第十一章 4
「まさか……」
繁栄、その名を持つ群体型ロボット。あれは拡張世界だけの存在のはず。
「槍兵蟻」
木の葉が触れあうような声。その左右から現れるのは黒いスキー板のようなもの。それが思いきりしなり、先端にやはり黒一色の槍が生成される。そしてバネを弾くように射出。
「!」
身をかわす。槍が私の前髪に触れる感覚。この大ホールをほぼ水平に飛んで壁に突き刺さる。
「こ、この……!」
子細を考えている暇はない、戦わねばやられる。
だが私が前に出ようとする前に、立ちふさがる影がある。ゼウスだ。
「ちょっと手伝わせてもらうよ」
「ゼウス、あの蟻は……」
言うその奥でさらに数十の投擲台が形成される。よく見ればやはりそれは蟻なのか、微少な粒子か煙のようなものが組み上がって槍ともなり、またゴム板の柔軟性まで帯びている。
そして数十の黒槍が、空気を裂いて飛ぶ。
「光盾」
スパークが散る。鼓膜が押されるような空圧、ゼウスを中心として高周波が発生して頭に鋭い痛みが走り、命中しかけた槍が形象を失って崩れる。それは錆か砂のようなものに変わって私たちの後方に流れた。
「怨枝蟻」
ノーが天井の一点を示す。そこから凄い速度で降りてくるのは黒い枝。幾何学的に枝分かれしながら範囲を増し、私たちを閉じ込めるのか刺突するのか一斉に殺到して。
「全能の鎌」
ゼウスが大きく腕を払う。その腕の動きにそって何が生まれているのか、黒い枝が数十本まとめて斬り飛ばされ、やはり砂鉄のようなものに変わってざざざと床に落ちる。
「ふむ、マイクロロボット、かなりの水準だが干渉は可能か、貴重なデータだよノー・クラート」
「ゼウス……忌々しい男です。あなたはいつも私たちの築いたものを壊す……」
彼には何かしら思うところがあるのか、ノー・クラートの言葉には初めて感情らしきものがにじんだ。
「……」
私は息を殺している。
とても割って入れる戦いではない。どちらもヒトに許された力を超えている。
おそらくは何年もの間、ダイダロスで研究を続けていたのか。迷宮ではなく現実世界での戦い方を。いつか直接に出会う日が来ると予感していたのか。
私のゴーグルについたカメラを通して、三ノ須でもこの戦いは観測されている、タケナカの引きつった声が届く。
『み、ミズナさん、今の光景は……』
「タケナカ、全部記録しておいて。観測機のセンサーもこの位置に向けて、電磁波も含めてデータを集めて」
『信じられませんわ……あんな戦い、これから100年後の世界でも可能かどうか』
ダイダロスは人間の進化の先を見せるだけではない。人間の力では到達しえない技術すらも実現する。
そうか、これがゼウスの言う走破者の次なる階梯。拡張世界での能力を現実に持ち出すということ。
繁栄、あれは群体型ロボットと聞いている。
拡張世界では物理法則が完全にエミュレートされる。つまり機構として矛盾なく成立していなければ、拡張世界でも動かないのだ。
ならば逆説的にそのロボットは現実世界でも駆動可能。理屈は分かるが、まさか本当に。
「もう弱点も見えた。君の繁栄は自立型ではなく個別に制御されている。その方が個々のシステムを軽くできるからと、自立型の場合は走破者にコピーされる恐れがあるからかな。核心のシステムは制御機構の方。おそらく船内のスパコンで行うわけか」
そうか、私にも分かった。
この船にあるという異様に出力の大きいエンジン、あれは船の下層に積まれたスパコンを動かすためのものか。
それはダイダロスとは関係のない独自のシステムかも知れないが、必要出力数十メガワットといえば世界ランキングに名を連ねるほどの性能。そこまでして蟻を制御しているのか。
……だが、いくらマイクロロボットとはいっても、これまでの攻撃で使役したのはせいぜい数万、そこまでの演算力が必要かとも思えるが……。
ゼウスが無造作に腕を振り上げ、そこにぱりぱりと空気が弾けるような音が集まる。私の髪が浮き上がる感覚。肌が電位差にざわめく。
「電磁波で船のシステムをすべて止める」
……いや、待て。
では、ゼウス自身はどこからそれだけの出力を?
今の蟻を防いだ技、一種のEPM攻撃か、電磁波で物理的な何かを操作したように見えたが、生半可な出力ではない、どこからそんな電力を……。
「木星の回転」
その周囲に、いや、私を巻き込む範囲で細かなチリが回転している。
「ゼウス! 無茶しないで!」
「彼女はここで排除しておいた方がいい。僕も迷宮以外の場所で決着をつけるのは本意じゃないけど、彼女はやりすぎた。先日、世界中の演算力を削ったことは知ってるだろう? あれでダイダロスのシステムそのものが崩壊しかけた。もはや許してはおけない」
では、ゼウスは彼女を討ち倒すために来たのか。しかし迷宮から排除するとは何を意味する。彼女からどれだけのものを奪えば排除したことになるのか。
それはもしや、命までも。
「……ゼウス」
ノー・クラートはそれは口惜しさのにじむ声なのか、奥歯を噛むように片頬を歪めたまま声を出す。
「ムダだ。自立型でも操作型でも所詮は電波で操っている。僕の生み出す全波長ジャミングの世界では何も出来はしない」
『ミズナさん、そちらの動きがモニターできません。観測機からの、データも……』
タケナカの声がかすんでいる。これはゼウスのジャミングの影響か。
「さて遊んでいる余裕もない、これで終わりだ」
ゼウスが腕を突き出し。
「……!」
私は妙な違和感を覚える。
ノー・クラートのあの表情、レースのヴェールの向こうで顔を伏せ、修道女のように静かに佇む。
そこに、笑みが。
あるいは一瞬の光の加減か、いや、確かに今……。
『ミズナさん! 大変ですわ!』
激しいノイズに混ざって亜里亜の声。
瞬間。上空から轟音。
「なんだ……?」
ゼウスの手が止まる。同時に私のゴーグルでは情報が消失する。複数の偵察機とのリンクが途絶え、タケナカたちとの中継が衛星回線に切り替わる。
「ゼウス、何か変よ!」
「ああ、こちらも察した。今、待機させてる原潜が航行不能にされた」
「な……」
そんな馬鹿な、まだ電子戦の猶予時間は3分以上残っている。アフロディーテの攻撃は健在のはず。
ゼウスは耳に手を当て、ウェアラブル端末から音を受けとる。
「ダメだな、ハープーンの飽和攻撃を受けて艦体がボロボロだ。かろうじてエンジンは生きているから、メインタンクをブローして浮いてくるしかない」
まさか、二隻のイージス艦が攻撃を。
そんなはずはない、イージス艦は最優先攻撃目標だ、そのシステムは完全に破壊したはず。
「まだ、旧世界の理に囚われている。ゆりかごの赤子のよう」
ノー・クラートはもはや酷薄な笑みを隠していない。その指先が呪術師のように動いて何かにコマンドを入力する。あるいは空間にまじないを描くかに見える。
『ミズナさん……え、衛星の画像が届きました、信じられません、これは……』
ゴーグルの片隅に衛星画像が表示される。
「な……!」
今度こそ。
絶句というレベルではない。常識を完全に塗り替えられる眺め。
橋が。
1キロ近く離れている二隻のイージス艦に、黒い、吊り橋のようなトラス構造が――。
「機織蟻」
まさか、あれも蟻!
そして次々と連想が浮かぶ。凍った時の中で思考するかのように様々なことが。
――最初からこれが狙い
――自分を囮に
――海中からイージス艦まで蟻を伸ばし
――アナログ操作での掌握を
演算力。原発一基分にも相当する電力で船の中のスパコンを動かし、数億匹に達する蟻の群れを操ったのか。そしてイージス艦の火器管制システムまでを。
恐ろしい。
そこまでやって、イージス艦の乗員はどうなったのか……?
『ミズナさん! イージス艦のシステムが外部から遮断されましたわ! アンテナが物理的に破壊されてますわ!』
ダイダロスはたとえシステム的にスタンドアローンのように見えても、外部アンテナがあれば進入路を見つけ出してハックを仕掛ける。しかし外部からの電磁波を完全に遮断されれば意味はない。
「雷霆の戦陣」
ゼウスが腕を振る。瞬間、その軌跡の先端で瞬く光。数十の雷紋が網膜に残ってノー・クラートに襲いかかる。
だがそれは瞬時に突き出す黒い柱に遮られ、あっさりと霧散。
「――この船の中で、蟻の供物となればいい」
ノー・クラートの囁き、その意味を理解する。ゴーグルの中に浮かぶのはいびつな艦影、アルファベットのAのように二つの艦と連結され、さらにこの客船全体も黒い泥のような質感で覆われる。
まさか、この現象は。
「蟻字繍命の迷宮」
蟻が勢いを増す。ホールのあらゆる場所から液体のように噴き出し、蠢き、結び付き、レースのような幾何学模様を組んで包囲網を築く。
それは無数の蟻によって編まれる新たなる生命、現し世とは異なる大地。
走破者は現実の枠を超え、新たなる世界すら生み出すのか。
それがまさに、迷宮世界。
「一旦逃げよう、体勢を立て直す」
ゼウスが呟き、振り返って走り出す。私もその後を追うしかない。
「ゼウス……貴方だけは逃がすことは」
「火果」
銀色の球体を投げる。それが黒蟻に覆われつつあるドアに触れる刹那、木材が液体のように融解して表面にめり込み、球体を中心に炎が上がって周囲が炭化し始める。おそらくは電磁誘導、数秒で数千度にまで加熱した金属球か。
「ミズナくん、頼んだ」
「ちょっ……!」
だが走る勢いを止める訳にいかない。私はドアの中央付近を蹴飛ばし、強引にドアを押し開ける。ごろりと落ちた金属球が床を溶かしながらめりこみ始める。
そして黒蟻が殺到し、ドアを飛び出したところで壁に当たって波のような挙動を見せたあと、私たちに追い付く寸前。降りてきた防火シャッターに押し止められる。
「よし、とりあえず迎えを呼ぶ。舷側部へ逃げよう」
ゼウスが手首の機械を操作しながら言う、何らかのウェアラブル端末のようだ。
「逃げてどうするの」
「もう手段は選んでいられないな。イージス艦は電磁波対策をしてるけど、蟻はマイクロロボットだからね。高高度核爆発によるEPM攻撃で無力化させる」
「……」
そういえば、上空にステルス爆撃機を待機させているのだったか。
作戦が失敗すればすぐに核。アメリカ人だからとは思わないが、ゼウスのブレーキは紙でできているのか。
「ダメよ。全世界を巻き込んだ大騒ぎになる。さすがにダイダロスでも隠しきれるかどうか」
「問題ないよ、核の使用については何度も試算している。ダイダロスなら何とでもできる」
……またダイダロス。
それがそんなに信用できるのか。それとも今までに無数の犯罪行為を隠蔽してきたのか。
ダイダロスがもたらす演算力は人間社会の枠組みを超える。走破者はもはや法律に縛られる事がなく、金銭や肉体的な限界を持たなくなる。
それは果たして一方的な獲得なのか。
走破者は倫理観や人間性、当たり前の人生というものを失っていくのではないか。
なぜ恐れない。
それを生み出した人物は、何一つ獲得できず、命までも失ったのに……。
「……獲得?」
ふいに、その言葉が胸に引っ掛かる。
そうだ、ノー・クラート。あれほどの財力と演算力を駆使する人間が、これ以上何を望むのか。
イカロを拐った理由、漠然とそれは親子の間柄ゆえの理由だと思っていた、そうであるべきだと思っていたのだ。
違うとしたら。
イカロが今、この船で何をしているのか、何を失っているのか。
「地下よ」
「うん?」
反応しかけるゼウスの襟首を掴む。彼はぎょっとした顔をするが、逆らいはしない。
「イカロは地下にいる。あなた電力を辿れるんでしょう! 全ての電力が流れ込む場所に、イカロがいるはず!」
Tips マイクロロボット
マイクロボットとも。おおよそ一ミリ以下の大きさのロボットの総称。
配管内部や体内など狭い場所で自立作業を行うという認識が一般的であるが、近年では多数のロボットをユニット化することで、結び付きを変えることで複数の作業を行える可能性が示唆されている。




