第十章 4
さて、そうと決まればまずは下準備。
「こんな感じですの?」
周囲は靴屋の眺め。
いつぞや潜った迷宮、「屠龍滅界の剣」だ。ここはきわめて巨大なギミックが展開されるが、スタートラインを潜らない限りギミックが発動しないので、待ち合わせには丁度いい。
私と亜里亜は作戦を練る。まずは亜里亜の変装だ。
大人の姿になった亜里亜は珍しくゴスロリを脱いで、ぴっちりとしたボディスーツを着る。そこに人工筋肉を増設していき、ボディラインを私のそれに近づける。ガムテを貼っていくイメージだ。
本来なら一朝一夕にできる作業ではないが、亜里亜の研究していた人工筋肉のノウハウ、それにダイダロスの力があれば短時間でも不可能ではない。
「うぐっ……胸めっちゃきついですわ」
「悪かったわね」
そして人工皮膜で日焼けした私の体色を再現し、いつものロングタイツにダークアッシュのシャツを身に付ける。タケナカはアバターを数値化して記録していき、一瞬で再現できるように準備する。
「顔は適当に造形した後にゴーグルでごまかしましょ」
「身代わりで出るのは構いませんけれど、別にフツーに私とケイローンが戦うでもよろしいのではなくて?」
別にそれでも構わない、ケイローンも呑むだろう。
だが、亜里亜にはこの戦いが必要になるはず。
「……亜里亜、もし私と亜里亜が戦ったらどっちが勝つと思う」
「え?」
亜里亜はきょとんとして眼をまたたき、そして言う。
「迷宮によりますわ」
そう、迷宮は実に多彩。身体能力がものを言う迷宮なら私が勝つだろう。
「亜里亜、いつだったか、ゴスロリに仕込んだ人工筋肉で400キロオーバーの硬球をホームランしたでしょ」
「ええ、まだ不完全でしたけど」
「じゃあ、ケイローンとの戦いで完全なものとしなさい。もう対人戦ができる機会は限られてる。あなたはこの戦いでさらに成長しないといけない。身体能力すらも超人になるの」
「……なぜですの? 役割分担でいくべきですわ。乗り物は私、走るのはミズナさん……」
「違うの、私ではミノタウロスには勝てない」
「え……」
何度か彼の走りを見て学んだこと。彼の走りは人間のそれではない……まさに常軌を逸した怪物。素の身体能力が反映されるPFの世界にあって、まともに走って勝てる相手ではない。
「あれに勝つにはこちらも演算力で肉体を強化するしかない。そもそもの話として、演算力で物体を出すのが苦手な私は、究極の走破者とはなりえないの」
コンピュータを使役するとは、コンピュータにいかに思考を委ねるかという才能でもある。その形の一つが迷宮世界。思考走査の根を無意識下まで引き込む技だ。強力だが、創造できる物体が個人の資質に特性に左右される。
「私では人工筋肉は使いこなせない……これは予感ではなく確信。自分の肉体以外のものに自分を委ねられないの」
亜里亜の肩を掴み、その美しい眼を覗きこむ。
「亜里亜、最後に演算力を総取りするのは、あなたよ」
「……」
「これはシンプルに才能の問題。あなたの方が走破者として優れている。走破者は迷宮を走破する以外の何も求められない。だからあなたが勝ちなさい。ケイローンを下して、ゼウス、プルートゥ、ミノタウロス、そしてノー・クラートをも下せばいい」
亜里亜は私の瞳を見返し、肩に置いた私の手首をがしりと掴む。
「どうしましたのミズナさん?」
全てを見透かすような亜里亜の純真な眼、長生した妖艶な美女でありながら、まだ幼い少女でもある二面性。それが生み出す彼女の深み。多彩な女性性というものを内包した瞳が私を見る。
「ミズナさんらしくない覇気のない言葉ですわ。これまでだって様々な走破者に勝ってきたでしょう? ミノタウロスにだって勝ち目がないとまでは思いませんわ。それに、これまで築いてきた様々な因縁があるでしょう? それを無視して私に戦いを任せますの?」
亜里亜が私の腰を掴み、身体を引き寄せる。人工筋肉が亜里亜の意思をサポートするように伸び縮み、アマレス選手並みの力が生まれている。
「それとも」
それを言葉に出すことを危ぶむかのように、低く密やかな発音。
「戦えない理由でもありますの? これからの戦いを畏れますの? 降りかかる運命を……」
「亜里亜、お願い」
私にも、それはまだ言語化できない。
吹けば消えそうな予感の種火。私がこのまま戦いを続ければ、いつか出会ってしまうような運命の壁。
分かっている。私はそれに立ち向かうのを恐れているだけなのだ。
彼と、戦うことが怖いのだ。
「分かりましたわ」
ぱっと腕を離され、私はバランスを崩して数歩あとじさる。
「ケイローンはこの人工筋肉で下しますわ。これもまた人間の移動を補助する駆動機械、私に操れないはずはありませんもの」
※
「タケナカ、仕掛けられた爆薬は見つかった?」
拡張世界から戻り、北極海に沈む潜水艦から彼を呼ばわる。
『おおよそですが完了しました。マッピングデータを表示します』
三ノ須では三番目に大きな食堂。平屋建てで側面がガラス張りになっている。
その内外にいくつかの輝点。入り口脇の植え込みや、廊下や厨房にも設置されている。
『アンホ爆薬のようですね。テロリズムにおける定番の爆薬です。どこででも手に入る材料で製造され、それなりの爆発力を持ちます。ガラスに設置されてるものが爆発すれば、人質にガラス片が降り注ぐでしょう』
「一般生徒と職員の避難はできてる?」
『おおよそ完了してます。警察も食堂前に来てまして、交渉を始めているようですね』
学園内に無数に仕掛けられたカメラ映像が届く。メイン画面は高所から見下ろす映像であり、拡声器を手にした男が建物に向かって呼びかけている。
『これ放っといたら突入しかねませんね。止めときますか?』
「警察側で突入可能ルートは構築できそう?」
タケナカがダイダロスを操作し、私の方の画面に変化が生まれる。食堂の3Dマッピングが回転し、その側面に黄色い矢印が。
『ここですかね。廃油引取業者の通用口。ここには爆薬がありません。警察はここからの突入を企図しているようです』
「……誰か入ろうとしたら遠距離からクロスボウ狙撃、当てないように」
『はい』
なんだかテロリスト側の尻拭いをしてるような格好だが、なまじ強引にアルテミスを取り押さえたら何が起こるか分からない、アルテミス側もそのぐらいは織り込み済みだろう、私たちにガードの手助けをさせる作戦か。
タケナカは心得たりといった風情で、三ノ須内部にいる私たちの私兵に指示を出す。彼らは雇い主も知らない傭兵だ、以前に相手したミノタウロス社のような民間軍事会社である。
でもあまり活用したくない。彼らの役目は三ノ須への不穏分子の入場阻止であって、私たちのガードやテロリストとの戦闘ではないのだ。まして走破者とは会わせたくもない。
『アルテミスが何か要求してます』
タケナカが言い、画面が彼女の遠距離撮影になる。
『そろそろ15分よ、ダイダロスを一台用意しなさい』
そろそろか、では作戦を整えないと。
「タケナカ、食堂付近にダイダロスあったわよね」
『食材保管庫に一台設置してあります』
「じゃ、そこへ案内してあげて、あれでいきましょ、モルペウス」
『はい』
この騒動のさなか、学園と警察は真摯に事態に対応している。
学園は設置されているカメラの画像を提供し、警察は人員を配置し、警視庁の爆発物処理班も準備が整いつつある。
実際には学園側が把握している三倍の数のカメラがあるし、海外で百以上の爆発物を解体したプロだとか、対テロ部隊の精鋭も控えているが、できれば彼らの出番はないまま終わりたい。
「要するに食堂内部で拘束されている人質を救助すればいいんでしょ、簡単じゃない」
『設置された爆薬についてですが、何か小型の機械が接続されていますね』
爆薬の一つがカメラに捉えられる。小包のようにボール紙で包まれており、小さなアンテナが真上と横に突き出している。なにかの電子機器にテンキーの操作パネル。円筒形の振動感知センサーもある。
『けっこう面倒な仕掛けです。おそらくアルテミスのバイタルに反応していますね。定期的に彼女の無事が確認できない限り爆発するようです。一つが爆発すれば、振動感知によって全ての爆弾が連鎖的に起爆します』
「解除コードは解析できる?」
『実際に人員を当ててみないことには。しかし、食堂内に正体不明のセンサー類やワイヤー類が多数設置されています。侵入には困難が付きまといますね』
私は少し考え、首をひねる。
「ぶっちゃけハッタリじゃないの? 爆発したらアルテミスも死んじゃうでしょ。覚悟の上で特攻するタイプにも見えないし」
『学園内には空間微粒子を観測する装置を設置してあります。爆発物反応は出てますね。反応自体がフェイクという可能性も低そうです』
いろいろ用意してあるものだ。イカロの仕事かタケナカの方かは不明だが。
「対人無力化兵器とかないの?」
『前任者が提案したが、ミズナさんが却下したとシステムログにありますが』
そういえばそうか。イカロは合法スレスレなものをいろいろ用意していたが、私が一掃したんだった。
ま、だいたい状況は分かった。
ようするに、最低限の課題は怪我人を出さないことだ。
「オーケー、おおよその見通しは立ったわ。タケナカ、バックアップよろしく」
『はい』
さて、では亜里亜のほうはどうなっただろうか。
「タケナカ、右目の視覚だけ感覚投入できる? 亜里亜をサポートするドローンとリンクさせる感じで」
『可能ですよ』
「ここのTジャックにまわして」
私は電極を覆うガーゼを外して口に含む。北極海の海氷のきしみを遠く聞くような気がして、右目だけが覚醒。
左目を押さえれば、そこは枯野の光景だ。
荒野を吹きすさぶ乾いた風、ゆらめく薄の穂。突き立った刀は錆び付き、頭上には黒雲が広がる。さらに遠方には古びた砦。古戦場跡という風情だ。
「大いに戦いましょう、お嬢さん」
「ええ、悔いのないようにね」
ケイローンと亜里亜の会話も聞こえる。亜俚亜は私に変装しているが、しゃべり方も再現している。ケイローンは馬をひいていた。
「しかし、この迷宮はどう走ればいいのでしょうか。遠くに見えるあの砦がゴールでしょうかね」
「あれは何ですの……いえ、何かしらアレ?」
亜里亜が示す方向には、やや大きめの月が浮かぶ。
いや、それははっきりと違和感を感じるほど大きい。記憶にある見かけの大きさの100倍はある。腕を伸ばした先にあるフライパンほどの大きさだ。
それは満ち欠けをしている。新月から三日月、そして半月。
目の前で躯が立ち上がる。
「む……」
ケイローンが警戒する姿勢を見せる。
それは骨とわずかの肉だけを残し、赤い甲冑を身に着けた武者。その鎧は朽ち果て、刀が錆のかたまりのようになりながらも握りしめることを止めず、骨をかたかたと鳴らしながら、三割ほど残った肉でそれを振り上げるかに見える。
「なるほど……? ゾンビを蹴散らしながら走れという構図でしょうか」
「余裕ね、へそが茶を沸かすわ」
お茶の子さいさいじゃないの? あと私そんなこと言わないよ亜里亜。
……しかし、ならばあの巨大な月は何の意味が? 不気味さを表現するギミック?
答えはすぐに分かった。
刀を振り上げたかに思った骨は、もう片方の腕も高々と振り上げ。
そして一瞬後、ケイローンたちとともに頭上に吸い上げられたのだから。
Tips 月の見かけの大きさ
肉眼で見える月の大きさを見かけの大きさといい、視直径として角度で表現される。
月の場合は腕を伸ばし、その先で持った五円玉の穴の大きさだとよく表現される。月の視直径は0.5度である。




