第三章 4
「亜里亜、乗り物を出して、まず逃げるわよ」
「了解ですわ」
亜里亜が空中で指を動かす、私は出現した大型バイクの後部シートにまたがり、亜里亜はホイルスピンをきかせて走り出す。
それはすぐに来た。後方から発砲音。それも連続で。
「撃ってきましたわ!」
「角を曲がって!」
彼我の距離は150メートルほど。そうそう当たる距離ではないが私だって銃撃を受けたのは初めてだ。さすがに背筋に冷たいものが走る。
「亜里亜、ハンドルから手を離して」
角を曲がり、バイクの傾きが戻った刹那、亜里亜は指示通り両腕を上げ、私は胴部を抱えて後ろに飛ぶ。加速がつく前だったので飛ぶ勢いとバイクの速度が相殺され、後方にステップを刻みつつ着地。バイクが走り去るのを見送って手近の民家の塀に手をかけ、ブロック塀の内側に躍り入る。
案の定、相手はバイクの音めがけて銃撃を続けている。
百メートル超の距離では必中は難しいが、乱射すればそのうち当たるだろう。身を隠した方がいい。
「どうしますの、こちらから反撃に打って出るなら、イカロ様に武器を出してもらわないと」
「イカロに? 亜里亜は出せないの?」
私は民家の中を見回しつつ言う。ごく普通の畳敷きの居間、ブラウン管テレビや扇風機があり、丸型のちゃぶ台もある。国民的アニメの舞台になりそうな、ごく普通の民家という印象だ。
私はとりあえず髪を束ねて、強めに引っ張りつつ後頭部でまとめた。亜里亜が口を開く。
「拡張世界で機械を出すには緻密な指示が必要ですわ。正確な順序で部品を展開させて、内部の薬品類も充填して……そのためには各パーツへの深い理解と、細部の精度が必要ですわ。何も見ずに出せる私が凄いのですけど、そらで出せるのは乗り物だけですわ」
「……なるほど、得手不得手があるってことね」
イメージとしては3Dプリンターに近いかも知れない。
似たような形のものを出すだけなら簡単だが、エンジンのような駆動機械となればパーツごとの摩擦、点火と吸気のメカニズム、回転軸の正確さなどが要求される。並の精度ではまともに走らないだろう。
ということは。
遠方で爆発音がする。いくつかの悲鳴も上がる。
「暴発してるわね……出せる銃の精度がいまいちみたい。人のことは言えないけど、向こうもまだ拡張世界に慣れてないようね」
「相手は28人でしたかしら……何人か減ってくれるといいのですけど」
あまり期待はできない。精度が不十分とはいえ一度は撃てた銃だ。相手は無尽蔵の乱射をやめて索敵と殲滅に切り替えるのだろうか。この迷宮で単純なサバイバルゲームになれば勝ち目など……。
「……ん」
ふと浮かんだ疑問。亜里亜が私の顔を覗き込む。亜里亜は成長した姿だが、背は私よりやや低い。
「どうしましたの?」
「おかしいわ……迷宮で死ねば24時間はログインできなくなるルール、そして迷宮の本質は対人戦、なのに、なぜ銃が撃てるの?」
「はい……?」
走破されるために迷宮があるとすれば、あまりにも無体な話ではないか。
拡張世界では演算力の許す限り何でも出せる。そして相手をログアウトさせれば24時間は再び乱入できない、こんなルールならば。
それはすぐに来た。ひゅるるるという空を切る音。
「! 伏せて!」
それは要求ではなかった。私は亜里亜の体を抱えてガラス戸から離れる方向に倒れ込む。
音と衝撃。頭にがあんと響く轟音と家全体が揺れる震動。ガラスがあっさりと破砕して破片を散らす。
「なっ……何ですの!?」
「おそらく迫撃砲、あるいはグレネードランチャーよ」
迫撃砲、ごくごく単純に言えば地面に斜めに筒を設置し、簡易的な発射台として爆発物を射ち出す兵器だ。構造はシンプルであり、現在でも歩兵が扱える最も手軽で有効な支援砲撃兵器……のはず。
「イカロ! 相手の使ってる武器が分かる!?」
『お、おそらくは81ミリ迫撃砲です。飛来音と、爆発の威力からの推測ですが』
最も一般的で手軽なタイプ。民家を吹き飛ばすならそれで十分と判断したか。相手が狙ったのがこの民家だったら私たちは今頃コナゴナだ。
「どうする……もう一度乗り物を出して、なるべく遠くに逃げるべきかしら。この迷宮が無尽蔵に広ければ、迫撃砲の乱射なんて非効率なことは……」
「上空に何かありますわ」
亜里亜が言う。彼女はもう起き上がって、割れたガラス戸から上空を見ていた。
そして私も気づく。上空にある真四角の光を。
かなり高空、おそらく500メートル以上の高さに板状の光が浮かんでおり、そこにでかでかと「GOAL」と書かれている。夕映えの光の中で、その白い板はわずかに朱を透かしてオレンジ色になっている。
「何、あれ……。ゴールの地点を示して……いえ違う、あれは大きすぎる。この区画をすっぽりと包み込んでる」
迫撃砲の爆撃音が何度か起きて、そして止まる、向こうも上空の光に気づいたのだろう。
「イカロ、あの光の正確な高さと大きさ分かる?」
『観測します……。高さは1025メートル、大きさは一辺280メートルのほぼ正方形です。ちょうど……民家の並びで8ブロックぶん。ほぼ碁盤目状に並んだ民家の64軒ぶんを覆っています』
「……?」
何だろう、その状況は?
私は塀に手をかけて外をうかがう。私たちがミノタウロス社の連中を殲滅するのは現実的ではない。目指すはこの迷宮のゴールだ。一種の気づきのゲームなら活路はあるが……。
上空に向かって飛んでいくシルエットがある。それは大型のタケトンボのようなものを背負った人間。一人用のヘリコプターだ。日本では法律がうるさくてなかなか実用化されないが、海外では宅配にも使われている。
「! あの光の上がゴールですの!? まずいですわ、こっちも追わないと!」
「……いえ、そうだとしても、あんなものでゴールまで行けるなんて、そんなはずが」
瞬間。
その大型のタケトンボがぎらりと光り、その姿が煙のように消える。
「! イカロ! 今のは!?」
『おそらく大出力のレーザー兵器です。一瞬で焦点温度が数万度にまで高まりました。発射箇所はおそらく……800箇所以上』
レーザー兵器はすでに2021年にはアメリカの駆逐艦が搭載していた。出力30キロワットほどのレーザーで敵艦船のセンサーを損傷させたり、無人航空機やミサイル兵器などを損傷させて海に落とす、または戦闘ヘリや航空機などにもダメージを与えられる優秀な兵器だ。
だが今のレーザーは強力すぎる。あれは無数の発射点からレーザーを収束させ、目標を一瞬で焼きつくした。戦術目的であれほどの威力は必要ない。
……今のは示唆的だ。あそこまでの威力で飛行物体を排除するということは、やはりゴールはあの光の板の向こう側。そして、何かしら「正しい行き方」のようなものがある、ということ。
それをどう攻略するのか、ミノタウロス社の答えはシンプルだった。迫撃砲の飛来音が無数に聞こえ、この区画を取り囲むように大爆発が連続する。
この町では黄昏時の夕焼けが永遠に続くらしい。遠景の夕映えが爆発でさらに赤々と燃える。
時淀む夕景の町……まさに時の流れの淀んだ町、ということか。
「イカロ、イヤーマフ出して」
『はい』
がしゃり、と畳に落ちるのはお椀のように巨大な耳当てがついたイヤーマフだ。音は出ないのでヘッドホンとは言わない。
『高性能のアクティブタイプです。90ホーン以上の音をカットします』
「ありがとう」
「うう、ダサいですわ。でもイカロ様が用意したものなら受け入れますわ」
亜里亜はなんだか不満そうだったが、そんなことより現状分析だ。
周囲を見る。よく見ると、すべての区画に民家があるわけではないようだ。空き地もある。
あの空き地は何だろう。ヘリコプターを使うための発着場でも提供しているのか、あるいは迫撃砲を並べる基地にでも使えということだろうか。
そのさらに遠方では爆炎が次々と上がっていた。ミノタウロス社の連中は攻撃を続けているようだ。だが何人か策敵してないとも限らないので、周囲は慎重にうかがう。
「……イカロ、周囲に地対空レーザー群があるはずよ、殲滅できると思う?」
「少なくとも数百基です。しかもそれが迷宮のギミックだとすれば、潰しても無限に湧いてくる可能性もあります」
たぶん私でもそう設定する。しかし天塩創一の迷宮は力業を否定していないように思う。いつかはすべてのレーザーを潰せるかも知れない。
では、この迷宮の力業ではない……本来のクリア方法とは何だろう。
「この町……つまり、この民家を含めた64区画が迷宮のフィールドであり、何らかの方法で1025メートル上空まで行けばクリア……ということかしら」
「ヘリコプターなら出せますわ。装甲板や反射板を増設してレーザーから身を守るとか、煙幕を張って減衰させるとか……」
「かなりの広範囲にやるならそれでもいいけど……この区画は一辺280メートルでしょ。かなり濃厚にやったとしても減衰しきれるとは思えないわ……」
私はまだ塀の上から外を見ている。爆炎は続いているし、何度かドローンのようなものが打ち上がったが、いずれも閃光とともに消滅している。恐ろしい威力だ。一発勝負で、あのレーザーと戦うのは無謀としか言えない。
それに、もう一つの疑問もある。
天塩創一の迷宮が対人戦だとするなら、大量の兵器で潰しあう戦い方が許されるのか、という疑問だ。つまるところ相手を殺せば勝ち、それではあまりにも美学のカケラもない……。
私たちはあまりにも初心者なのだと痛感する。
この迷宮でも、現実世界でも、本当の戦い方など何一つ知らないのではないかと思える。いくつかの迷宮を走破したとはいえ、それは迷宮世界のほんの入り口、ゴールの門をくぐるたびに、更なる複雑さが襲ってくる。いったい、この迷宮はどこまで深みに……。
「スタートボタンがありますわ」
と、亜里亜が言う。その言葉にはっと意識が浮上する。
彼女は黒のゴスロリ姿で、ちょこんとちゃぶ台に座っていた。違和感でくらくらしそうな眺めだ。その手にはテレビのリモコンが握られている。
「ほらこれ、電源ボタンかと思ったらスタートボタンですわ」
確かに、多くのリモコンでは電源ボタンに相当するであろう右上の赤いボタン。それに「START」と書いてある。他は普通にテレビのリモコンらしきボタンだ。
「…………」
……つまり。
この迷宮は何かしらのギミックを始動させ、それに従って動けば上空のゴールまで行ける、ということだろうか。
考えていても仕方ない、どうせ天才のやることだ。私の予想など超えてくると思うべきだ。
私は念のために体勢を低くし、テレビに向けてスタートボタンを押す。
身構えていたのは正解だった。私のいる民家は急にすさまじい早さで動きだしたのだから。
Tips 制音イヤーマフ
ヘッドホンのような形状をした聴覚保護のための装備、クレー射撃などで使用される。耳栓タイプもある。
パッシブタイプとアクティブタイプがあり。パッシブタイプは耳栓と同じ原理ですべての音を減衰させる。
アクティブタイプは特定の周波数や、一定の音量を越えた音のみをカットする。これにより工作作業での不快な音や、聴覚にダメージのある大音響だけを防ぐことができる。高性能なものは会話の妨げにもならない。




