第十一章 1
太平洋、ニュージーランド沖。南緯40度西経168度付近。やや白波の混ざった濃藍色の海と、雲もない360度のパノラマの空。風速は入り乱れているが8メートル弱。
公海上であるためどの国の警戒範囲にも引っ掛かっていない。もっとも近い陸地まで500キロ以上、まさに絶海の果てか。
データ上ではそう理解しているが、もちろん来たこともない未経験の海だ。そこを狭い範囲でだらだらと航行するのは三隻の船。
目指すは全長380メートル、幅48メートルという世界最大級の豪華客船。海面に突き出た威容はビルというよりも大型ショッピングモールのようで、事実その中にはおよそ考えられる全ての屋内施設があるという。
商用ならば6000人以上の乗客を乗せられる船であり、建造費はざっと8億ドル。もっともノー・クラートにとっては浮き輪程度の買い物か。
そんな客船の甲板に黒い雹が降る。カブトムシのような黒い石がばらまかれ、数秒後、私の接近を感知して一斉に爆発。甲板の前面部分から激しく爆風が上がる。
時速300キロオーバーで接近していた私は前方の閃光を察知してムササビのようなウイングスーツを広げる。連鎖的な爆発が次々と巻き起こるが、手榴弾のように小片が入っているわけではないので爆風だけの圧力が来る。その爆風を受けて減速しつつ体が大きく浮き上がり、50メートルほど打ち上げられてから急降下。船体の中央付近に墜落する。
だん、と一メートルほどもバウンドして、叩きつけられた人形の気分を味わいつつ肺から息を吐く。
「うぐっ……」
ブレーキがあまり効かなかった。というかウイングスーツというのは着地の際にはちゃんとパラシュートを使うものであって、滑空からの強行着陸のための装備ではない。ダイダロスは人間の体がチタンでできてると思っているのか。
『ミズナさん、生きてますか』
タケナカの声がする、私は上がりきった横隔膜がなんとか下がっていくのを意識しつつ答える。
「信じがたいことに無事よ……というか丈夫なスーツねこれ。これなら直接天井に降りたら良かったんじゃないの」
急ごしらえとはいえダイダロスが設計し、一流の工作メーカーが作ったスーツだ。見た目はどっかの大怪我した警官とか、記者会見で正体バラした大富豪みたいだけど、関節部分に急な変形を妨げるポリマーが内蔵されており、脳の揺れも最小限に抑えられ、あの落下の衝撃にも耐えられた。しかしどういう名目で発注したんだろう。
『ダイダロスの計算ですと屋上を滑って止まる場合、障害物にぶつかって脳震盪などになる可能性が高いとか』
確かに、船とはいえ屋上には配管だのアンテナだの、太陽光発電施設だの色々と物がある。あれにぶつかるのは危険だ。
つまりはホップアップ攻撃。目標に到達した時点で大きく浮き上がり、爆風と空気抵抗により急激な減速。そこからウイングスーツで空気をとらえつつ着地する道理か。
分かっていてもこんなこと誰もやったことがない。計算上で成立するからといって女子高生にやらせる曲芸ではないと思う。ダイダロスとは一度じっくり話し合っておきたい。
『とにかく急いでください。船内に乗り込んでいる軍人は少数のはずです』
ともかく作戦を始めねばならない。私はもう不要になったアーマーを脱ぎ捨て、いつものロングタイツと白ジャケット姿になると、荷物の中からゴーグルを取り出して装着する。
そこに映るのはデータを反映させた画像だ。ワイヤーフレームで表現された船内に、人間の姿が映し出される。下層に目をやればそこにも人影が見える。
すでにこの海域の上空には多数の偵察機が来ている。それらが船内をあらゆる波長の電磁波でスキャンし、エンジンの挙動やドアの開閉、内部の人員の動きまでをも分析してゴーグルに反映させているのだ。
控えているのはおそらく私設軍隊。いつぞやのミノタウロス社とは比較にならない相手だろう。遠慮なく演算力を使わせてもらう。
爆破された部分から下層へ。
アフロディーテによる電子攻撃は有効のようだ。イージス艦が沈黙してるのはもちろん、この船に関するデータも次々と集まってきている。これらのデータは突入前には手に入らなかったものだが、三ノ須でタケナカと亜里亜が収集しており、ゴーグル内の情報が次々と更新される。
同時に船のシステムにもハックを仕掛ける。電子ロックされたドアが開いていき、ゴーグルにも矢印が表示され始める。
「誰とも出会わないわね。あれだけの爆撃が行われたのに」
『すでにハックの開始から4分です。アフロディーテとの連携で、その船のシステムはほぼ掌握しましたよ。兵士についても個室に誘導して、ロックをかけて閉じ込めています』
まあ兵士に出くわしたらどんなイレギュラーが起きるか分からない。これは私の潜入ミッションというより、三ノ須で待機してる側の誘導ゲームのようなものか。
正直いま全身痛いので、無茶をせずに助かったけど。
「イカロの居場所はわかった?」
『探していますが、さすがに熱源反応だけでは何とも。ただ上層階にいる連中は違うようですね。磁場走査で銃器を持っている人間は排除しています。その船は地下一階の西側がプライベートキャビンになってるようですが、そこでしょうか』
地下一階とはいっても喫水線よりはだいぶ上だ。よし、向かうか。
『イカロさまー! どこですのー!』
タケナカとの通信回線から亜里亜の叫びも聞こえる。今は同じ部屋にいるようだ。直後に亜里亜との回線も開かれる。
『ミズナさん急ぐんですのよ! イカロ様が私を待ってますわ!』
「もちろん急ぐけど、広すぎて……」
爆撃のせいか調度品やシャンデリアのガラスなどが散乱しており、なかなか全速で走れない。もっとも五分十分もかかるほどではない。私は手摺りから身を乗りだし、吹き抜けになっているエスカレーターホールを一気に下る。
『あっ! その先、左に折れた突き当たりにイカロ様らしき反応ですわ!』
「オーケー、ゴーグルに反映させて」
それはすぐに出る。角を曲がって廊下の突き当たり、ひときわ立派なドアの奥に人影があった。熱源反応がシルエット化されているのだ。
『一人みたいね、身長150センチ弱、心音はひとつ、イカロ! 聞こえる?』
反応はない。透過された視界の中では床にぐったりと倒れる人影があるのみ。攻撃のショックで気絶したのだろうか?
『ロック解除されてますわ!』
「イカロ! 開けるわよ!」
私はドアノブに手をかけ。
そして見た。室内にある熱源反応。人体のシルエットを見せて寝そべるそれが、いきなり二つに割れたことを。
「!?」
身を引く。二つの影は赤いスライムのように動いてこちらに向かい、次の瞬間。ドアが内側から膨らむような感覚。ガラスのように砕ける木片が見え、スローに感じられる世界で二つのブレードが私に迫る。
「ちいっ!」
瞬時に体を縮めて回避。真上を行き過ぎるブレードを視界に捉える。両刃ノコギリのような凶悪な形状だ、おそらく薬物を塗っている。
私は片方の胴に向かって足を跳ねあげる。だが向こうの反応も早い。ドアフレームに手をついて回避、および反転。二手に分かれて廊下の左右に散る。
それは銀色の双子。併び走る二匹の鮫。
首から下を銀のボディスーツで覆い、先端にブレードを備えたインラインシューズを装備し、迷宮を変幻自在に駆け巡る走破者。
「カストル! ポルックス!」
やはり乗り込んでいたか。あの日、イカロを連れ去った実行犯。ノー・クラートの手下になっている二人だ。
「びっくりだよ。お姉ちゃん、どうやってこの船に攻撃かけたの?」
「しかも乗り込んでくるなんて。まさか力づくでイージス艦を沈めたとか? でもそんなわけないよねえ、轟沈の音なんかしなかったし」
まだハックのことは察していないか。
だとしても恐ろしい反応だ。二人はおそらく、この船に攻撃が仕掛けられた直後に折り重なり、自分達を小柄な一人の人間に見せかけた。侵入者が熱源感知でイカロを探すことを読んで成り済ましたのだ。攻撃されるなど夢にも思っていない状態から、なんという即応能力。
「……心音は一つだったはず」
「ふふん、これも訓練だよ。必要に応じて心音をシンクロさせるぐらいわけないって」
二人は男女の双子だから二卵性のはずだが、果たしてどちらがカストルでありポルックスなのか。そうやって容姿を揃えることも技術であり、職能の一つなのか。
何にせよまずい。一人なら格闘で戦えなくもないが、相手はおそらく対人戦闘もプロだ。そのブレードの装着された靴で一撃を受ければすべてが終わる。
「……私が用があるのはノー・クラートだけ、どきなさい」
「ダメだよー、契約もあるし、ノー・クラートのおばさんに怒られるもん」
「悪く思わないでねー、こっちはプロだからサクッといくよー」
どうする。持っている対人武器で最も強力なのはテーザー銃。しかしこの二人に当てられるかどうか。狭い廊下では小細工も効かない。最初にドアを内側から破られたとき、反撃せずに逃げるべきだった。どうすれば……。
『ミズナさん、何か変ですわ、気を付けて』
「……もう遅いわ。例の双子に遭遇した。なんとか切り抜けられるよう祈ってて」
『いえ、そうではなくて、西側から……』
ばり、という音がする。
はっとそちらを見れば、双子の一人が床に倒れ伏す瞬間だった。首筋から白煙が上がっている。
「プロというのが世界の理に通じ、身体能力を磨きあげた人間だとするなら」
その人物は黄色のジャケットに黒のジーンズ。足にバスケシューズを履いた人物。
「走破者は世界の枠を超える人間。勝負の土台が違う」
視界の中でその姿がぶれて見える。彼にだけノイズがかかっているのだ。何かしらスキャンを遮断する対策をしているのか。
私はゴーグルを外して彼を見る。
「ゼウス!」
「やあお嬢さん、攻撃を仕掛けたのは君だったか」
目にかかるほどの長めの髪と、いつも疲れ果てているような気だるげな眼の白人。
まさしくそれは彼だ。かつてのオリンピアのリーダーであり、深海の監獄に幽閉されているはずの彼が、なぜここに。
「さて、どうやら作戦行動に君は邪魔らしいな」
ゼウスは切れ長の目を上げ、私の向こうにいる銀色の少年を見る。
「うぐ、ゼウスのお兄ちゃん……ま、マジで」
腰が引けている。双子がプロフェッショナルであることはもはや疑うべくもないが、それでも足を引かせるのか。しかしゼウスはけしてアスリートではなく、ここは拡張世界ではない。鍛えられた工作員である双子に分があるはずだが。
「抵抗は無駄だ。後ろを向いて延髄を見せてくれ、優しく気絶させるから後遺症も残らないよ」
「うう……」
それは本能的な恐怖と、職能が支えるプライドとのせめぎあい。
銀色の少年は一瞬の躊躇ののち、ゼウスに向かって駆ける。
「雷霆」
ゼウスの呟き。
その瞬間。廊下全体がびしりと発光するような感覚。網膜の一部が感光して光の軌跡が残る。
そして疾走の勢いそのままに、双子の片割れは顔面から倒れる。
その延髄からは白煙が上がり、四肢が細かく痙攣していた。
「な……」
不意打ちではない。十分に警戒していたはずの双子を一撃で。
「何をやったの?」
「雷霆、ゼウスの雷だよ。中性浮力を持つ粒子を散布し導通路を設置する。この導通路は紐のように操ることができる。この子が通過する瞬間に引っかけて電圧を流した」
つまり不可視のトラップというわけか。そんな技術は聞いたこともない。ダイダロスで開発したものか。
私は左右に倒れている二人を見て言う。
「……無事なの?」
「もちろん手加減はしたよ。子供だからね。それに貴重な人材だ。君の作戦目標が何か知らないけど、この二人は僕が回収しよう」
「どうやってこの船に?」
「高度9万フィートでステルス戦闘機を巡回させてる。そしたらイージス艦のレーダーが消滅してね、誰かが攻撃を仕掛けたと見て降りてきたんだよ」
「……」
相変わらずマイペースな人物だ。私たちの電撃作戦に干渉していながら、何ヵ月も前からの計画のように落ち着いてる。高度9万フィートといえば約27キロ、ラジオゾンデの飛べるギリギリの高度だ。そこを飛ぶ戦闘機は飛行機というより宇宙船に近い。どこかの国のトップシークレットに違いないが、それを当然のように利用している。
人類の進化の果ての技術を手足のように操り、躊躇なくあらゆる行動を行う。
これがゼウス。
オリンピアの神々からも恐れられる。最強の走破者か。
Tips 高高度戦闘機
高高度とは国内では明確な定義はないが、世界的にはおおよそ5万フィート以上を指す。
かつては地上からの攻撃を防げるという意味で有意であったが、現在では地対空ミサイルの進歩により安全性を失い、また軍事衛星の進歩により完全に陳腐化している。
再び超高高度航空機の優位性が得られる可能性として、年単位で特定空域に待機し続ける航空要塞、空中空母の可能性が指摘されている。
章第の読みは「ぎじしゅうみょうのめいきゅう」です
亜里亜の技名を変更しました
(旧)万里貪蝗の夢
(現)万里覇蝗の夢




