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迷宮世界のダイダロス  作者: MUMU
外伝 第四章 黄龍薨夜天禁宮
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外伝 第四章 1



喪失と獲得は、常に等価であるという。


人は豊かさを、賢さを、頑健さを求める。


優越を、名誉を、時として不死すらも。


大切なものを手放し、あり得た可能性を切り捨てて、なお求め続けるのか。


迷宮は与えず、奪わず、ただそこにり続ける。


心せよ。迷宮の中で失ったもの。


いつかまた、迷宮となりてかえるのだと。







ごう、と。


私たちの前を九龍城が行き過ぎる。本当にそうとしか形容のしようがない。膨大な量の空気が押しのけられて嵐を生む。丈の短い草がおびえたようにざわめく。標識とも看板ともつかないものは、軌道上にあったものは根こそぎへし折られ、少し離れたものも吹き飛ばされている。私たちの近くにも折れたしるべが散乱している。


黄龍おうりゅう薨夜こうや天禁てんきんきゅう。それだけを刻んだ標識の群れはひどく非現実的で、悪夢の中のようにも思える。


「この名称は何なのでしょうか? よく意味の分からない言葉もありますね、翻訳と検索を……」

「黄龍とは五行思想における土、中央を守護する霊獣。瑞獣でもあり皇帝を象徴する黄色の龍だ。こうとは高貴な人物が身罷みまかる、つまり世を去ること。夜とは宇宙のことだろう。宣夜説せんやせつという古典宇宙論もあるからね。天禁宮というのは紫禁城と同じだ」


ゼウスは双眼鏡を出現させて上空を見ている。雲は吹き散らされ、いつしか空は星空となっている。


だが九龍城はぼんやりと光っている。どうやら電気系統が生きているのだ。あの九龍城は生き物のように再生するから、電線や電球のたぐいも失われないということか。


「紫禁城?」

「ん? 紫というのは高貴な色なので、紫の城といえば高位の人物が住む城と分かるんだ。禁というのは一般人の立ち入りが禁止されてるという意味だ。つまり天宮という天帝の住まう宮殿があり、一般の人間は入るなという意味で禁の文字があるんだ」


つまり、とゼウスは言う。


「世界の中心に座す龍が宇宙を終わらせようとしている。生半可な者は入ってくるな。という意味を込めた名称だ」

「……この迷宮、あなたが創造したって「落ち」はないでしょうね?」

「心外だ。そこまで難しい解釈じゃない」


解釈の難易度はともかく、おそらくゼウスが何かを解説するときはいつもこうなのだろう。確度のほどは二の次で、断定的にずばずばと言っていくのだ。いかにも宗教家らしい……のだろうか。


すべての九龍城……空に浮く城はそれぞれ異なる軌道を回転している。原子核の周りを回る電子か、あるいは曲芸師の振り回す火の玉か。


「要するにあの九龍城に乗り込んで、オイディプスを討てばいいわけですね」

「おそらくね。だがどうやって乗り込む」


虚空の一点を中心として、回転する九つの城。あらためて冗談のような眺めだ。

一つ2.7ヘクタールの旋回する都市。あれに乗り込めたとして、中で戦うとなれば容易ではない。


「……この迷宮は2つの要素で構成されてる。一つはオイディプスを討つという討伐の迷宮。もう一つは走破の迷宮だ」


ゼウスは指を小刻みに動かしている。演算力にアクセスしているようだ。


「あの環境でゴールプレートにたどり着くのはそれだけで赤文字クラスの難易度だ。そしてオイディプスが居座り、みずちを操って襲ってくる。まさに難攻不落か」


ごおん、と音がする。

いんいんと響き渡る、それは高射砲の発射音か。どうやらログインしてきた走破者の仕業のようだ。


私は音の方向を見ようとしたが、ふと頭上に意識が引かれる。九龍城の一つがわずかに軌道を変えた。そして小爆発が底面の岩塊で起こる。


「だめだな。九龍城は底部に数億トンの岩塊を抱えて飛んでいる。重火器程度では防がれる」


おそらく核でも同じような結果になるだろう。九龍城はいくら壊しても再生するし、そもそも破壊することが目的ではない。


また音が聞こえる。ジェットヘリ。あれは確かMi-24ハインドと言っただろうか。二機同時に飛び上がってくる。走破者にもいろいろ得意はあるが、武装ヘリを出すのはそれなりに実力があると思われる。


だが……あんなものの接近を許すはずがないことは私にも分かる。そもそも動き回る九龍城にヘリでどうやって着地する気なのか。


「だめだな、検討してみたが、こちらの手持ちの手段であの城に行く方法がない」


ゼウスの声を聞きつつ、私は眼下を見る。崖の上から見ると滝の水煙で下界が白く染まっている。川幅は広がって扇型の海のようになっており、そこにMi-24ハインドが黒煙を曳きながら落ちていった。


「私は行きます」


行き方は見えている。


九龍城はそれぞれ中心点から異なる距離を旋回しているが、一番外側を回っているものは地上すれすれをかすめている。あれに乗り込めばいい。一見すると時速500キロの岩塊に殴られるのと大差がないが、周りに林立するしるべがーー。


「プルートゥ、いったんログアウトして作戦を立てたほうがいい。演算力で攻める手もあるはずだ」

「いいえ、時間がありません」

「時間? 一ヶ月ルールなら、君はまだ余裕が」

「そうではないのです」


自覚がある。この身に起きていること。細胞のすべてがハイになるような万能感と全能感。研ぎ澄まされた集中力。ゆっくりと深い呼吸すらも自覚できる。


「私はかつてないほど剣気がみなぎっている。おそらく生涯で何度もないほどに。これが持続するのは、長く見積もってもあと30分でしょう。その後は、少なくとも私にはこの迷宮の攻略は不可能です」


スポーツ選手で言うゾーンか。剣の道で言うなら開眼か。それはどちらでもいい。


この迷宮にも小細工は有効かもしれないが、少なくとも私には正攻法しかない。今このとき、私の剣気は満ちている。それだけで十分だ。


「ゼウス、あなたも来てください。手伝ってほしい」

「僕は……」


ゼウスは、この時は妙に気落ちして見えた。

なぜだろう。いつも気だるげながら、意志の強さだけは不気味なほど感じていた彼なのに。解説するだけして、足は動いていない。


「行かないのですか」

「ちょっと……立ち向かう気力が湧いてこない」


どさり、と草の上に腰を下ろす。


「何となく見えてきたよ。あれは限りなく完全無欠に近い迷宮。ほぼすべての物理兵器を拒み、肉体的な走破しか受け付けない。クリアルートが一つしか見えない。そういう迷宮に付き合うのは、疲れる」

「一つしか……」

「一番外側の城が地面に接する軌道で飛んでいる。まずはそれに乗り込む」


ゼウスが指で示す。それは目の前を通過する数億トンの特急列車。1秒ほどの通過時間で無数のベランダが、屋上が、路地が見える。


「一番外側の城は、一つ内側の軌道で跳ぶ城と接する瞬間がある。そのときに乗り込む」


なるほど、私にも見えた。九つの城は中心からの距離が少しずつ違う。そして軌道の何処かで接触に近いほど近づく瞬間がある。次々と乗り移っていけば、やがては最も中心に近い九龍城に行ける。それはさほど速くは動いていない。


「では、それを実践すればいいのです」

「僕は……搦手からめてが専門だから、真っ当な走破はできないんだ。明らかに僕に向いてないんだよ」


なるほど、この迷宮が誰を拒みたいかと言えば、第一には間違いなくゼウスだろう。

まずはゼウスの生み出す近代兵器群を拒む。それが十戒の第一条。設計の基礎部分というわけか。


「オイディプスは、僕が嫌いなんだろうな」


それは、さすがに今さら過ぎる言葉だった。

私も多少、あきれた顔になるが、今の言葉がゼウスの口から出たことには意味があるのだろう。


「どうも僕を拒んでる気配がするよ。話し合えば分かるはずなのに、オイディプスは歩み寄ってくれない。僕の得意を徹底的に潰す作戦だ。何かしら有効な兵器を見つけるには、検討する時間が必要……」

「違いますよ、ゼウス」


また目の前を九龍城が通過する。皮膚を剥がされそうなほどの突風。私は刀を突き立てて構える。


「あなたも走破すればいいのです。オイディプスが嫌っているのは近代兵器を湯水のごとくつぎ込むという方法論であり、走破での攻略は否定していない」


ゼウスが個人的に嫌われてないかといえば、まあ、そんなことはないだろうが。


「それこそ無理だよ。見て分かるだろう。僕に走破なんて」

「ゼウス、迷宮ですよ」


私は腕を広げる。上空には大気のうねり。公転軌道がもたらす風のうねりが吹き付けてくる。あるいはこれは引力の波だろうか。寄せては返す迷宮が、引力を放って我々を引きつけるのか。


「心が高ぶらないのですか。まだ誰もクリアしていない迷宮ですよ。走破者にとっては迷宮こそが最大の財宝ではないのですか」

「……もう、そういう時期は終えてしまったよ」

「ではお礼を約束しましょう。それでいかがです」

「お礼……? 走破者にはこの世で手に入らないものはない。僕にあげられる報酬など無いだろう」


やれやれだ。すっかり尻込みしている。

こういうゼウスも貴重ではあるが、私の絶頂期もそう長続きはしない。いつまでも彼にこだわってはいられないだろう。私は多少、投げやりな気持ちで言う。


「報酬は、そうですね、人はどうですか」

「人?」

「私のことです。あなたが手伝ってくれるなら、あなたが遠くへ旅立つときに、そばにいて看取ってあげますよ。悪くない報酬でしょう?」

「それは、君が僕を殺すって意味じゃないのか?」

「心外です」


私はゼウスに見えない角度で舌を出し、前に歩く。


「おい、本当に行くのか」

「私は挑むしかできません。神は乗り越えられる試練しか与えない。コリント人への手紙、10章第8節でしたかね」

「……13節だよ」


最初の試練。時速500キロで接近する九龍城にどうやって乗り込むか。


方法はこれだ。無数に屹立する標識。迷宮の名前を冠した長竿。


私はそれを引っこ抜く。長めのものは15メートルほど。しっかりとした材質だが軽い。重量にして10キロほどか。


「何をする気なんだ」

「カナリア諸島に槍を使って高所から降りる技があるそうですね。確か、サルト・デル・パストールと言いましたか」

「馬鹿な、あれはせいぜい数メートルを安全に降りるための技だ。時速500キロ近い弾丸に着地する技じゃない」


そうだろうか。よく観察していれば分かるはずだ。あの城は地面すれすれを通るとき、前に転がるような方向で回転している。地面の近くでは進行方向に対して遠ざかるような回転。つまり相対速度は遅くなっている。


それでも時速は350キロ以上。これもまたギネスブック級の離れ業。おそらくこんなことが当たり前のように繰り返される。


私は手のひらに包帯を出現させる。分厚くてがさがさした質感のもの。両手で槍を把持して、ぐいと持ち上げて迷宮を待ち構える。


来る。高速化された視界の中でスローに見える固まり。視界の果てから一瞬で巨大化して迫る。開いている窓が見える。霊的なほどの反応でそこに槍を突き込む一瞬。腕がぐいと持ち上げられて私の体がかっさらわれる。


手が槍の表面をすべる。火花どころか炎を上げそうな急制動。肩がもぎ取られそうになる一瞬。槍を滑り終えた私の体が床に衝突。足から膝へ、膝から腰へ、そうして全体をまんべんなく打ちつけるような受け身。肺が押し上げられる。


そして九龍城は、九つの体を持つ龍は空を舞う。衛星軌道に乗って円運動。


私はすぐさま立ち上がり、凄まじいGの中を歩き出す。遠心力と重力の合成方向を意識し、60秒ほどで1回転する。



窓からの星は美しかった。眼球はGのために頭蓋に埋まりそうだったが。










Tips サルト・デル・パストール


「羊飼いたちの跳躍」という意味。カナリア諸島に伝わる技術であり、長い槍を使って段差を降りるテクニック。槍の穂先を着地点に突き立て、手と竿の間の摩擦を利用して降下速度を軽減する。熟練者であれば8メートルの高さからも難なく降りる。


長い竿を使って高所から降りる、川を飛び越えるなどは生活に根ざした技術であると同時にスポーツでもあり、オランダではフィーエルヤッペンと呼ばれる幅跳びのような民間競技もある。


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― 新着の感想 ―
ゼウスの正面突破嫌いもそこまで気合入ってると笑えてくる
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