第九章 5
「エレベーターのようですね。しかし扉がなくて、ゴンドラがむき出しに……」
「どうでもいいけどアフロディーテ、さすがに何か着たら? それで走るとクーパー靭帯切れるわよ」
ちなみに私の格好はと言うと、島に上陸した時のまま、いつものようにライン入りのロングタイツにダークアッシュのシャツ、羽織るのは真綿色のジャケットだ。迷宮に潜る格好のままで来たので、アバターにも反映されてるらしい。
「ん、それじゃ適当に」
アフロディーテは少し考えてから、ぱちりと指を鳴らす。
すると彼女の首を光が取り巻き、体のラインにそって輪を広げながら肩から胸、腰から足へと降りていく。
光が通り過ぎたとき、裸体は水着に変わっていた。競泳水着のように膝上までを覆うラバースーツだ。地の色は藍色でピンクのラインが入っている。
「……なに、今の光」
「アバターの書き換えに合わせて発光体を散布しました。演出ですよ」
「……あなた、それイカロに教えた?」
「え? ああそうですね、ニホンのヒーローはこのように変身するものですとお教えしました。ニホンのアニメーションとか好きなので」
…………。
何だろう、私の知らないところで迷宮の作法とかが受け継がれてるのかな。やめてほしい。
まあともかく、私はエレベーターの方へと軽めに走る。
アフロディーテも敵ではあるが、相手をログアウトさせる戦い方は好まないようだ、少し遅れてついてくる。ついでにアフロディーテが二人分のインカムを出して、トランシーバーにしてリンクさせた。場を裁定する者がいないので、意思疎通の手段が必要なのだ。
「確認しておきましょう。現在、使用できる演算力は700台ぶん。私とミズナさんで350台ずつ割り振ってあります」
「了解」
「先に走破するか、相手がログアウトすれば勝利です。どうします? 攻撃を禁止にしてもいいですが」
「私はそういうのやらないから、まあ制限なしでいいんじゃないの」
「分かりました。じゃあ特に取り決めはなし、フェアにやりましょう」
350台では肉体の再生はおぼつかない。迷宮世界は演算力を最大限に活用できるが、それもだいぶ規模が抑え目になるだろう。
少し気になる言い方なことも見逃さなかった。攻撃を禁止してもいいという言葉は、まるで手加減してあげてもいい、という風に聞こえる。
もちろん相手は元オリンピア、外見だけで油断はしない。いきなり重機関銃を具現化させる可能性だって十分にある。
私たちは何となく警戒しながら走る。
「……やっぱりエレベーターね。それも、数十基ありそう」
さほど間隔を空けず、カゴ……つまりゴンドラの開けた面の方角もまちまちである。カゴの中が光って見えるのは、カゴの天井部分に照明が点灯しているからだ。この世界の光源はそれだけだが、まるで煌々と光る人魂か、台湾のランタン飛ばしのような眺めでなかなかに美しい。
いずれも動き続けており、まるでどこかの階に止まるような停止と移動を繰り返している。白い霧がタバコの煙のように周囲を取り巻いていた。
いや。あれは。
「違う、何かある」
霧が直進していない。何かにぶつかるように直角に蛇行し、壁面を這うように動いている。
「あれ……透明な建物よ! 床がある!」
この世界の刻限は夜だ、ゴンドラの明かりのみでは頼りなく、月もない世界ではほとんど黙視できないが、確かに床がある。
これは何らかの建造物だ。それがすべて、透明な床と壁で構成されているのだ。
「なるほど、透明な迷宮という趣向ですね」
アフロディーテもうなずき、具現化させていたシューズの具合を確かめるように足首を回す。
分かってしまえば不気味さはない、私は地上付近へ降りてきたエレベーターに向かう。
「では私はこちらから」
他にも降りてきたエレベータがあったようだ。彼女はそちらに向かうのか。
私は口を開くエレベータに乗り込む、内部にはボタンもなく、しばらく待つとゴンドラがゆっくりと上昇を始めた。
「……透明な建物の中で、エレベータだけが見えてるってこと?」
見ればエレベータの高さはまちまちだ。首を振り仰げばかなり上空にもある。おそらくは建物が複雑な形状をしており、より高くへ昇れるエレベータを探しつつ走れということか。
地上20メートルほど、ゴンドラが停止して、一瞬だけ下降する気配を感じて飛び降りる。透明だが確かに床がある。
「……例外があるのかも知れないけど、エレベータは20メートル上下する、目視できる限りは100メートル以上の高さにもある。エレベータの上下する範囲を把握しておかないと……」
床に触れてみる。素材はアクリルなのか強化ガラスなのか。とにかく非常に固く、曇り一つない完全にクリアーな物質だ。微妙に光が屈折しているが、目を凝らさないと地形が読めない。夜の刻限なのは幸いだっただろうか。地上が見えたらさすがに恐怖を感じただろう。
そして理解する、エレベータの正面だけには壁がない。この建物はどてっ腹が大きく開けた形状だ。私は透明な壁に手を付きながら慎重に走り出す。
視界の端に、色が。
見れば、藍のラバースーツを着たアフロディーテが壁に手をつき、そこから極彩色の波が広がっている。
それは花だ。ガーベラのような微細な花が次々と生まれ、床と壁面を覆い尽くしながら広がっていく。それはアフロディーテが走り出してからも止むことはなく、走る以上の早さで広がっている。
「花を生み出す……?」
あれがアフロディーテの能力だろうか。
よく分からないが、この迷宮とは相性が良さそうだ。床と壁の存在が確認できる。
アフロディーテはおっかなびっくりな私よりも軽快に走れるようになり、次のゴンドラに乗り込んだあたりで、壁面も花に埋まって見えなくなる。
「やばっ」
どうする、まだ地形が把握できてない、全力で走れば透明な壁にぶつかるのが落ちだ。かといってこのペースでは。
「……ん?」
私は壁についた手に違和感を覚える。一部がでこぼこしており、そこの壁だけがひやりとしている。
どうやらガラスのようだ。ガラスの熱電導率は木材と大差がないが、手との密着度が非常に高いため、空気の入る余地がないために冷たく感じるのだとか。
「透明な建物に、ガラス窓がはまってる……」
……酔狂というかシュールというか、そうなるのは分かるけど本当にやるとは思わなかった、とでも言うのか。
ともかく走り方は決まった。私は手の平に小石を具現化させてガラスを殴る。見えないながらもあっけなく砕け、透明な破片が光を散らしながら外へ。私は岩で窓のさんの部分をならしてから、上半身を外に出す。
「空山……龍哭!」
突き上げる腕に沿って表れる、それは岩の道。左右二列の岩肌が壁面に沿って生まれ、建物全体がぎしりときしむような重量がかかり、何ヵ所かでガラスが砕けるが崩壊には至らない。
やはり規模が小さい。電柱ほどの高さの岩盤が生まれるはずが、今は三段の跳び箱ほどしかない。
しかしそれは好都合。私は岩に手をかけ、透明な世界にかかる岩の梯子を登り始める。
私のスピードクライムならエレベータよりも早い。手で体を持ち上げつつ足で斜め上に蹴り上がるようなイメージ。イナズマのようにジグザグに体重を移動させつつ登る、一秒に四手のクライムだ。
あっというまに岩の列が終わり、私は見えない屋上へ。
「……花の侵食が」
広場の一角が極彩色の立方体となっている。花がその侵食を広げ、建物の内部すべてを、あるいは外壁にまでも根を伸ばしているようだ。
あれは演算力で生み出し続けている訳ではない、自分で自分を複製する能力を持っている、いわば自立型のウイルス。
アフロディーテはおそらく創造物で迷宮に干渉し、仕掛けや障害を無効化する走破者、ケイローンと同じタイプか。
「とにかく次の壁面を……エレベータのある方に向かえば」
がん、と思いきり顔をぶつけた。
「痛った! 何これ!?」
よく見ればそれは円筒型のタンクのようだった。揺れがないのと霧が濃いので分からなかったが。透明なタンクの中に透明な水が入っている。高架水槽というやつか。
「創造者のやつバカなんじゃないの!?」
顔を押さえつつ再び走る。霧の動きで床の範囲だけは分かる。壁面に取りつき、再度の空山龍哭。
真上に築かれる岩場をぐいぐいと登る。
広場の半分を七宝小箱のような立方体が侵食していた。アフロディーテの生み出した花が迷宮の外壁に回り、地形を食い潰しながら広がっているようだ。私は耳のインカムを意識して口を開く。
「植物を生み出す走破者なら見たことあるわよ。芸がないのね」
「宴安花毒の迷宮、といいます」
アフロディーテと接続されたインカムから言葉が返る。息を切らせてる様子はない、それなりに鍛えているようだ。
「ドライアのことなら、それは私が教えたことです。彼には演算力を扱う才能がなかった。だから種から巨木を育てるメガデモを与えたんですよ。私のそれも原理は同じです」
だが、明らかにドライアとは格が違う、やはり高位の走破者か。
「ノー様は私の技を迷宮世界と呼びました。Tジャックの思考走査を無意識下まで伸ばし、原記憶からの創造を引き出す技です。見たところ、あなたも使えるようですね」
「おかげ様で」
私の走る位置まで花が迫っている。七色の乱舞は上に落ちる滝のごとく勢いを増し、もはやエレベータも見通せない。当初の迷宮とまるで異なる様相が生まれつつある。
やはりアフロディーテの技は迷宮世界か。しかし規模は大きいが、たかが花。足場を見通せる以上の仕組みは。
私は屋上を走り。
そして足が、花を突き抜け――。
「なっ……」
瞬間、感覚の喪失、全身が重力の腕に捕まれ、前につんのめるとともに上下の概念までも喪失。
目の前に花の壁。勢いのままに壁にぶち当たる直前。
「龍哭!」
瞬時に無から突き上がる岩石の列。透明な壁を砕きつつ伸長、私は壁に突き刺さった岩を把持し、振り子の原理で体が壁にぶち当たる。透明であってもコンクリートに叩きつけられるのと同じ。全身の骨がきしんで肩の関節が悲鳴をあげる。
「ガッ……」
「おや運がいい、落ちた先に壁があるとは。まあ拡張世界に本来的な意味での死はありませんので、ご容赦ください」
……油断した!
アフロディーテの技の応用性を考えていなかった。
私の体に花びらが落ちる。上を見れば藤棚のように茎が絡み合った構造物。何もない空間に花を伸ばすこともできるのか。であればこの花は自動的に成長するのと同時に、意図的に伸ばすことも可能なのか。それで建物の間に落とし穴を……。
全身に激痛が走って意識が水のようにこぼれそうになる。私はそれでも片手で自らの体を引き上げ、砕けた壁から建物に入る。花で埋め尽くされていて、透明な瓦礫が散乱している。
「くそっ、足場が信用できない。ある意味では透明より厳しくなった。もう屋上は走れない……」
では建物の中を走るべきか。今ので5メートルほど落下したが、まだ私に分があるはずで……。
「!」
踏み出そうとした足に違和感がある。脛に生まれる鋭い痛み。靴底に感じる縄のような感触。
「茨が!」
まさしくそれは茨だ。壁面を埋め尽くす小さな花とはまた違う。黄色や赤の花をつけたバラが暗がりの中で生い茂り、蔦が波打ちながら這い回り、その針のようなトゲで私の足に喰らいつかんとしている。
(走れない)
ここが地上ならナビゲーターに安全靴を出してもらえるが、私には出せない。
どうすればいい。やはり外壁から行くべきか。
だが、それも封じられた。
私は壁の花をかき分けて外を見る。そこはすでに暗闇になっている。
「明かりまで……」
この世界の光源だったエレベータの光。外壁と内壁が花で埋められたことで光源が覆われている。花明りの言葉のように仄かな光を放つ地点、あれがエレベータの位置だろう。しかしもはや外壁を走れる明るさは得られない。世界は夜の闇に包まれている。
透明な床を花で埋めて走りやすく、そして私を罠にはめるための架空の床と、イバラの群生。さらに建物を花で覆って光源を断つ。一つの能力でここまでの作戦を展開するとは。
これがオリンピアの実力か。
そして、彼女ですら絶対に戦いたくないと断言させた、ゼウスとはどれほどの……。
Tips 透明
広義では電磁波を全て、あるいは大部分を透過させる物質のこと。狭義では可視光のみを透過させることを指す。例えば通常のガラスは可視光を透過させるが紫外線領域は通さない。高純度の石英ガラスであれば紫外線まで透過する。
19世紀後半、高分子の透明素材が生み出されるまで、人類の透明性素材はガラス、ダイヤモンド、水晶などに限られていた。




