとか……?」
私は首を上に振り上げて。
そして固まる。
「な……」
最初に連想したのは、歯医者で見る無影灯。
直径は計り知れない。質量など想像もできない。
それは天を覆い、西から東まで届くほどの。
空飛ぶ円盤、が……。
Tips 自動運転車
自立走行する車、明確な定義は定まっていないが、一例としてはある時点において、運転の全てを機械が行う瞬間があるものをいう。
運転能力を持つロボットをアタッチメントとして用いる場合もあり、ロボット運転手とも呼ばれる。アタッチメントは必ずしも人型である必要はない。




