第四章 6
それから数日。
私は合宿をこなしつつ、夜は迷宮に潜るという生活を続けた。スプリンターはさほど練習時間が長くならないとはいえ、睡眠時間は十分に確保せねばならず、迷宮に潜れるのはせいぜい二時間である。
カレー作りの課題は本当に難しい。最初は鉄塊しか出てこなかったが、多少は成長できたのか、アルミ塊も出るようになった。
イカロはというとトレーラーハウスにて生活しており、オリンピックに関する世論操作と、迷宮についての調査も続けていた。
一番忙しかったのは亜里亜だ。私の合宿に付き添いつつ、日に何度も合宿所とトレーラーハウスを往復して、イカロに弁当などを届けたり、洗濯物を回収したりしている。それ以外にあの能勢さんの所にも通っているようだ。
「今日はここまでにしましょう」
ログアウトしてきた私をイカロが出迎える。いや、私はずっとイカロの前に座ってたので、なんだか妙な気分だが。
トレーラーハウスの中は殺風景であり、簡易的なベッドに小型の冷蔵庫と発電機、……本当にそれだけだ。今日は亜里亜は用事があるとかで姿が見えず、私とイカロだけだった。
「イカロ、ホテルに泊まったら? というか三ノ須の利用してる合宿所なんだし、イカロの泊まる部屋ぐらい用意できるでしょ」
「いえ、僕は……一人の方が落ち着きますから」
「……」
イカロには生活感というか、小学生らしい生々しい感情が希薄だった。
行動の全てに外界への関心の薄さ、世界のすべてを「それどころではない」とでも切り捨てる背を向けた気配がある。
私は、イカロが迷宮に挑む理由について深く聞いたことはない。彼が話さなかったからだ。
「イカロ、彼女は信用できるの?」
だが、いつまでも待ってるわけにもいかないだろう、最低限プルートゥのことは聞かねばならない。私は話を切り出す。
「……いえ、僕は、オリンピアについてはまったく知らないんです。父が話さなかったので」
「あのノー・クラートって女は?」
「……あれは僕の母です」
目を伏せてそう答える。私は少なからず驚いたが、顔には出さない。
「僕はどこかも知らない孤島の館で八歳まで育てられました。母は年に二ヶ月ほどは家にいましたが、父とはほんの数回しか会っていません」
「数回……」
天塩創一、希代の天才であり、迷宮とダイダロスを残した人物、イカロの父親。
断片的に聞く彼の印象はけして良くはない。何を考えていたのか知らないが、その行いのために多くの人の人生が狂わされ、世界に何かが起ころうとしている。それを悪だと感じていたなら悪党だろうし、善なることと思っていたなら、より最悪かも知れない。
「僕は、父の死について真相が知りたいのです」
「……真相」
「父は理解しがたく、自分の世界に埋没するような人間でしたが、自殺するようには見えなかった。もし父の死にオリンピアの誰かが関わっているなら、その人物からは演算力を奪いたい、司法によって裁かれてほしいのです」
「……」
ひどい演説だ、私は冷淡にもそう思う。
およそ小学生らしい語彙が見当たらない。淡々としていて短く、それでいて意固地さがある。
そして激情もない。父の死について知りたいというのが本当だとしても、それは父への愛着ゆえだとか、正義感だとかの理由ではないと思える。
イカロは、自分を囲む全てに怒っている、ふいにそんな風に思う。
迷宮を走破することが父の死に迫る道、それは分かる。
しかし彼自身の内側には常にちろちろと燃える黒い火があり、彼の内臓を炙って怒りの熱を与えている、そんなイメージが浮かんだ。
普段はあまり意識されない彼の丸メガネも、その怒りを外に出すまいとする覆いなのではないか、と。
「父の死に誰が関わってるのか分からない以上、元であってもオリンピアのメンバーと連携を取るのは……」
「……そうね、プルートゥもそうだけど、私たちはオリンピアについて何も知らない。少なくとも相手を知るまでは、手を結ぶべきではないでしょうね」
「……申し訳ありません」
なぜ謝るの、イカロ。
その時、トレーラーハウスの戸が開く。
「イカロさま! ちょっとミズナさんお借りしますわ!」
※
「急にどうしたの」
「合宿はあと二日でしょう? そろそろ能勢さんの件を検討しないと間に合いませんわ! 情報は集まってきましたから、今から捜査会議ですわよ!」
あれ本気で取り組む気なの? とは言わなかった。
到着したのは合宿所、三階にあるミーティングルームだ。他の部員はそろそろ消灯時間のため、部屋にいるだろう。
「あ、これ」
ダイダロスが設置してある。しかも廊下には清掃中の看板まで出して人よけをしていた。
亜里亜が背伸びしつつダイダロスを操作すると、先日の祐徳稲荷神社の写真、それが拡大し、カメラがその画像の中へと入っていく。
ダイダロスの中に3D空間が出現している。並んで写る二人をぐるりと回り込み、やぐらに組まれた社殿に沿ってカメラが動く。
周辺の山並みや川の流れ、他の神社や博物館らしき建物が散らばる眺めを映し出す。美しい森と山のパノラマだ。
「イカロ様から演算力をお借りして、写真を元に拡張世界を作成しましたわ。祐徳稲荷周辺の地形データを作成し、衣服については類似のものを通販サイトのデータから集め、背面も再現してますわ」
「すごいじゃない、これで何か分かったの?」
「いえ何も」
私は椅子の上でコケる。
「しかもこれ全感覚投入しようとするとエラー出まくるのですわ。20時間もかけて作ったのに、やはり素人に拡張世界の作成は無理がありましたわ」
行動力がすごすぎる。
その立体画像は消えて、元通り平面的なピンナップに戻る。横には免許証らしき画像も浮かんだ。操作はイカロに比べると大分ぎこちない。
「私はこの数日の間、あちこちを回って情報を集めましたの。すでに能勢公子さんの御主人、能勢六星さんについて50人からの証言を集めましたわ」
亜里亜いつ寝てるのマジで。
「六星氏は茶園の社員として45年を勤めあげ、けして抜きん出た優秀さやリーダーシップはなかったけれど、丁寧な仕事ぶりは信頼されていましたわ」
「六星って書いてすばるって読むのね」
どうでもいいコメントになってしまった。
「六星氏はSNSもやっておらず、コンピュータにも疎い人物でしたわ。社内で浮いた噂もなく、女遊びの気配もなかった」
「まあ真面目で善良な人って感じね、ところでなんで免許写真なの?」
「仕方ないのですわ。能勢公子さんが、御主人に関するものをすべて処分しているのです。もともと写真などは残さない人だったそうですけど」
「……怒ってるのね」
「徹底してますわ。御主人の着ていた服、履き物、御主人の買った本や食器まで処分してますわ」
結婚していたという過去すら消し去る勢いだ。女の恨みはそこまで恐ろしいのか。
「ん、でも免許証は残ってたの?」
「これは運転免許の管轄、県の公安委員会のデータベースから持ってきましたわ」
「ちょっと!」
私は叫んでから頭を抱えてしまう。亜里亜は構わず話を続ける。
「やはり妙なのですわ。数年に一度の旅行の時だけ出会う逢瀬の相手、そんな失楽園みたいなお洒落なものを作れる殿方には見えないのですわ」
「失楽園って亜里亜トシいくつよ」
とはいえ、何かがおかしいとは思えてきた。
そもそも女としての勘で、亜里亜より私の方が優れているとはとても言えない。亜里亜が違和感を覚えるなら、やはり何かが潜んでいるのだろう。
「一応、能勢六星さんの出身校、学生時代にアルバイトをしていたコンビニと居酒屋、茶園に勤めていた社員、その辺りを追いましたけど、この写真に写ってる女、能勢公子さんに似ているこの方は見つかりませんでしたわ」
「……」
そう、これだ。
いくら調べても浮気の証拠が出てこない。
それなのにあんなに明確な物的証拠は残している、この違和感は何なのだろう。
「女の素性は追えないの? 着ている服とか、バッグとかで」
「それなりに高価なものですけど量産品ですわ。六星さんの方もなかなか良いセンスしてますわね。紺のテーラードジャケットに馬革のモンクストラップシューズ、カジュアルな装いですわ」
「分かるの? 画像分析とかで?」
「一目で分かりますわ」
そうなのか。私は通行人を見ると何のスポーツやってるのか分かるけど、そんな感じかな。
「でもなんだか……茶園の真面目な社員ってイメージにそぐわないわね、洒脱な遊び人って感じ」
「あら、あの公子さんとご結婚されたのですもの、やはり男性としての魅力も備えていたはずですわ」
「……」
確かに、そこまでハンサムではないけれど、こざっぱりとした印象だ。ナンパをすればそこそこ成功するだろう。
それなのに茶園では浮いた噂がない?
それはまあ、同じ職場に奥さんがいたのだから当然とも言えるが、たまの旅でのみ風雅な装いを?
何かがおかしい。その感覚が最初からずっと続いている。
最初の一手、ことの始まりからボタンをかけ違えているような。
最大の違和感は写真の存在そのものだ。なぜあんなものが残ってるのだろう?
「……能勢六星さんの死因は何なの?」
「すい臓がんですわね。発見されたときにはすでに転移もあって手術はできず、抗がん剤と放射線療法を続けてましたが、発見から二年であえなく」
「二年……おかしいでしょ? それならずっと入院ではないはず、写真は処分できるはずよ」
「きっと存在を忘れていたのですわ」
「……」
そうかも知れない。
だが、それ以外の可能性はないだろうか。
「まったくツメの甘い男ですわ、せっかく死ぬまで隠し通したのに、最後の最後で失敗するなんて」
……ん?
失敗している?
「ちょっと待って、本当に失敗だったの?」
「え?」
「写真がこの世に残る可能性……それは処分できなかったか、忘れていたか。もしくはわざと残したか。もし写真を残したことが失敗でないとしたら?」
「? どういう事ですの? 浮気を見せつけようと? そんなこと意味がありませんわ」
「ちょっと待って……」
前提が間違っている?
能勢六星さんは何も失敗していない。狙い通り写真を残し、そして狙い通りに公子さんが見つけた。そして狙い通りの効果がすでに起こっている、としたら。
「……前提をすべて疑ってみましょう。当然と思っていた事を証明していくの。まず、その写真は本物の写真なの?」
「やってみますわ」
ダイダロスを操作する、多少もたついたが目的のアプリを呼び出し、写真に加工の痕跡がないかが評価される。
「加工の可能性0.2パーセント、まず間違いなく本物ですわ」
「その場所は祐徳稲荷神社なの?」
「拡張世界を作ったのですもの。このような櫓の組まれた社殿はたくさんありますけれど、間違いなく祐徳稲荷ですわ」
「写っている女性は公子さんじゃないのね?」
「いちおう顔認識にかけますわ。……一致率ゼロ、やはり別人ですわ」
一見すると印象は似ているが、やはり機械にかければ歴然としている。別人だ。
「では……」
残る可能性は一つ。
「写っている男性、それは能勢六星さんなの?」
「な……」
亜里亜がさすがに目を丸くする。それはそうだろう、私だって突拍子もないことを言ってると分かっている。
「そんな馬鹿なこと……」
「いいから、顔認識にかけて」
「……」
亜里亜は渋々といった様子で手を動かし、顔認証アプリが評価を行う。免許写真は無表情で、ピンナップの方は明るい笑顔だ。表情は違えど機械はさまざまな角度で顔を数値化し、比較していく。
そして弾き出した答えは。
「一致率……1パーセント!?」
亜里亜が声をあげる。絶対に合うはずと思っていた鍵が、何度力を込めても動かないような違和感がある。
「ほぼ確実に別人……。ど、どういう……」
「いいえ亜里亜、答えに近づいてるわ」
混乱しかける亜里亜を言葉で押し留める。
「ようやく分かってきた。なぜ写真に写ってる二人ともが別人なのか、なぜこの写真を残したのか、そしてなぜ、公子さんはあんなに激昂して、御主人の遺品を処分しているのか……」
導かれる答え、それは人生の深淵に潜むもの。
大いなる迷宮の最奥に潜むのは、財宝か怪物か……。
Tips 顔認識
人間の顔を数値として捉え、本人確認などに利用するシステム。2009年ごろから精度が飛躍的に向上し、セキュリティやビジネスと結び付いて発展していった。
顔による認証は2020年現在において爆発的な普及を見せつつあるが、血縁関係の証明や、人物の同定に使われることは一般的ではない。




