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迷宮世界のダイダロス  作者: MUMU
第九章 蛇蔽う白霧の籬
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第九章 1




何かを知りたくて生きている。


自分が何を知らないのか。

生きて何を知るべきなのか。


それを知ることができたなら、その場で死すとも悔いはない。


しかし、目や耳を増やすことが、真理に近づく道なのか。

蒐集ばかり達者になり、何が真理か知るすべもない。


あるいは、人生の果てに行き着くべき、最も重要な一行の真理すらも。


これがそうだと、機械に教えてもらうのか……。








「北不知さん、私たちは別にあなたに犯罪の疑いをかけてるわけではありませんので。ただどうしてあの場所にいたのか、どんな連中が浸入してきたのか知りたいだけなんですよ」


「床板からある種の麻酔薬が検出されてましてね、日本だと製造も保管も厳重に管理されてる強力なやつです。それに室内は激しく荒らされておりまして乱闘の跡も見られます。あなたも足の小指を脱臼して、こうして入院している。いったい何があったのですかね。乱闘があったようにしか思えないのですが」


「そう黙っていたのでは私どもも困ってしまいますね。室内からいろいろ検出されているんですよ、衣服の提供を拒まれているのも解せないな。靴下とかに何か付着していないか、少し調べさせて頂くだけでいいのですが。ご存知ですか、世界各地で不可解な事件が起きてましてね。名士の襲撃事件やら、インフラ関係へのテロやら、計ったように同じ時間にです。この事案もそれと同じだと思いませんか」


「――は、警察庁から? なんでまた、現場はこっちの……いえ、別に話ぐらい構いませんがね。しかし彼女は何も話さないと思いますがね。まったく何を考えてるんだか……いえ、こちらの話でしたな。ではごゆっくり」


中年の刑事とその相棒らしき若い男。ベタといえばベタな二人組は誰かに呼ばれて病室を出て、入れ違いに入ってきた男に私は少なからず驚く。


「――やあミズナさん、お久しぶりです」

「……あなた、確かタケナカ=清水=オオバヤシ」

「その名前少し恥ずかしいですね、タケナカでいいですよ。タケミカヅチとかでもいいですが」

「タケミカヅチのほうが恥ずかしくない?」


白いワイシャツに灰色のスラックス。ごく一般的なサラリーマンという風体の人物だ。冬も間近い季節となっては少し肌寒く思える。

彼は走破者の一人であり、かつて共にケイローンを攻めた一人だ。あの時はチームを組んで行動したが、信頼が置けるというほど知ってるわけではない。私は唇を引き結んで警戒する。


「警察の方でしたら大丈夫ですよ。もう二度とあなたが事情聴取されることはありません。マンションの件についての捜査も打ち切られます」

「……なぜ?」

「演算力が戻ったからです。世界中のトラフィック障害のピークは40分、80%以下だった時間は38時間に及びましたが、ほぼ復旧しました、ダイダロスの演算力もね」


タケナカの語るところによれば、世界中で起きたデータセンターへの攻撃、インフラへのテロ行為、それはイカロが把握していたものより更に多く、総数で170にも及んだという。警察はもちろん各国政府もそれに何らかの統一された意思の存在を意識せぬはずはないが、現在のところ誰が仕組んだことなのか、どのような手段を用いたのか、突き止めた気配は無いという。


「あなたのお仲間、利根亜里亜は利根家が背後にいますので警察も容易には手が出せません。なのでもう心配はいらないでしょう」


タケナカは私を安心させるような情報を並べる。おそらくスムーズに話をするためだろう。私もドアの外に人の気配が無いことを確認して、やや緊張を解く。彼を警戒しない訳ではないが。

私は病院着の襟を合わせ直して、彼に問いかける。


「あなた建設会社の社員じゃなかったの」

「もう辞めました。別に警察庁の役人でもないですよ。実在の人物に成り済ましてるだけです。あなたのことについてはニュースで見ました。それでお話したいことがありましてね」


タケナカはそう言って、置いてあったパイプ椅子を丁寧に畳んで片付けると、部屋の一角にあった別のパイプ椅子を持ってきて腰掛ける。潔癖症なのだろうか。まだ誰かの体温の残っている椅子には座れないとか……。


私は何となく窓の外を見る。そこからは三ノ須の全景が望めた。

ここは山の上にある療養施設。市内の病院ではなくここに収容されたのは、学園側が私をマスコミから隔離しようとしたからだろう。ここは母の入院していた部屋にも近いので、なんだか因縁めいたものを感じる。

私が視線をタケナカに戻すと、彼はゆっくりと話し出す。


「状況は大きく動きました。38時間に及ぶネットワークインフラの不全は、何人かの走破者を炙り出し、その演算力を奪ったんですよ。少なからぬ混乱ののち、走破者は三つの派閥に色分けされました」


タケナカは膝の上にアタッシュケースを置き、その黒皮張りの上に三つの五百円玉を置く。


「一つはケイローン。今一つはノー・クラート。そして、いわゆるフリーでありながら確固たる力を持つ連中。元オリンピア組ですね。それ以外の小物の走破者はどれかの派閥に取り込まれるか、物理的に演算力を奪われたようです」

「……」

「そしてノー・クラートは可能な限り全員に呼び掛けました。私は走破者の持つ演算力を、その多寡に関わらず100億ドルで買い取ると。太っ腹ですね」

「……100億ドルって、走破者が何人いるのか知らないけど、そんな額を何人に配る気なの」

「確認できてるところでは八人です。野良の走破者はほぼ消滅したと言っていいでしょうね。アルテミスやデーメーテールといった、元オリンピア組の古参も引退を決めたようですよ」


日本円にして一兆と数千億円。それを八人に配ったというのか。いつぞや、500億ドルで手を引くことを持ちかけられたことはあるが、いくら走破者であってもそれだけの財力を右から左に動かせるのだろうか。


「僕も引退しようかと思ってます。あまりに相手が悪い。ノー・クラートの買収に応じるのも癪ですがね」

「相手が悪い……? ノー・クラートの正体が分かったの?」

「ええ、実のところ彼女も有名人でしてね、拡張世界で彼女を見た走破者の中には、もしかしてと思ってた者もいたようですが」


タケナカはタブレットPCを取り出し、枕元のテレビ台に置く。そこに表示される女性は年の頃なら30前後というところか。北欧系の青白い肌を保ち、病弱そうな細身でありながら、どこか空恐ろしいまでの美しさを備えている。ノー・クラートだ。

彼女はビジネススーツを着て、どこかの空港を歩いていた。


「ノー・クラートはハンドルネームでしょう。本名はノー・S・ロッグフェル。あのロッグフェル家の娘ですよ」

「なんだっけそれ……聞いたことはあるけど」


タケナカは少し目を丸くする。知らないのは意外だったのだろう。

聞いたことはあるけどイメージが漠然としている。確か世界有数のお金持ちの一族とか、そんな感じだったような。


「ざっくり説明しますと、いわゆる石油メジャーの一族ですよ。ルーツは北欧系移民ですが現在の本拠地はアメリカです。その系列には巨大銀行を始め、航空産業、鉄鋼、食品、不動産ほか色々並んでますが、世間的に知られているのはロッグフェル財団ですね。世界最大の慈善事業団体であり、アメリカの政治に大きな影響力を持つNGOです。あまり意味のない数字ですが、ロッグフェル財団の総資産はおよそ14兆ドル。長女であるノーの動かせる資金だけでも数千億ドルに及びます」

「……だとしても、一人100億ドルなんて」

「ええ、動かすだけで子会社がいくつか潰れるほどの大金です。いくらロッグフェルでも気軽に払える額ではない。ですからこれはいよいよ最終段階なのだろうと、そういう見方がありますね」


最終段階……。

つまり、誰かが演算力の全てを手に入れるということ。


「たとえ資産のすべてを失うとしても、演算力の総取りがなされれば何も問題はない。そのぐらい大きな賭けに打って出たのでしょう。ノー自らが総取りするのか、他の誰かに取らせるつもりかは知りませんが」


場が煮詰まりつつあった現状において、いつか潰し合いが始まるのは必然だった。ケイローンが動き出すのに呼応してノーも動いたのだろうか。

だが、ひとつ解せないことがある。


「……なぜ、イカロを」

「イカロ?」

「誘拐されたのよ。元オリンピアのカストルとポルックスに。世界的なインフラ攻撃に合わせて襲撃があった。おそらく指示したのはノー・クラートでしょう」

「そうでしたか。イカロさんというのは存じませんが、いつぞやの作戦のときに指示を受けていた人ですかね。ナビゲーター役の方ですか」

「……」


イカロのことはまるで知らないという口ぶりだ。何らかの演技だろうか。それともタケナカとノー・クラートにはまだ接触はないのか。


「……イカロは、天塩創一の息子なのよ。そしてノー・クラートは彼の母親」

「……ほう?」


タケナカはタブレットPCを取り上げ、指を小刻みに動かす。

普通の検索とは異なる気配だ、ダイダロスの演算力にアクセスしているのだろう。


「天塩創一氏に息子がいたとは……ええと、彼が亡くなったのは約一年前、没年時は38歳。ノー・クラートが現在28歳ですので、それなりに離れていますね」

「二人に接触の気配はあるの?」

「ノー・クラートは16歳になって表に出てくるまでの公的記録がほとんど無いんです。どの学校を出たのか、どこで生まれ育ったのかも不明です。天塩創一氏についても同様ですね。この雲を掴むような気配は独特のものです。ダイダロスによって情報が抹消されているのでしょう」


ダイダロスによる偽装や隠蔽を、ダイダロスで看破することはできない。それも何度かの経験で学んでいる。


「……イカロは、どこかの孤島の屋敷で育てられたそうだけど、独力でそこを脱出して、私や亜里亜を見出したの。ノー・クラートはイカロに執着している様子はなかったけれど、やはり連れ戻したかったのかな……」


私に買収を持ちかけたのも、そのような文脈の上での話だろうか。


「しかしノー・クラートはまだ28歳です。イカロさんという方、何歳なんです?」

「まだ小学生よ……10歳か、11歳か。頭のいい子だから、三ノ須で一人暮らしをして、ダイダロスをよく使いこなしてたけど……」

「ふむ……つまり、ナビを失ったわけですか」


タケナカはふと考えに沈み。長い沈黙ののちに言う。

そういえば、彼はそもそも何の話をしにきたのだろうか。私が現状を把握できてないと思って助言に? なぜそんな必要が?

タケナカの熟考は10秒ほどだったろうか。やがて彼は顔を上げる。


「あのですね北不知さん、実は私が引退を決めたのはあなたのせいなのです」

「……は?」

「他にも同様の連中はいますよ。あなたとプルートゥの戦い、迷宮そのものに干渉するあなたの技と、プルートゥの驚愕以外に言うべくもない不死身ぶり、ケイローンの生み出した神秘の薬ネクタル。どれも画期的なものであり、走破者たちの世界を打ち破る黄金の鍵です。もはや私たちではあなたの戦いについていけないと、そう判断しました」

「そ、そう……」


別に戦いが公開されているわけではないが、すべての走破者が注目していた赤文字の迷宮だ。望遠レンズか、昆虫サイズのドローンでも使って誰かが見ていたとしても不思議はない。


「そしてノー・クラートもです。彼女が使う繁栄(ベスタ)という名の蟻。あれもまた驚愕の技術なのですが、私は何か示唆的なことを感じますよ。あのような超常的な現象が起きるのは何故なのか(・・・・・)。PF、フィジカルフィードバックが提供するのは別にファンタジー世界ではないのに」

「?」

「私はこう思うのです。貴方たちの戦い、ごく一部の選ばれた走破者たちの戦い、神がかった戦いを実現できる特異な人材の存在は、この世界にとって何か大きな意味があるのではないか、と」

「……な、何が言いたいの?」

「簡単なことです。私は率直に言ってお金には困ってませんから、ノー・クラートの言う100億ドルもあまり興味が無かったのです。かといって働かないわけにもいかない。妻と娘と、マンションの御近所さんとに体裁が悪いでしょう? だから身の振り方に悩んでたんですよ」


タケナカはアタッシュケースを開き、一枚の書類を取り出す。


「ナビゲーター役がいないなら、私を雇いませんか。日給は1万2千で結構です」



それは、手書きの履歴書だった。


















Tips 三ノ須の医療体制


学術都市である三ノ須には医大の他に関連医療機関もいくつか存在する。背後にそびえる山には療養施設や介護施設があり、病床数は450あまり。

学生向けには歯科や皮膚科、スポーツ整形外科、未病クリニックなども営業しており、一部では学内アルバイトも受け入れている。

章題の読みは「へびおおうはくむのまがき」です。

(まがき)とは垣根のことですね。

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[一言] 何しに来たかと思えば、就活かい!!
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