第十一章 3
「……行きましょう。ノー・クラートとイカロを押さえないと」
私が背後を振り返ると、ゼウスは壁に手をついて何やら考え込む風だった。
「どうしたの」
「ノー・クラートを探してる。カメラ類がスタンドアローンだからアクセスできなくてね。この方法は少し疲れるんだけど」
ゼウスは壁に手をついているだけだ。ソケット類も見えない。
「何かにアクセスしてるの?」
「いや、壁面を走行する配線から電磁波を読み取ってる。水流みたいなもので、どこに多く流れているかを読み取れば色々なことが分かる」
黒の皮手袋に何か仕掛けがあるのは分かるが、それの機能だろうか。
「タケナカ、こちらでもノー・クラートを探して」
『行ってますが、どうも観測機からの分析だと難しいようです。ノー・クラートを特定するための情報が……』
「どうも妙だ」
ゼウスが言う。
「今度は何?」
「この感じ……エンジンの出力が急上昇してる。しかも何だこの船。ディーゼルエンジンと別に原子力駆動機関を積んでる。γ線が感じられる」
「え?」
原子力船?
それはまあ空母や潜水艦にそういうのがあるのは知ってるけど、じゃあ豪華客船にもあるのだろうか。
しかし少し考えて、その想定が非常識なものだと気づく。
民間商船に原子力が使われない理由は重量の問題、維持管理の問題、廃船時のコストなどが考えられるが、最大の問題は政治的な理由だろう。テロリストに船ごとジャックされてはたまらない。そのために警備に通常の船より多くのコストが必要になるし、そもそも建造することすら容易ではない。
……とはいえノー・クラートにコストや政治力のハードルなど意味を持たないだろう。長時間、この海域にとどまって走破者から身を守るとするなら、補給なしでいられる原子力船の方が有利なのかな?
「問題は原子力船であることじゃない」
こちらの疑問を見透かしたようにゼウスが言う。
「通常のディーゼルエンジンと併用されており、ディーゼルエンジンの方は今動き出したということだ。この豪華客船の排水量から計算して、運用に必要な出力の三倍は出ている」
「何それ……どういう仕様なの」
すると無線越しに亜里亜の声が響く。
『わかりましたわ! 下層部分が切り離されて潜水艦になるのですわ!」
「なっ……」
絶句するのは当然だろう。まさか、本当にそんなことが。
いや、ダイダロスなら不可能ではないのか。そんな超常的な船までも設計してみせると……。
「それはないよ」
ゼウスがあっさりと否定する。
『どーしてですの!』
「ちょっと亜里亜、私を中継して喧嘩しないで……」
「出力が大きすぎる。いま感知できる出力ではディーゼルエンジンも原子炉も4万馬力以上、どちらかを潜水艦に使うならかなり大きな艦になる」
「……現実離れしていても、ダイダロスならそのぐらいは作れるはず」
「本当にそんなものがあれば船の挙動に影響が出るし、レーダー探査でも見つけられるだろう。僕は電磁波や冷却機構の振動でエンジンの規模を感知してるけど、水密隔壁の向こうにある雰囲気じゃない、それに」
「それに?」
「僕もこの近海に攻撃型原潜を待機させてる。アクティブソナーだっていくらでも撃てる。イージス艦を失えば防御などあって無きがごとくだ、逃亡なんて不可能だよ」
「……」
ゼウスの発言にもはや驚きはしないが、確かに逃げるための用意とは考えにくい。
では、それだけの出力のエンジンを何に使うのか?
……いや、エンジンだからといって駆動機関に使うとは限らないのか? 他の用途といえば……。
「……発電?」
「なるほど電力か。1馬力が750ワットとして、10万馬力なら約75メガワット……それだけの電力が必要だとすれば」
ゼウスは壁に手を当て、脈を読む医師のような神妙な顔になる。
「……なるほど、読めてきた」
そのとき、私たちの耳に声が届く。館内放送用のスピーカーが作動したのだ。
『侵入者はゼウス、あなたですね』
!
この声、ノー・クラート!
「僕だけじゃないよ、最初にここに攻撃をかけたのはこちらのお嬢さんだ」
『どちらでもいい、その場を動かないでほしい』
ゼウスは動じた素振りを見せない。私たちは話しながらも廊下を進んでいたが、そのとき前後で防火シャッターが降りてくる。
シャッターの上端ではエマージェンシーを示す赤い警告灯が灯り、それが緑と赤の点滅を繰り返す。
「タケナカ! どうしたの!?」
『ハッキングで掌握したシステムに干渉されています。まだ攻撃は有効なはずなんですけど、相手側も演算力を駆使しているようです』
「拮抗してきてるな、とりあえず扉は壊そう」
ゼウスが言い、天井にある煙感知センサーに手を伸ばす。すると手の平とセンサーの間でスパークが起こり、防火シャッターの根本からも白煙が上がって動きが止まる。
「かつてのオリンピアでも見られた挙動だ。高速でシステムに干渉して内部を書き換え、それがまた乗っ取り返されている。これがダイダロス同士の電子戦だ」
電子戦……しかし向こうのダイダロスはアフロディーテのダイダロスを攻撃できるのかな。こちらから攻撃できるということは、攻撃させない仕組みも持っていないということだろうか?
私たちは足を早める。ゼウスが壁に手を当てて電力の流れを読み、私はゴーグルの情報が目まぐるしく書き換わるのを追いかける。ゼウスはまた何やら独白を始める。
「矛と盾の寓話において矛が勝つような話だ。天塩創一の編み出した万能鍵メソッドは多種多様であり、中には通電情報を読み取りパスワードを解析するものもあった。これは理論上防御が不可能なものだった。ダイダロス同士での電子戦を不可能とするアップデートはおそらくダイダロスの行ったハッキングや情報収集において内部に何かしらの足跡を残し、ダイダロスはそれを感知して動きを止めるのだろう。しかし彼がもし防衛にのみ尽力していればダイダロスにも突破不可能な防壁を編み出しただろうか、それともそれは情報の秘匿性に完全はありえないという真理の示唆なのだろうか」
走る先ですべてのシャッターが閉じようとし、あるいはスプリンクラーが噴射しようとして、誰かが透明な手でせき止めるように止まる。走る先だけではない、こちらの位置を特定できないのか、あちこちから水音や警報音が聞こえてくる。
「なるほど……やはりそうか、電力、戻ってきた演算力。急がないと」
「ちょっと、一人で納得してないでくれる、何か察することがあるんでしょ」
ゼウスはふと私を見て、なぜか驚いたような目をする。今私の存在に気づいたかのように。
「ミズナくん、走破者にはいくつかの階梯があると感じないかい」
「階梯? 段階ってことね」
「そう……走破者による争いとは一度では決着はつかない。演算力をすべて奪うのは簡単ではないからね、畢竟、何度も戦うことになる。その中で走破者は研鑽を積む」
ゼウスはどうも誰かに話しかけているのか、それとも独白なのか分からない話し方をすることがままある。今はそれなりに私を意識しているようだが、夢想にふけるような、竜や魔法について語る詩人のような気配もある。
「それはつまり、走破者たちから抜きん出るものを待ち望んでいる、という気がしないかい。走破者たちは互いに高め合い、その中で優れたものはより成長する、そして人間を超えたものへと変貌していく」
「……そういう考え方はあまり好きじゃないわ。演算力がなければただの人間でしょ」
「キャンバスと絵筆がなければ画家は画家でなくなるだろうか? そうではないと思う。優れた美的感覚は魂の形。落ち葉を並べて、あるいは砂や泥で絵を描くこともできるだろう」
「掴みどころのない話。つまり走破者がもう一段階成長すると言いたいの」
「そう。そのために必要なのが電力だよ。すべての基本だからね」
「……」
何だか話が飛んだような気がする。ゼウスの視点では一貫してるのだろうか。
しかし会話にふける暇はなかった。私は絵画の並ぶ廊下を抜ける際、その部屋の隅にあるものを見てタケナカを呼ぶ。
「タケナカ、二酸化炭素消化器だけ気をつけて、まともに食らうと即死しかねない」
『心得てます。しかし向こうの演算力が高まってきてます。なぜですかね。その船の中の通信機器は最優先で抑えています。衛星へのアクセス回線も閉じているはずです。演算力を集められるはずないのですが』
「いたよ」
いつのまにか宴会場らしきホールに入っている。天井ではライトが細かく明滅し、扉のロックが開放と施錠を繰り返していたが、その挙動もやがて止まる。
奥にいるのは長身に黒い衣。喪服のようなレースのヴェールで顔を隠す女性。その足元では黒と赤の入り組んだ模様が展開されている。
「ノー・クラート……」
最初に浮かんだ感情は、戸惑いだ。
演算力が戻ってきている。それならノー・クラートとしてはもっと船内を逃げ回るほうが有利なはずだ。
それなのに私たちの前に出てきた。これが何を意味するのか。
「雷霆」
ゼウスが腕を突き出し、そこからスパークが走る。
「ちょっと!?」
散布された粒子とやらを中継しているのか、北斗七星のような蛇行した軌道が網膜に焼き付き、ノー・クラートに迫る数万ボルトの電圧。
だが着弾していない。彼女の手前で何かにぶち当たるように拡散し、一部は床に吸い込まれ消える。光の杖を突き立てたような残像だけが残った。
「ゼウスの雷、それはアースで防げる、単純な攻撃……」
「ふむ、接近して直接打ち込まないとダメかな」
「やめなさいゼウス、まだ聞き出すことがある」
彼の肩を掴んで引く。彼は少し抵抗の意思を見せたものの、何歩か脇に逸れてみせた。
「そうだね、この攻撃のきっかけを作ったのは君だ、従おう」
「ノー・クラート! なぜイカロをさらったの! 彼に何をさせるつもりなの!」
まだ遠い、彼我の距離は30メートルはある。
何かしら対人兵器を使うには十分な距離だ、うかつには動けない。
「必要になった」
ノー・クラートはほとんど聞こえるかどうかという声で言う。彼女は北欧系のマイナーな言語で話しているが、耳に装着しているインカムが速やかに翻訳して届けてくれる。
「イカロは物じゃないのよ! いえ、それ以前になぜイカロの家を襲撃までして奪ったの! 話をする方法ぐらいあったはず!」
「意志は分かっている」
ノーの答えは短い。
意志は分かっている。それは過去に何度も交渉していたということか、それともノー・クラートとイカロの関係は完全に壊れていたのか。
「……一つだけ確認するわ。今、イカロに何をやらせているのか知らない。でもイカロはやらされていることに納得してるの? ほんの僅かでも、あなたの成そうとすることに賛同しているの?」
ノー・クラートは私を見る。
私が連想するものは、白い板だ。
それは何という目だったろう。美しく研ぎ澄まされた顔なのに、まるで人間味がない。冷たさとか恐ろしさとも違う。まるで人形を眺めるような目。そこに何らの感情もなく、喜怒哀楽のどれをも読み取れない。
そしてノー・クラートは、言葉を選ぶ様子なく言う。
「知らない」
「……!」
肌が粟立つ。
我知らず奥歯を噛み締め、息を吐ききった肺からさらに空気が絞り出されるような感覚。
ふざけている。
毒されている。
この女は桁が違う。走破者は大なり小なり人間らしさを失っていくが、こいつには果たして人間らしい感情や思考が残っているのか。すべてを拡張世界の向こうに捨ててきたのか。
「もういい! イカロは返してもらう! 居場所を吐いてもらうわ!」
「この船から出なさい」
AIにでも命じるような調子でそいつは言う。だが私はもはやこいつの声など聞きたくもない。腰から抜き放つのは二つの重りを紐でつないだもの。ボーラとかボレアドラスと呼ばれる武器だ。これで動きを止める。
「ふっ!」
投擲。
高速で回転する双星が猛烈な速さで飛び。ノー・クラートに迫る。
どう防ぐ。先刻の雷霆を防いだ方法もよく見えなかったが、今度こそ見極める。おそらく周囲になにかのギミックを。
瞬間。足元から立ち上る黒い影。
ぎし、とボーラが巻き付くそれは、盾だ。
「な――」
そんな馬鹿な。あれは。
「据盾蟻」
足元の黒い模様が、ざわりと動く。
ありえない。
ここは拡張世界ではないのに。
ノー・クラートの足元にうごめく影。
その黒いものはすべて蟻。生命あるごとく騒ぎたかぶる、黒蟻の群れが――。
Tips 原子力船
動力に原子炉を使用した船はかつては民間船舶での建造も計画されており、60年代から70年代にかけて計画が進められた。しかし高コストであることや運用の難しさ、事故が起きた際の脅威度などにより現在では存在していない。
また、海洋上の浮体構造に原子炉を運び入れた船舶型原子力発電所というものも存在する。2019年にロシアが運用を開始しており、広義の原子力船とも言える。




