第三章 5
「なっぷ」
亜里亜が脚を引っぱられるような動きで畳に倒れる。
「家ごと動き出した……? ジョギング程度の速度だけど、これだとどこかにぶつかるんじゃ」
「あつつ……ハナを打ちましたわ。ともかく一旦出ましょう。私は自前のバイクで出ますわ」
立ち直った亜里亜が指を動かすと、先程よりは小さな、一人乗りのモトクロスバイクが出現する。オフロードタイヤで畳をズタズタにしながらドリフトを決め、玄関に向けて走る。
私もなんとか振動を足裏でとらえて走る。ガラス片の散らばる方角を避けて正面玄関へ、玄関の引き戸がガタピシと鳴りつつ片側に寄せられている。その先にはブロック塀の切れ目と灰色の道路が。
私は玄関から一足飛びに道路まで出る。マンホールも歩道の白線もないコンクリートに体を転がして受け身。
「よっと……何なの一体」
「大丈夫ですの?」
ぎゃり、とタイヤで地面をこすりながら亜里亜も止まる。
と、町全体を包み込むようだった鳴動もそこで急に治まり、周囲に石粉混じりの風が吹き抜けていく。
「……? 家が横にスライドして……」
そして気付く。
私たちの居た家だけではない。町全体が夕焼けに向かってずれている。それらの民家は基礎というものがなく、地面に置いてあるだけの状態だったようだ。引きずったような跡が残るだけで、もともと民家のあった場所はコンクリートの広場になっている。
「……?」
64区画のうち、建物のあった区画がすべて片側に寄せられているような眺め、町の東側が完全に開けて広大な空地になっている。ミノタウロス社の連中は西側の空き地にいたはずだが、家屋の移動速度は速歩き程度だったし、潰されてるとは考えにくいか。
そして地の底から響くような、持続的な音が。
「ガレキの山ができてますわ」
確かに、目で見える範囲で二箇所、ガレキが積み重なって山のようになっている。
そしてそれは来た。
うず高く積もった廃材の山をかき分けて、その下からずずずとせり上がってくる影。複雑な形状の瓦屋根が、装飾のある立派なブロック塀が立ち上がり、まるでタケノコのように家が生えてくる。
遠方にミノタウロス社の連中が見えた。生えてくる民家を呆然と見上げているように見える。あっけに取られてリアクションが打てないのだろう。
「身を隠しましょう」
「そうですわね」
生えてきたのは二階屋の民家だ。もともと町に散らばっていた民家はいずれも安普請らしき平屋だったから、少し立派な物件に変わった印象がある。
そしてまたも振動。町の東側、大きく開けたところに二つの民家が生えてくる。
「……。ちょっと待ってくださる? この迷宮って、もしかして……」
亜里亜の発言を遮るかのように町全体が鳴動する。今度は北側、私たちに向かって押し寄せる日本家屋の群れ。
「ちょっとちょっと!」
私にもこの迷宮の要旨が分かってきた。しかしこれはヤバい。この状況では家に押しつぶされるか、それを乗り越えてもミノタウロス社の連中から丸見えに。
「区画の外縁に逃げるわ!」
私は踵を返して走り出す。亜里亜も後を追ってくるが、私に向けて声を飛ばしている。
「ミズナさんダメですわ! もうゲームが始まってますのよ! この状況で区画の外に逃げることが許されるわけありませんわ! ログアウトさせられるか、あのレーザーでの攻撃が」
「分かってる、外縁部まで行くだけよ」
数は数えている。この迷宮は8×8の64区画。3ブロック先が外縁部だ。
それはすぐに見つかった。町並みは変わることがないが、境目と思われる道路に白線が引かれている。そこで私は踵を返す。
私に迫ってくるのは仲良く並んだ二つの民家。右の民家は後ろにもう一軒来ているが、左側は来ていない。私は速歩きの速度で迫ってくるブロック塀に手をかけ、スライド移動する塀に脚をかけて跳躍。敷地に降りると庇に手をかけて体を振り上げる。転がるように屋根に出て素早く立ち上がれば、屋根の上から見えるのは広々とした空き地。その正面方向から迫ってくる別の民家がある。
「ちいっ!」
私は右側を見る。すでに二軒の民家が押しつぶされ、ブロック塀も建材も粘土細工のように綯い交ぜになり、もうもうと埃を巻き上げるその奥から、別の屋根がガレキをかきわけて生えてくる。
私はそちらに向かう。板張りの屋根を下って加速し、跳躍、目の前にあった物置小屋の屋根をバンと踏みしめてさらに前に、それは飛び石ではなく加速を付けながらの三段跳びだ。ブロック塀で踏み切って腹筋で体を前に。3メートルほどの道路をひとまたぎにする。そして隣の敷地に積み上がった瓦礫に着地して、下から生えてくる屋根にいち早く足を置き、持ち上げられんとする中でバランスを取る。
屋根は先程までいた民家より高い位置、およそ7メートルほどの高さで止まった。
「奇天烈にも程がありますわ!」
そこに亜里亜も来る。サスペンションで揺れを吸収しながらガレキを登り、屋根の頂点部分に前輪を引っ掛けて止まる。さすがは亜里亜だ、間に合っていた。
「……この迷宮、「2048」ですわね」
私はうなずく。まさか、町の区画でそれを再現するというのか。
「2048」とは2014年、19歳のイタリア人によって作られたゲームだ。4×4の16の区画には「2」と「4」のブロックが次々と生まれ、プレイヤーが上下左右を入力するごとにフィールドの数字ブロックがその方向にすべて寄せられる。その際に同じ数字は合体してその合計数のブロックに変わり。異なるブロックは片寄せされるだけで混ざらない。そうして同じ数字をどんどん合体させていき、2の11乗、2048を作ることを目的とする。
多少ルールは違うがこの迷宮も同じことだ。64区画の民家が片寄せされるように移動し、民家同士が潰し合うとその下から一回り大きな家が生えてくる。
視線を向ければ、やはり、最初の移動でできた二階屋と、それ以外の一階屋とは混ざっていない。街全体はもうもうたる塵芥の煙に包まれている。
どるん、とアクセルをふかしつつ亜里亜が鼻を鳴らす。
「ふん、よーするに最終的にゴール地点に届く建物に立ってればいいのですわ、そうすれば一気にゴールですわ!」
「そう簡単じゃないわ」
私は屋根の上で身を低くする。男たちの混乱するような声、混乱しているのか、機銃を乱射するような音が遠く聞こえる。
「ミノタウロス社の連中が生き残ってる。何人か巻き込まれてログアウトしたと思いたいけど、あの連中が生き残ってる状態でゲームが進行するのはまずいわ。いつ撃たれるか」
「どうしますの、こちらから攻撃を?」
「……」
町全体を巻き込んだ天変地異のごとき2048。この振動の中で銃が撃てるだろうか。確かに攻めるなら今かもしれない。このまま逃げ回って、相手が迷宮のギミックによって全滅してくれると思うのはあまりにも楽観だ。
「分かったわ、でも亜里亜は隠れてて、私が戦うから」
「あら、走り回りながら戦うつもりですの? こんな目まぐるしく立地の変わる状況でゲリラ戦など不可能。このフィールドで戦えるとしたら私の方ですわ」
バイクは音もなく消えており、亜里亜は雷を呼ぶ魔法使いのように真上に手をかざす。
「たかが傭兵ぐらい、これで蹴散らしてやりますわ!!」
黄昏時の空より落ちる巨大な影。ガレキを押しつぶしながら登場するそれは巨大な戦車か。
いや違う。それはオレンジに塗られたブルドーザーだ。しかし操縦席部分がコの字型の分厚いコンクリートで覆われ、周囲にも鉄板がタイル状に貼り付けられている。前面にはラッセル車のような凸型のカバーが装着されている。亜里亜は後部に空いたわずかな隙間から内部に滑り込むと、鉄製のハッチを下ろしてしまう。車体のオレンジは茜色の世界で陰影を濃くしており、夕映えの空に溶け出すかに思える。
「これ……まさかキルドーザー!?」
キルドーザー事件とは2004年、アメリカにて発生した改造ブルドーザーによる暴走事件だ。ことは自動車経営工場を営んでいた人物が、敷地の隣にコンクリート工場が建設されることに端を発する。
コンクリート工場により自身の工場の視認性が悪くなることへの抗議だったらしいが、街の景観を守ることなどの理由で同士を集めて市民運動を起こし、運動は訴訟にまで至った。しかし結果としては失敗、男は様々な理由で追い詰められていき、ついに改造ブルドーザーによる暴走事件を起こすに至る。
操縦席をコンクリートと鉄板で塞いだ車両はSWATによる拳銃も手榴弾も受け付けず、立ちふさがるパトカーや乗用車もすべて踏み潰して突き進んだ。
まず隣接していたコンクリート工場を更地にすると、続いて町役場、新聞社、町長の自宅までも破壊しつくし、最後には故障による立ち往生の末、首謀者である男の拳銃自殺という終幕を迎える。
この事件は首謀者が町では信頼の置かれる人物であったこと、首謀者以外の死者を出さなかったことなどから同情的な意見も見られた。しかしやはり、語り継がれる理由はその異様な車両と、恐るべき戦果のためだろう。
まさか、その暴走車両を再現するとは。
「ただのキルドーザーではありませんわ! あれはコマツ製のD355A、410馬力の車両でしたけれど、これはエイブラハムM1に使われている1500馬力のエンジンを積んでますわ!」
その改良型キルドーザー、マフラーからマンモスのような吠え声をあげて瓦礫の山を進む。10トン以上はある車体は多少のガレキなど物ともしない。しかも前面にあるのはバケットではなく、船の衝角のようなアーマーだ、ラッセル車の要領でガレキをかき分けていく。
戦車でなかったのは迷宮の走破を目的とした車両だからだろう。拡張空間とは言え、亜里亜が戦車砲をぶっ放す展開にならなかったことに多少ほっとする。
さて私も走らねばならない。ミノタウロス社の連中から身を隠しつつ、少し数を減らせれば……。
と、そこで上空から声が降り注ぐ。
『ミズナさん、先程購入したウェアについてですが、いまアバターに反映可能になりました。着用しますか?』
「早いわね、それじゃ頼むわ」
イカロが何かを入力する気配がして、そして体の上から下に光が走る。
ごく普通の私服だった私のボディラインに沿って光の輪が通り過ぎ、ぴたりと体に張り付くようなダークアッシュのシャツ、風を受けて膨らむ薄手の白ジャケット、そして銀のラインが膝頭を取り巻くような、ダークバイオレットのロングタイツに変わる。
『完了しました』
「……」
私は全身に意識を走らせ、体にぴたりと張り付くウェアの質感、そして胸を押さえるインナーブラの形状も認識する。
「……え、なに今の、光がぱーって……ああいう感じになるの?」
『少し演算力を食いましたが、微小な発光体をアバターの書き換えに合わせて散布しました』
「……なんで?」
『……え? そういうものじゃないですか? 変身ですし』
「…………」
着替えの際には演出がある……そういうものなのだろうか? 私がおかしいのかな。
ともかく私も走り出す。石材と木片、屋根板などが積もったガレキをとんとんと降りて別の家の塀に。
そしてまた町が動き出す。夕映えの赤の中で、長い影を灰色の大地に這わせて町が動く。
「このブロック塀……接触の時には砕けるけど、かなり分厚く頑丈にできてるわね。積もったガレキはこれで区画の外に押し出されていくのかな」
私は想像する、このゲームが進行すれば何が起こるのか。
ゴール地点は1025メートル、この高さに届く建物は世界にほとんどない。有名なものではサウジアラビアにあるジッダ・タワーの1008メートル。それを上回る建造物が生えてくるということか。
では、その一段階前は。
数百メートル同士の高層建築物の衝突、そんな事象が起こるというのだろうか。その中で矮小な人間はどのように駆けて、どのように生き残ればよいのか。
つまり、これは生存の迷宮。
あらゆる意味で、最後まで生き延びていたものが勝つ。そういうゲームなのだと――。
Tips 「2048」
イタリアのGabriele Cirulliによって開発されたパズルゲーム。原点としては2014年の2月、Greg Wohlwendの開発した「Threes!」というゲームが注目を浴び、それを契機として多数生まれた類似ゲームの一つである。Gabriele Cirulliは2048をそれらの「Threes!」類似ゲームからヒントを得て開発したことを明言しており、2048を自分の作品だとは思っていないという、そのためオープンソース化されて無償にて公開されている。




