第八章 5
章立て改編のお知らせ
七章が長くなりそうなので、既存の七章1話から七章5話までを七章とし、七章の6話以降は八章として再編成します。
内容には変化ありません。突然のことで混乱させてしまい申し訳ありません。
「状況は?」
一階へと登った私は周囲を見回し、
そして異変に気づく、窓の外が妙に暗い。
それはくろぐろとした輪郭で横たわる山の稜線? いや違う。それは有機的に溶け合った建物だ。白木の壁、赤レンガの壁、板張りの屋根という屋敷がいくつも重なり、まるでショートケーキの断面のような構造がえんえんと私たちを取り囲む。それは高層住宅化したスラム街のような眺め。無秩序に積み重なっていく建物にグロテスクな印象を覚える。
「何、あれ……」
『ウィンフィールド邸が肥大を続けています。あの外縁部の内側ならドローンが飛べますが、現在、敷地面積はおよそ12万平米。外縁部でもっとも高い部分は8階建て相当です』
「屋敷を削っていた銃撃は?」
『続いています。ですが、屋敷は中央部から湧き出し、外側へ押し退けるように広がっています。屋敷の成長の方が早いんです』
そういえばイカロはさっき、屋敷が拡大してると言っていた、このことか。
意識を遠くへ向ければ銃声が聞こえる。川の音のように連続性を持つ銃声だ。もし空を飛べば、例の10万トンの槍を食らうだろう。
これは創造者の視点で見れば分かる。つまりは空から直接行かれることを避けたい。もっと言うなら空から行っても構わないが、それなりの難易度は用意させてもらう、というわけだ。
私は適当な階段を登り、上へ。
「屋根から行くわ。屋敷の中を走ってたらプルートゥに追い付けない」
『ですが、空ほどではないとは言え、屋根も……』
ガラスを蹴破り外へ出て、外壁を三手でよじ登る。
攻撃はすぐに来た。私のそばで建物が伸びあがり、自重に任せて倒れかかってくる。
私は前方へ走り回避、細い中庭を飛び越え屋根から屋根に渡る。
要領は理解した。空、屋根づたい、屋敷の中の順で早く行けるが、そのぶん攻撃が過激になるわけだ。
そして目指すゴールはおおよそ見えている、このカルデラ構造の中心だ。
屋根が動いている。中央で生まれた構造が周囲の建物を押し出しているのだ。それはアメーバの増殖にも似た生物じみた動き。どうでもいいけどこの屋敷群には基礎というものがないのか、それとも地面ごと動いているのだろうか。
影が見える。私と同じく屋根を行く姿。あれは。
「ケイローン!」
「おや」
栗毛の馬、アレイオンを駆るのは間違いなく彼だ。いつものような白衣と後頭部に撫で付けた黒髪。いつぞやと変わらず薄く笑っている。
「お嬢さんも来ていましたか」
「ケイローン! ネクタルの秘密を知ったわ! 何故あんなことを!」
「ふむ、異なことを言われますね」
馬が十数メートルも跳躍して中庭を飛び越え、私は左から回り込む。前を行くケイローンの方が妨害が激しく、ケイローンは手綱をさばいて倒れかかる塔を迂回する。速度を上げてすり抜けることはせず、大きく蛇行しながら回避しているようだ。
私も前傾を深くし、屋根を蹴る足に鋭さを込める。足が屋根の傾斜に順応してきた。必要なものはベクトルの維持。傾斜に合わせて体幹を維持するイメージで飛ぶ。
「私は人間の進化を促しているのですよ。死の恐怖など人間には不要なものです。自覚なしにそれを捨てられる、ネクタルは至上の薬なのですよ」
「そうは思わないわ! 喜怒哀楽、どんな感情も必然として身に付いたもの! それを失った人間がどうなるか誰にも分からないのに!」
「分かりますよ、世界を見ていればね」
何を。
降り注ぐドアの手裏剣を岩で防ぎつつ、ケイローンの様子をうかがう。ケイローンも頭上に網状のアーチ構造を出現させて防ぐ。
「ご存じですか、かつて中国には詐欺罪でも死刑があったのですよ。死刑執行の実数は公表されておりませんが、間違いなく世界一の死刑大国です。ですが、世界的な潮流の影響からか、死刑が適用される犯罪の種類は徐々に減っております」
「死刑議論ができるほど成績がいいわけじゃないのよ。それがどうしたの」
「おかしいとは思いませんか? 悪人たちが組織的な詐欺で100億ほど騙し取れば、経済的な困窮から自死を選ぶ。あるいは寿命を縮める方は少なくないはず。これが殺人でなくて何なのです? だが今ではそれに死刑はない。我々中国ですら忘れかけているのですよ。想像できないのです。間接的な死というものを、想像するべきでないとすら思っている」
「……何が言いたいの」
屋根のひとつが爆散し、剥がれた屋根材が高速で回転しながら迫る。私は屋根に這い、岩を亀の甲のように纏って耐える。
「それが進化というものなのでしょう。本来は誰も考えたくはない。世界のどこかで飢えて死ぬ子供たち、不当な差別により刈り取られる命、スラム街にて疫病に苦しむ人々、みな見たくないと思っている。それよりは自分自身の未来だけを、富める人々の繁栄を。傲慢なる科学の発達だけを追い続けたいと思っている、だから私はその手助けをしてあげたい。皆が捨てたいと思っているものを捨ててあげたいのですよ」
「……っ!」
浅はかな詭弁……そう切って捨てるには、私とケイローンの差はあまりにも大きい。彼は人類で有数の実力を有し、あるいは未来の舵取りを担うかもしれない男なのだ。
人は他人の死を、他人の不幸を考えたくない。それが一面の真実であることも理解している。この世界で不幸な人間と幸福な人間は隔絶しており、地に落ちた人々のことは誰の記憶にも残らない。スポーツの世界でも同じこと。二位以下の選手など名前も覚えてもらえない。ケガで引退した選手も、まるで最初からいなかったかのように。
だが。
「……演算力」
「ほう」
「演算力ならば世界を変えられる。あなただって分かってるはず。演算力には無限の可能性がある。人間は太陽系の外にだって出ていける。世界から不幸な人を無くすことだってできる。それもまた人間の叡智の結晶のはず」
「……そうですね。それは認めましょう。演算力とは文字や火起こしの発明に等しい大変革。あるいは本当に世界を一変させるかもしれない。私のやろうとしてる事業は、あるいは私の想像力が貧困なためのつまらない選択なのかも知れない」
アレイオンが速度を上げる。首を寝かせ、倒れ来る塔をすんでのところですり抜ける。
「ですが、走破者は議論するものてはありません。私を止めたいなら、私より早くゴールに至る。それがこの迷宮における絶対の金言。世界の法則なのです」
「くっ……」
早い。
不規則に傾斜した屋根であってもその速度に淀みがない。そしてアレイオンの地上速度は200キロ以上、人間が追い付ける相手ではない。
「やるしかない、あの技を……」
殺気。
身をかわすそばに刀が飛来する。回転しながら飛ぶ刀が屋根に突き刺さり、見ればその柄にはビニール紐で人間の手首が縛り付けられている。
そして断面が泡立つかと思った刹那。瞬時に手首から腕、腕から肩、胸部、胴部、両足、そして頭を再生させたプルートゥが腰だめに構えた姿で生まれ、屋根に刺さった刀を抜き放つと同時に真上に切り上げる。
「ぐうっ!」
刀が耳をかすめる。その再生に驚愕していれば、一瞬の硬直のうちに頭を割られていただろう。
「探しましたよ、ミズナさん」
そしてパンツスーツを最後に再生させ、刀が空を斬る。
「鬼ごっこも終わりです。ゴールプレートはケイローン様が手にする。あなたにアレイオンの脚に追い付くすべはありませんが」
プルートゥはわずかに左右を見る。
「あのバイク使いがどこにいるか分からない。よもや後れを取ることもないでしょうが、私も急ぎ追いかけねばなりません。あなたはここでログアウトしていただく」
「バイク使いの部分を馬使いに変えれば、一言一句すべて同感よ」
プルートゥの北欧系の白い肌。その中にある美しい瞳がわずかに歪む。
「アスリートごときが私に勝てるとでも」
「確かにあなたも怪物。どうやれば死ぬのか想像もつかないぐらい」
周囲で塔が成長している。
「でも知ってるかしら。天に斉しいとか自称してた怪物のお話。暴れまわった挙げ句にお釈迦様に封じられたらしいわよ、そう……こんなふうに」
意識の外と内を切り離す。思考と反射を切り離す。
求めるは心の風景。もっとも深い部分の記憶。それが情報となって噴き出てくる。
「空山……」
プルートゥは岩を出すと思って構える。しかし岩ではない。私が出すのは世界そのもの。
「龍哭!」
その名前によって思考が、そして演算力が励起する。
手の先からほとばしるのは超高速で築かれる岩肌。左右二烈の岩がプルートゥを挟み込む形で瞬時に形成。
「なっ……」
「龍哭!」
そのさらに外側に生まれる巨大な岩。高さにして20メートル近くある一枚板の石板。それが生まれると同時に倒れかかって最初に出した岩石列を、そしてプルートゥを生き埋めにする。
安山岩、玄武岩、蛇紋岩からなる岩石の波。そのまま屋根を突き破り、床を突き破ってさらに沈んでいき、噴煙のようにもうもうたる埃を巻き上げる。
『ミズナさん、今のは!?』
「身につけた技よ。ちょっとしたもんでしょ」
ようやく分かった。迷宮の創造概念には三種類ある。
一つは細かい指定を与え、設計図を描くように生み出すこと。何でも出せるが、演算力の無駄も多いし時間がかかる。
もう一つはメガデモ。何かしらの雛形を与え、それをもとに演算力にて自動生成させる。規模の大きいものを素早く生み出せるが、本人の資質によって出せるものが限られる。
そして最後の一つが迷宮世界。思考の全てを演算力に委ね、物体ではなく世界そのものを生み出す。メガデモの延長だが規模がまるで違う。持てる全ての演算力に瞬時にアクセスするような感覚だ。
閃光。
私は腕で顔を覆って後方に飛ぶ、数十メートルに及ぶ爆炎が一気に打ち上がる。
記憶していた地形を頼りに後方に転がる。やはり爆薬を使ってきたか。しかも手加減なしの火力だ。
びしゃ、と屋根に落ちる肉片が奇妙に蠢き、おたまじゃくしがカエルになるような……実際のところは非常にグロテスクな過程を経てプルートゥとなる。
「その技……何なのです? あなたは物を生み出すのが得意なタイプとは思えませんが」
「龍哭!!」
瞬時に成長する二列の岩。プルートゥを挟み込んで成長する。
「フン」
再度の爆発。おそらく1キロ以上の高性能爆薬。家具や自動車並みの大岩を吹き飛ばしている。
「何度やろうと……」
プルートゥが私を見失った気配がある。周囲には一列どころではない。それは岩でできた街だ。盾状の岩盤が屋根から無数に生えてきて、あるものは自重で埋まりつつも迷宮を形成している。
私がやっているのは投石でも、武器や防具を出したわけでもない。生み出しているのは迷宮、走るべきフィールドだ。
「どこへ――」
遠く響く銃声のために私の位置は掴めないはず。
この岩場において最も早く動けるのは私。脚が地に吸い付いてグリップを生み出す。指の一本一本までもが岩を把握する。
「……くそっ、これほどの岩塊を一瞬で、一体どうやって」
そしてプルートゥが振り向く。
私の殺気を捉えたか、だが遅い。
「空山龍哭!」
私が生み出す方向は真上。
一瞬にして形成される岩と巨石の迷宮。二つの稜線に挟まれた谷間のような眺め。
それは数千トンもの重さを持つ岩石群。そして生み出した直後にすみやかに重力に従い、私の指がプルートゥの肩に食い込み――。
「な――」
私は彼女の鎖骨を思い切り押し下げつつ加速。バランスを崩したその体に無数の岩雪崩が降り注ぎ、プルートゥの五体を砕き、屋敷を砕き、大地すらも砕く勢いで岩の雨が突き刺さる。私はぎりぎりを見極めてそこを走り抜ける。
「プルートゥ、あなたが冥府の王なら、きっと懐かしいんじゃないの。地の底は」
あとに残るのはピラミッドのような巨大な岩山。重量はざっと数万トンはある。
核でも使わない限り脱出はできないだろう。そしてこの距離で核を使えば迷宮のゴールも、ケイローンも無事で済むはずがない。
私はその山に一瞥を投げて、また屋根の上を走り出した。
Tips パンツスーツ
女性用のスーツスタイルの一つであり、ズボンとシャツがワンセットになったもの。
女性がズボンを履く行為は一種の革命であり、1920年代にイギリスで生まれ、1930年代にマレーネ・ディートリヒが映画の中で男装をし、プライベートでも身に着けていたことに端を発する。その後、1960年代にイヴ・サンローランによって女性用のタキシードスタイル、スモーキングが生み出されたことにより広く普及していったと言われる。




