第十章 2
「先程の映像を作る際に分析したんですが、ミノタウロスのスーツには電磁波遮蔽素材が使われてますね」
「そうなの?」
タケナカの言葉に問い返すと、ダイダロスにミノタウロスのシルエットが表示される。
その頭部はぼんやりとしていて、スーツの部分は完全に真っ黒になっていた。
「X線、磁力、超音波その他をうまく遮断しています。人工筋肉をどのように纏っているのかまったく見えません。顔面も同様ですね」
なるほど、あのスーツは一種のケレン味かと思っていたが、素性を隠す意味があったわけだ。アスリート的な視点から言えばスーツは肩や足の筋肉をうまく包みこむので、身体能力を察知されにくい利点もあるかも知れない。
「身バレが怖いんですの? もう一万台以上の演算力も保有してるでしょうに」
「人工筋肉の秘密を知られたくない……とかかも」
あれはかなりの技術……それこそ走破者たちの頂点に立ちうるほどの力だ。盗用されたくないという可能性はある。
……だが、彼はいったい何者なのだろうか。野良の走破者が研鑽を積んで生まれ変わったのか、それとも……。
「あの人工筋肉が、国家クラスの技術力の集積という可能性はないかしら」
ミノタウロスがどこかの政府、または組織が送り込んだ走破者、そんな可能性だって無くはないだろう。TONEグループだって独自の走破者を囲っていたことだし。
「あの人工筋肉は現行のそれより三つか四つ先を行ってますね。ダイダロスが関わっている技術だと思いますが、まあ調べておきます」
そう、体感として分かる。ダイダロスの実現する技術は人類の限界を超えてくる。軍事技術は現行よりも先を行くなんて話もあるが、ダイダロスはまさに人類の技術的到達点を示す。
だから逆説的に、あのような技術はダイダロスなしでは……。
「あの牛さんの素性なんかどうでもいいですわ! 打ち負かすためにさっそく特訓ですわ!」
「もう寝ないと駄目よ。私も……」
壁の時計を見る。時刻はすでに夜の10時だ。
イカロ奪還の作戦行動は日本時間で明後日の15時、あと41時間ほどか。
「……ところでタケナカ。ケイローンの居場所を割り出せる?」
「難しいかもしれませんね。プルートゥや他のメンバーがダイダロスで守っているでしょう」
タケナカは少し考え、そして言った。
「呼びかけることは可能かも知れませんよ。アポロあたりは表の顔がありますから連絡はつきます。彼を通じて……」
誰が想像するだろうか。
その10時間後、私は北極点にいた。
「どいつもこいつも頭いかれてんじゃないの!」
叫ぼうとすると喉に氷が貼りつくので慌てて黙る。
まさに身を切るような寒さ。現在気温は氷点下31度だ。最高級の防寒具を装備しててもまだ寒い。顔面の感覚がなくなってくる。
私の息はきらきらと氷の粒が見えるだけで白くならない。空気中にチリが少ないので、水蒸気が白く凝結しないのだ。
『ケイローンからの情報によるとその地点です。迎えに来るとか』
「ヘリでも車でも何でもいいから早くしてほしいわ……」
ばきばき、と遠雷の降り注ぐような音がして、少し離れた場所から潜水艦が出てくる。
『原子力潜水艦のようですね、イギリスのトラファルガー級のようですがだいぶ大きいですよ』
「もう何が出てきても驚いてやんないわ」
中に入ると、果たしてホテルのロビーのような眺めだ。絨毯が敷かれ壁紙が貼られ、乗員たちもスーツ姿である。何というワビサビのない内装。私は奥のほうへ案内されて、そこで目的の人物と出会う。
「ようこそ、またお会いしましたね」
「なんでこんなとこに隠れてるの? プルートゥあたりの演算力で守ってもらえるでしょう」
ケイローンは以前に会ったときと変わらない。裾の長い白衣をまとった糸目の人物だ。髪をぴっちりと撫で付けており、東洋人らしく曖昧に笑っている。
「禅譲というものです。身を守るためには演算力の一部を使い続けねばなりませんからね。私は身を隠し、ことの終わりまで戦いはプルートゥに任せたのですよ。ミノタウロスに敗北したことはご存知でしょう? あれはさすがに誤算でしたが、私はもう己の目的を果たしましたからね」
目的というとネクタルのことか。それは捨てておけないことだが、戦いから退いたということは桃についてもプルートゥに委ねたのだろう。それに今回の訪問の目的とは違う。
鼻がひくつく。潜水艦内の暖気で感覚が戻ってきて分かったが、馬の臭いだ。
「アレイオンもいるの?」
「はい、陸上車両の格納スペースを馬房に改造しましてね。こちらです」
ケイローンの前をホテルマンのような職員が先行し、カードキーでドアを開ける。その人物はあまり筋肉が発達していない。そうすると軍人とかではないのだろうか。この原子力潜水艦は軍の運用するものに間借りするとかではなく、まさか個人で所有しているのか。
案内された先はたしかに馬小屋だ。干し草もちゃんと積み込まれ、丸太で組まれた馬房が四つ、それぞれに馬がいる。部屋の隅に大型の冷蔵庫のような機械があるが、あれはバイオマス処理装置だろうか。密閉空間だからそんな設備も必要で……。
「いや、別にアレイオンに用は無いんだけど」
私がそう言うと、ケイローンは糸目をわずかに開いて振り向く。
「馬ですよ?」
「えっ別にそんな馬好きでもないし」
「北不知さん、アスリートでしょう?」
「走るもの繋がりとかそんな親近感とか無いからね?」
馬の一頭が興奮したようにいななく、顔は何となく覚えていた。俺に興味がないのか、と憤慨しているのがアレイオンだろう。
「他の三頭は何なの? これも特殊な育成をされた馬とか」
「アレイオンのお嫁さんですよ」
「ああそう」
いけない、なんか向こうのペースになりつつある。
「ケイローン、私は話が聞きたくて来たの。天塩創一のことを」
「天塩氏、ですか」
私たちは応接室に移動する。さすがに天井は低いが、大きめのカウチが置かれてカウンターバーなども用意されていた。酒瓶やグラスが留め金で一つずつ固定されている。
「私はノー・クラート様の屋敷に出入りしていた獣医でしてね。乞われるままに漢詩なども教えておりました。天塩氏とは東洋人のよしみで仲良くさせていただきましたよ」
しかし、とケイローンは顎に手を当て、小首をかしげて私を見る。
「なぜ彼のことを?」
「こちらの仲間に天塩五神楼という子がいたの。天塩創一の息子よ」
「ああ、あの子ですか。私は赤子の際に一度見ただけですね。どこか離れた場所で養育するとの事でしたが」
「イカロは父の死の真相について知りたがってる。彼が死んだときの事について何か知ってる?」
「オリンピアが解散した時の事ですね」
ケイローンは遠い記憶を思い出すかのように首をもたげ、天井を眺め渡してから答える。
「彼の検死を行ったのは私です。22口径で側頭部から大脳を突き破る一撃。本来、そのやり方では銃弾が脳をそれて死なない可能性もありますが、運よく、と言うべきでしょうか。脳組織の多くが撒き散らされ、即死したと判断しました」
「……銃での自殺って、拳銃をくわえて小脳から脳幹部を後方にぶちまける方が確実でしょ。天塩氏はそれを知らなかった?」
「側頭部を撃って自死される方もたくさんいますよ、それだけでは何とも」
ケイローンの物言いには慎重な響きが宿る。
彼も察しているのだろう。私が言わんとすることを。
「――彼が、誰かに殺された可能性は?」
「……」
ケイローンは開いた膝の間で手を組み、諭すような口調で言う。
「北不知さん、アレイオンを見たでしょう? 彼は最高速度207キロで走れる脚を持っています。特殊な育成プログラムと薬物によって生まれた怪物です」
「……」
「しかしそれは拡張世界だけの話です。現実でそのような走り方をすれば、即座に脚が破壊され、心臓は破裂する。現実においては普通の馬よりも虚弱なのです。免疫力が極端に弱く、精子泳動もほぼ見られない。お嫁さんをあてがっていますが、子供を作れるかどうか」
「……なぜアレイオンの話を? まさか、天塩創一もそうだっていうの?」
「彼もまた常軌を逸した怪物でした。彼の前にはいかなるパスワードもセキュリティも意味をなさない。どんなプログラムでも歌うように書き上げる。わずか数十行のコードで、おどろくほど大きな成果を得る……」
そこで頭を振り、述懐するように眼を伏せる。
「彼には現実世界は狭すぎたのです。彼はどこにあっても異端であり、扱いづらく、持て囃されることもなかった。周りの誰も、彼自身に興味を持たなかった。どういうことか分かりますか?」
「……」
「彼は検索すれば手に入る情報を脳に入れておかなかったのです。コンピュータを使いこなすというのは、思考のどの程度をコンピュータに委ねられるか、ということでもあります。彼はほとんど思考すらしていなかった。思考の大部分を演算力に委ねていたのです」
……それは。
それは、重なる。私の知っている、あの少年と。
「あえて言うなら彼は抜群に頭脳の優れた人間という訳ではない。思考をコンピュータに委ねるのに抵抗がない人間だったのですよ。ダイダロスの完成によってそれは完全となります」
ダイダロス……。
ホワイトボード型の端末と、それが世界中から集める演算力。それは天塩創一自身についてはどのような意味を持ったのか。
「ダイダロスによって彼の本来の思考、彼の人格というものは、あってもなくても同じようなものになったのです。私がネクタルを創造したきっかけは、彼なのです」
ネクタル?
ケイローンが生み出した、桃から抽出される物質か。急に出てきた名前に少し面食らう。
「存在を、魂すらを何かに委ねることは可能だろうか。という問いです。彼はダイダロスを生み出してダイダロスと同一のものとなり、私はネクタルを生み出して人の魂の一部を分離することに成功したのですよ。分かりますか。二つは同じものなのです。ネクタルとは演算する分子機械。いわば脳そのものです。私の行いとは天塩氏の理想に近いかも知れない。それこそが到達すべき目標です。私は世の中から憂いを取り除くのと同時に、人間の究極の形を――」
「詭弁よ!」
声を荒らげて立ち上がる。
要するにこの男はごまかしているだけだ。ダイダロスが天塩創一と同じ? そんなはずはない。彼は受肉した人間であり、イカロという息子もいる。ダイダロスがあるならいつ死んでもいいとでも言うのか。
「天塩創一は人間よ。機械じゃない。妙な達観を抱けるほどの聖人じゃないの! 知りたいのは一つだけよ。あなた、天塩創一の死について何か知ってるの!」
「……彼が亡骸となったとき。その場に落ちていた拳銃」
ケイローンはあらぬ方を向き、秘密を暴く際のあの独特な、空気が華やぐような気配とともに言う。
「それがこの場にあるとしたら?」
「!」
「唯一の物証です。ノー・クラート様は余計な揉め事を生まぬよう、それを海に捨てるように言いました。しかし私はそうしなかった。いずれ意味を持つかも知れないと思いましてね。もう数年前のことですが、ダイダロスを駆使して調べれば、あるいは」
「分かったわ」
腕を組み、高い位置から彼を見下ろして言う。
「対人戦をしましょう。あなたが勝てば戦線に復帰するに十分な演算力を。私が勝てばその銃を渡してもらう」
「なぜそこまで? 正直なところ、彼が自殺だろうと誰かに殺害されていようと、それがそこまで大きな問題でしょうか。天塩創一の息子という方のためですか」
「そうじゃないわ」
それもあるが、それだけではない。
誰も彼も、天塩創一という人物を軽んじている。その生死にさほど興味はなく、惜別も哀悼もない。彼を追いかけているのは世界でイカロだけ。
それが、その現状が。
気にいらない。
「ケイローン、世界に怪物なんかいないわ。魔法使いも、不死者もいないのよ」
走破者は力を手に入れ、人間を超えたものに近づく。
だから忘れてしまうのだ。人間らしい感情を、抱くべき感傷を、それだって大事なもののはずなのに。
だから、思い出させるべきだろう。
誰にも、人の生死を軽んじさせたりしない。
「いるのは、人間だけよ」
Tips 北極の氷
北極には陸地がなく、存在する氷は海水の凍ったものである。その厚みは平均して10から30メートル。潜水艦などは氷の薄い部分を見極めて浮上する。
南極の氷は陸上で形成されたものが海へと滑り降りるためにテーブル型が多く、北極の氷は海氷が割れてできるために尖った形状が多い。




