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迷宮世界のダイダロス  作者: MUMU
第七章 玉塔円転の魔境
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第七章 1




10月の初め。秋の色が日ごとに深まり、学生たちの袖が長くなる頃。


「みーずなー、元気してるー」


サチが背中にかぶさってくる。最近忙しくてあまり会えていなかったが、サチは変わらず元気そうだ。


「ねえねえ聞いた? なんかまた世界記録出たらしいじゃん。ミズナ大丈夫なの?」

「男子1500メートルでしょ、私は短距離だから関係ないわよ、ネクタルは短距離走にはあまり影響ないらしいし」

「そーなの? あ、今日みんなで集まってピーチパーティやるのー、ミズナも来ない?」


最近、学生の間で流行ってるパーティらしい。桃のスイーツを食べて盛り上がる他に、果肉を舌に乗せる遊びだ。

これはドラッグパーティーじみてるとの見方から、未成年は果肉を舌に乗せないように指導されている。しかし別に害があるとも思われておらず、ハイになるわけでもない。何より対象が桃では禁止のしようがないのが現状らしい。


「……ごめん、練習とか取材で忙しくて。……それと、鉢植えはダメよ、病気になったりするらしいから」

「やらないよー。それに桃の鉢植えいまめっちゃくちゃ高いんだもん、30万とかするのだよー、効果そんなに変わらないって言うけど」

「というかサチが桃食べても意味ないでしょ、あれはアスリートとかが」

「桃のコンポートとかケーキとかだけだよー、私が作るんだよー」


何でもないような、秋風吹く中での友人との会話。


その間、私の胃はずっとキリキリ鳴っていた。






――それより一日前。


「たぶん、ケイローンは種を撒いていたんだと思う」


三ノ須に無数にあるイカロの居室。私は部屋の中をゆっくり歩き回りながら言う。


「より新鮮な桃ほど効果が高いのなら、木に生った状態の桃を直接舌に当てる、という考えに至るのは必然。桃は10月ぐらいまで十分な量が出回るし、鉢植えで育てるなら11月から12月が植え付け時期らしいわ。ケイローンは桃の鉢植えが増えることまで計算に入れていた」


ダイダロスが三台ほど扇状に並び、そこに桃の栽培に関するwebサイトが表示されている。趣味としての鉢植えはすでに数万鉢は出回っているらしい。


「ダイダロスを通じて、鉢植えの普及を妨害しています」


イカロが言う。彼はダイダロスの一台を操作しており、複数の掲示板サイトが目まぐるしく表示される。


「桃は病害虫がつきやすいこと、皮付きのものは薬剤がかかっている恐れのあること、感染症やアレルギーのおそれなど。それとそもそも、アスリート以外が桃を使ってもあまり意味がないことなど……」

「鉢植えの取り引きを禁止にできない? そういう法律を作るとか」

「そうですね、栽培している桃の木を分解して接ぎ木にしている農家もあるようですし、これが一過性のブームであれば桃の需要の安定を脅かす可能性があります。その方向から危機を訴えることはできますが……立法となると難しいと思います。国会に働きかけるには時間が……」

「そこまで心配せずとも良いのではありませんこと?」


亜里亜はなぜか編み物をしていた。冬に向けてイカロのセーターでも作っているのだろうか。指の動きが凄まじく早い。


「体重が21グラム前後減る……奇妙な現象ですけども、それ以外に何も異常はないのでしょう?」

「……聞いたことあるでしょう? 魂の重さ、という話」


20世紀初頭、アメリカの医師ダンカン・マクドゥガルの行った実験だ。6人の被験者が死亡する瞬間の体重の変化を計測し、死ぬと同時にその体重が21グラムほど減少すると発表した。これが魂の重さであり、魂の実在を示す証拠であると……。

同様の実験は現代までも何度か行われ、2.5グラムだとか、25グラムだとか色々の結果がもたらされている。もちろん、オカルトとしか思われていないが。


そして桃の木と繋がることによる体重の減少、これは一度だけ起こるものらしい。

それは世界の片隅、名もない助教授が見つけたものらしいが、彼はそれを何らのオカルト的思想とも結びつけなかった。測定誤差ではないかと疑問を残しつつ、他の研究者に検証を任すとだけ言って分析を終えてしまったのだ。

そして今現在。その論文を検証しようとする機関は一つもない。

……うがった見方をすれば、研究が放り投げられたことにケイローンの介入があった、とも考えられるけど……。


亜里亜は編み目の数を数えながら応じる。


「でも、魂の存在だなんて……いくらなんでもオカルトですわ」

「……」


古来から、魂の所在、心がどこにあるかという問題は知識人たちの興味の対象だった。

かのレオナルド・ダ・ヴィンチは心が頭の中心にあると考え、死者の脳を切開してその場所を突き止めようとした。この行為は魔術的であるとして弾劾されることになる。


心の所在は文明や宗教によって異なり、心臓にあるとする考えもあれば、足にあるとする文明もあったらしい。


――古代エジプトにおいて、人間の意識は心臓にあるとされていました。


そういえば、あの刀を操る不死身の走破者。プルートゥはそんなことを言っていた。

やはり、彼女とケイローンのやろうとしてること、それは心の所在と何か関係があるのだろうか。


「……私たちは、心というものが何なのか、どこにあるのか、どんな形をしているのか知らない。それを知っている人は世界のどこにもいない。でもケイローンは何かに気付いたのかも知れない。もし魂というものが実在したとして、それを舌を通じて桃の木に移す……あるいは吸いとらせる……」


本当にそんなことが? 


それで世界をどのように変えようと言うのか?


「イカロ、ネクタルの発見の前後で、何か変わったことってあるの? 人の心について……」

「分析してみましょう」


イカロがダイダロスを操作すると、扇状に並んだ三台が一斉に沈黙し、次に吹き出しのようなものが出てくる。

吹き出しの中にあるのは言葉だ。世界記録、桃、マラソン、F1、ハリケーン、冬物、紅葉。


「これはここ最近、ネットワーク上に増えてきた「言葉」です」

「なんかテレビでそういうの見ますわね、急上昇ワードってやつですわね?」

「そう、これはダイダロスの力で世界中から集めてる。日本のものを除くと……」


欧州理事会、ASEAN首脳会議、アカデミー賞、収穫祭、秋にまつわるイベントが並んでいく。イカロはそれらも除外していく。


「明確に増えている言葉は、進歩、繁栄、桃、前進……桃を除けば前向きな言葉ですね」


Revolution of nektar 略してRONとか言ったか。桃による人間のアップグレードが世界に前向きな空気を与えている、ということだろうか。


「逆に減少している言葉は、人権、弱者、保護、援助、ボランティア……」

「……?」

「自殺、悩み、困窮、怒り、あるいはそれにまつわる言葉……が減少しています、ごくわずかですが」

「それって……」


嫌な想像が、虫のように背中を這い上がる。

ゼウスが話していたところによれば、ケイローンの目的は人間のアップグレード。誰かが導くのではなく、人がそもそも種として変わらねばならぬのだと……。


悪い想像が私の中でもやもやとしたタバコの煙のようなものになり、胸を圧迫するような感覚がある。その言葉を喉から出すだけでも息苦しい。できれば眼を閉じて一切を投げ捨て、この場から立ち去りたいような嫌悪感が……。


「――それは、もしかして、人が死を怖れる心。自分の死を、他人の死を、恐れる心を失ってるって事じゃないの。それによって、人間全体に一種の独善的な考えが生まれている……。進歩のためなら、誰かが死んでも構わない、と……」


あるいは、一人一人の変化はわずかかも知れない。


しかし、人間を一個の生命と考えたなら。

ほんの少しの性格の変化で弱者は滅び、強者だけが繁栄を独占する社会になるのかも知れない。


その想像は恐ろしい。人間が、外見はまるで変わらないのに、違う生き物になっていく想像は……。


「……試してみるしかないわ」


私は部屋の隅に眼を向ける。


そこにあるのは鉢植え。

高さは1メートルほど、プランターに植わった立派な桃の鉢植えだ。ダイダロスを駆使して購入した物だが、今は様々な噂のせいで高騰し、こんな立派な鉢植えなら50万はする。


「……大丈夫ですこと? さすがに心配になってきましたわ」


亜里亜が言う。だが、こればかりは小学生の亜里亜にはさせられない。それに、すべて私の妄想という可能性もあるのだ。

一応、体重の減少についてはデータがある。体重の減少は舌の圧着から3秒後より始まり、おおよそ15秒後に完了する。


「9秒……いえ、10秒後、桃を枝から切断。電流を流して」

「はい」


桃には、脳波検査のように大量の電極が埋め込まれている。遠隔操作できるカッターも。

おそらく魂の移動は一瞬ではなく、数秒をかけて腕を伸ばすように行われる。ならば電流によって桃にショックを与えれば、抜けかけた魂も戻るという理屈だ。思いつき丸出しの力技。なんだか沖縄のまじないにそんなのがあった気がするけど……。


「ミズナさん、準備は整っていますが、本当にどうなるか分かりません。実験結果をミズナさんが自覚できるとも限りませんし……」

「誰かが確認しないといけないの」


それをやるべきなのは、やはり走破者だろう。


私は鉢植えの前にかがみ込み、へたの部分に遠隔式カッターが装着された桃を手に取る。そして桃の一部を食いちぎって嚥下すると、その柔らかい果肉に舌を突き入れる。



……三秒



……五秒



「……み、ミズナさん……」



イカロの声が聞こえるが、何も違和感はない、一体……。



……七秒



……九秒



「切断します!」


ばちん、とヘタに装着されたカッターが動き、桃を切断すると同時に埋め込まれていた電極がスパークする。舌に感じる激しい痛み。全身の筋肉が反射によって収縮し、弾かれるように後ろに飛ぶ。舌を果肉に入れていた桃が、少し遅れて地面に落ちた。


「ミズナさん!」


イカロが駆け寄る。電流を強めにしていたせいで舌に痺れが残っている。口が爆発するような痛みだった。少し無茶だったか。

亜里亜も編み棒を捨てて駆け寄ってくる。


「だ……大丈夫ですの?」

「大丈夫……別に意識は失ってなかったから、ショックを確認してから後ろに飛んだだけ」

「ええと……、それで、何か分かりましたの?」

「え……それは」


何か分かったのだろうか?

私は、今……。


そして。


私は私の記憶を(・・・・・)自覚する(・・・・)。私の一部が経験したこと、を……。


瞬間。瞳孔が半分の大きさになり、全身から汗が吹き出す。肌が総毛立って指先までも硬直する。

眼球が激しく痙攣し、喉の奥から、叫びが。


「あっ……!」


喉から感情が、激甚なる魂の震えがほとばしる。

それは地下の一室でおさまらず、地上まで突き抜けるほどの声。


「っ! み、ミズナさん! とうしたんですか!? 落ち着いて!」


私は両肩を抱いて全身を震わせる。

大丈夫、ぎりぎりで耐えられる。落ち着け、呼吸を整えろ。岩場でパニックにならぬように行う呼吸を、深く吸って、肺で息を固める呼吸を繰り返せ。


ようやく震えが止まったのは数十秒後。

私は泣いていた。だが涙を流すことはストレスを低減してくれる。私は意識的に涙を止めず、泣き続ける。


そして恐怖を怒りに変える。桃の鉢植えを睨み付け、私は決然と呟いた。




「……止めないと」













Tips 桃の鉢植え


桃は果樹の鉢植えの中では比較的初心者向けである。

桃は熟すごとに糖度が増していくが、完熟すると実が柔らかくなりすぎて輸送に適さないため、未成熟の状態で収穫される。

鉢植えならばじっくりと完熟を待ってから収穫できるため、桃の本来の甘さを味わうことができる。


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[一言] 実家の桃が美味しかったのは完熟してたからかぁ。
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