エピローグ
電子音は大勢の囁きのよう。
めまぐるしく手を動かし、画面を注視し、無意識の領域をあらゆる喧騒が埋める。
この私、晰星の日常はまた元に戻った。何も変わらないゲームセンター通いの日々。私はゲームに集中しながらも、心のどこかで私に起きたことを考える。私は一種の飽和状態となって、断片的な思考をする。
オイディプスによって幽閉されていた人間は、百人以上。
何人かは蛟となって迷宮の番人をさせられていたし、何人かは脳オルガノイドコンピューターの端末となってこんこんと眠っていたらしい。
それらの人々は残らず家に帰ったと聞いている。だがニュースにもなっていないし、ネットをどれだけ検索してもそんな情報は出てこない。高位の走破者たちが情報操作したとは聞いているが、その方法はとても想像がつかない。走破者たちは人間よりも高位の知性を使役する。
蛟となっていた人たちはダイダロスや迷宮のことを知らなかったらしい。私は街に放り出されたが、表向きはゲームの大会に出るため日本に行ってたことにしてほしいと頼まれた。すべてはゼウスと名乗る人物から告げられたことだ。
「蛟たちの中で、走破者と呼べるほどの高みに至ったのは君だけのようだ。君は才能があるから、僕たちの同志になってほしいのだけど」
そうも言われたが、私は断った。
もう私に、願うことなど無いし……。
「あ……」
画面にKOの文字が出る。負けてしまった。
集中できてなかったのもあるが、相手がなかなか強かった。ドラム使いか。これだけ使える人はこのあたりでは見かけないけど。
「ああもう、ぜんぜん期待はずれ」
台を回って現れる。それは金髪の女性。
ラメの効いたリバーシブルのジャケットを着ていてガムを噛んでいる。若く見えるのに、3歳ぐらいの女の子を背後に連れている。その子は指をくわえて母親? のすそを掴んでいた。
「えっと……何?」
「あんた晰星だろ、中国じゃ有名なトム使いだって聞くから来たってーのに、もっと真剣にやってよ」
カタコトの英語で話している。どうやら日本人のようだ。かろうじて言いたいことは分かった。ぶっきらぼうな調子も。
「分かったわよ……真剣にやるから。あなた名前は?」
「名前? 佐奈倉春よ。こっちは娘の桜。かわいいでしょ」
「ええまあ」
「まだ3歳だけど立派なドラゴン使いよ。そのうち全1(全国一位)になるから」
「はあ」
私たちはまた筐体を挟んで向き合い、対戦が始まる。
不思議なものだ。最愛の人を失っても、私はまだここにいる。
いや、何だか、夢菲に対する執着は少し穏やかになった気がする。
私は……私の一部が、まだ夢の中のゲームセンターにいて、夢菲と同じ刻を過ごしている気がするのだ。
それは心地良いような、忘れ物のような、不思議な感覚。
私はきっと、その感覚とずっと付き合っていくのだろう。
この後、私はなぜかこの佐奈倉と親しくなって、日本に渡ることになる。
それはそれは複雑怪奇で、荒唐無稽で、支離滅裂で、艱難辛苦の物語があるのだけれど。
それはまた、別の迷宮の物語である。
※
クレーンゲームをプレイする。
中国ではメダルを買ってプレイする形式が一般的である。このお店のレートは百枚で80元、クレーンゲームはワンプレイ5元、50セントぐらいだろうか。マスコットは恐竜を模したものが多い。重慶市は恐竜の発掘でも知られているからだろうか。
「プルートゥお姉ちゃん、めっちゃうまいね」
「今の角度は絶対無理だと思ったのに」
「気合いです」
私は格闘ゲームのコーナーをちらりと見て、そしていくつかのぬいぐるみを袋に入れて店を出る。
後ろから双子がついてくる。いつものレオタードにジャケットという姿で、手にはコーラの缶を持っている。
「ねえねえプルートゥのお姉ちゃん、あれの最後どうなったの? 赤文字の迷宮」
「分かりませんよ。私は途中でログアウトしましたから」
「うーん。クリアしたぞって人が見つからないんだよねえ。もしかして迷宮が消えちゃったかなあ」
「そうかもしれませんね。もともとイレギュラーな迷宮でしたから」
私は双子を連れてショッピングをする。
購入するのは中国茶に豆板醤、花椒、XO醤、芝麻醤、タバスコ、他に大量の唐辛子を。唐辛子というのは土地や気候によって味が違うので、訪れた国ではとりあえず買うことにしている。双子はぶらぶらとついてきて、たまにお菓子などを買っていた。
もう重慶にいる理由もない、明日にはここを発つ予定だ。ケイローン様の近くにいてもいいのだが、走破者はあまり近くにいるべきではない。どこかの頭のイカれた人間が中国全土に核EMP攻撃を仕掛けないとも限らないから。
「あなたたち、いちおう言いますが重慶を離れたら仲間ではありませんよ。迷宮で出会ってもそのつもりでいてくださいね」
「はーい」
「僕たちも体づくりしないとねえ、山にでもこもろっか?」
「ダイダロスって山で使えるのかな」
「大丈夫ですよ。ダイダロスは単独で衛星にアクセスできますから」
ふと、広い空間に迷い込む。
適当に歩いていたつもりだが、いつの間にか妙なところに出てしまった。周りには神殿の柱のような円柱が並び、いくつかの丸テーブルとストリートピアノが。
そして人がいない。
奇妙なことだ。土曜日の昼過ぎである。デパートを出たばかりなのに人っ子ひとりいないとは。
いや、正確にはピアノの前にたたずむ、一人の人物が。
「うーん、お姉ちゃん、ちょっと早くなったけどここでお別れだね」
「そうなのですか?」
「うん、あの人はお姉ちゃんだけに会いたいみたい、気配がそう言ってる」
そうなのだろうか。私にはそこまでは分からない。
あの迷宮での超集中、全身の神経がむき出しになるような高揚は遠ざかってしまった。もっとも、あんな状態が常に続いていては気がおかしくなりそうだが。
「じゃあねお姉ちゃん。また今度お風呂入ろうね」
「入ったことあるみたいに言わないでください」
双子は背を向け、子供の軽やかな足取りで去っていく。
私はピアノの前にいる人物に近づく。
「ノー・クラート」
「若き走破者よ、無事でしたか」
「何を無事とするかによりますよ。私はだいぶ変わりました」
幽鬼のような黒衣の人物。現実世界で会いに来てくれたことは、私に対する敬意と受け取っていいのだろうか。
「若き走破者よ。一つ提案があります」
「提案ですか」
「私とともに、迷宮を守護する役を務めませんか」
「……」
迷宮は、まったくもってかわいげがない。
想像を超える造形、理解を超える走破者たち、走破するのはあまりにも困難で遠大な道。
それは人が変革するための試練。固定観念に凝り固まり、窒息しそうな人類という種が変わるには、あのぐらいぶっ飛んだ迷宮が、終わりなき内省と思索の旅が必要なのだろう。
そして迷宮はまだ、生まれたての赤子のよう。
創造者がこの世を去っても、走破者たちがどれほど迷宮をクリアしても。
あるいはダイダロスと演算力という枠組みが失われても、終わりなく続く、永遠にも思える旅。それはまだ始まったばかりなのだ。
「若き走破者よ。私たちで迷宮の秩序を守るのです。優秀な走破者が、潰されぬように」
「……そう、ですね。それも良いでしょう」
迷宮とは終わりなき循環。
クリアしても次の課題が現れ、何かを捨ててもそれはいつか帰ってくる。
「若き走破者よ、新しい望みは見つかりましたか」
「ええ」
走破者となり、迷宮の守護者となる。それもまた、私のあり方だろう。
「私は、人の痛みに寄り添いたい」
誰かに寄り添うことが、私の喜び。
あるいは、ヒトという種の壮大な旅に寄り添うのもいいだろう。
ノー・クラートは静かにうなずき、私は初めて、彼女と握手を交わした。
※
迷宮都市に人が交錯する。
迷宮と走破者たちの騒動に巻き込まれて、重慶という都市が無事だったことは幸運だろう。地図から消えていてもおかしくなかった。オイディプスの仕掛けたことはそれほどの事態。
しかしそれも、迷宮という枠組みを超えたものではなかった。オイディプスは迷宮がもたらす人の選別、その早期決着を狙ったに過ぎない。やがて走破者たちに訪れる、大いなる奪い合いの予行演習のようなものか。
肝心のオイディプスがどうなったのかは意見が分かれている。少なくとも肉体の死は確認されているが、魂は消滅したのか。
ゼウスはまだ生きていると言い、ポセイドンは滅びただろうと言った。
つまりどちらとも言い切れない。まあそれも良いだろう。また現れることがあっても、もはや走破者たちに超えられない障壁ではない。
少なくとも、オイディプスが行使していた演算力の影響は消えていた。その中で私も自分の仕事をしたわけだが……。
演算力の気配がある。
商業区の一角。巧妙に人払いがされている。おそらく誰も強制されているとは気づいていないが、ストリートピアノのあたりに人が寄り付かない仕組みができている。私はそれを横目に見て先を急ぐ。
私はとあるビルに入る。それは巨人の階段のような眺め。20数棟ものビルが斜面に沿って立ち並び、渡り廊下で有機的に接合されている。それぞれのビルは独立した建物であるが、特定の入り口から、特定の通路を通らねばけして行けないフロアがある。
至る。そこはビルの森の最上層。円形の巨大なホール。
フロアの入口には新華基因研究所と書いてある。数年以内には政府の出資により、最新のバイオテクノロジーを研究する場となる。
「ケイローン」
彼はそこにいた。背中で束ねた長髪と、無垢な白衣という姿。細めた目をこちらに向ける。
「アルテミス、手に入りましたか」
「万全にね」
巨大なフロアにはデスクが一つだけ。数日中には研究所としての体裁を整えるらしい。演算力を使えば造作もないだろう。
私はメモリースティックを彼に渡す。走破者が現実世界で会うにはいろいろと準備がいるが、これだけは手渡しする必要があった。
「主要なデータは3つ。1つ目は脳オルガノイドコンピューターについて。2つ目は迷宮に干渉する手段について。でもオイディプスにも迷宮の基幹システムの改竄はできなかった。彼にできたのは迷宮の一部を変容させ、迷宮にさらに迷宮を増築するような方法。似たようなことはアフロディーテもできると聞いたことがある。演算力で迷宮を生み出す技よ。オイディプスが作り上げた迷宮はそれに近いもの」
「3つ、ですか」
3つ目は予定になかった。私は髪に手櫛を通しながら言う。
「3つ目は、迷宮の中に人格を封印する技術」
「おお……それは」
「そう、プルートゥに起きたこと。彼女は自分の中の弱い部分を迷宮に封じることで、走破者として完全に近づいた。蛟たちもそうだった。高位の走破者に肉薄するほど強くなった者もいた。オイディプスが狙ってそうしたのかは知らないけれど、迷宮にはそういうシステムがあるようね。人の魂の一部を喰らうシステムよ。これはあなたの計画にも使えるんじゃないの。人を高位に導く技術として」
ケイローンはメモリースティックをしげしげと眺め、感慨深そうに部屋の照明に透かしたりもする。
「まさに私の目指していたものです。分子機械たるネクタルに「死の恐れ」を封印し、人を進化させる技術。やはりオイディプスもそれを研究していましたか」
オイディプスの研究と、ケイローンの技術には通じる部分がある。そして、迷宮のシステムにも似たようなものが存在する。
偶然とは思えないが、では誰がどこまで計算したのだろう。
私はその事を考えない。私の興味はそんなとこにはない。
「ありがとうございます。ネクタルの開発にはまだまだ時間がかかると思っていましたが、どうやら数年以内にやれそうです」
「そう……もう10年近く研究してるものね。演算力でも不可能かと思ってたけど、実現できそうで安心したわ」
脳オルガノイドコンピューターとは、人間、または他の生物の脳を演算素子として利用する技術。
ならばその逆。演算素子に脳のようなふるまいをさせることも可能。
さらに発展させれば、演算素子を一種の高分子と捉え、動物や植物の体内でそれを生成することもできる。
神の霊薬、ネクタル。
それがケイローンの開発している薬だ。世界を変革し、人を高位に導く。ケイローンはそれが理想だと言っていた。
その事にも特に興味はない。
「じゃ、10億ドル、間違いなく振り込んでおいて」
「分かりました。しかしなぜドルなのですか。走破者に金銭など大した意味を持たないでしょう」
「そうでもないわ。デカいことをやるなら金は便利よ。私にもいろいろ楽しい計画があるの。太平洋に人工島を作って芸術の街にするとか、月面にカジノを作るとかね」
「アルテミス、あなたは……」
ケイローンは、私に少し不安げな目を向ける。理解不能であるとか、不気味であるとか、そんな目だ。
「なぜ他の走破者と関わるのです。なぜ走破者たちの間を駆け抜けて、トリックスターとして振る舞うのですか」
「私は走破者のトップになれるなんて思ってないわよ」
それは一応の理由だ。私はノー・クラートに捕まった身だし、あの綺羅星のような連中に勝てるとは思わない。
それに私には分かる。ゼウスだ。
あれは完全にイカれている。やがて人間の枠組みを超えるだろう。アフロディーテも似たような感想を持ったらしい。だから走破者をやめて、ノー・クラートの別邸がある小島に逃げた。
とてもではないが、ゼウスとは戦えない。あの人物のヤバさに、本当の意味で気づいている人間が何人いるか。
「それだけですか? トップになれないというだけでは、私の依頼を受ける理由はないはず」
「私は……」
偽りの理由など、いくらでも言えるけれど。
ここは正直に答えたくなった。ある走破者に。迷宮の中で朽ち果てて、どことも知れぬ虚無の果てに去ってしまった、オイディプスへ敬意を評して。
「私はね、迷宮の代弁者なのよ」
「代弁者、ですか」
「そう、迷宮は本来、一人で何もかもクリアできる難易度ではない。走破者たちは競い合って、時には協力し合うべきなのに、現実世界での裏切りという確率を無視できなくて近づけない。だから私がその隙間を埋めてるの。少しでも影響しあえるようにね」
「それは、つまり」
「そうよ。迷宮のために動いてるの。間を取り持って、出過ぎた杭には警戒して、時には場を盛り上げて、そして人を高みに登らせてあげたい」
何人が気づいているだろうか。
迷宮と走破者は、互いに影響しあっている。
「それが理由よ。私は、人間が好きだからね」
走破者の魂が迷宮となり、迷宮が走破者の魂を導いていく。
だから迷宮のために、働く人間がいてもいいだろう。
迷宮が我らを守り、我らもまた迷宮を守りたもう。そしていつか、遥かな高みに登らんことを願う。
あなたも同じでしょう? プルートゥ。
(完)
これにて外伝の完結となります。
白夜封刻の迷宮、実はこの名前に伏線があったのですが、本編で回収できてなかったのでそれを回収するための外伝でした。お付き合いいただきありがとうございます。
ではまた、次の機会に。




