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迷宮世界のダイダロス  作者: MUMU
第四章 夜遊無垠の邦
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第四章 2



そして日は移り。


周囲は山と森しかないような立地。街の喧騒は遠く離れて、蝉の声だけが壁の中から響いてくるような田舎である。そこに女子陸上部の甲高い掛け声が響き、応えるかのように山鳥がケーンと鳴き返す。

目の前では400メートルリレーの練習が行われており、私は用具の整備をしていた。


「でもそういえば不思議よね、なんで個人主義の三ノ須に合宿があるんだろ」


私の横でストレッチをしていた女子がそう言う。私は練習のときはハーフパンツが多いけど、今日はみんな赤褐色のスポーツブルマだ。揃いの服を着ていると集団の一員という実感が湧いてくる。


「ここって昔は日本代表の育成用施設だったらしいよ。日本中から選手を集めて合宿させて、別の競技にスカウトするのが目的だったみたい。今はそれはやってないんだけど、合宿だけは残ったみたいね」


私の答えにその女子は「ふうん」と曖昧な返事を返す。


設備はさすがというべきか一流のものだ。ほとんどの競技に対応した練習設備があり、マシンも充実。管理栄養士やトレーナーも常駐している。


かの東京五輪の際に、「トップアスリート発掘・育成事業」というものが行われた。

これは高校生から強化してもメダルが狙えると言われる七種目、すなわちレスリング、ボクシング、アーチェリー、ウェイトリフティング、カヌー、ボート、自転車について選手を発掘し、強化するという事業だ。特にボートは柔道などから有望な選手が多数見つかったと聞いている。

その事業は後にスポーツクライミング、BMXなどにも拡大されたが、同時期に短距離走についても大幅な強化システムが計画された。

その理由はもちろん2016年のリオデジャネイロ五輪だ。あの大会で日本代表が獲得した400メートルリレーの銀メダル。あれが上から下までいろいろな人を奮起させたらしい。陸上選手はときどき一つところに集め、別種目への適正を見いだしたり、リレー選手としてスカウトする仕組みが作られた。

そんなわけで、三ノ須の合宿もそのような文脈から生まれたものらしい。


合宿所の裏手には自転車のコースやカヌー・スラロームも整備されており、希望すれば体験もできる。個人的にはスポーツクライミングの設備に興味があった。それなりに心得もあるし。


私もその日は精一杯の練習に打ち込んだ。スプリンターのトレーニングはとにかく何本も短距離を走ることが主だが、私は短めのダッシュに加え、ウェイトトレーニングも組み入れていく。


「うわ、ミズナすごい、70キロのジャークじゃん」


足腰と腕の力を使い、バーベルを肩の高さまで抱えあげ、一気に頭の上まで持ち上げる。ジャークは全身の速筋に刺激を与えるため、筋サイズの拡大とパワー増強に役立つ。

そして腹筋。これは様々なやり方で何百回も行う。一日のメニューが終われば夕食、タンパク質をたっぷり接種して筋肉を分厚くしていく。


「ミズナー、そんなに食べていいの? ウェイトついちゃうよ」


投擲競技の子がそう聞いてくる。


「私は中央にウェイトつけていく方針で行こうかなと、まだ成長期だし」

「ふーん、でも合宿所の料理って随分オシャレだね、生姜焼きと豚汁みたいなのかなと思ってたけど、フレンチとかもできるんだってさ」


私のメニューは夏野菜がたっぷり乗った大盛りのパスタに、鶏もも肉のソテーを400グラム。デザートはラムレーズンのアイスだ。大会直前ぐらいになれば糖分は控えるけど、今は練習をこなすためにエネルギーを蓄えておきたかった。


かつてスプリンターが筋肉をつける行為は、体重が増えすぎて不利になると言われていた。

しかし1980年代と比べて、トップスプリンターの平均体重は5から10キロ増加している。おもに筋肉を増やしてウェイトとパワーをつけ、手足を豪快に振り回して加速力を得るのだ。それが世界のトレンドであり、日本でもそれに追随する形でウェイトをつける選手が増え始めた。

走るという行為は脚だけで行うものではなく、一種の振り子運動である。重心が足の先に寄っていると、振り回す抵抗が大きくなってスピードダウンに繋がる。また、走る際にパワーの起点となる筋肉はやはり大臀筋や腹筋であって……。


そういう話をしているうちに夜になった。


「ねーねー、ここロウリュサウナあるらしいよ」

「私は打たせ湯がいいかな、ももパンパン」


ざわざわと、脱衣場には桃色から褐色まで肉体がひしめいている。

別にそう取り決めたわけではないが、なんとなく夕食が終われば浴場が混み始める。三ノ須の高等部における陸上部は総数400名ほど、合宿参加者は160名ほどだが、そのぐらいになると町の銭湯の眺めだ。


「はー、やっとバスタイムですわ、長旅の垢を落としますわ」


ぺたぺたと、柔らかな足音で浴場へ向かう人物に素早く視線が向き、その肩をぐいと掴む。


「ちょっと亜里亜、なんでここにいるのよ」

「なんですの? ここは職員も利用できますのよ」

「いや、同行するとは聞いてたけど、それはあれでしょ、迷宮(アレ)のために、だから近くにホテルでも取るのかと思ってたけど」

「なになに? ミズナ、知り合いなの?」


亜里亜が小学生だからというだけでなく、その柔らかな黒髪と人形のような顔立ちはやはり目立つ。他の部員たちがぞろぞろと集まってきた。


「ふふん、私は亜里亜ですわ! ミズナさんの専属トレーナーですのよ!」


両の腰に手を当てて胸を反らす。ちなみにタオルとかは巻いていない、堂々としたものだ。


「トレーナー!? そうなのミズナ?」

「え……いや、えっと、ま、まあ、そんな感じ……かな」


そして練習でついたホコリを落とし、ラベンダー入りのハーブ湯に入る。浴槽はたくさんあるが、ここでも多くの部員が体を温めていた。

私は隣の亜里亜に耳打ちする。


「何よトレーナーって」


髪を見事な山型にまとめた亜里亜が、ふうと息をついてこちらを見る。彼女は顎までつかるタイプらしい。


「そういう設定の方がいいですわ、学内でもたまに会うことになるでしょうし」

「妹とかでいいでしょ」

「それは私がイヤですわ。レディですのよ、妹キャラなんてできませんもの」


つんとそっぽを向いてしまう。亜里亜のさじ加減がよく分からない。


「それに嘘というわけでもありませんわ、さっきの料理は私が作りましたのよ、良くできてたでしょう?」

「そうなの?」


確かに量も内容も、あらかじめ出しておいた希望通りだけど。


「ダイダロスで弾き出した強化メニューですわ、そのへんの専門家より計算されていますわよ」

「それはまあそうかもだけど……でも本当にトレーナーやってるならなんで今入浴するのよ、職員の入浴時間って選手の後になるんじゃないの」

「何言ってますの」


つまらないことを聞くものだ、という風情で肩をすくめる。


「ピチピチの陸上女子と入浴できるチャンスですのよ、割れた腹筋とかシャモみたいなフトモモとか見ておくべきでしょう!」

「おじんくさい……」


もぬ、と、ラベンダー色の水面下で違和感が。


「うわっ!?」


いきなり腹筋を揉まれた。私は水を蹴立てて退く。


「うわ、エグい腹筋してますわ、カッチカチですわ」

「何すんのよ!」


もぐ、と今度は大腿筋に感触、揉むというより思いきり鷲掴みされる。


「うひゃっ!?」


距離的に亜里亜ではない、真後ろから来た。

振り向けばそこには、顔を紅潮させて集まった陸上部員たち。みな湯の中に手をついて雌豹のように構え、私の体をまじまじと見ている。


「ちょ、ちょっと何すんのよ」

「す、すごかった、指を押し返してきた。ほんと腿の張りがすごい、どんな体脂肪率してんの?」

「ミズナ腹筋いくつに割れてるの? ヒットマッスルとかどうなってる? というかミズナってクライミングもやってるよねそういう指してるもん」

「えっちょっと待って」

「いいじゃないの女同士なんだし」

「腋のリンパ揉んでもいい?」

「大臀筋と大腿二頭筋と半腱様筋のあたり写真撮っていい?」


そして女子部員の群れが覆い被さり。私の叫びは湯に呑まれる。







「ひ、ひどい目に遭ったわ……」


多少げっそりとして、私は夜の涼しい風の中を歩く。山々から夏のほてりがぬぐい去られ、ゆるゆると西の空に流れていくような風だった。


「モテモテでしたわね」

「うっさいわね!」


前を歩くのは亜里亜だ。私たちは合宿場から歩いて20分ほどの場所へ向かっていた。


「合宿もいいですけど、迷宮の攻略もやりますわよ」

「分かってるわよ……」


目的地にはイカロがダイダロスを用意して待ってるはずだ。私の目的についてはダイダロスの演算力を使って世論への干渉を進めているが、演算力は常に集めないといけない。


それに、あの連中。

プルートゥ、ノー・クラート、ミノタウロス、そしてアポロとも再び迷宮で会わないとは限らない。あの連中がどんな目的で走破者になったのか知らないが、私たちとは演算力を奪い合う関係になるだろう。常に迷宮に潜り続け、研鑽を積まねばならない。

どうせ拡張世界では肉体的な疲労もないことだし、練習のインターバルに迷宮に潜るのもいいだろう。


「……でも意外ね亜里亜。私が合宿に行くなら、亜里亜が一人で潜ると言い出すかと思ったのに」

「ふん、迷宮の難易度ぐらい心得ているでしょう? 一人で何もかもクリアできる世界ではありませんわ。わたくしの及ばない部分をしっかり補って頂きますことよ」


多少は仲間と認めてもらえたようだ。私だって亜里亜は頼りにしている。二人なら大抵の迷宮は戦っていけるだろう。


「それにしても不気味ですわ、お墓ですわよここ」


右側には墓地が見えている。鬱蒼としたそれではなく、整然と手入れされた真新しい霊園だが、さすがに夕暮れ時を過ぎると不気味さが出てくる。それが亜里亜のゴスロリと不思議な調和を見せていた。


「……ん、誰かいますわ」


亜里亜の指差す方を見る。少し遠いが藪の向こう側、霊園に整然と並ぶ灰色の墓石が見える。そこに薄紫の着物を着た女性がいる。

顔には深いシワが寄り、髪も灰のように真っ白になっている老婦人だ。しかし年齢の割に腰はすっきりと伸びており、夕涼みの風に吹かれる様には凛々しさが漂う。


老婦人は水桶と一升瓶を用意しており、柄杓で掬った水を何度か墓に浴びせる。


「……ただの墓参りでしょ、行きましょ」

「様子がおかしいですわ」


……?


おかしいの? 別にどこにも違和感はないけど。

そういえば墓石の上から水をかけるのは間違ってるなんて話もあるけど、そうやって参拝する人も普通に見かけるし。


老婦人は水桶を置き、日本酒の一升瓶を手に取る。


「……?」


老婦人は瓶の口のあたりを持っている、栓をしたままで頭の上まで持ち上げると。




力の限り、それを墓石に叩きつけた。











Tips ジャーク

ウェイトリフティングの種目の一つ、クリーン&ジャークとも言う。床に置いたバーベルを一度鎖骨のあたりに持ち上げ(クリーン)、直立してから頭の上に差し上げる(ジャーク)。

全身の様々な筋肉を使い、筋肉のサイズアップと瞬発力をつける効果が高い。


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