外伝 第四章 5
降り立つのは水星。
九龍城の眺めももう見慣れたものだが、ここは不気味なほど静まり返っており、地面も水平である。横方向に公転はしているが、自転を行っていない。
つまり余計なギミックは存在しない。迷宮の番人との一騎打ちの場なのだろう。
敷地の端は切り立った崖となっていて、他の惑星が動くのが見える。私の他に走破者の気配はない。スタート地点の方角も静まり返っている。
ゼウスが何か仕掛けると言っていたが、まだ準備できていないのだろうか。
「若き走破者よ、よくぞ来たと言っておこう」
声は驚くほどの声量で届く。振り返ればビルの谷間に龍袍の人物が立っている。黄色地に赤や金を散りばめた皇帝の装いである。
顔には京劇のような白地の面。両手を後ろに回している姿は武人の落ち着きもある。
「オイディプス、あなたを倒せばクリアで良いのでしょうか」
「そうだ、私を倒せばゴールプレートが出現する」
言われてみて気づく。私はそのことを予感していた。オイディプスを倒せばゴールプレートが出現する。つまりオイディプスは妨害している走破者ではなく、システムとしての迷宮の番人であるのだと。
「だがプルートゥ、お前にクリアさせるつもりはない。少なくとも今はまだ早すぎる。走破者がさほど減っていない」
「もう止めたらどうですか」
私は少し脱力した声で言う。
「この迷宮はそれなりに難関ですが、一ヶ月は持ちませんよ。私がここで引いてもゼウスが攻略するでしょう」
オイディプスはそれには答えない。
「崖のきわで戦うのも好みません。少し中央の方へ移動しましょう」
「……わかった」
左右にビルの峡谷を見て歩く。直上には星月夜。そして歩くうちに提灯が出てきた。ほおづきのように赤く、福の一文字が入った中華風の提灯だ。
左右に赤い光源が並ぶ地点に来て、私たちは向かい合う。
「プルートゥ、本当にやる気なのか、勝てると思っているのか」
「それ以前に、あなたは何か特別なことをしているつもりなのですか」
私の身体から熱が抜けていく。それは適度な心拍数に落ち着こうとする反応でもあるし、程よい脱力による武の構えでもある。
だが実のところ、私はこの迷宮を見切り始めている。それがオイディプスにも伝わりつつある。
「赤文字の迷宮は以前にも出たことがある。演算力の総取りを狙い、他の走破者を一掃せんとする人物の出現も別にルール違反ではない。つまるところあなたは迷宮のシステムから1ミリもはみ出していない。フェアプレイと言えば聞こえはいいですが、私に言わせれば」
刀を具現化させ、腰だめに構える。
「早熟者です。いずれ訪れるであろう演算力の総取り、あなたはそれを目指しているに過ぎない。あなたは一般参加者なのですよ。ならば同じ走破者の私に打倒できない道理は無い」
「……私を軽んじるか」
オイディプスが片足を胸の高さにあげ、踏みつけると車が落ちるような音がする。床の石板が割れている。
「私が手に入れたのは究極の武だ」
両足を開いて低く構える。次の瞬間にその全身がかき消えて、右方のビル内で凄まじい破砕音。何かが私の眼前を横切って、次は左のビルで轟音が。
じっ、とマッチをするような音とともにオイディプスが出現。足元には焼け焦げのような足跡が出来ている。
そして左右のビルが、内部で雪崩のような音を出している。
「世界のあらゆる武が私の中にある。肉体の頑健さも人類の到達点と言えるものだ。九龍城を更地にするのに10分とかからん。どんな近代兵器であろうと、爆薬であろうと、毒物であろうと私を殺すことなどできん」
「くだらない」
それ以上喋らせたくない。
あまり格を落とさないでほしい。私はあなたを見切りつつあるが、尊敬もしているのだ。
あなたは現実世界で死を経験し、魂だけが迷宮にある。それは一種の境地――私には想像もできなかった走破者の境地だ。だから尊敬したままでいさせてほしい。
たとえその強さが、大きな欠陥を抱えていても。
刀に手を添える。
「あなたはまるで銃を手にしたチンピラです。武器が格上なら剣士に勝てると思っている。強さで言うなら晰星の方がはるかに強かった」
「な……」
オイディプスは驚きと困惑の混ざった音を漏らす。まさか分かっていないのだろうか。自覚がないのだろうか。今の貴方は脅威という言葉から程遠い。
歯がゆい思いがある。あの車椅子に乗っていた貴方。ネオンサインの流れる街でのわずかな邂逅。あの時の貴方のほうがよほど魅力的だった。
「――滅びよ!」
オイディプスの姿が消える。
四方八方から音がする。九龍城の広大な空間を駆け巡っている。いくつかのビルが崩落を始めている。轟音の波に乗って大量の粉塵が押し寄せる。私は目を閉じて構える。
無数の破壊。押し寄せる粉塵。空には満天の星。全感覚が研ぎ澄まされる一瞬。
ゆらり、と。
水中を泳ぐような刀の軌道。左に倒れ込みつつ、腰をきる動きで抜き放つ刀。
それは極限まで引き伸ばされた時間感覚の中でのこと。金属の線を織り込んでいた龍袍を斬り裂き、肉を断ち骨を割って、龍の皇帝を斬る一撃。
「――!」
勢いを残したままのオイディプスは地面を転がり、仮面が外れ、老人の顔が出てくる。血潮をばらまき、壁にぶちあたるその姿には、袈裟懸けの裂傷が。
私はグロックを出現させる。両手足の関節に数発。大型のサイレンサーを装備しているので音は抑えられている。
うめき声。私はオイディプスの再生能力を見極める。治癒が起きているが、みるみるうちに、とは言えない。肉体の再生とは演算力の極致。やはり晰星ほどの速度は出ていない。
「な、なぜ……」
「簡単な理屈です。ここに来るまで貴方の攻撃がなかった。長距離狙撃も毒ガスも」
「何だと……」
「オイディプス、貴方は迷宮のシステムに自己を組み込んだ。迷宮の支配者となって自分の体内にゴールプレートを隠した。それが最大の悪手です。忘れたのですか。迷宮はけしてだまし討ちはしない。必ずクリアできるように作られている」
オイディプスはまだ分からないという顔をしている。賢しさだけでオリンピアに食い込んだ御仁とも思えない。それともこれもダイダロスの制約だろうか。迷宮のシステムとなった彼には、自分の弱点を察することができなかったか。
「野球に例えるなら、200キロの球を打つことは人間には不可能かも知れない。しかし200キロの球が来ると最初から分かっていたならどうでしょう。ピッチャーの手を離れてストライクゾーンを通過するまではおよそ0.33秒、計算で簡単に求められる。しかも最も打ちにくい外角低めに来ると分かっていたならホームランも容易い」
「まさか……!」
「あなたは強い肉体を得ましたが、絶対に倒すことのできない存在にはなれないのです。それが迷宮の制約。あなたは人類の限界を超えられない。私の反応速度など関係ないのです。あなたが攻撃を仕掛けた瞬間。最も回避しにくい位置に刀を置けばいいだけのこと」
「だ……だが、いつ攻撃を仕掛けるかなど」
「分かりますよ。殺気というやつです」
正確には違う。私はここまで歩いてくる途中、足元に砂利を撒いていた。演算力で出した軽石の砂利。踏むとわずかに音がする。
私が本当の達人なら殺気で反応できたかもしれないが、残念ながら殺気というものの実在をあまり信じていない。まあ、このぐらいの小細工は許してもらおう。
射撃は続けている。オイディプスの龍袍はなかなか頑丈だ。グロックでは完全な破壊まで時間がかかるだろうが、逃げられなければ良い。
「プルートゥ、私を、殺すのか」
「ええ」
「そこまでの強さを手に入れて、それでどうする、走破者たちの混沌の中で生きていくのか」
「そうかもしれませんね」
「家族を捨ててまで、争いの中に生きるのか」
「……」
当たり前だが、オイディプスは私に起きたことを把握しているらしい。天后をクリアしたこと、家族と過ごしたいという願いを叶え、願いを叶えた「私」を切り捨てたこと。
「愚かなことを……演算力など手段であって目的ではない。お前が心の底から願ったのは家族のはず。それ以上の宝など迷宮にはない」
銃撃。
繰り返す。やはりオイディプスの治癒速度は晰星に及ばない。悲しいが才能の差だろう。オイディプスも非凡な人間ではあるが、今なら分かる。この人物は吹っ切れてるとか、ネジが飛んでいるという言葉から距離を置いているのだ。
「そのうち見つかるでしょう。願いを持つことを願う、というのも寓話的で悪くありません」
「お前が切り捨てた家族の肖像。それは電子の海に消えたわけではないぞ」
歯噛みしつつ言う。これは私に隙を作ろうとしているのか、それとも時間稼ぎか。
いや違う。オイディプスは私に何か言おうとしているらしい。人生の先立として助言を与えたいのか。それは一種のロールプレイ。彼が誇りを守るための時間なのか。
「何が言いたいのです」
「迷宮は、一人の人間の妄執から生まれた。天塩創一、唯一無二の才を持ちながら、常に人生に懊悩している男だった」
「知っていますよ」
「彼は自分の持てるすべての知識を、経験を、苦悩を、怒りを、悦楽を迷宮へと変換した。わかるか、迷宮は魂によって生み出される」
だが、と血を吐きつつ言う。
「それだけではない。明らかにそれだけではないのだ。我々は迷宮に挑む中で、Tジャックによってダイダロスと魂を接続している。我々の魂もまた迷宮に影響を与える。迷宮で落とした魂のかけらは、生き続け成長し、やがて迷宮となるのだ」
迷宮に魂を落とす。
言われてみると違和感はないように思えた。晰星は想念の中で恋人との世界を作り上げた。あれは演算力の海に落とした魂のかけら。あれが成長して複雑化すれば、やがては迷宮になるのだろうか。
「お前が捨てたものも、迷宮の大いなる理に取り込まれている。そしていつの日か、必ずお前のもとに戻ってくるぞ、お前に最大の試練を与えるために!」
捨てたものが、いつか迷宮となって帰ってくる。
それは人生のツケというやつか。私は家族への思いを、演算力の中に捨てるという形で断ち切った。
だから、向き合ってはいない。乗り越えてはいない。
あの世界は、演算力という広大な海の何処かにあるのだ。一時的に切り離されても、またいつか帰ってくる。私が自ら向き合って解決するまで、この世から消えることはない……。
それもまた、仕方のないことか。
「……私は泣き虫でした。子どもの頃はずっと泣いていた」
グロックを乱射。オイディプスに致命的な衝撃を与え続け、オイディプスは血の泡を吐く。
「でもそれが本来の私なのでしょう。この世のあらゆる事を悲しみ、父と兄にすがりついて泣いていた。でもそんな私も、いつかは大人にならねばならない。いつかは、父と兄の死を受け入れねばならない。弱くて泣き虫な私は、まだあの場所にいるのです」
いつか返ってくるならば、今度こそ向き合おう。
その時まで、走破者であり続けると誓おう。
「まだあの夜に……永遠に明けることのない、白夜の刻に封じられたままなのです」
「そう、か」
オイディプスは最後に、私の目を見て言う。
「走破者に、喝采を」
その姿が消えて。
あとに残ったのは、一枚の黒いプレート。
音がする。
飛行物体が空を切り裂く音だ。ふと振り向けば艦が。
「え?」
それは戦艦。
後部に柱状結晶のようにエンジンノズルを生やし、火を吹きながら飛行している。すごい勢いで近づいてくるが、あまりの大きさのために相対的にゆっくりに見える。私は周囲に鉄板を出現。あ、出す速度が遅くなっている。危な。
衝撃。
九龍城に撃ち込まれる神の鉄拳。数十のビルを粉砕させ、大地を割って、私の周りを石まじりの暴風が吹き抜ける。私の3メートル先に、鉄のクジラが強行着陸してくる。
側面にシャッターがある。喫水線の下にシャッターかある戦艦というのも不自然な眺めだが、ともかくそこが開き、よろめきながら出てくるのはゼウスである。
「ごほっ……ホコリが気管に入る……」
「何してるんですか、ゼウス」
「ひどいな、援軍に来たんじゃないか」
他にもいくつかシャッターがあり、上がり切るのももどかしく、突き破って出てくるのはパワーローダーである。
「よし! ゴールプレートを探せ!」
「迷宮の番人はどこだ! ぶっ殺してやる!」
10体ほど、血気盛んな連中が出てきて九龍城の中に散っていく。ただでさえほこりっぽいのにますます土煙が舞う。
「何なんですかあの人たち」
「スタート地点にいた走破者たちだよ。パワーローダーの使い手がいたから、僕の演算力で複製してみんなに配った」
私は艦を見上げる。側面から見ると巨大な城壁のようだ。しかも大きさの割にシンプルな造形。大昔のゲームのローポリゴンのようだ。
「オイディプスはどこだい? どこかに隠れてるのかな、遠距離攻撃に十分に気をつけて……」
「ええっと」
ゴールプレートが出現したのは見えたが、どこに行ったのだろう。吹き飛ばされたか下敷きになったか、それともコナゴナに砕けたのか。
いや、それよりも。
それよりも。この戦艦。
「これって……」
「すぐ出せるのがこれしかなかった。戦艦にジェットエンジンを増設して無理やり飛ばしたんだ。内部もかなり装甲を増設して……こういう設計は演算力を食いすぎるけど仕方ない。しかし妙だな、ここに飛んでくるまで妨害がなかった……」
ゼウスが私を見る気配がある。私はぽかんとした表情で。安いプラモのような戦艦を見上げている。
「どうしたんだ?」
「これ、ダイダロスアタックですよね?」
間。
「何……何だって?」
「いやこれ! ダイダロスアタックですよ! すごい! リアルで初めて見ました! 兄がこれ好きだったんですよ! めちゃくちゃカッコいいです!」
「いや、何の話なんだ?」
「知らないんですか!? じゃあ今度ビデオテープ貸しますから見てください。最初のTVシリーズだけでいいですから。6話に出てきますから。あ、でもやっぱりそこまで見るなら続編とか映画とかも全部、というかいま出しましょうか?」
「い、今は迷宮の攻略だろ」
「ほんとに知らないんですかダイダロスアタック。かめはめ波ぐらい有名でしょう」
「カメハメハ? 確かハワイの王様だけどそれが一体」
「はあ!? 正気ですかゼウス!?」
「なんなんだよ!」
ゼウスが声を荒げるのはものすごく珍しい。
私たちはやいのやいのと言いあって、その後ろでは10機のパワーローダーが九龍城を掘り返していた。
そしてオイディプスから始まる混乱は、混乱の中で幕を閉じて――。




