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迷宮世界のダイダロス  作者: MUMU
第十一章 蟻字繍命の迷宮
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第十一章 5


「……電流の流れならおおよそ察知してるよ。電力の多くは下層で使われている」

「そこにイカロがいるはず……彼を助けないと」


ずっと考えていた。

迷宮世界の概念。思考走査の根を無意識にまで下ろすという感覚。

それはつまり、人間の脳において無意識を司る領域を、演算力とリンクさせるということ。

もっと言うなら、人間の脳を演算力として利用できると言うことではないか。


「イカロはおそらくこの船の端末とリンクさせられてる。それで何をしたいのか知らないけど、止めないと」

「そうだね、子供が捕まってるなら、助けることはやぶさかじゃない」


それに、と、ゼウスは襟にかけた私の手を払って言う。


「おそらく下層へ行くしかない、死にたくないならね」

「どういう……」


最後までは言えなかった。

その時、通路のあらゆる隙間から、黒い泥のような蟻が噴き出してきたから。


「! 走って!」


そこからの数分。

それはまるで加速された時間の中で、腐食していくお菓子の家を走るような眺め。


あらゆる場所が黒ずみ、コールタールの垂れるように黒い粘性のものが滴り落ちる、それは繁栄ベスタの群体なのか、一部を触手のように伸ばし、周囲の調度や木片に襲いかかって包み、砕く。


私は目前で形成される黒い網をすり抜け、ゼウスがハンドクラップで網を四散させる。


「なるほど蟻字繍命ぎじしゅうみょう、蟻のように小さい字で魂のこもった文を綴るという意味だろうか。船のあらゆる場所に蟻が入り込んで、ひとまとまりの大きな生物に生まれ変わるかのようだ」


確かに、これは破壊というより、まるで再生。

この船全体が溶けていくかと思えば、ある場所では黒蟻が柱となって壁を支える。空いた穴は網状のもので埋まる。

壁と言わず天井と言わず黒蟻に侵食され、私たちはそれを避けつつ走る。腐り落ちるコンクリート壁をかわし、配線がむき出しになった穴を飛び越えて。


ゼウスは私の全速には及ばないが、蟻に包囲される寸前に手を打ち鳴らし、電磁波をスパークさせて蹴散らす。


「まずい、速くなってる!」

「そこの縦穴だ、飛び込んで」


吹き抜けの空間に階段がある。私は一気に手すりを乗り越えて下へ。一瞬の視界の中で位置関係を把握、一階下の手すりに両足で降りてしゃがみ、その足場を両手で掴んでさらに体を下へ。


「って、ゼウス! あなたとうするの!?」


もう背後まで蟻が迫っていたはず、階段を一歩ずつは降りれない。

吹き抜けを見上げる私の真横を、生白いアメリカ人が落ちる。


「なっ!?」

黄金の林檎ミロ・ヘスペリデス


その手の先から強い光、全身が瞬くように発光して。そして落下。


「……え?」


ばがあん、と全身を強く打つ生々しい音。光っただけで特に何も起きてない。私は手すりを飛び渡りつつ数秒後に下まで降りる。


「だ、大丈夫?」

「問題ない」


ぐぐっと、縮れたストローの袋に水をかけた時の塩梅で立ち上がるゼウス。


黄金の林檎ミロ・ヘスペリデスで全身の痛覚を遮断した。ウェアラブル端末は内部に対衝撃ゲルが入ってて、関節の急な屈曲から守ってくれる。頭からの落下だけ防げば死にはしない」


だが完全でもないようだ。見れば右手首が変な方向に曲がってる。ゼウスがそれに気づき、反対の手で強引に曲げて元に戻す。


「あなたもう何でもありね……」

「そうでもない。今は痛覚を閉じてるけど、帰ったら入院だ。もっとも拡張世界に潜る分には問題ないけどね」


不死を与えるという黄金の林檎か、何となくどこかのパンツスーツの女を連想する技だ。

まあゼウスの技を一つ一つ検証してる暇はない。

私は上を見る。吹き抜けの上の方は火事でも起きてるかのように、もやもやとした黒い蟻が群がっている。


「降りてこない……」

「マシンルームがこの階層にあるからだね、さっき繁栄ベスタの一部をちぎり取ってみたけど」


そう言って見せるのは、蟻というより率直に言えば海苔のかけらのようなものだった。見た目は薄く黒い紙のようで、ふわふわと動いて丸まろうとしたり、何かを探るようにゼウスの指をつついたりする。


「これには光学センサーがついてない。触覚センサーだけだ」

「どういうこと?」

「長い長い腕を船内に這わせるような感覚かな。本来はカメラ映像を見ながら使えるはずが、今は回線がズタズタだからね。接触するなりすぐに圧壊させるように設定されてる」

「……つまり、それでスパコンまで破壊させると困るから降りてこない」

「そういうことだろうね、だから下層を目指すべきと思っていたよ」


さて、とゼウスが腰をとんと叩いて、通路の先を見やる。


「ここから慎重に行こう、左右すべてマシンルームだ」

「分かったわ」


回廊が伸びている。

ここは機関室に近い階層のはずだが、チリひとつ落ちてない清潔な廊下に、左右にはアクリルの窓。

その奥に見えるのは墓石の列のようなスパコンだ。足元から這い上がってくるような冷気と、低く唸るエアコンの駆動音。スパコンの側面でちらつく緑の光が蛍のようにまたたく。


「ずいぶん広いわね……枝分かれはないけど」

「かなりの規模だ。あの一台がかつての「富岳」ぐらいの性能があるけど、発電規模から逆算すると数万台並んでてもおかしくない」

「いくらなんでもそんな規模……」

「……世界の終わりかな」

「え?」

「世界の終わりにおいて確保しておくべきものは何だろう。食料と水、健全な男女、あるいは武器、貴金属。だがあるいは、演算力を確保しておくことが重要と考えたのかも」

「世界の終わり……」

「そう、これは演算力を「蓄えている」という眺めに見える。世界が崩壊しても、この船だけは独立した演算力を維持できるように」


……。

なんだか突飛な話だと思ったが、考えてみればそれはゼウスの素性に関わる話だ。彼もまた、そのような終末思想に囚われた宗教家だったのだから。


「それは、あなたが過去にそう考えていたからなの? 世界の終わりを自ら引き起こした……」


ゼウスが主催していた宗教団体については調べている。

それはキリスト教系でありつつ、自然回帰をとなえていた団体。自然清廉主義団体(ネイチャーアンドイノセンシズム)と自称し、ロッキー山脈のふもと、コロラド州の山奥で信者たちと共同生活を行っていたという。

燃料を含めてほとんどが自給自足、いわゆるエコヴィレッジの集団だが、ある日、信者たちが集団自殺事件を起こし、ゼウスだけが生き残った。


「あれは健全な選択だった」

「選択……」

「そう、何日もかけてコロニーの全員で話し合った結果、そう決まったんだ。僕たちは家族であり、一個の人間に近いほど意思が統一されていた」


ゼウスの行った集団自殺とはこうだ。彼を含めて338人、全員が徹底的に補強された集会所に集まり、内部から出入り口を溶接、最後に溶接器具をハンマーで破壊する。そしてゼウスが聖書を読み、世界の終わりまでそれを聞き続ける。通気孔も完全に塞がれ、空間容量と人数を加味して、およそ四時間で全員が酸欠で死ぬはずだった。


「……よく生き残ったわね」

「コロニーにまったく予定になかった来客があって、その人物が警察に連絡、最終的に州兵の特殊部隊が来て壁を破壊したんだ」


それについては当時の新聞に記事があった。ゼウスは仮死状態であり、他の信者に低酸素脳症以外の死因はないと断定された。ゼウスは自殺教唆の罪に問われ、一時入院のあと、かつて見たあの海底の収容施設に入れられたわけだ。

驚異的なことは信者のふるまいである。施設内の酸素濃度がだんだんと落ち、強烈な頭痛やめまい、吐き気、意識混濁に、幻覚の中で肥大する死の恐怖。

その中にあって信者たちは誰一人暴れだすこともなく、脱出を試みることもなく全員が最後まで最初の位置を動かなかったと言われている。


ゼウスはその後、なぜかノー・クラートに拾われることとなる。


「ノー・クラートとはどういう付き合いなの」

「だから命の恩人になるのかな」


え?


「まさか儀式の日に、コロニーを訪れた来客って」

「ノー・クラートだよ。別に僕らの団体に興味があったわけでなく、何かの事業で買収用地の視察に来ていたらしい。その後も付き合いが続き、ずっと手紙をやり取りしてたんだ。何度かはあの刑務所を出て、彼女の屋敷を訪ねることもあった」

「……」


なるほど、当時の報道にはノーの名が出てなかったが、まあそれは当たり前か。


それもまた、奇縁というものだろうか。

ノー・クラートは人との縁を重んじる人間なのだろう。ゼウスの命を自分が救ったことに意味があると考えた。だから屋敷に呼んで話をしていたわけだ。ゼウスが囚人であることは、ノー・クラートの力ならば大した障壁とはなるまい。


私たちは足を早めて下層を進む。やがてクリーンルームのような眺めから機関室の眺めとなり、壁面には大小のパイプが走行して、機械のうなりと海流のうなりが混ざり合う。足元にはウナギのようなビニール被覆の配線がある。


あまりそんな質問はしたくないが、勢いのままに聞いてみる。


「なぜ死のうとしたの」

「世界の終わりは近いと思っていたからね。苦しみを味わうよりは、早く幕を下ろすべきと思った。僕の教えだけじゃない、コロニーのみんなで話し合った結果だ」


その発言をどこまで信用したものか疑問だが、それはもういい。

私はやはり、それに付帯する質問もやり過ごすべきではないと考える。


「……今は死にたいと思わないの」

「思わない、演算力を知ったからね」


事も無げに言う。


「演算力……」

「この世の不幸をすべて救うなんて無理だと思っていた。人はあまりに身勝手だし、すぐにいがみ合うし、生み出した技術を制御しきれない。だが演算力があれば話は別だ。きっと世界を安寧なままに導ける」

「演算力は万能じゃないのよ。どれだけ世界が変貌したって、不幸を全部なくすなんてこと……」

「できるとも」


ゼウスの声に、どこか硬い響きが混ざる。

私の足が止まる。

周囲の通路では黒いビニール皮膜の電線が大量に這っている。喫水線下のためだけと思えない凍えるような寒さ。どこからか響く重低音のうなり。


「ミズナくん、演算力とは道具じゃないんだよ」

「……?」

「この言葉が陳腐に響いてしまうかも知れないが、それは神の概念に近い。人の上位に君臨する概念だ。人は演算力のしろしめす世界に生きればいい。演算力の前に個人は意味を失い、やがて思考すら演算力に託すようになり、演算力を通してすべての意思が一つになる。それが世界の常態となるだろう」

「……それは」


その考え方は、覚えがある。

かつて天塩創一の幻に見た概念。そしてイカロにも見たもの。

演算力の行使とは、演算力にどこまで自分を委ねるかということ。演算力の提案を疑わず、その計算を検算せず、連想すらも委ねてしまう。


ゼウスも、それに目覚めていると言うのか。

自分の意思よりも演算力を重んじる。


演算力は、もはや人間社会の力では太刀打ちできない。

なんというものを生み出したのか。

人間以上の存在が、自分たちをどう扱うかを考えていたのか……。


「ここだ」


ゼウスの言葉に、はっと周囲の景色が戻ってくる。


それは長い長い通路の最奥。ただドアがあるだけに見えるが、よく見れば足元は数十本もの配線が這っており、ドアの一部が切られて配線を飲み込んでいる。


「電力に、冷却剤、酸素まで送っている。生きた人間がこの奥にいる」

「……行きましょう」


そして、ドアの向こうには……。













Tips エコヴィレッジ


自給自足を追求した町作りのコンセプト、またはそのような理念を持つコミュニティのこと。

その理念とするところは様々であり、資源の持続可能性を追求したもの、近代文明を拒んで旧態依然とした生活を守っているもの、保守的な宗教会派のコミュニティ等がある。


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