第三章 7
「亜里亜、大丈夫?」
私は空に向けて話す、イカロが中継してくれるだろう。
だが地鳴りのような轟音の中で、空隙だけが返る。
『亜里亜さん、応答ありません。ですが現実世界でも目覚めてはいません。崩落によって電波が乱されているのか、それとも脱出不可能な状態になったまま、通信機も壊れたものかと。このサポートの起点はミズナさんですので、亜里亜さんを直接探すことはできません』
「そう……無事だといいけど」
今の崩落で地上もかなりの被害を受けた。傭兵たちもほぼ全滅だろう。
そして下方を見る。まだ粉塵に包まれた地上から、雲を突き抜けて伸びてくる影。それはおそらく128階建て、高さ500メートルを越えるビルだ。
ゴールの高さは1025メートル。おそらくこの次の段階が天に至る塔となるはず。
では、私はこれに乗るべきか。
決まっている。乗るしかない。
「イカロ、マットを」
『はい』
空中から生まれるのは白い体育用マット、それを構えて跳ぶ。
着地と同時に真上に突き上げられるような衝撃。速度は列車なみになっている。万一にもバウンドで落ちないように前に転がりつつ受け身をとる。
「ぐっ、あつつ……」
全身を打ったもののなんとか飛び乗った。私は立ち上がって周囲を見る。
本来ならこれだけの高層ビルなら色々と設備がありそうなものたが、瓦礫が山ほど散らばってるだけの殺風景な眺めだ。落下防止の柵らしきものも無い。それは再現の手間を惜しんだというより、屋上を飛び回るゲーム性のためだろう。
……さて、あとはこのビルと同じ高さのビルが衝突する際、どうやって生き残るかの問題だ。だが方針は見えている。
「イカロ、パラシュート出せる? ビルが崩壊するとき、一度外側に飛び出て、次のビルが伸長してくるのに合わせて飛び乗るわ」
『はい、ですがパラシュートでのそのようなUターンは高度な技なのでは、経験は……』
「ないけど、やるしかないでしょ、風で流されないことだけ注意しないとね」
このビルも水平に移動しているが、慣れもあってあまり感じない。眼下では今も衝突と崩落が続いている。
「……」
私はビルの動きを目で追う。中小のビルが足元でくっつきあい、やがて大きなビルとなって……。
「……イカロ」
『何でしょうか』
「……この高さなら観測できるでしょ、すべてのビルを2048におけるピースに置き換えて、ゲームの進行を予想して。ゲームはここまで100手以上動いている。操作のパターンも可能な限り解析して」
『分かりました、今……』
夕焼けを背景に、百年以上もの都市の歴史を早回しで見るような眺め。
そして私は気づく。
「違う……ここじゃない!」
『ミズナさん、おおよその予想が出ました。組み上がる最後のビルはおそらく、夕日の方角に80メートル先の……』
考えてみれば予想はできた。一番高いビルに乗り続けていればゴールというのは安易に過ぎる。このゲームはどの区画で大きなビルが育つか、それを見極めるゲームでもあるのか。
……しかし、競争相手がいないなら問題はないはず。気の遠くなるような話だが、ビルを降りて階段かエレベーターで登れば……。
いや、駄目だ。
2048は、目的の2048を作っても祝福のメッセージが出るだけで、ゲームは終了しない。さらに何百手とパズルを続ければ、4096も、8192も作ることが可能なのだ。
では、この迷宮で256階建て、1024メートルのビルを足元から登れるか。
それは……それは不可能だ。高速のエレベーターがあったとしても、登りきるまでそのビルが存在し続ける保証はない。それに第一、ビルの平均の高さが500メートルを越えるようになれば、下界はまさに神の怒りのような光景。とても移動できる場所ではなくなる。
つまりゴールの1025メートルというのは、物理的にゴールにたどり着くことが可能なギリギリのラインなのだ。おそらく、本来は屋上を伝って渡れるルートがあったはず。それを見極める余裕さえあれば……。
「……飛ぶしかないわ。イカロ、ハンググライダー出せる?」
言うと同時にがしゃりと落ちてくる。
『ですがミズナさん、あのレーザーが』
「……ビルからビルに飛び移るのはオーケーなんでしょ、屋上から水平に移動するだけなら狙われないと思うけど……」
正確には、狙われないと思いたいけど、だ。
私は屋上に散乱した瓦礫の中から、平べったい板の破片を持ち上げる。全身を回転させ、円盤投げの構えでそれを投擲。
果たして10メートルほど飛んだところで、それはまばゆい光に包まれて消滅した。肌にぶわりと熱波が届く。
「マジで……? 判定厳しすぎない?」
崩落で大量に出てくる石片は狙われないのに、それ以外で飛び出すと容赦なく蒸発。何かしらのルールがあるのだろうか。しかし今から検証してる暇もない。
パズルは続いている。夕日の方角で町はどんどんと組み上がり、足元で崩落を繰り返しながら雲上の都市のように栄えている。そして512メートルのビルが複数並んだ区画が、いよいよ一つ所に固まりつつある。さすがに高層すぎるせいか移動がゆっくりになっているが、私にももう見える、あと二手で最後の衝突が起こる。
「まずい、もう時間が」
「ミズナさん、どこにいますの」
その時、亜里亜の声が響く。
「亜里亜、無事だったの」
「あまり無事ではありませんわ。キルドーザーが瓦礫に埋まってしまって、いま何とか這い出してきたところですわ」
下界は噴煙に埋まっているが、かすかに遠方にオレンジの点が見えた。
「そこから500メートル級のビルが見える? その中で一つだけ離れたビルがあるでしょう、その上にいるわ」
「遠くてよく見えませんわ……東側ですの?」
「亜里亜、西側のビル二つはもう衝突しかかっている。次に出てくるビルがゴールにたどり着くはずよ、何とかそれに乗れない?」
『ミズナさん、無理です、512メートル級のビルの崩落は、いくら超ペンシルビルといっても天変地異のような衝撃です。コンクリートで覆われただけのキルドーザーでは耐えられません』
「でも……」
「イカロさま、こちらに演算力を全部回してくださる?」
亜里亜が言う。その音声はかなりノイズというか、地鳴りのような音が混ざっていた。キルドーザーが瓦礫をかき分けている音だろうか。
『亜里亜さん、いったい何を』
「イカロ、渡してあげて」
『……分かりました、サポートの起点を切り替えます』
イカロは一瞬だけ迷ったようだが、ダイダロスを操作する気配が生まれた。亜里亜に演算力のコントロールを任せたのだろう。
「要するに、新しいビルの出現を阻止すればよろしいのでしょう?」
「そうだけど……砲撃するつもり? ダメよ、そこからだと衝突するビルはまったく見えないでしょう。他のビルを突き抜けて砲撃できる訳もないわ」
この迷宮のフィールド、一辺は280メートルしかない。前に一つでもビルがあれば、512メートルのビルとはいえ、射角はまったく取れなくなる。
そして最後の移動が始まる。この移動で512メートルのビルが衝突するはず。
「イカロさま、方角だけ指示してくださる? 衝突するビルはどの位置に」
『……そこから、まっすぐ北方です。しかし、並びで言うと、64メートル級、128メートル級のビルが一つずつ邪魔しています』
「了解ですわ」
亜里亜の声には重々しさというか、奇妙な落ち着きがあった。
後で分かったことだが、それはやるべきことをやるという決意、平たく言えば腹をくくった様子だったのだ。
「ミズナさん、ご存じかしら。第一次大戦中、ドイツ軍が設計した巨大兵器。その砲長は28m 口径は120㎜という超巨大砲。それは97キロの弾頭を秒速1600メートルで打ち出し、人間の作り出した物で初めて成層圏に届いたのですわ」
かすかに見える。亜里亜はキルドーザーを消しており、瓦礫の上に立って両手をゆっくりと動かしている。どことなく儀式めいた動きだが、演算力の行使なのだろうか。キルドーザーに使っていた演算力も注ぎ込んでいるのか。
その周囲で物体が組み上がっていく。まるで銭湯の煙突のごとき巨大な砲門が。
だがそれはだいぶ簡略化されている、平たく言えば砲門部分だけを再現し、台座で固定した野砲に近い。つまりはミノタウロス社のやっていた迫撃砲と同じシンプルな構造。
巨大な砲門で、
巨大な弾頭を、
馬鹿げた量の炸薬で射ち出す。
単純化の極み、しかしその威力は察するに余りある。
「亜里亜さん、いつの間にこんなものを……」
「図面が手に入らなくて……まだ再現度10%ですわ。この砲の有効射程は実に130キロ。その攻撃目標から、こう呼ばれて恐れられたのですわ」
「――パリ砲、と」
豪火。
フラッシュと同時に衝撃波が音速で広がる。おそらく周囲のガラスを爆散させながら射ち出されるのは97キロの弾頭。旋条にてきりもみ回転を与えられたそれはビルを紙のように粉砕し、ペンシルビルを複数突き抜けて512メートル級に到達。その根本部分が奇妙な粘性を見せてねじれつつ撃ち抜かれ、ビルの巨体が大きく傾ぎつつ自重で崩落する。
そして、次のビルは。
……現れない。その区画は持続的な轟音に埋まっているが、そこから新たなビルの出現はない。
「止めた……」
ビルを物理的に破壊した場合はどうなるのか。そのピースは盤から取り除かれ、無かったことになるのか。
賭けではあったが上手くいったようだ。
「よし……あとはここにいればいいわ。おそらく次に1024メートルに至るのはこのビル……」
「ミズナさん、何か変ですわ」
亜里亜の声、しかしこれはダイダロスを通じた中継ではない。現実世界からの声だ。
亜里亜はログアウトしたのだろう、あの衝撃なら無理もない。アバターとはいえ、あの大砲を手を添えるほど間近でぶっぱなす度胸は称賛したい。
「どうしたの亜里亜」
『こちらでモニターした映像……真下に、何か油のような』
私はビルの縁から下を見る。まだ煙が立ち込めているが、確かにぬらぬらと光を反射する物体が見える。
「あれは……」
『解析します』
イカロが答える。
『あれは……水ですね。炭素が溶かしてあります。つまり、墨汁のようなものかと……』
「墨汁? なんでそんな……」
答えはすぐに分かった。
低い位置にあるいくつかのビルが、すべての窓を突き破って黒い液体を噴出しはじめる。
もともと瓦礫だけでも小山のように積もっていた場所だ、黒い流れは坂道を駆け下り、波となってフィールドの外に広がっていく。
『何なんですの? 迷宮のギミック?』
「そんなはずないわ、クリア直前になって、こんな」
私ははたと思い至る。それは私たちもやっていること。拡張世界では、演算力の許す限り何でも出せる。
「イカロ! これだけ大量に液体を出すことはできるの!?」
『そ、それは、液体は処理が重く、少量でもかなり演算力を食います。で、ですが、私たちの保持する三千台ぶんの演算力なら、おそらくプールで十杯分ぐらいは』
「……」
だが、眼下のそれはおそらく数百杯分はある。つまりイカロの支配する演算力の十倍以上。あるいは百倍近く。
そして見た。ミノタウロス社の連中が使っていたような一人用のヘリ。タケトンボのようなローターマシン。それに乗って飛び上がっていく姿を。がっしりとした体を持つ白人の男を。
「アポロ!」
その姿は上昇していく。
――穢すのか。この迷宮を。
確かに天塩創一の迷宮は力業を否定しない。しかし、大量の墨でレーザーを無効化する、そんな無体が許されるのか。
私のそばにも一人用のヘリが落ちる。私は一瞬だけそれを強く睨み付け、身に付けると、エンジンスターターのラインを強く引いた。
Tips 超巨大砲
大砲は口径を大きくするほどに射程が伸び、特に成層圏のような空気の薄い場所まで打ち上げることで飛躍的に射程距離を伸ばすことができる。このような砲は列車により運用されることが多かったため、列車砲と同一視されることが多い。
やがて自動車の発達と共に列車砲は姿を消すが、超巨大砲自体は現代でも時おり計画される。




