第十一章 2
ともかく双子をここで制圧したのは大きい。私は踵を返して廊下を戻ろうとして。
双子のそばに屈み込んだゼウスを眼の端でとらえ、足を止める。
「どうしたの」
「ノー・クラートの居場所を聞き出さないと。ちょっと光るから目を閉じてるといい」
見ればゼウスは黒の革手袋のようなものを身に着けている。指先には銀色の電極らしきもの。袖の長いシャツを着ているため手首から上は見えないが、それはおそらく電撃を生み出す機構に繋がっているのか。
「……無駄よ、その二人はプロよ、簡単には口を割らないでしょう」
「大丈夫、ダイダロスの計算では」
「やめなさい」
語気を強める。ゼウスはわずかにこちらを振り向く、特に何とも感じていないような顔だ。
地面に空いた大穴のような手応えのなさ、こちらの言葉が通じてるのかどうかも分からない。
それは彫像のように整ってはいるけど美々しくはない、人間味の薄れた顔だった。
「……アップデート前のダイダロスを使ってハッキングを仕掛けてる。その時間はおおよそ17分。仮に双子が偽証したとしたら、それを検証してる間に時間が過ぎる」
「なるほど」
立ち上がり、私の脇を通り過ぎて歩き出す。長身だが線は細い、大して鍛えていない体なのに、私は無意識に廊下の端によけてしまう。
「じゃあ急ごう。偵察機を飛ばしてるようだし、君の方で情報を集めてるんだろう?」
「私の探しものはノー・クラートじゃないわよ」
あまり一緒に行動したいわけでもないが、敵対するつもりもない。私は彼に少し遅れて走り出す。
「じゃあ何を?」
「天塩五神楼、天塩創一の息子よ、彼は私のパートナーだった」
「ああ、あの子か。君のナビをしてたのは彼だったんだね。まあそれならノー・クラートの近くにいるだろう。同じものを探してるわけだ」
一般客室エリアとイベントホール、レストラン街やジムエリアなどを抜け、プライベートキャビンへ。すると内装が変化し、誰かの邸宅に迷い込んだような感覚がある。古びた木製の家具とおそろしく目の細かい絨毯。部屋同士は開け放たれて有機的に連結し、高価そうな絵画や彫刻などが並ぶ。ホテルのロイヤルスイートがこんな感じだろうか。
「なんだか生活感があるな」
「……この内装」
何がどう、と説明できるわけではないが、覚えがある。イカロの育った屋敷に似ているのだ。
家具や壁紙の趣味が似ているのか、住む人間の個性が無意識のうちに反映されるのか。
ふと部屋の一つを覗きこめば、大型のディスプレイが設置され、ブックラックにディスクが並んでいる部屋だ。
「この部屋……なんだか」
『ミズナさん、そのへんには熱源はないですわ、もう少し移動してくださる』
亜里亜はそう言うが、私は不思議な郷愁のようなものを覚え、中に進んでディスクの一枚を手に取る。
「全米ビリヤード選手権ダイジェスト……?」
こちらはフェンシング、こっちはチェス、ボードゲームや柔道の映像もある。
「趣味のスペースみたいだね。ここはイカロくんの部屋かな」
ゼウスが言い、私は思わず言葉を返す。
「そうね、彼の匂いがする」
『なっ』
無線の向こうで憤慨するのは亜里亜だ。
『なんですのミズナさん! どーゆー意味ですの! なんでイカロ様の匂いとか分かるんですのフシダラですわ! ちょっとその部屋の空気ビニール袋とかで』
「物の配置よ。イカロは一度座り込むとそこから動かない。映画とかは一度に複数本を見る。だから全部か狭い範囲に散らばった形になるの」
『ああ、そういう意味ですの……』
咄嗟にごまかしたけど、なかなか上手い言い訳だった。
イカロの匂いと感じたのは直感だ。この部屋にはイカロが確かにいた。それは私の深い部分と通じあう懐かしさ。彼の気配が、魂の残り香が確かにある。なぜそう感じるのだろう。腹の底までさらけ出して、演算力の行使という罪を共有しているからだろうか。
そういえばアフロディーテのいた島にはイカロの私物はなかった。ノー・クラートはイカロの部屋をこの船に移していたわけか。
「天塩創一という人物は人間の才能に興味を持っていた」
ゼウスが一人言のように言う。実際それは一人言だったのだろう。彼は何かにつけて、思考を整理するかのようにだらだらと独白する癖がある。
「ノー・クラートに近付いたのもそのためだと聞いている。彼女は病気のために長い昏睡状態だったものを天塩氏が目覚めさせたらしいが、彼の影響なのか、ノー・クラートも人間の才能に興味を持つ人物だった。とはいえ元々から特権階級なだけに、付き合いがあるのは自然と優れた人物ばかりになっていた。そうして十数人ほどの人物が最初の走破者となり、迷宮に挑むようになった」
「……」
アフロディーテなどは、特に超一流の人物を選んだわけではない、身近な人間を選んだだけだ、と言った。
しかし天塩氏が人間の才能に興味があったのは本当だろう。それは、自分では思い付けなかった演算力の使い道、それを見いだしてくれる人間を求めたからだ。
私は思い出す。あのアルテミスの言葉を……。
※
「私は詐欺師なのよね」
三ノ須の地下。後ろ手に拘束されたアルテミスがそう答える。彼女はセーラー服姿だった。
プロメテウスに連絡をとって確認したが、やはりこちらが本物のアルテミスだ、軍服のほうは影武者らしい。
よく見れば確かに若くはない。しかし薄手の化粧でよく隠している。表情の作り方などで若く見せているのだろうか。変装の名人というのはメイクの腕だけではないらしい。
「ちょっとした詐欺グループをやってて、ノー・クラート様からちょっと金を騙しとってやろうと接近したんだけど、演算力のためにあっさりバレて、そこからなぜか気に入られたの」
淡々とした口調である。何事でもないかのような軽さで、彼女が人質をとって爆破テロをたくらんだ人物なことを忘れそうになる。
「……あなた、私に何か提供できる情報とかないの? 取引ぐらいはできるかもよ」
「さあ?」
ぽかんとした様子で言う。
「他の走破者のことはあんまり知らないの、オリンピアの連中とは付き合いが薄かったからね。馬が合わないのよ。ケイローンはクソ真面目、プロメテウスは有名人すぎて近付きがたい、アフロディーテは性的嗜好を曲げられそうで怖い、ゼウスは言うまでもないでしょ。ノー・クラート様の繁栄についてなら少しは言えるけど、あれも次々と新しいのが生まれてるから」
変に予備知識を入れると危険、それは理解できる。
亜里亜はつま先で床を踏み鳴らして言う。
「これ以上何も聞き出せませんわ、もう警察に突き出すべきですわ」
「ええ、いいわよ」
アルテミスは脱力して肩をすくめる。
「私は本来、ノー・クラート様に出会ったときに終わってるのよ。詐欺師ともあろうものが子飼いの身だったからね。監獄からゆっくり世界が変わる様子を眺めるのも悪くないわ」
それは彼女なりの強がりか、あるいは生きざまを貫いていると見るべきか。
あるいは彼女は自分の死に場所を求めていたのか、そんな気もする。走破者の争いが概括を迎えようとする中で、そこからフェードアウトしていくのが耐えがたかったのか、そんな風にも思った。
私は何かを諦めるような、何かをクズカゴに捨てるような気分のまま聞いてみる。
「イカロについては?」
「ああ、あの子ね、あの子とは気が合ったわよ」
「そうなの?」
興味を表情に乗せつつ聞き返す。
「私はけっこうミーハーだからね、スポーツ観戦が好きなのよ。スポーツの話題で盛り上がったわ。プロメテウスやアポロはプレイする側で、ファンとしての会話のノリにならないからね。イカロは私がよく世話してたわ」
「どういうこと」
「イカロもスポーツが好きだったのよ。私は彼に頼まれて、何度か映像媒体を運んだ。ノー・クラートはイカロに英才教育は与えたけど、イカロ様は父親ほどは才能が芽生えなくて、ノー様はそのことに不満があったからね。そのせいか知らないけど、娯楽や趣味に関わるものは何も与えはしなかった」
「なに言ってますの!」
怒髪天という様子で怒るのは亜里亜だ。
「イカロさまほどの天才はいませんわ! イカロ様と話しててなんで分かりませんの! あの年で世界のあらゆることに通じて、ダイダロスを手足のように操りますのよ!」
そちらをちらりと見て、アルテミスはふんと息を吐いて胸をそらす。
「あなた、イカロに惚れてるの?」
「勿論ですわ!」
「じゃあ恋は盲目ってやつね、あれは」
「アルテミス、そんな話はどうでもいいわ」
私は彼女の言葉を押し止める。アルテミスは首をこきりと鳴らして沈黙し、今のはただの軽口だと思ったのか、亜里亜もそれ以上は言葉を重ねなかった。
そう、天塩氏の足跡を見てきた私には分かる。イカロはいかにも天才的だが、あれは早熟というだけ。
イカロは、天才的な人物ではない。
若さゆえに脳の活発さはあるが、異能を持つわけではないのだ。
イカロの力はすなわち、ダイダロスにどれだけ自分を預けているか、という強さ。
発想や連想、思考や内省すらダイダロスに預け、最低限の判断だけで反射のように情報を処理する、それが演算力の使い手だ。
イカロはそれが達者というだけ。一般的に言われるような天才ではない……。
だが、それが何だと言うのか。
何も恥ずべきことではない。イカロはどこにでもいる普通の子供だったというだけ。血統や育ちなど関係ない、彼は真っ当にこの世を生きているだけだ。
「……イカロはノー・クラートに拐われた、それは何故だと思う?」
「それは本当に分からない。ノー・クラート様が求めてたのは走破者だったからね。イカロが走るとしても、あと数年はかかると思うんだけど」
アフロディーテなどは、イカロが拐われたのは天塩創一の血を引くからだ、と言っていた。どうもそちらが正解なのだろうか。イカロに何かさせたいことでも……。
アルテミスはそこで私を見て、目の奥まで覗き込むかのように眼光を絞る。
「なに?」
「あなた……そうね、思い出したわ。人の顔は一度見たら忘れないんだけど、さすがにあれはね」
「何の話よ」
「もしイカロの部屋に行く機会があれば、ビデオラックをよく見ることね。さあ、そろそろ話し疲れたわ、警察でも何でも呼んで」
「……」
その顔には何かをたくらむような笑みがあった。あとは観客に回るだけ、自分の出番は終わり、そんな顔だ。
アルテミスが何か目覚ましい活躍をしたわけではないけれど。
私はなんだか、彼女に勝ち逃げを許すような気がして歯がゆかった……。
※
「これは……!」
散らばったディスクの中に、それはあった。
○年○月、S県中学生陸上大会記録。
それは数年前、中学生だった私が出た記録会。
その大会で私は全中記録に迫るタイムを出したが、一歩及ばず優勝を逃した。
理由は簡単。その時に39度の熱が出ていたから。
そして翌年。高校に上がるのと前後して母は倒れ、父は失踪した。
なぜイカロがこの記録を持っているのか。
おそらくは探していたのか。無数に存在する記録会映像を収集し、その映像を分析し、私を見いだしたのか。
私が不調であったことに気付き、私の母の情報から、私がゲノム編集者であることを知ったのか。
その私の背中に、ゼウスが問いかける。
「そのディスク、何かの手掛かりかい?」
「いいえ」
私は彼の方を見ず、ただ胸の中でそのディスクをそっと抱きしめ、言った。
「これはね、絆よ」
これは私とイカロの絆。
イカロが私を見つけだし、海を渡って三ノ須に来たことの始まりの第一節。
全てのことの奇妙な繋がり、不可思議な人と人との縁。
その行き着く果てに未来があるのか。
人と人が結ぶ回路図の、その最後にいるのは誰なのか……。
Tips 三ノ須学園のスポーツ特待生
三ノ須学園においては初等部からスポーツ特待生が存在する。卓球、フィギュアスケート、体操、ゴルフなどが対象、陸上での特待生は中等部からとなる。
高等部での中途入学は学科試験での入学が九割、残りの一割がスポーツ特待生であり、スカウトも盛んに行われている。




