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迷宮世界のダイダロス  作者: MUMU
第三章 刻淀む夕景の町
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第三章 2

今回、プロテニスプレイヤーだという人物について言及がありますが、特定のモデルは存在しません




「民間軍事会社は知ってるけど……個別にはちょっと」


さほど詳しくないながらも記憶を紐解く。

英語で言えばPrivate Military Company 軍事サービスを行う企業体のことだ。

国家に属さず戦闘行為を行う傭兵は大昔からいたが、兵站の輸送や兵士の訓練など、戦闘に関わらない業務も担うことがあるため、その定義は拡大している。

有り体に言えば軍事組織として見られたくないためのマイルドな呼称、というわけだ。私の知識はそんな表層的なものだ。


イカロは動画を再生する。どこかの砂漠で塹壕から小銃を乱射する兵士。巨漢の男たちが組み合う格闘訓練。廃ビルを小走りで動き回り、四角い粘土のような物体を設置していく工兵などが映し出される。最後に牛の頭部を図案化したマークが浮かんだ。


「ミノタウロス社はアフリカ北部を拠点とする民間軍事会社です。おもな業務は要人警護や爆発物解体など、守備的業務をメインと喧伝していますが、実のところはその逆、工作活動を行う特殊部隊の育成を主業務としています」

「……」

「また、諜報、破壊活動を行うエージェントの育成を独自に行っており、高額の報酬とともに派遣しているという噂もあります。その顧客は一切明かされていませんが、東側、西側を問わず、あらゆる思想の区別なく顧客とするとか」

「まるっきりテロリストの育成機関じゃないの……こんな組織が野放しになってるの?」

「現時点ではあくまで噂です。ダイダロスを使っても詳細を突き止められませんでした。ただ、ここ数年で一気に勢力を拡大しています。軍事サービスはまだまだ伸びると言われる分野ですが、この成長は異常です。資本金はおよそ70億ドルあまり……」


そこで複数のグラフや英文のレポートなどが出てくるが、私に表の見方が分かるはずもない、イカロもそこは詳しくやらずに話を進める。


「この躍進にダイダロスが関与している可能性があるのです……。気づく切っ掛けとなったのは、この事件です」


次に画面に現れるのは海外のニュースのようだ。ニュースキャスターの中年男性はどこか沈痛な様子で原稿を読み上げ、左上には青地に赤線のヘアバンドを巻いた男性が表示されている。海外のニュース番組は基本的にキャスター一人で進行することが多く、必要に応じてテレビ中継で専門家などの意見を仰ぐ。


「アポロのニュースじゃないの」


アポロジーズ=ラファティ。

イギリス出身のテニスプレイヤーであり、グランドスラム、つまり世界四大大会での21回の優勝を成し遂げた、名実ともに世界最高のテニスプレイヤーだ。ラテン系の血が混ざった浅黒い顔に、抜けるような白い歯、力強い太めの眉と金髪のコントラストがビビッドな印象を放ち、清々しい笑みを見せつつも鋼のような腕でラケットを把持している。

この一週間ほど、世界は彼のニュースで悲嘆に暮れている。アポロはシチリア島に住んでいたそうだが、その住居に強盗が押し入り、あえなく殺害されたのだという。


「次に、この画像をご覧ください」


それはアポロ邸と思われる静止画像。遺体はさすがに映さないようにカメラを逸らしているようだが、血痕は赤黒い水たまりとなって残っていた。まだ現場検証が終わっていない時点の生々しい画だ。

ノートPCの中で映像の一部がフォーカスされ、床に落ちた電線のようなものを映し出す。それを見て亜里亜がつぶやく。


「Tジャックですわね」

「はい、アポロ選手は拡張世界に潜っている時に強盗に襲われました。その邸宅には何重ものセキュリティがありましたが、すべて回避されていたそうです」

「それがどうしましたの?」

「アポロ選手が最後にどの空間にいたのかはファンの間でも議論になっています。ゲームをプレイしていたのか、拡張世界で友人と会ってでもいたのか……。しかし現場から回収されたものの中に、拡張世界への全感覚投入ができるようなPCは無かったそうです。強盗が持ち去ったと言われていますが、そもそも拡張世界で遊ぶ趣味があったという情報はどのメディアでも見つけられず、SNSもごく最低限しか行っていませんでした」

「……」

「そこで、これを」


また別の画像、それは生前のアポロの様子。インタビューを受けている時の写真のようだ。


「ダイダロスが……」


つぶやきが漏れる。部屋の片隅、観葉植物に隠れてはいるが、たしかにダイダロスだ。ホワイトボード型端末がある。


「手持ちの演算力でクレジットカード履歴を追いました。アポロ選手は10年以上前にダイダロスを購入しています」

「つまり、こう言いたいのね?」


イカロは丁寧な説明を心がけるあまり、証拠を1から10まで全部並べる癖がある。私は話の先を見越して言った。


「アポロも「走破者」だったと」

「はい」


まだ根拠はあったようだが、イカロはノートPCを閉じて私たちに向き直る。デパートの上空には夕べの涼しい風が吹いてきて、買ったものの入ったポリエチレンの袋ががさがさと鳴った。


「ダイダロスを所有し、作動ロジックを知っていれば誰でも迷宮に潜ることができます。世界にどれほどの挑戦者がいるのか不明ですが、僕たちだけではないのです」

「初耳だわ」

「あらそうでしたの? 察しているものかと思いましたわ」


亜里亜がそっぽを向いて髪をかきあげる。


「天塩創一がどれほどの人間に情報を残したのかは不明ですけれど、少なくはありませんわ。ですが迷宮をクリアできないままに一定期間が過ぎると、演算力へのアクセス権を失うのですわ。ほとんどの人間は演算力を持ち続けられずに離脱していったのですわ」

「一定期間……」


なるほど、だからイカロはパートナーを求めていたわけか。

赤鏡伽藍の迷宮、あれは力業でのクリアも不可能ではない。他にも時間をかければドローンで走破できる迷宮もあった。イカロが私に協力を仰いだのは、つまりクリアに事実上の時間制限があるからだろう。

その一定期間というのがどのぐらいかは不明だが、一年二年ということはあるまい。


「すいません、時期が来たら話そうと思っていたのですが……」

「……別にいいわ。最初から何もかも説明できるものじゃないのは察してる」


実のところ、他の走破者の存在を予感していなかったわけではない。亜里亜に最初に遭遇した時もその可能性は考えた。

この迷宮が天塩創一の遺産だとして、イカロだけにそれを残したのなら、迷宮などというまだるっこしい手続きを踏む必要はない。だいたい一人の人間に何もかも突破できる難易度ではない。


そしてログインに関するシステムだ。天塩創一の迷宮は複数の人間が別個のダイダロスからアクセスし、中で遭遇することができる。待ち伏せをしたり、後から入って追いかけたり、そして致命傷を受けると強制的にログアウトになる。


これが意味することはすなわち――対人戦。


天塩創一の迷宮は独力での踏破だけではない、複数人で演算力を奪い合う、緑色の目の怪物グリーンアイズモンスターの住まう迷宮でもあるのか。


天塩創一は何を求めているのか。雲の上から、あるいは地の底から走破者たちの殺し合いでも眺めたいのか。それとも切磋琢磨によって走破者が高みに登れるとでも言いたいのか。

私は不定形の想像に踏み込みかける心を自制し、目の前のイカロに視線を据える。


「話を進めましょう……アポロが走破者であり、襲われた理由が彼の持つ演算力だとすれば、殺害される前に演算力のパスワードを吐かされた、そういうことね?」

「あくまで可能性ではありますが……。事件当日、周辺の監視カメラの記録をダイダロスで調査しました。これを」


映像が切り替わる。画像はかなり遠く、黒い点のように見える人物。それがだんだんと補正されてダークスーツの二人組になる。


「遠いんだけど……」

「この二人組は、近くのカメラには映っていません。映っていると思われる75台の市街カメラ、その全てで映像が1コマ単位で差し替えられ、存在しないように加工されています。専門家が見ても加工の痕跡が分からないほどの精度です。間違いなく並外れた演算力が関わっています」

「……」


私にも、イカロの体感している世界が分かってきた。

ダイダロスとはまさに神話の世界の工匠。その技量の前に並の人間は及ぶべくもなく、その成し得ることを誰も妨げることはできない。


それはまさに魔法の概念に近い。

ダイダロスによって使役される膨大な演算力の前に、一般社会、一個人というものは意味を持たないのだ。

まだ幼いイカロがそれを行使することにどんな運命の悪戯があるのか、誰の意志が介在しているというのか……。


「この黒スーツの人物を追跡し、ミノタウロス社の出向機関に戻ることを確認しました。他にも細かな証拠はいくつかありますが、アポロ選手はミノタウロス社の襲撃を受けたものと思われます。そしてミノタウロス社の構成人員を可能な限り洗ったところ、この人物が」


それはスーツ姿の日系人。

見覚えがある、先だってのマンションの襲撃、あの時に男たちの先頭にいた男だ。


「……亜里亜さんには、複数台のダイダロスを同時に購入したという履歴があります。その購入履歴に目をつけられたものかと。そして利根家に走破者がいる可能性に至り、例の襲撃のお膳立てをした可能性が……」


かた、と亜里亜がカップを置き、勢い込んで立ち上がる。


「なるほど! つまりその悪徳企業が盤外戦術に打って出たというわけですわね! なんて卑怯な行いでしょう! もし出会ったら返り討ちにしてやりますわ!」

「……」


一瞬、その亜里亜の感性のほうが正しいような錯覚が襲い、動揺が私の脳を揺らして目眩めまいが襲う。

豪胆というべきなのか、蛮勇なのか、あまりにも世界を知らぬ愚昧さという言葉が本当に正しいのか。


それは常識のゆらぎ。

ダイダロスのもたらす演算力の世界、それは私の立脚する現実を揺さぶってくる。魔法が存在すると示されたならば、常識の方を疑うべきなのか。あるいは亜里亜の振る舞いこそが生き残るべき英雄の姿なのか、しかし――。


「ダメよ」


私はデパートの屋上に吹く風を感じ、かろうじて意識をテーブルの上に留める。テーブルの天板に片肘を置き、少しだけ体重を預けて声を張る。


「もう遊びは終わり。みんな手を引くべきよ」

「え、なぜですの……?」


ああ、無垢に・・・染まっている・・・・・・

亜里亜の精神はやはり幼い頃のままなのか。拡張世界で何年も過ごしたと言っても、それは社会と隔絶した朧月夜の中での歳月なのか。彼女は本気で戦おうとしている。イカロと一緒ならばどんな相手にも立ち向かえると思っている。

たとえそれが世界の真実であったとしても、私は踏みとどまらねばならない。


「……戦えると思ってるの。相手は本当の軍事企業。古い言い方なら傭兵団。それも人殺しだって物ともしない連中よ。拡張世界の中だけならともかく、現実でやりあえるわけがないわ」

「大丈夫ですわ、三ノ須学園の中にいれば、イカロ様の構築したシステムが」

「たかが警備システムが何だっていうの? ダイダロスの演算力は確かに魔法じみてる。でもイカロに亜里亜、現実にあなたを守っているのはコンクリートであり、錠前であり、生身の人間よ。そこに演算力の差なんか意味を成さない。それに第一、イカロの話のとおりならミノタウロス社もダイダロスを行使できる。勝負にもならない、殺されて終わり、そんなことは分かりきっている」

「ミズナさん……」


イカロに、揺らぎが見えない。

拳をぎゅっと握り、私を説得できる言葉を探している。イカロは私の言葉を理解しようとしていない。それは少年らしいかたくなな心か、あるいはイカロが迷宮に挑む理由の根の深さのためか。


議論をするつもりはない。どうするか。ともすれば本当にイカロの指をへし折ってでもアクセスをやめさせるべきか――。


音楽が。

私の腰のポケットから軽快な音が鳴り。ふいに空気が弛緩する。

SNSメッセージの着信だ。無視してもよかったが、いちど間を置くためにスマホを取り出し、メッセージを見る。まず表示されるのは動画だ。


そこにはサチがいた。誰かと食事しているようだが。


私はそれを見た瞬間。椅子を蹴倒して立ち上がった。













Tips スマートフォン

モバイル用のOSを組み込んだ通信端末の総称。機能向上を繰り返しながらも基本的なデザインは2007年の発表当時からさほど変わらない。学内においては高速無料通信が利用できる。通信速度は学内イントラネットにおいては受信時20Gbps、送信時3Gbpsのサービスが再下限とされる。通信回線はグレードの分化が進んでおり、最上位のグレードでは1Tbpsを超えるものも珍しくない。


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