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迷宮世界のダイダロス  作者: MUMU
第九章 蛇蔽う白霧の籬
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第九章 4




その数分後。

私たちは狭く暗い階段室を延々と降りていた。照明の一つもなく、懐中電灯の明かりは頼りない。

耳のインカムがじじじと鳴って、タケナカの声が届く。


『北不知さん、GPS信号が微弱になっています。地下にでも潜ってますか?』

「アフロディーテに案内されて島の地下に……たぶん大丈夫よ。もし一時間経っても信号が復帰しなかったら迎えを寄越して」

『了解しました、いちおう武装した私設部隊を待機させてますんで』


そのぐらいの準備はしているが、おそらく目にすることなく終わるだろう。

もし何らかの罠にはめるつもりなら、いくらでもチャンスはあったのだから。


「ずいぶん潜るのね」

「純水爆の直撃にも耐える核シェルター……その建設予定地ですからね。本来はエレベータで降りるのですけど、機械が取り付けられないままに放置されましたので」


コンクリートは肉厚で密度が高いように思える。足音は石に吸われて響くことがなく、どの程度降りたかの感覚も曖昧になる。アフロディーテは小包ほどの荷物を抱えて先行している。


「この島は何なの」

「本来は第三次大戦の際に、世界がどのような状況になっても20年は生存を担保するための島でした。しかしイカロ様の育成のための島にされて、シェルターも建造途中で放棄されたのですよ。ノー・クラート様ですら地下に降りたことはないでしょう。階段の上り下りが面倒ですからね」


やがて到達する、そこは本当にただの空間だ。学校の教室ほどの空間が三つ併設されており、コンクリートの打ちっぱなしになっている。


「こんなとこに何があるのよ」


言いつつ、私はアフロディーテの延髄に蹴りを打てる間合いを保つ。彼女が私の体に手を出さない保証はない。


「あれですよ」


指差す先、それは古びてはいるがホワイトボード型の端末だ。「足」がなく、パネル部分だけが壁に立てかけられている。


「ダイダロス……」

「ある日、ふと思いついたことがありまして、数年前から用意していたんです」


アフロディーテはパネルのそばに近づき、小包の封を解く。それは水素発電機を使った電源装置のようだった。いくつかのコードを手際よく接続していく。

地下は地熱のせいかかなり蒸し暑い、アフロディーテはその裸体にじっとりと汗を浮かべ、果実のように丸みを帯びた肢体に朱が差している。

やがてダイダロスは起動し、パネルが灰色に光る。


「何を始めるの?」

「隣の部屋を見てください」


言われるままに十数歩動いて隣へ行けば、そこは図書館のような眺めだった。木製のラックが大量に並び、裁縫箱のような白っぽい機械が並んでいる。何かの宗教的な霊安所かとも思える眺めだ。

コードはテープによってぴったりと固定されているので目立たない、なんだかこの場を作った人間の几帳面さを感じさせる。


「これって……ゲーム機じゃないの。国内メーカーのだっけ」

「そうです。2020年末に発売された、10.3テラフロップスのCPUを装備したゲーム機ですね。天塩氏は市販のゲーム機のCPUをハックし、大量に並列的に繋げることでスーパーコンピューターとして利用していました。これでもサーバーマシン換算で700台分の演算力を有しています。天塩氏はダイダロスの開発と、調整のためにこれを使ってましたが、私がロボットを使って地下まで運ばせました」


話が見えてこない。なぜわざわざ地下にこんなものを? 階段を降りるだけで大変なのに。


「ご存知ですか? 天塩氏が亡くなる直前、ダイダロス同士での電子戦ができなくなるようにソフトウェアアップデートが行われました」

「聞いてるわよ」

「ダイダロスは無電源状態であろうと電波を受け付け同期されます。そうして300ワット超の強力な電波で全世界のダイダロスに呼びかけ、迅速にアップデートを行ったわけです」

「……」

「ですが、もし電波の届かない地下に置かれたダイダロスがあったとしたらどうでしょう? それはアップデートに取り残され、錆びて朽ち果てるはずだった斧をまだ手にしている、としたら」


……なるほど。

つまりこのダイダロスならば他のダイダロスへの電子戦が可能。それによってノー・クラートを守るイージス艦へハックをかけ、彼女のいる豪華客船へ突貫をかけるという理屈か。

常識的に考えればイージス艦をハックするなど正気の沙汰ではないが、ダイダロスにその手の議論は無用だろう。


「でも他のダイダロスに呼びかけるなら、電波環境にさらされるはず、自動的にアップデートが行われるんじゃないの?」

「天塩氏に確認済みです。このダイダロスはアップデートに必要なメモリー領域を雑データで埋めています。ダイダロスはデフラグを行いながらアップデートを行いますが、およそ17分、他のダイダロスへ攻撃が可能であると」

「……え? 天塩創一が用意したの? なんで?」

「お願いしたんですよ。他のオリンピアのメンバーから狙われるかも知れないから、身を守れる手段を用意してくれとね。キスしてあげるとほのめかしたら簡単に作ってくれました。ノー様にも内緒のことです」

「……天塩創一ってどんな人だったの?」

「人間ですよ」


さらりと、何でもないように、しかし他に置き換えられるべき言葉もないように断定的に言う。


「天塩創一という人物はただの人間です。悩み苦しみ、時にしみったれてて、ささやかな日々に埋没する小市民であった。コンピュータにおいては異常を極める天才ですが、それ以外では俗物ですらあった。だからオリンピアの連中も彼を尊敬はしていなかった」


アフロディーテは腰を捻り、片手をひらひらと動かす、それはだいぶ古い映画で、主人公の少年が魔法の呪文を唱えるときの仕草だ。


「小市民が魔法の杖を手にしてしまったらどうなるか? きっと悲惨なことになるでしょう。それで何をしていいのか思いつかない。世界を動かすほど大それたことなどできない。誰かに使い道を考えてもらうというのは、それはその人のために奴隷のように働くという意味でもある。私は彼に同情しますよ。結局キスしなかったんですよ。私の肌に触れるのが恐れ多くて。あ、いちおう言いますと当時は服を着てました」

「……」


当初は名前を呼んではいけないあの魔法使いや、白の会議の一員であるあの魔法使いを連想する巨大な影だった。

しかしその人物像に近づくほどに、人間らしい側面が見えてくる。その気になれば世界を滅ぼすことも、神になることだって可能な才能があったのに。

天塩創一は魔法を産んだけれど、彼自身は魔法使いにはなれなかった。人間だったのだ。

だから彼について考えるときは、人間として扱うべきなのだろう。


「……やっぱり、間違ってるわね」

「何がですか?」

「アフロディーテ、あなたの目から見て、天塩創一は理想のためなら命を投げ出せるような、この世での役目を終えたなら迷わず銃で頭を撃ち抜けるような人物に思える?」

「思えませんね」


断定的な言葉に、私はわずかに荷が軽くなるような心地がする。


「そんなに高潔な方ではありませんよ。私は他のオリンピアより少しだけ彼の目線に近く、彼に同情的でした。彼はごく普通の人間です。非凡な才があったとしても、それだけでノー・クラート様のような怪物とは付き合えないのです。あまり個人的な会話を交わすこともなく、ひそかに怯えていたような気がしますよ」


隣の部屋で、並列に繋がれたゲーム機からファンの音が響く。駆動が始まっているのか。


「ノー様が天塩氏の子、つまりイカロ様を産んでからは、興味も子供の方に移ったようでした。私が見ていたのは八歳の頃まででしたが、イカロ様も掛け値なしの天才でしたからね」


天塩創一が歩んだ人生は確かに並外れたものだが、どうも彼から幸福の匂いは薄い。

しかし、だからといって命を絶つほど絶望したとも言いかねる。


だからイカロは島を出たのか。

ノー・クラートが興味を失っていたとしても、イカロにとっては唯一の父親。己の力でその死の理由を突き止めようと。


いや、

もう一歩、踏み込まねばならない。



何者かが(・・・・)天塩創一を(・・・・・)殺害した(・・・・)可能性についても……。



「ミズナさん、私と賭けをしませんか?」

「賭け?」

「このダイダロスには天塩創一の迷宮がいくつかインストールされています。試験用として生成されたもので、私も入ったことはありません。そこで対人戦を行いましょう。あなたが勝てばここのダイダロスを提供します」

「あなたが勝ったら?」

「その場合でも提供しますよ、ただし……そうですね」


アフロディーテはその桃色の舌を薄い唇に這わせ、口角をわずかに上げて笑う。


「あなたの体を8時間、好きにする、というのは?」

「嫌だけど」


…………


……


「え、あの……」

「体を賭けるのは無理。論外。レズビアンは否定しないけど私は異性愛者ヘテロセクシャルなの。性的指向の合わない相手と寝てもしょーがないでしょ」

「……あ、あのねミズナさん、これでも私、一晩ベッドを共にしたら10万ドルは取るんですよ。こんなチャンス何十回生まれ変わっても無いですよ。それに世の中に純粋な異性愛者(ヘテロセクシャル)って人はそんなにいないんですよ。絶対に目覚めますからホントに」


アフロディーテの言葉には困惑と、少しの憤慨が混ざっていた。まさか拒否されるとは思っていなかったという風情だ。彼女がどれだけ抜群な容姿とフェロモンを持ち、出会う相手を鎧袖一触で魅了して来たのか窺える。

まあ私はムリだけど。


「じゃあしょうがないわね、あなたをしばき倒して借りるから」

「えっちょっと待って、いやそんな」

「一撃で気絶させるから、大丈夫、必要になると思ってイメトレしてたから」


私は大股で迫り、アフロディーテは慌ててスパコンの部屋に逃げる。


「や、やめて、それでも女の子ですか有名人でしょあなた」

「勝負するなら何か他のもの賭けなさい、体は無理」

「うう……」


ゲーム機の並ぶ棚の向こうに隠れ、うまいこと局部の隠れる構図になりながらおずおずと口を開く。


「じゃ、じゃあ、シティホテル一つ。東京都内にあるやつで、有名なスシ店の入ってるやつがいいです」

「いいわよ、勝ったらプレゼントするわ」

「うう……しょぼいよう」


いや感覚おかしいからね。何十億の買い物だと思ってるの?

走破者……魔法使いは何でも魔法で出せる。だから心の底から欲しいと思えるものが無くなってしまう。


悲しいことだ。

その境遇を、哀れとも思ってもらえないのだから。


私とアフロディーテはともにダイダロスの前に座り、画面に迷宮の名が示される。




―――蛇蔽(へびおお)白霧(はくむ)(まがき)―――



「ん……これうまく翻訳できない。どういう意味なんです?」


アフロディーテも何らかの翻訳装置を使っていたようだが、難しい漢字はカバーしきれなかったのだろう。だけど私だってノーマルな高校生だ、限界はある。


「いや私も分かんない……この地下だとスマホのオンライン辞書も使えないし」


あとで調べたところによれば、(まがき)とは垣根のことだ。だがまあ、迷宮の名が何かのヒントになったこともあまりないし、とっとと潜ってしまおう。


私とアフロディーテはTジャックをくわえ、眠ると同時に覚醒する。


「……ん、肌寒い」


霧が立ち込めている。

肌に届くのは南国の空気とうって変わって冷たく、密度の濃い湿った空気。


遠景には竹藪が見える、ここは竹で囲まれた野球場ほどの空間だ。


「何ですか、あれは」


アフロディーテが言うが、私にもよく分からない。


それは霧の立ち込める空き地の中で上下する、不気味な箱。



どこにも繋がっていない、宙ぶらりんの無数のエレベーターだった。












Tips ゲーム機によるスーパーコンピューティング


2002年ごろより、国内メーカーのコンシューマー機を用いて研究されていたもの。市販のゲーム機を並列に繋ぐことで高速処理を実現する。

特にPS3を使用したものが有名であり、アメリカ空軍などでも利用された。

現代ではOSのインストールにハックが必要であり、CPUの性能も必ずしもスーパーコンピューティングに向いてるとは限らないため、表だって研究されることは少ない。

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