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迷宮世界のダイダロス  作者: MUMU
第五章 蛙都嘯風の涯
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第五章 8



亜里亜が速度を上げる。ゴスロリの裾が激しくはためき、細かな飾りが風圧でちぎれ飛ぶ。


彼女にはいったい躊躇とか恐怖というものがあるのか。一気にケイローンとその騎馬に追いつき、一メートルもない車間で大きく前輪を持ち上げ、カカト落としの要領で牙を突き立てる。その馬、アレイオンは寸前で回避し、横のセダンの車列に割り込んで反対側に抜ける。なんという遠慮のない一撃、拡張世界とはいえ当たれば双方クラッシュする技をやるとは。


「お転婆なお嬢さんだ、馬の方がエレガンテをわきまえてますよ」

「ふん、バイクにエレガンテを要求するほど無粋なことはありませんわ!」


アレイオンがまた亜里亜の前に出る。二人はトラックとセダンの車列に挟まれるように走っていた。流れはどちらも順走、亜里亜がバイクを思いきり傾け、一瞬の減速の中で踵で地面を削りつつ、トラックの車列を抜ける。あの車間、わずか220センチを簡単に抜けるとは。


そして強烈にエンジンをふかす音。周囲の車体で乱反射を起こして音の洪水を発生させる。


躱猫猫(ダオマオマオ)(かくれんぼ)ですか、馬の視野は270度あるのですよ」


そして再び出現。それはセダンの車列からだ。消えたのと逆方向から現れた亜里亜が幅寄せを仕掛ける。それはNFLを越える、300キロオーバーのショルダータックル。


アレイオンの四肢が沈み、そして跳躍。


瞬間、世界から重力が消えるような眺め。

アレイオンの馬体がバイクのはるか上空にあり、胴体につくほど脚を折り畳んだ状態で飛ぶ。


それは生の視界でも見えた。白衣を背にした馬体が完全にトラックの上まで出ている。その白衣が風にはためき、翼となるような錯覚すら起こる。


「なっ……」

「馬の跳躍力のギネス記録は2メートル47、当然ながら、アレイオンはその比ではありません」


そして、上を見てしまった亜里亜は回避が一瞬遅れる。そのハンドルがアルミ製の荷台に接触、バランスを崩したと思った次の一瞬にはその体は車間に沈み、反射的にバイザーの中で眼をつむる私の横で、すさまじいクラッシュ音と爆発炎上が。


『亜里亜!』


イカロの声、炎と黒煙が後方に流れていく。そして私は奥歯を噛み締めつつ眼を開け、考えるよりも先に走り出す。


「イカロ! もうだいぶ来たでしょ、プレートはまだ!?」

『もっ……もうすぐです。向こうにはプレートの位置は……分からない、はず』

「イカロ、ショットガンを、なるべく口径の大きなものを」

『は、はい』


あのジャンプ力から見て、向こうも容易くトラックの上に上がれるはず。ならば銃で狙える。

だがいくら散弾とはいっても、撃ったこともない私が、この足場と風圧の中で当てられるか……!?


――だが。


アレイオンはついと一台のトラックに飛び乗り、ケイローンが軽快に降りて何かを拾う。


「!」


そしてアレイオンが飛び降り、ケイローンも後を追うように降りる。さっきの私と亜里亜のように鞍の上に降りたのだろう。


それは、劇的でもなく。


何ら抵抗の余地もない。


完全であっという間の敗北であった。




――そして、数十秒後。


『ミズナさん、演算力が……』


イカロの声を遠く聞く。私はトラックの荷台でぽつねんと立ち尽くし、茫然自失の体だった。


「なかなか良い戦いでしたよ」


ケイローンの声が届く。馬の足音も聞こえた。並走しているようだ。


「……」


事は終わった。

ならば切り替えるしか無いのだろう。


顔を見ずに話すのも失礼かと思い、私は斜め後方に向けて全力でダッシュしつつ飛び降りる。このトラックが時速44キロほど、私の瞬発力で得られる速度が35キロほどとして、相対速度で後方に体が流れるはず。それを意識して着地、腿を高く上げた足踏みをして止まる。


「……っと、ケイローン、なぜ、あのトラックにプレートが乗ってると分かったの?」

「天塩創一の迷宮は物理法則をすべてトレースしています、つまり、匂いの粒子もね」


私たちは互いに車間で止まる。ぶる、とアレイオンが短くいなないた。

きっと賢い馬なのだろう、俺の鼻で見つけた、と誇っているかのようだ。


「なるほどね……」

「どうですお嬢さん、私は優れた走破者を募っております。あなたもなかなか個性的で優秀だ、10億ドルで私に協力しませんか」

「……せっかくだけど、無理よ、私と、パートナーには目標があるからね」

「そうですか」


ケイローンはさほど残念がるそぶりもない。それを悔しいとも思わなかった。実力差はそれほどに大きい。


「あなたはなぜ……迷宮に挑むの?」


なんだか、出会う人間すべてに聞いている気がする。

私にとって他者とは、どんな目的を持つ人間か、という視点で判断されるようだ。それは、私もまた目的によって生きている人間だからだろうか。

目的が人となり、目的こそが人生なのか。そして人格なのか……。


ケイローンはふと目元から力を抜き、柔らかな声音になって言う。


「一言で言えば、憐れみでしょうか」

「憐れみ?」

「ええ、人間はとても大きな力を持っている。もし地球の全員が団結したなら、この世に不可能なことなど何もない。しかし悲しきかな、あるいは私利私欲のため、あるいは最低限の暮らしを守るため、自分という領域に閉じ込もって連繋できずにいる。私はそれを変えてあげたい。そのために人間に力を与えてあげたいのですよ」

「それが桃なの? 桃の遺伝子を変質させたのはあなたね?」

「ごくありふれた食材から、有用な栄養素が見つかる、よくあることですよ」

「……」


――何を企んでいるの?


その疑問を、言葉にすることは躊躇われた。

言って何になる。自己満足の質問で勝利者を非難するのか。それはただの捨て台詞、まさに投げ捨てるような言葉でしかない。


そう、勝ったのは彼だ。


その勝利を無粋な言葉で汚すことはやめよう。

迷宮の前では、誠実に振る舞うべきなのだから。


「また会いましょう、ミスター」

「ええ、いつでもお手合わせしましょう、お嬢さん」





「どのぐらい奪われたの?」


現実世界、三ノ須のどこかにあるイカロの住まいに戻ってくる。

亜里亜はというと額に濡れタオルを置かれ、ビーズクッションに頭を預けて眼を回していた。どうやらログアウトの際にショックがあったらしい。


「ううーん……12スト水冷エンジンの配管はもう嫌ですわ……目が回りますわ……」


妙な夢を見てるけど、まあそっとしておこう。


イカロはダイダロスを操作し、手持ちの演算力を確認しているようだ。


「先日、プロメテウスから獲得した分もありますので、致命的というほどでは……あまり余裕はありませんが」


さほど演算力を浪費してなかったのが効を奏した形だ、あまり威張れることでもないが。


だが、問題はそれではない。

ケイローン、あの男は何をしようとしているのか。


彼が次に潜るのは35日後、それまで世界は形を保っていられるだろうか。


人々は気づけない。

ある日、世界が変貌したとしても。

まったく違うものに変わっていたとしても、私を含めてそれに気づけないかもしれない。どこかの砂漠が森になったとしても、曜日が一つ二つ増えたとしても気づけない。演算力を持たないものには、その戦いは認識できないのだから。


「とりあえず、次の機会に備えて訓練を積みましょう。迷宮にも潜って、演算力を少しでも集めて……」


携帯が鳴る。


部屋の片隅にあったバッグ、私のスマホのメール着信音だ。


「サチかな……ちょっと待って」

「はい」


イカロはまだ操作を続けていた。私はスマホを取り出してメールを確認する。


……。


「イカロ」

「はい、どうかしましたか?」


私は頭の中でスケジュールを確認する。とりあえず三日間、公的なお仕事はスポーツ雑誌へ寄稿する文章だけ。それは今すぐやれば二時間で終わる、よし。



「私、ちょっとアメリカ行ってくる」







「ディープレッド・アンダーナイン」とはアラバマ州の沖合い20キロ、メキシコ湾内に存在する海洋油田プラントである。


だがそれは表向きで、ヘリにて到着した私を出迎えたのは軍人だった。


「ようこそ地の底へ、歓迎いたします」


インカムに装着した自動翻訳ユニットは軽快に作動している。私はその手を握り返す。やたらと階級章の多い人物だったが、腕はがっしりと太くて力強い、叩き上げという印象があった。


そこからエレベーターで地下へ。

扉を抜けるとそこはコンクリート張りの空間だった。かなり広く作られた廊下で、エレベーター前には軽機関銃を捧げ持つ軍人二人が控えている。


途中でいくつかの部屋を通りすぎる。鉄格子のはまった部屋には両手脚を革手錠で拘束された老人。床をかきむしっている長身でアラブ風の男。ブロンドの髪を持つ美女もいた。

だがその他の多くは色白で、言ってみればサラリーマン風だった。あまり筋肉質でもなく中肉中背、部屋の隅には物書き用の台が置かれており、鎖に繋がれた拡大鏡が置かれている。


「なんだか、みんな犯罪者って印象じゃないんだけど」

「ここは知能犯を専門として収容しています。あの男はホワイトハウスから4000万ドルを盗んだ傑物です。あちらの老人は弁護士ですが、企業相手の詐欺の常習でした」

「こんなに厳重にしなくても……逃げられやしないでしょう?」


ここは海面下140メートルの世界。海底に築かれたドーム状の施設だ。

公的には存在しない刑務所であり、収容者は公的にはアラバマ州立刑務所に収監されている事になっている。

対象者は懲役80年以上か終身刑、そして死刑の者に限られるのだとか。


しかし彼らに肩の関節を外したり、鉄格子をこじ開けたり、水面まで140メートル、そして陸地まで20キロ泳げる体力があるとは思えないのだけど。


「優れた知性というのは、国の宝ですからね」


案内してくれた人物はそうとだけ言って、含むように笑う。つまりは、彼らは殺すのが惜しいほどのVIPなのだろう。何かに利用するつもりなのか。アメリカのしたたかさに今さら驚いてあげる気もないけど。


「ここからはお一人で行かれて下さい」


検査は厳重だった。レントゲンにCT検査、衣服も下着から何からすべて支給されたものに着替え、眼底検査まで受けたのだ。過去のどこかで、眼球の裏側に何か隠して持ち込んだナイスガイがいたのだろうか。

私はカーキ色の作業着のような姿になる。胸の膨らみが分かりにくい縫製になっているあたり、相手を興奮させまいとする配慮だろうか。


「はーい、レクター博士、って呼び掛けたら笑ってくれるかしら」

「すっとモニターしていますが、ここ五年ほど彼は笑っていませんからね、無理でしょうな」


軍人の態度は段々とピリピリしてきている。最後の扉から覗く通路、その奥に一つだけあるアクリル張りの収監室。その内部にいる人物を恐れているのだろうか。


私が歩き出すと、どこかで銃の装弾レバーを引く音がした。背後から兵士が来ているのか、それとも見えない位置に銃眼でもあるのか。


そして私は歩き、アクリル板の前に来る。

厚さ8センチのアクリル板。壁はコンクリートの打ちっぱなしであり、通気窓はビール瓶が入るほどの大きさしかない。


彼はそこにいた。金髪をざんばらに乱した男。簡素な白ツナギの囚人服だけを着ている。


やせ細っており、ほとんど骨と皮だけ、そして部屋の片隅に座ったまま、うろんげな眼を私に向ける。


疲れきっている。


彼に抱いた第一印象はそれだった。彼はあまりにも疲弊している。肉体的にも、精神的にも。


部屋にある家具と言えば、便器らしき穴のほかには、ホワイトボードが一つだけ。


彼と私はしばらく見つめあっていたが、やがて私は、彼が確実にそうだと確かめる意味も込めて、そっとその名前を呟いた。





「……ゼウス」













Tips 馬のドーピング


競馬における馬のドーピングについては各国とも大枠の基準は同じであり、「その馬の競走能力を一時的に高め又は減ずる薬品又は薬剤」を禁止するとされる。

なお、世界で初めて行われたドーピング検査は競馬でのそれだった。1911年、ウィーンでのことであり、コカインなどに含まれるアルカロイドが検出されたという。


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