第九章 2
「まあいいんじゃないですの」
亜里亜の第一声に、私はきょとんとした顔になる。
「いいの? 反対するかと思ったのに」
「なんですの? ミズナさんが連れてきた方でしょう」
「いや、そうなんだけど、信用できないとか言い出すかなと思って」
亜里亜はいつものようなゴスロリ姿だったものの、いまいち体に力が入っていない。上半身をローテーブルにぱたりと横たえて、顔面をテーブルに張り付けたまま話している。
「わたくし、イカロ様以外のことに脳みそ使いたくありませんの。その方のことはミズナさんで責任持ってくださいまし」
「う、うん」
「まあ受け入れていただけるようで感謝します。こちら台所ですね、飲み物でも作りますよ」
ここは三ノ須内部にあるイカロの居室の一つ。タケナカは台所にあったエプロンを身につける。亜里亜が使っているものなので黒地に紫のリボン、縁取りが赤のレースという趣味だが。
「わたくしシナモンいりのロイヤルミルクティー、冷蔵庫にイングリッシュマフィンがありますわ。500ワットで20秒温めてくださる」
「はい」
タケナカが、ケイローンかノー・クラートの手先だという可能性はあるだろうか。
可能性は低いだろう。タケナカは演算力の手持ちが少ないので、家族も素性も分かっている。妻と子供の存在に嘘はなかった。家族を犠牲にしてまで裏切るとは思いたくない。
「タケナカ、あなたの家族の安全はこちらで確保するわ。旅行とか遠出したい場合は私に言ってくれれば」
「分かりました」
遠回しに脅迫するような言葉だ、胸が痛むけど仕方ない。
温かい飲み物とお菓子が出てきて、亜里亜は上半身だけキリンのように動かしてミルクティーをすする。
「行儀悪いわよ」
「筋力も使いたくありませんの」
亜里亜は二日ほど利根家に避難していたが、戻ってきてからずっとこの調子だ。意気消沈なのか、それともすねてるのかよく分からない。
私はともかくもダイダロスに向き合い、必要な処置を行う。
ダイダロスのユーザー補助機能は実に優秀だ、こちらのやりたいことを読み取るかのように必要なアプリを呼び出し、身を守るために必要な方策を列挙してくれる。
まずはタケナカがどうすればこちらの演算力を奪えるかを推測し、その方法を一つ一つ潰していく。タケナカがこちらを裏切ることなく、こちらの手持ちの演算力を利用してナビ役ができるような方法を提案する。基本的にはアクセス権の暫時コードを発行する形になりそうだ。
もしタケナカが裏切り、全感覚投入で無防備になっている私たちを攻撃しようとすればどうなるか。
それを実行に移す何段階も前に彼に破滅が訪れる。そういうシステムが構築されていく。
裏切りに対しての備えを組み立てていくのはあまり気分のいいものではないが、仕方がない。このシステムがあってこそ腹を割って付き合えるという面もあるだろう。
「ところでミズナさん、あなたの使っていたあの技、どのような理屈なんですか?」
「迷宮世界という技よ。ノー・クラートが迷宮の中で私に直接教えたの。今思えば、こちらの演算力を浪費させるための作戦だったみたいだけど」
私もうまく説明できるわけではないが、写真に似ていると思う。
人は心の奥底に原風景を持っている。心を空っぽにすることでそれと演算力を直結させ、演算力によって具現化するという技だ。私がそう説明すると、タケナカはふむふむと首を動かす。
「なるほど。Tジャックは大脳皮質の思考波を読み取りますが、脳の思考領域に意図的なブランクを生むことで海馬に保存されている原記憶へのアクセスを開き、思考走査を直結させ膨大な情報量を一気に引き出すという理屈でしょうか」
「全然わかんないけどそういうことよ」
ノーはセンスがなければ一生できないと言っていたが、そもそもそんなに明確な原風景を誰もが持っているわけでは無いように思う。アパートの一室だとか、揺り籠の中の景色が原風景であっても、それを迷宮としては引き出せないだろう。
「終わったわ。はい、これあなた用の暫時コード、私たちのナビ役をやるときはこれを入力して」
「分かりました」
「それと、私たちが迷宮に潜る際には一キロ以上離れた部屋に行ってもらうわ。ダイダロスはこの学園のあちこちに用意してるから、あとでいくつかの場所を教えるわね」
「当然の処置です」
やってみて分かることもある。ダイダロスは全感覚投入という無防備な状況が生まれる都合上、セキュリティが豊富だ。
それはあるいは天塩創一の意思によるものだろうか。このシステムを生み出し、かつてオリンピアの連中を見いだした彼にとって、まず警戒すべきは自分自身への脅迫だったはずだ。
徒党を組んでいたオリンピア、当初は協力しあって迷宮を走破していたはずが、やがて物理的な演算力の奪い合いが起き、ダイダロス同士での電子戦が始まったと聞いている。天塩氏の最後の仕事は、ダイダロス同士での電子戦ができなくなるようなアップデートだったとか。
だからダイダロスにとって、本来は盤外戦術は望ましくないのだろう。事前に準備できるなら、いくらでも防ぐ方法は用意できるわけだ。
(……では、この戦いの結末とは)
どんな祭りもやがては終わる。
最後に一人が残ったとき、その人物は何を願うのか、その時に他の走破者はどうなるのか。
私は視線を亜里亜に向ける。テーブルに突っ伏したままの彼女は。精神的に大人であっても、肉体はまだ少女なのだ、彼女はこの戦いでどのような結末を迎えるのか。
そして、履き違えてはならないことがひとつ。
私は、目的のために迷宮を走破している。逆ではない。だから、必要となれば……。
「決めましたわ!」
がばりと彼女が起き上がったので、私はどきりとして数歩下がる。
「ど、どうしたの」
「やはりこちらから乗り込むべきですわ! 相手はロッグフェル家の娘! 大物ですけども表の顔が売れ過ぎてて所在地を隠せないはずですわ! 一気に攻め込んでイカロ様を奪還ですわ!」
「奪還……」
やはりそれも考えねばならない。特に亜里亜の目的はあくまでイカロだ。彼と一緒にいることなのだから。
「タケナカ! ノー・クラートがどこにいるか調べなさい!」
「了解しました」
彼は手慣れた様子でダイダロスを操作する。イカロよりは数段遅いが、私や亜里亜よりは速い。
ダイダロスの操作速度は個人差が激しいが、どうもコンピュータの知識の差でもないような気がする。やはりセンスだろうか。
「出ました。ノー・クラートは南太平洋上、ニュージーランド東方沖450キロの海上にいます」
割とすぐに明らかになったので、何だか拍子抜けする。ダイダロスで身を守れるはずじゃないの?
亜里亜はテーブルをバンと叩いて腰を浮かす。
「分かりましたわ! すぐジェットヘリを手配して」
「無理です」
タケナカはダイダロスを私たちに向ける、そこには海面の映像が表示され、一部分がクローズアップされる。海面に浮かぶのは巨大な豪華客船。そこから1キロほど離れて灰色の船が二隻、浮いている。
「廃棄されたロシアの地上偵察衛星をハックして映し出してます。ここに国籍不明の船が二隻、偵察衛星の分解能は20センチですので十分に解析できました。商船に偽装してますがイージス艦ですね、この豪華客船を守っています。豪華客船を含めて三隻とも、どこの国の所属かも分からない、船籍も不明、まるで正体不明です」
「そんなことあり得ますの?」
「常識ではあり得ませんし、普通に考えればイージス艦は米国で建造されたものでしょうね。つまりノー・クラート個人を守るために発注されたものでしょう」
それはそうだろう。国籍不明のイージス艦の存在を太平洋艦隊が許すはずはない。
「もう少し言いますと、この情報はどうもノー・クラートが意図的に流しているフシがありますね。物理的に攻めるなど無意味だと警告してるんでしょう」
なるほど、さすがは世界最大の資産家だ。やることのスケールが違う。
「核は出せますの?」
亜里亜もとんでもないことを言い出す。
だが私は別にツッコミはしなかった。核を使うぐらいはゼウスも思い付いていた作戦だ。この局面に及んで、ノー・クラートが手を回さないはずはない。
「やってみましょうか?」
「……無駄よ。すでにダイダロスがセキュリティを強化してるはず。それにミサイルで直接狙うなら迎撃される。高高度核爆発からのコンプトン効果を狙うにしても、電磁シールドは十分にやってるでしょう。むしろ世界的な混乱に乗じて、向こうに好き勝手に動かれる可能性もあるわ」
タケナカはひゅうと口笛を吹く。
「文武両道ですね北不知さん。理系だったんですか」
「……知り合いからの受け売りよ」
亜里亜はというと頭に拳を当ててぐりぐりとねじる。
「うーん、何か方法は……」
「無理よ、というか危険すぎるわ。イージス艦二隻に守られてるのよ。世界のどんな艦隊だって攻め込めないわ」
しかし、イカロの奪還、それも放置するわけにはいかない目標には違いない。
場が煮詰まるに連れ目標も増えていく。私はまず自分のやるべきことを確認する。
まずは陸上部の活動と学生としての務め、ゲノム編集者のための広報活動、そしてイカロの奪還と、ケイローンの計画の阻止……。
「タケナカ、確認したいんだけど、赤文字の迷宮はどうなったの」
「すでに差し替えられています。おそらくシステムが不全を起こしたからでしょうね」
あのタイミングでは演算力の移動も起こらなかっただろう。結局のところ、あの戦いに意味は……。
「……いえ、そうじゃないわね」
少なくともケイローンのクリアは阻止した。約35日で演算力が消えるというルールがある以上、ケイローンは遠からず迷宮に潜るはずだ。まだチャンスはある。桃の鉢植えの買い占めだって維持できているし……。
「それはノーの陣営も同じよね……次にケイローンが潜るとき、おそらくノー・クラートが全力で阻止に来るはず」
それに干渉すべきだろうか。
しかしどちらの味方をすべきなのか。むしろ私が戦いに割り込むのは不確定要素に過ぎる。両方の陣営から排除されそうだ。
「……そういえば、なぜイカロは誘拐されたのかしら」
「イカロ様のお母様なのでしょう? 息子を連れ戻しにかかったのですわ」
「急に? 演算力を総取りできれば、そんなのすぐに……」
「うーん、ミズナさんのナビをやってたと知って身を案じたとかですわ」
「どーゆー意味よ」
……。
しかし、本当になぜこんなタイミングだったのだろう。
全世界のインフラに障害を与え、ダイダロスの性能を落とす作戦、それは理解できる。
だが、カストルとポルックス。
あの二人はかなり強いカードだ、それをイカロのためだけに切るのは解せない。
なぜイカロは誘拐されたのか。それが何かの意味を持つのだろうか。
あるいはイカロ自身がこの戦いにおいて、何か特別な意味を持つのだろうか。
「……そういえば」
思い出す。彼の話していたこと。
「タケナカ、探してほしいものがあるんだけど」
「はい」
これは直感。
そこに何があるとも知れず、意味があるとも限らない。しかし私とイカロの奇妙な因縁が、そこに何かがあると呼びかけている。
行ってみるべきなのだろう。
――イカロが生まれ育った島に。
Tips 偵察衛星の性能
偵察衛星の持つカメラの性能、分解能や解像度などはメートル法で表現される。分解能1メートルとは画像のドットや画素一個の一辺の長さが1メートルという意味である。
分解能1メートルで車の存在が判別でき、10センチでは車種の判別が可能と言われる。




