第二章 5
「ドットイートゲーム……」
『はい、ご存じありませんか、ピザ生地からピザをひと切れ取り除いたような姿のキャラクターが、迷路を動き回るゲームを』
ゲームはまったくやらないが、さすがに知っている。チンパンジーすら熱狂させる伝説的ゲームだ。
『あのゲームでは主人公が四体のゴーストに追われていますが、その挙動は四体それぞれで違い、シンプルなアルゴリズムながらゲームに劇的な場面を与えています。現在でも研究対象にされるほど高度なAIなんです』
「そうなの?」
『そうです、おおまかに言って赤のゴーストは主人公を追いかける。ピンクは主人公の視線の少し先へ向かう、つまり待ち伏せを行う。青は主人公の動きに合わせて点対象で動く。黄色はごく近くにいるときは追いかけるが、それ以外ではランダムに動く、というものです』
「……」
『現在、追いかけてる目標……仮にゴーストと呼称しますが、それはミズナさんに対して点対象に動いているようです。ならば点対象の位置を亜里亜さんのいるコックピット付近になるよう動けば、追い込めるのではないかと』
ゴースト、まさに姿の見えない亡霊か。
イカロが言うほど簡単ではないだろう。私だけが動いているからゴーストが私の移動だけに影響を受けてるように見えるが、亜里亜の位置を察知してないはずはない。
しかも二次元の迷路だったドットイートゲームと違い、この迷宮は立体格子構造。つまり三本以上の辺が集まっている角が多い、この状況下では二人で追い込むのも難しい。
では、この迷宮はどのように攻略されるのか?
機体の燃料切れという制限時間がある以上、通路を塞いでいく方法は現実的ではない。バリケードを作っても、それをゴーストが破壊したり、すり抜ける可能性もある。
もっと大人数で追い詰める? イカロが来たとしても私以外はこの迷宮で走り回れない。そもそも三人ともが拡張世界に来るのは危険すぎる。
ではどうする。
そのドットイートゲームならば、一回り大きなドットを食べることでゴーストたちの動きが逃げに転じ、速度の増した主人公はゴーストを補食できる――。
アイテム……そんなものがあるわけもないし。
私は考えに沈む。耳には亜里亜のつぶやきも聞こえてきた。
「ゴースト……動き回る、追いかける……」
彼女も思考しているようだ。やがて、その少女らしい鈴のような声が私に向く。
「ミズナさん、少し動き回っていただけますこと?」
「どうしたの」
「とにかく早く、もう燃料が五分も持ちませんわ」
私は言われるままに走る。水平に走り、縦方向の通路を上に向かう。シートの行列は慣れてくれば梯子のように登れる。
「このゴーストの動き……速度が一定ですわ。上下左右どの方向へも……こういう動きをするのは……」
音声には燃料不足のホーン音も混ざっている。窓から見えるのは縦横に組み合わさった旅客機の迷宮。この巨体に揚力的合理性があるはずもなく、エンジンの出力をかなり上げて飛んでいるのだろう。貨物で満載になっている時のように燃料を食うはずだ。
「……分かりましたわ、この迷宮の攻略法が、ゴーストの正体が」
「本当?」
「ですがギリギリの作戦ですわ。ミズナさん、コックピットまで戻ってきてくださる」
私にゴーストの正体とやらが見えない以上、指示に従うだけだ。私は壁の地図をたよりに一番の機体、つまりコックピットの位置へと向かう。走ってみて分かったが、この迷宮にはコックピット、つまり先頭部分が残っている機体は一つしかないようだ。
床が大きく傾く、瞬時に内股に構えて爪先のグリップで耐える。
急に機首が上がったのだ。だが理由を問いただしてる暇はない。私はシートに捕まりながら傾斜を駆け上がる。
そして一番の機体へ。マーカーで私の到着を知ったのか、到着する前に今度は急激に機首が下がりはじめる。
pull up (機首を上げろ)という電子音声が聞こえる。緊急時の音声警報だろう、足元が今度は逆側に傾斜し、それは急速に進む。
角度は一気に垂直落下に近くなっていく。本来は自動で機首の傾きを戻す機構があるはずだが、この異様な形状の機体ではそれは働かないのか、あるいは亜里亜が止めているのか。
「亜里亜、余裕があるなら何をするか教えて」
「ゴーストは常に一定の速度で動いていますわ、水平方向でも上下方向でも速度がほぼ変わらない、だから水平方向に走ったときは少しだけ距離が縮まったのですわ。このような移動ができるのは高性能なドローンですけど、障害物の多いコースは向いていない、それなら残る可能性は」
ばがん、という大きな物が通話と同時に聞こえ、そして圧倒的な風圧。他の音が何も聞こえなくなり、数千もの風の霊が私にしがみついて彼方に連れ去らんとする。
そしてびゅごう、という風の音に混ざって亜里亜の声が。
「飛行船ですわ!」
風の中でコックピット付近に目を向ければ、果たしてそこには上に大きく開かれた非常出口。シートの上から酸素マスクが降ってきており、厨房からあらゆるものがこぼれ落ちて外に吸い出されている。機内に霧がかかったように見えるのは、気圧低下で生まれる雲だ。
なるほど。機内の空気をすべて吸い出せば、ゴーストは飛んでいられない。飛行船ならば下り坂を転がりつつここまで吸い寄せられてくるはず。私はシートの隙間に脚をねじ込んで、強風の中で目を見開く。
飛行機の非常口が急に開かれた場合、機内は0.5秒で減圧され、急激な気圧低下により内圧が高まり、様々な異常が現れる。頭と耳が割れるように痛くなり、全身の筋肉がこわばって内臓がせり上がる感覚がある。肺胞もいくらか破裂しているだろう。
そしてそれは来た。全身を持っていかれそうな風の中を引き寄せられてくるもの。それはビーチボールのような球体の飛行船。障害物に引っ掛からないための形状だろう。無事ここまで来たことは僥倖というべきか。私はシートの手すりに腿を絡めてそれを押さえる。
「捕まえた!」
本来はここから機首を上げるべきなのだろう。だがコックピットに亜里亜の姿がない。
それは当然だ。亜里亜のやったことは少しでも自由落下の時間を稼ぐために高度を上げ、転がってくるものを先頭に集めるために機首を下げる操縦。その中で体をどこかに縛り付けておく余裕などあっただろうか。あるはずもない。
そして私も同じ、私は飛行船を抱えたまま、転がるように非常口から外へまろび出て自由落下となる。
そこは雲の世界。
あきれる程に美しい360度のパノラマ。脱出の際に機体を蹴って少しだけ真下へ加速。ボールディング737の立体格子は巨大なために浮力が発生し、人体の自由落下より少し遅い。私は遠ざかっていく機体を一瞬だけ認識し、雲の高さから見て着水までにさほど時間がないと感じる。
視界の端。
「……!」
まただ。
また何かが消えた。
この迷宮を見張っていたのか。あるいは何らかのゲームシステムの一環か。だがそれを意識している余裕はない。
「イカロ! ゴーストを捕まえたわ! 聞いて!」
私はラグビーボールのような小型飛行船を胸に抱いたまま、そこに刻まれた32桁の数字を大声で読み上げる。風圧を避けるために体を上に向けなければならず、それでもかなり困難な作業だ。
幸運なことに、32桁は間違えずに読み上げられたらしい。イカロから届く認証成功です、との声を聞いた直後。
私の体は時速250キロで水面に落ちる。この速度では水面はコンクリートも同じこと。私はおそらく、野菜のように四散した。
※
「順調です。侵入者の情報が集まっています」
イカロの行ったことは顔認証だ。カメラの映像に映っていた侵入者の顔を分析し、ネット上のデータと照会する。
「一人判明しました」
十秒もかからず突き止める。その人物の本名、顔、略歴が履歴書のように表示された。
「……建設会社の係長、ただのサラリーマン?」
「どうやら闇サイトでの依頼を受けて集まった連中のようです。すでにログも入手できています」
ダイダロスには様々な画面が現れては消える。そのように端末を使役するときのイカロは動きに淀みがない。人物情報を手がかりに契約している携帯端末を見つけ出し、アドレスもあっさりと割り出す。
「仕事を受けたのは匿名性の高いSNSのようですね。ログを参考に、仕事を依頼した人間の別アカウントに見せかけて退避の指示を出します」
そしてセーフハウスの外から呼び出し音、SNSにメッセージが来た音だろう。
そしてぞろぞろと足音が遠ざかり、作戦はあっさりと成功する。
「次は警察です。あと六分で到着します。35階のドアは破壊されていますから、34階で出迎えましょう。亜里亜さんはダイダロスを隠してください。ミズナさんは僕の保護者という体裁で」
「了解」
「分かりましたわ」
私たちはセーフハウスのカンヌキを開けて外へ出る。すでに男たちは立ち去った後で、ドリルで穴を開けようとしていたためか、少しだけ焦げ臭いような臭いが残っていた。
「警察って、出ていく男たちと鉢合わせするんじゃないの?」
「エレベータの電源を落としてますので、男たちは階段で降りています。警官の到着に合わせてエレベータを復旧させます」
ダイダロスにはマンションの階段室とおぼしき映像が映っていた。男たちがぞろぞろと階段を下っていく姿が見える。くだけた姿の連中だが、顔も名前も分かっている上ではそれは素性を隠すための不格好な変装に見えて――。
そこで生まれる違和感。
「……イカロ、先頭にいたスーツ姿の男は? 鍵を開けてたやつ」
「あの人物は部屋に入らずに引き返したようです。管理会社の人間なら身元の確認も容易でしょうし、後回しにしてましたが」
「……ちょっと調べてみて」
イカロは特に疑問を挟むことなく手を動かし、ダイダロスを通じて演算力を操る。
そして数十秒後、手が止まる。
「この顔は……追えません」
「管理会社、ビルの出入り業者、その他スペアキーを持つ可能性のあるすべての業者で全社員に該当ありません、正体不明です」
Tips ドローン
ドローンとは無人航空機の総称であり、小型飛行機からラジコンまでを含む言葉であったが、2010年代後半においては、無線機と区別するために自律性を持って行動するものをドローンと呼ぶ傾向がある。
飛行船のドローンは無風ならば空中に静止できること、姿勢制御のしやすさ、衝突への耐性などの点においてプロペラ型ドローンを上回る。




