第八章 3
「狙われてる? どういうことですの?」
周囲の屋根から層状の建物が突きだしてきて、私たちの頭上に、あるいは進路に次々と倒れかかる。亜里亜はトライクならではの旋回で回避するが、とてもまっすぐ走るどころではない。
「この迷宮は……つまりはウィンフィールド邸と、それに仇なす霊魂たちとの争い。私たちはその戦いに巻き込まれている構図よ。ウィンフィールド邸にとって私たちは味方でも何でもない、体内に入った黴菌も同じ、叩き潰したいだけの存在なのよ」
ひときわ高く伸びた建物からパネル状のものが降ってくる。それは分厚い樫の木のドアだ、屋根に突き刺さり階下までぶち抜く手裏剣、トライクが旋回をきる脇をかすめる。
「ダメですわ! とても走れませんわ!」
「亜里亜、外にいたら危険よ、中に入りましょう」
「了解ですわ!」
ばん、とトライクが屋根のひさし部分からジャンプする、えっちょっと。
一階部分の窓に突っ込み衝撃と破砕音。視界に火花が散る。シートとお尻の間に強烈な打撃。
「飛ぶなら飛ぶって言ってよ!」
「そのぐらい読み取ってもらわないと困りますわ」
そこは広めのホールだった。片方が鏡張りであり、真紅の絨毯が敷かれている。ダンスホールだろうか。
私たちはかなり上にある窓から飛び込んできた格好だ。採光窓だろうか。
「……うん、やっぱり屋敷の中には攻撃は起こらない。外にいると襲われるみたい」
「ミズナさん、誰かいますわ」
え?
ホールの中を見渡すが、特に人影は……。
「そっちじゃありませんわ、鏡の中ですわ」
鏡の中……。
鏡にはこのホールが映り込んでいるが、そこには誰もいない。
いや、鏡から見える右手側の廊下。そこに人影が。
「誰!」
トライクがカーブを切ってそちらに向かうが、廊下を覗き込んでも誰もいない。
しかし鏡の中の人影は動いている。黒いイブニングドレスを着た老婦人。頭にも黒のヴェールをかぶり、やや足早にホールに入ると、そのまま横切って別の廊下に出ていく。
「なるほど、あれが「謎解き」ってことね」
さすがに拡張世界で心霊現象に怯えるわけもない。鏡に映る人物を追えというわけか。
私はホールの鏡に軽くトゥキックを入れる。ヒビが縦に走っていくつかの破片が落ちた。
「そんなことせずとも鏡なら出せますのに」
「この屋敷の鏡じゃないとダメかも知れないでしょ」
だが無駄だった。ホールの鏡にはGIF画像のように何度も老婦人が映るが、割った鏡や演算力で出した鏡には何も映らない。この映像はいわばステージギミックであり、決められた鏡に決められたものが映るだけなのだろう。
「この老婦人がおそらくサラ夫人よ。室内にある鏡を辿っていけばゴールへ行けるはず」
「思ったよりカンタンですわね、参りましょう」
そしてトライクがまた走り出す。
……だが、不安もある。
これでゴールまで行けるのならば簡単すぎる。
サラ夫人の居室を探す、それで終わり?
あるいはそれは、この迷宮のほんの入り口に過ぎないような……。
「銃撃のほうも心配ですわ、急ぎましょう」
「そうね、とにかく鏡、を……」
差し掛かるのは廊下の十字路。
刹那、その気配に気付いたのは二人同時だった。亜里亜が速度を上げて気配から遠ざかるルートを走るのに合わせて、私は飛び降りて曲がり角まで走り、瞬時に身を屈める。
頭上をよぎる銀閃。髪がひっつめじゃなかったら前髪を斬られていただろう。
刀が過ぎ去ったのを見てから伸び上がりつつのハイキック。相手はスウェーバックで回避し数歩後退。それを見極めてから背後に演算力を意識する。一瞬で完成するのは玄武岩、十字路の中央から生まれて通路を完全に塞ぐ。
「ミズナさん!?」
「亜里亜! あなたはゴールへ向かって! 私はこいつを足止めする!」
「……っ! 死んだら承知しませんわよ!」
いや拡張世界に死はないけど。まあワビサビというものだろう。
その人物は不敵に笑う。
「よく会いますねミズナさん、まだ数週間しか経ってませんが」
「プルートゥ、あなたたちも来てたのね」
プルートゥは薄く笑って答える。
「誘導尋問など無用ですよ。ケイローン様もすでに入っております。手分けしてゴールを探しているところです」
「やはり特別なものなのかしら? 赤文字の迷宮は」
「走破者はこの世に手に入らぬものなど無い。それだけに名声が特別な意味を持つのです。この迷宮の走破によりケイローン様は王に大きく近付く。つまらぬ小細工で妨害を考える輩も減ることでしょう。ミズナさん、あなたも我々の同士となりませんか、十分な報酬はお支払しますよ」
「お断りするわ。あなた達のやっている事、理解してるつもりよ」
その答えは意外だったのか、プルートゥはほうと感心した顔を見せる。
「さすがはミズナさん、他の走破者とはどこか違うと思っておりました」
さり、と下段に構えた刀が床に触れる。
「ならば、ともかくも演算力を奪っておくに越したことはない」
弾かれるように跳ね上がる刀。それが激しく火花を散らす。
私の二の腕に出現するのは岩の鎧。皮膚に沿って出現させただけの不格好なものだが、刀への防御には十分。
「岩、ですか」
「ハダに合うのよ」
私が踏み込む、体を反転させつつのバックブロー、プルートゥはその細腕で受け止めるものの骨まで響く衝撃。
だがそれだけではない。パンツスーツの袖に食い込むように岩が出現している。10キロはある大理石のブロックだ。
「む……こんなもので」
「遅い!」
左ローで体勢を崩し、すかさずの突き、フックからの脇腹への直蹴り、その全てで大理石のブロックが出現して服に食い込む。そして握っていた刀を爪先で蹴り飛ばす。
「もらった!」
その両肩を平手で叩き、瞬時に巨大な岩石を出現させる。プルートゥは一気に床に組み伏せられ、さらに岩は大きさを増す。
「が……っ!」
「ごめんね、貴女ならこのぐらいやらないと止められ……」
かちり、とスイッチの入る気配がして、しゅううと鳴る燃焼音。
「!」
私の感覚を吹き飛ばしつつ炸裂する爆炎。私は瞬時に岩を展開させるが、岩肌を回り込む衝撃波でノイズカットのヘッドホンが吹き飛び、体が大きく押されて十字路に置いた岩に背中をぶつける。
「ぐうっ……む、無茶苦茶な」
おそらく手榴弾か、しかもかなり火薬が多い。周囲の建物が吹き飛んで中庭と一体化してしまった。
「拘束など無意味です。不死とは再生。再生とは破壊ありき。必要とあらば爆発物ですべてを消し飛ばせば良いこと」
プルートゥは泥人形のように体が爛れていたが。それはすぐに回復して焼け落ちた服を一度消滅させ、再びパンツスーツを出現させると日本刀を拾い上げる。
「とはいえなかなか面倒な能力です。やはり排除しておくべきでしょう」
「くそっ、今度はその五倍の岩で……」
「無駄なことです。五倍だろうと百倍だろうと。あるいは鋼鉄の箱だろうと私を閉じ込めることなどできない。私には死はなく、封印されようとも爆炎とともに生まれ変わる。私は不死の概念そのもの……」
はた、とプルートゥの動きが止まる。
その足に黒い影がある。泥がかかったような……。
いや、その黒い塊は動いている。動いてプルートゥの体を這い登り、一気に腰まで。
「これは!」
「跳躍蟻」
その黒い群体が形を成す。腿から地面へと繋がるバッタの足のようなくの字構造。それがぎしりと鳴って、畳まれたかと思うと瞬時に伸び、プルートゥの体を軽々と飛ばす。
「うおっ……、こ、こんなもので!」
丁寧な跳躍にはほど遠い、コインを指で弾くようにプルートゥの体が回転し、屋根に落下する瞬間またくの字構造が生まれ、スレートの表面で収縮しつつ衝撃を吸収、直後にまた飛び上がる。
そこへ襲い来る黒いもや。秒速800メートルあまりの鉄槍がその体を包み込み。
その瞬間、彼女がどうなったのか誰にも分からない。
「あなた……」
私はそれを仕掛けた人物を見る。
彼女たちは行動をともにする事もあったはず。だが躊躇なく排除するとは……。
「……」
その人物は、氷山のように青白い肌。切れ長の眼にサファイア色の瞳。整ってはいるが、どこかこの世のものではないような美しさ。
「ノー・クラート……」
なぜ彼女がここに、確かイカロの母親だと聞いているが……。
彼女は灰色のロングドレスを着ており、その周囲に黒い蟻が集まってくる。確か繁栄とか呼ばれていたか、群体型ロボットだとか。
「……助けてくれてありがとう。でもあなたも敵なのかしら? 赤文字クリアを目指す走破者……」
ノーはごくわずかに首を振り、そっと腕を持ち上げると、驚くほど細い指で真上を示す。
「上……?」
「イカロとの通信は妨害しています。私は敵ではありません」
私の耳に直接届くような声。糸のようにか細いが、不思議な存在感があって明確に聞き取れる。
通信の妨害……いつぞや亜里亜もやっていたことだ。ノーなら簡単にやってのけるだろう。
そうしてみると、必要なものをイカロに出してもらうスタイルは簡単に妨害できることになるのか。それは憂慮しておきたい。
「こちらへ」
爆発で散乱した建材を避けつつ、中庭の別の入り口から建物へと入る。
そこはリビングのような部屋だったが、部屋の中央に大穴が空いており、そこに階段が設けられていた。明らかに元からあった内装ではない。工事現場にあるような仮設の階段だ。
「……」
何かの罠かとも思ったが、走破者にこの程度の事が罠になるとも思えない。彼女に続いて階段を降りる。
すると、板がもぞもぞと動いて穴が塞がれた。
「地下室を作ったの?」
「そうです、墓掘蟻で」
穴はそれなりの深さがあり、地上のすさまじい銃撃の音も、建物が倒壊と生成を繰り返す音も聞こえなくなる。ヘッドホンを無くしていたから有りがたかった。
やがて広い場所に出る。
床には石が敷かれ、壁はコンクリートで固められて簡単な部屋になっていた。
ここで戦う? なんだかそんな雰囲気でもないけど。
それ以前に彼女とはあまり戦いたくもないし。
「あなた、イカロのお母さんなんでしょ」
「はい」
「なんでイカロと一緒にいないの。イカロはあの年で独り暮らしなのよ。いくら賢いからって……」
「イカロが島を出るとは思っていなかった」
ガラスの板のように平板ながら、わずかに悲哀の肌寒さをにじませて言う。
「あの子には世界の変容と無関係な場所にいてほしかった。あの屋敷はそのために造ったのに」
「……お父さんの、つまり天塩創一の死について知りたいと言ってたわ、あなたは知ってるの?」
「父親……」
ノーは、そこで少し虚を突かれるような、何を問うているか分からないという顔になる。それが彼女に表情らしきものを見た最初だった。
「ただの自殺」
「ただのって……大変なことよ」
「人はいつか死ぬもの。走破者も例外ではない。あの人はこの世でやるべきことをすべて終えた。だからこの世を去った」
「何、それ……」
後頭部にふつふつと泡が沸くような感覚。やはりマトモではないのか、どいつもこいつも……。
「それよりも、私はあなたに教えることがある」
「……何よ」
「迷宮における創造の御技、体得していますか」
「一応ね」
私は手を前に出し、そこにこぶし大の岩を出す。
「そう、迷宮における創造とは、演算力の根を海馬まで降ろすこと。深層記憶にある経験が演算力を通して形を成す」
「だから産み出す当人の経験が重要になる、知ってるわよ」
「その御技には、更なる段階があるのです」
段階……。
「私はそれを教える。貴女なら体得できるはず」
「なぜ私に?」
「――ゲノム編集者が受け入れられる世界を作り、オリンピックで金メダルを取る」
一瞬どきりとしたが、私はもうメディアにも出る身だ。誰でも知ってることか。
「悪くない願いです。応援したい……」
「……そ、そう」
どうも掴みどころのない人物だ。何を考えているのか読めない。
「そのためには、この技を身に付けねばならない。その名を」
「……」
「迷宮世界」
Tips 火山岩
マグマが地表、または地下で冷え固まった岩石を火成岩といい、特に地表または地表近くで急に冷え固まったものを火山岩という。
火山岩にはおもに白っぽい流紋岩、灰色の安山岩、黒っぽい玄武岩の3種類がある。




