第八章 8
「何これ……クリア後のステージの崩壊? それにしては演出が妙だけど……」
崩壊は一気に加速する。鼓膜の内側にノイズが走り、皮膚を静電気が走るような感覚。足が地面から離れて天蓋部の屋敷が次々と消滅し、残ったものは重力のくびきを失って浮遊する。床の板材も次々と消え、電子音のようなものが遠く響いて。
そして唐突なブラックアウト。
「どうしたの!?」
その声は室内に反響した。
すでに日は落ちている。私は肌に当たる風でここが現実なのだと認識し、目を開くと同時にTジャックを抜く。
ここは三ノ須に複数あるイカロの居室、学内マンションの一室だ。分厚い遮光カーテンが降ろされ、外の様子は伺えない。
「これは……!?」
イカロがダイダロスを操作しているが、その手がおぼつかない。画面を見て分かった。ダイダロスの反応が鈍いのだ。アイコンの動きが重い。ウインドウの生成と消滅がワンテンポ遅れている。
「イカロさま! 何が起きましたの!?」
亜里亜も覚醒する。拡張世界での戦闘のためか、肌を上気させていた。
マンションの電気はついている。そもそもダイダロスは内蔵バッテリーで十数時間は活動可能だ。このマンションも自家発電を含む複数の電源系統があるため、いつかのように停電にされることは無いはず……。
「み、ミズナさん、テレビをつけてください」
言われて私はテレビをつける。まさか、ダイダロスによる情報収集がテレビより遅いなんてことが。
ありふれた町ぶら番組、その上部に速報が流れている。
――カリフォルニア州、カテゴリー5の竜巻「キュクロプス」による送電障害。データセンターに影響か。
「アメリカの話……?」
「キュクロプスというのはカリフォルニア州にて数日前に発生が確認されていた竜巻ですが、数時間前に急激に成長してF5クラスまで拡大、進路を急転させて、ゴーグル社のデータセンターを襲いました。それは把握していたのですが……」
竜巻の力は藤田スケールと呼ばれる階級指数で表される。F6はまだ発生が確認されていない未曾有の怪物だが、F5はおよそ0.1%の確率で発生する。その最大風速は117から141メートル毎秒。建物が基礎から掘り返され、森がなぎ倒され、飛んでいった牛がまた戻ってくるぐらいの大災厄だ。
しかしゴーグル社のデータセンターは世界中にある、ひとつやふたつ落ちた程度ではインターネット全体への影響は僅かのはず。
「でもアメリカの話でしょ、どうして今になって」
「いえ、実はほぼ同時刻、インドにあるナットラック社のデータセンターがパキスタンからの大規模ハッキング攻撃を受けました。政治がらみのようです。同じくベルギーにあるヒューマッド社のデータセンターへロシアのハッカー集団が攻撃、インドネシアでは山火事の発生により送電線が焼け落ちて……」
ダイダロスには遅ればせながら被害状況が報告されつつある。世界地図のあちこちが赤く染まり、トラフィック量が大幅に減少しているのが分かる。
「確認できるだけで全世界で44ヶ所。大規模サーバーセンターの罹災、あるいは攻撃が確認できます。それによって全世界のインターネット速度に影響が生まれています」
「なっ……」
それは何を意味する。
全世界には無数のサーバーマシンがある。だが勿論、それらのマシンは本来はインターネットの維持のために膨大な演算を続けていなくてはならないシステムだ。ダイダロスはその余剰演算力を集約して利用しているに過ぎない。
では、世界のインターネットインフラが損傷したならどうなる。一般の回線速度に影響が出るほどの大規模攻撃ならば、ダイダロスへの影響は更に大きくなるはず……。
「全世界規模のサイバー攻撃……? これで一体、何を」
偶然のはずがない。これは明らかに誰かが仕組んだこと。国家規模のハッキング計画や、個人レベルの攻撃や、あるいは竜巻や山火事までも操作して、今日、この時間に全世界の回線速度にブレーキをかけた。
狙いは何?
ケイローンが妨害を仕掛けた? いや違う。彼が求めていたのは赤文字クリアの称号。こんな方法で私のクリアを妨害して、彼にカリスマが身につくはずがない。
そもそも仕掛けたのは誰。演算力を削って、何を求めて……。
「削る……?」
演算力を、削る。
「……! イカロ、いま私たち、どのぐらい演算力を使ってた!?」
「か、かなりの量です。使用した総量としては数千台分ですが、ミズナさんのあの技、一時的ですが手持ちのすべての演算力に訴えかけるような挙動が」
「くそっ!!」
私は床を踏みつける。自分の愚かしさに腸が煮えそうだ。
「ど、どうしましたの、ミズナさん」
「二人とも気をつけて! イカロ、すぐにセーフルーム、いえ、地下のシェルターへ」
もし、この全世界規模の攻撃が。
私が経験した拡張世界での邂逅が、そこで教わった技が。
ダイダロスの防御を一時的に弱める、そのためだけの作戦だとしたら。
敵はおそらく私たちのいる場所をすぐに割り出し、何らかの手段で強行突入を。
そのとき。窓から轟く破砕音。
巨大なガラスが粉々に割れ、そこにひとかたまりの質量が飛び込んでくる。
「! 逃げて!!」
それは銃を一連射して天井を射つ、電気が落ち、世界は闇に落ちる。テレビも、そしてダイダロスも被弾し、白く発光していた板が闇に紛れる。
「ちいっ!」
だが、先程まで通電していたダイダロスはディスプレイにわずかに蓄光されており、灰色の光を放つ。
そこにいたのは二人の人物。どちらも小柄で、滑空用のウイングスーツを着て軽機関銃を構えている。暗闇でも分かるほどの見事な銀髪と、なだらかな体をぴっちりと包むラバースーツ。
「ウイングスーツでこの部屋へ……そんな馬鹿な」
ウイングスーツはあくまで滑空を楽しむためのもので、地上への着地には別個にパラシュートが使われる。ヘイロー降下のような急襲作戦のための装備ではないはず。
仮にスーツの性能がよく、ジャンパーが小柄で軽量だったとしても、あの小さな窓から飛び込んで、しかも室内で受け身を取るなど不可能だ。
……人間を、超えるほどの体術の使い手でない限り。
「やほー、お姉ちゃん」
「拡張世界とおんなじで美人だねー、若すぎて僕たちの好みじゃないけど」
「カストル! ポルックス!」
言いつつ私は駆け出す。もし殺す気なら今の一連射でやっているだろう。彼らにはそのつもりがないのか、さすがにこの日本で私を殺すほど目立つことはできないのか、どちらにせよ相手に行動させるべきではない。
「無駄だよ、こっちはプロだよー」
その小さな体に一瞬の躊躇を覚えつつも渾身のロー。双子は飛び上がって回避し、空中で互いを押して左右に分かれる。私は手近な椅子をひっつかんで真上から振り下ろす。椅子がコナゴナに砕ける手応えと同時に背後に殺気。前に飛びつつ警棒の一撃を回避する。
「うそっ、かわされた」
「これでもっ……」
私はダイニングへと跳んでガラス製のローテーブルをつかみ、空中に振り上げてから蹴り飛ばす。回転しながら飛ぶテーブルが地面にぶち当たるが、強化ガラスのためガラス片の散乱には至らない。
双子はスーツの襟を持ち上げるような動作をして、顔の下半分にマスクを装着する。
「させない!」
ガスを撒くつもりか、だが私のほうが早い。カストルかポルックスか、とにかく双子の片方と足先が触れるほど踏み込み、渾身の左ハイ。
銀髪の少年は腕を上げてガードしたもののウェイトが違う、脳まで揺れる衝撃があるはず。その襟首を掴まんとする私の腕をかろうじて回避する。
「うわ重っ、や、やばっ」
少年は両腕を上げてピーカーブースタイルになる。ボクシングならそれでもいいだろう。だがもはや遊びでは済まされない。私は脳にアドレナリンを走らせて闘志を殺意のレベルまで上げる。
一度パンチのフェイントをかけてガードを固めさせた直後、がら空きになった少年の股間を思いきり蹴り上げる。体が浮くほどの電光石火の一撃。
「はぐっ!?」
「!!」
足が離れない。
こいつ。スーツの表面に何かを。
「うわちゃー……よりによってカストルの方だったかあ。やれやれ、ごめんねえカストル。どっちかが犠牲にならないとお姉ちゃん止められそうにないから」
ぐったりとしたカストルを踏みしだく、しかし足から離れない。強力な接着剤のようなものか。この双子、なんて作戦を。
そして殺虫剤を噴くときのような、圧縮した空気の音。
「み……ミズナさん、この二人……」
「イカロ様、どこですの!? 亜里亜の手を取ってください、いか……」
二人の声が急に途切れる。
そして私にも即座に影響が出る。ロシアにてテロリスト鎮圧に使われたフェンタニルか、麻酔薬のハロタンか、とにかく即効性の麻酔薬のようなものかと認知の端で思う。全身の麻痺にも似た耐え難い眠気。指一本動かす余裕すらなく、私の意識は倒れた直後に喪失した。
※
そして目を覚ましたとき。
私は地震でも起きたかのように、窓ガラスが散らばり家具がなぎ倒された部屋にいた。目の前にはゴスロリ服の少女が倒れている。
「亜里亜……」
まだ意識が覚めないようだ。わざわざ麻酔ガスを使うぐらいだから、死なせないように量を加減したと信じたいところだが……。
「イカロ」
私はそっとその名を呼ぶ。
マンションのドアを何度も叩く音がする。
――もしもし、天塩さん、警察ですが
――ご無事ですか、ガラスが割れているようですが、何がありました
階下からはサイレンの音と、消防の音まで聞こえる。あの双子はちゃんと逃げただろうか、などと倒錯的な心配まで浮かぶ。
「イカロ……」
彼は個人でこの部屋を借りてたのだろうか。おそらく架空ながら保護者を登録していたのだろう。
彼は初等部の学生ではあったけど、本来の戸籍はあるのだろうか。孤島の屋敷で育ったと言っていたけど、どうやって島を出たのだろうか。どこで私を見つけて、どうやってこの三ノ須に編入したのだろうか。
そして今、どこにいるのだろう。
「イカロ……」
まだ私は、あなたのことを何も知らないのに。
私は泣いていた。自分の迂闊さと不甲斐なさに。そしてもう彼に会えないのではないかと、そう感じている心の震えのために……。
Tips ウイングスーツ
手と足の間に布を貼った滑空用スーツ。飛行機やヘリコプター、または高所からのダイビングに用いられ、落下速度は50~100km/h 水平速度は200から300km/h以上に達する。
ジェットエンジンと金属製ブレードを追加装備し、個人用の飛行装備として開発されているものもあるが、2020年現在で軍事行動に利用された例はない。
ここまでが八章になります
九章の開始まで少し間が開くかもしれません、なるべく早く再開したいと思っていますので、よければもうしばらくお付き合いください




