第十章 6
私は後の処理をタケナカに任せ、画面を転じる。迷宮で戦っているはずの亜里亜とケイローンはどうなっただろう。
そこは屋内空間のようだった。200畳はある巨大な畳敷き、そこに鎧武者がいる。
そいつには中身というものがなく、兜と胴鎧、それに脚甲部分の中身は煙のようなものが詰まっている。しかもそれが象のように大きい。電柱のように巨大な刀を構えて振り下ろせば、私の姿をした亜里亜が横っ飛びで回避する。低重力世界のためか十数メートルも飛んでいる。
「ケイローン! あなたいい加減にしなさいよ!」
それは私の口調になっている亜里亜の声だ。
よく見れば周囲には奇妙なものが山積みになっている。先端が竹ボウキのように複数に分かれた槍、ガトリング砲のように複数本が束ねられた火縄銃。銀のように輝く八本足の馬と、それが引いている神輿のような馬車。
重力は天地が逆転するほどではないようだ。今は月が欠けているのか、あるいは城の内部はまたルールが違うのか。全容を見ていたわけではないから詳細が分からない。
亜里亜が腕を構えれば、そこから射出される大型の岩。それが鎧を着た巨人を打ち倒す。一瞬だけ機械的な仕組みを出現させて射ったはずだから、やはり重力が弱いのだろうか。
その背後から桃色の矢が飛ぶ。それは薬剤を封入した筒であり、畳の一枚に突き刺さると同時に薬剤を注入。畳が静電気を帯びるカーペットのようにけば立ち、一枚が起き上がると細胞分裂のように増殖。やがて畳で組まれた立方体となり、サイコロのように転がって亜里亜へと迫る。
なるほど、この広大な空間はおそらく城の下層部分。この広間を超えればゴールが見えるはずだが、後方からケイローンが邪魔しているわけか。
カメラをそちらに向ければ、空間は暗闇に包まれている。柱もなしにこんな広大な空間が作れるのはやはりこの迷宮の特色、月が生み出す低重力世界ならではか。
私は通信を送る。
「亜里亜、アルテミスのほうは片付いたわ、そっちはどう」
「もうじきゴールだと思うのですけど、ケイローンの横やりがひどいのですわ、というかあいつの戦い方けっこうセコいですわ!」
この迷宮の名前、帰馬黒月とは戦争の終わりを意味する言葉。
重力の不安定な城の中で鎧武者たちを倒しつつ、城の天守閣を目指して戦いを終わらせる、というのがコンセプトなのだろう。
しかしケイローンの使うネクタル、あれのせいで迷宮の様相が一変している。ただの鎧武者が天に弓引くような怪物となり、畳の一枚が立方体に育ち無秩序に暴れまわる。亜里亜は人工筋肉を上手く操って回避しているが、妨害を抜けつつ先へ進むまでには至っていない。
そうする間にも後方から矢が飛ばされ、ただの調度品や家具までが百鬼夜行のような怪物になっている。両手が燃えている人型の燭台とか、空中を飛ぶ掛け軸とか。
……なんかディズニーみたいでちょっとかわいい。
「亜里亜、先にケイローンを倒せないの?」
「迷宮化させた鎧を自ら着込んで身を守ってますわ。しかも内部からネクタルを供給し続けてトーチカのように分厚くなってますの。とても破れませんわ」
迷宮を操る……まったく面倒な能力だ。
どうする。タケナカに頼んで大規模破壊兵器でも投入すべきだろうか。しかしゴールまで吹き飛ばす可能性も……。
「……ミズナさん、少し試したいことがありますの」
「なに?」
「考えていたことですわ。この拡張世界において、思考走査の根を無意識にまで降ろすという概念。何度か練習していたのですけど、まだ完成には遠かった。でも、この迷宮なら……」
それはまさか、迷宮世界。
もちろん私に使えて亜里亜に使えないという理屈はない。
「でもミズナさん、あれを使うと正体が悟られる恐れが……」
「気にしないでいいわ」
間をおかずに私は言う。
「別に私が戦うという確約もない。勝利してしまえばそれでいいの。走破者は走破すること以外の何も求められない。だから遠慮せずに使って」
亜里亜は画面の中で、どこにも見えないはずの私の姿をちらりと盗み見るような仕草をする。
そして大きく飛んで畳のサイコロを回避し、続けて押し寄せる魑魅魍魎たちに対峙する。
「まだ不完全ですけど……」
目を閉じる。慣れれば一瞬で出せるのが迷宮世界だが、亜里亜にはまだ数秒の溜めが必要なのだろう。心を空にして、無意識の奥にある自分の原風景にアクセスする。
俯瞰の画面で黒い点が生まれる。
それは車だ。よくある軽自動車。セダンにトラックもある。様々な車種がいくつも出現する。
車を出す? でもそれなら亜里亜なら普通にできること……。
「回れ!」
その車たちが回転を始める。
ハンドルを切って回っているわけではない。コマのようにその場で回転しているのだ。それは専用に設計されているのか、前後のタイヤが逆方向に切られている。しかもほぼ真横に。
信じがたい話だが、動力が四輪それぞれに伝達されるよう設計されている。
あれはまさか、超信地旋回。
戦車などキャタピラを装備した車両で可能な挙動であり、左右のキャタピラを逆方向に回転させることでその場で旋回できるという起動。亜里亜の場合は前後輪を左右逆にきることで旋回している。
旋回を行える車を設計したのか、しかし、何のために……。
「亜里亜、何を……」
「ミズナさん、原風景とは地形だけではないのですわ」
その周囲で車両は増え続ける。10、いや20。さらに次々と。
「私にとって原風景とは機械の駆動。それはエンジンの動きであり、ドライブシャフトを通じたタイヤへの力の伝達である。ですけど創造において同時に数十台出せたとしても、操れるのは私が操縦しているものだけだったのですわ」
それは……仕方のないこと。
「車というのは不自由な機械ですわ。アクセルをベタ踏みすれば旋回や制動が不安定になる、速度が上がれば回転半径が膨れ上がる。もしエンジンの出力を最大にして、その力を留めておこうとするなら、それは円運動をするコマのような挙動になるのですわ!」
亜里亜が迷宮世界を行使すれば、この場に数百台の車両を顕現させることもできるだろう。
だがそれが何になるのか。走ればすぐに散らばってしまうし、個別に操るとしても、トップスピードで走り回らせるのは簡単ではない。
それを解決するのがあれか。あれは亜里亜の生み出せる力を最大の形で留め置くための風景。そういうことか。
エンジン、絶えず進化を続け、化石燃料の力を遺憾なく引き出す、人間の生み出した究極の芸術とも呼べる機械。
亜里亜は己の無意識に根を伸ばし、最大限の数と出力でエンジンを生み出している。より多く、より力強く。すべてを破壊せんとするエネルギーの塊を。
「……万里覇蝗の夢」
亜里亜が目を閉じたままつぶやく。
それが迷宮の名前。
亜里亜の無意識とダイダロスが呼応し、生み出された迷宮の概念か。まさに全てを喰らい尽くす蝗の群れのごとく。畳を削りながら回転し、不安定な挙動で動き始める。そしてさらに数を増していく。
その回転する車同士が接触。激しい火花を散らして互いに弾かれる。
「! 危ない!」
だが私の叫びが届くより早く亜里亜は動いている。低重力の世界で伸身のまま浮くように背後に、死角からの車両を回避。
すでに暴威は始まっている。周囲にいた巨人が、鎧武者が、妖怪のような異形が回転する鉄塊に飲み込まれて粉砕される。厚手の鎧でも問題にならない威力。刀を折り、槍を砕きながら暴れまわる。
瞬く間に鎧が、異形が消えていく。車は次々と生まれつつ、喧嘩ゴマの要領で外へ外へと広がりながら破壊を続ける。あるいは大破し、あるいは爆発炎上しつつ、触れるものを一瞬で砕く。
「あれが亜里亜の迷宮世界……。すさまじい。あれはまるで、迷宮を砕く能力……」
典型的な生存の迷宮。亜里亜だけがその世界に適応している。おそらくは彼女自身が持つ優れた五感と勘のよさがため。荒れ狂う回転と、飛びすさぶ鎧の破片をすべて見極めて回避しているのだ。
その亜里亜の右方から桃色の光。射出された矢が彼女を直撃せんとする。
亜里亜はかっと目を見開き、足を踏み変えると同時に雷速で右手を抜く。そしてあろうことか、飛来する矢を手で把握した。
「なんと……素手で」
ケイローンの声だ。
鎧の一つがクロスボウを持っている。いつの間にかトーチカを出て近くまで来ていたのか。
「まさか現実にそんなことが可能とは。白羽取りというやつですか」
「ぬるいわね」
亜里亜は指を鳴らす。すると周囲で回転している車両が一斉に消えた。
「その注射器仕様の太い矢は矢としての剛性が低い。だから射出に強力なクロスボウは使えない、もう見抜いてるわ」
確かにその通りだが、亜里亜の今の技も人間離れしている。
その亜里亜の力、察してはいた。
亜里亜は以前、時速450キロオーバーの硬球をスタンドインさせたことがある。
プロ野球において、投手の投げたボールがキャッチャーミットに届くまでの時間はおよそ0.45秒。そのおよそ三倍の速度とすれば、滞空時間はなんと0.15秒である。反応速度の限界をはるかに越えている。
おそらくは、彼女の生い立ち。
拡張世界に幽閉され、加速された時間を過ごしていた彼女は、脳がそれに適応したのではないか。トップアスリートが超集中によってたどり着く世界、視界の全てがスローに見えるという境地に。
「ケイローン、あなたの敗因はそのネクタル」
矢を握りつぶし、亜里亜が言う。
「確かに迷宮を複雑化させる力は厄介。でもダイダロスは、走破できない迷宮は絶対に創らない。どこまで複雑になっても私は必ず走破する。もうあなたの出る幕はない」
「……理解しましょう」
ケイローンから剥がれるように鎧が落ち、白衣の彼が現れる。クロスボウはすでに下げられていた。
「私はもう走破者から退こうと思っていました。私より優れた走破者がいますからね。理解していただけるでしょう? ミズナさん」
「……」
ケイローンは虚空に呼び掛けるように話し、私と亜里亜はともに口をつぐむ。
「プルートゥは実に優秀です。というより、もはや私では彼女の成長に追いつけない。きっとまだまだ成長します。人類のアップデートを望む私が、私より優れた走破者に後を託す。それは道理というものでしょう」
「関係ないわ」
亜里亜が言い、腰に手を当てて構える。
「最後には私たちが勝つ。ゼウスも、あのミノタウロスも倒してね」
「楽しみにしています。きっと迷宮も今のままでは終わらない。より深遠なる迷宮が生まれ、それがより高位の走破者を育てていく、そんな気がしますよ。私にはそのような研鑽こそが悦びなのです。どこかで誰かが成長し、世界が変わり続けていると実感することにこそ安堵するのです」
ケイローンはどこまで把握していたのか。
私と亜里亜の入れ替わりを、あるいは迷宮と走破者たちの行く末を。
その泰然たる姿は最後まで揺らぐことはなく。
彼はただ静かに、走破者としての役割を終えた。
※
「タケナカ、ケイローンから銃を預かったわ。これから帰るから迎えを寄越して。銃の分析には機器も必要だから、適当な研究施設の手配を」
『はい、すでに用意を進めてます。アルテミスの身柄も一時的にこちらで押さえました。何か質問しておくことはありますか?』
「……ええと。他に仲間がいないか、引退した連中についての情報、他の走破者についても聞ける範囲で」
『はい』
私は顔と所在が知られているから標的となったわけだ、今後はもっとガードを固めておかなければ。
『ミズナさん、私からも一言いいですか』
「え?」
タケナカの発言に、私は数秒停止する。
「何?」
『私はですねミズナさん、生意気で小利口な嫌な男です。演算力をノー・クラートに売り渡した上で、こうしてあなたたちに取り入って身を守ろうとしている。ノー・クラートを信用してないからです』
「……」
『どうしようもないほど疑り深くて浅ましい、世の中を斜に構えて見ている男ですが、そんな私でも迷宮というものにそれなりの敬意を抱いていたのです。人類の命運を賭けた争いに興奮し、人類の最精鋭とも言える走破者たちを眩しく思っていました』
「何が言いたいの」
『解せないのです。私があなたの元へ来たのは、あなたの走りに憧れたからですよ。迷宮でもそうですが、ニュースなどで拝見するあなたの走りも素晴らしかった。何よりあなたは戦い続けている。ゲノム編集者たちを背負って、社会の仕組みと戦おうとしている。演算力の助けがあるからといって、余人に真似のできることではありません。そのあなたが、どうしてケイローンとの戦いを避けたのです?』
「……」
画面に映るタケナカの眼は真剣だった。適当にごまかすことなど許さないと、銀縁の眼鏡の奥からそう言っているかのような……。
Tips 超信地旋回
戦車など覆帯を持つ車両が、左右の覆帯を反対方向に動かすことでその場で旋回を行うこと。信地とは乗馬用語で「その場で」の意味。
一般車両で行うにはタイヤを反転させるほかに、タイヤを前後で逆向きに、90度切る方法もある。技術的ハードルが高く、全てのホイールにモーターが装備された電気自動車か、カースタントなど特殊な目的のために専用設計された車両が必要となる。




