外伝 第三章 3
空中から槍が突き出すような感覚。プロメテウスがフットワークを刻むと、無から拳が生まれて鱗野郎の顔面が弾ける。
鱗野郎は踏みとどまって反撃せんとするが、大振りの打撃はぶおんと空を切り、生まれた隙でプロメテウスが顔面を狙う。
速度よりは流麗さというべきか、鱗野郎の野獣のような攻めをシルクの布のようにかわし、全身のバネを拳の加速に使っている。
だがそれだけではない、鱗野郎の動きに違和感がある。打撃を打たんとする一瞬、硬直があるような。
その原因が見えた。足元だ。
プロメテウスは少しずつ後退しながら戦っている。そして下がるごとに床が砂地に変わっている。鱗野郎は足を取られて一瞬、動きが止まる。
「足元を書き換える……演算力にそんな使い方が」
プロメテウスが離れながらジャブを飛ばす。左、左、右のコンビネーション。鱗野郎は顔面を何度も打たれながらも追いすがる。引退して数十年とはいえプロボクサーのパンチだ。生身の人間なら意識を保てるはずがないが。
やがて限界が来た。鱗野郎の膝から力が抜け、前側にどうと倒れる。タンスが倒れるような音がしたが、その爆薬の重量のためか。
「あっけないな。これで終わりかい?」
「まさか……」
確かに鱗野郎は弱くはないが、討伐型と言うにもぬるすぎる。これなら以前に見た単葉機のほうがよほど手ごわかった。
ぴく、と。
鱗野郎の全身が震える。全身を覆う緑色のタイルがちゃりちゃりと鳴る。
がばり、と起き上がる。足を使わない奇妙な起き方。着込んでいるウロコ状のスーツが動いたように見えた。これは、いわゆる外骨格パワードスーツか。
布を巻いた顔には意識がない。目が完全に白目を向き、布地には鼻血が垂れている。
そして口が開き、喉が痙攣するように震えて。
「オ」
声として聞こえたのは一瞬。
巨大な音が脳を揺さぶる。戦闘機のジェットか台風のうねりか、周囲の調度が砕ける。
そして鱗をまとった怪物は、空気に溶けるように消えた。
「何だ……? 音響兵器ってことか?」
「違いますね、仲間を呼んだようです」
プロメテウスがぎょっとしてこちらを見る一瞬、私は窓の外にグロック17を乱射。
複数の爆発。腕で顔を覆った鱗野郎が何体か向かってくる。ダンスホールの外にも気配が。
ざざざと滑り込んでくる。爆薬の鱗を持つ緑色の怪物。私たちを囲むのは10体以上。
「こんなにいやがったか」
「要領は分かりました」
私は刀を出現させる。鱗野郎たちは遠巻きにしながら、一体が私の方に向かってくる。
高速の打突。刀でいなす。身を引くと同時に肘の内側あたりを斬る。出血と、金属に刀が触れる感触。鱗野郎が一瞬足を止めるが、踏み込んで首を飛ばすことはできなかった。さらに2体の鱗野郎が殺到してきたからだ。
連携は取れていない。互いにぶつかり合うと自爆してしまうのか、同時に踏み込んでくることもない。私は場所を広く使い、後退しながら牽制を入れる。
こいつらは一体ずつ微妙に体格も違う。動きも違う。
何らかの思想だろうか。かの兵馬俑には一体として同じ顔のものはなく、実在の兵士をモデルにしているとも聞く。これも実在の。
誰か、を。
「……なるほど」
「逃げるぞ嬢ちゃん」
プロメテウスが逃げを打つ。足元が走りやすいハードコートに変わっているが。それは水たまりが乾くように瞬時に元に戻っていく。私は元のコンクリートに戻る前に後を追う。
周囲から鱗野郎が殺到してくる。ゴミだらけの路地から、商店の奥から。
振動を感じる。プロメテウスが視線をあちこちに飛ばす。
「何か変だ。地面が揺れてやがる」
「確かに、鱗野郎の爆発かと思いましたが、これはもっと大きな……」
水だ。
どこかで水音がする。あらゆるものを押し流し、漏電によってヒューズがはじける気配。四方八方から水が押し寄せてきている。
さっと手すりから階下を見れば、濁流が渦を巻いている。走破者らしき迷彩服の人物が流れの中に孤立し、そこに数体の鱗野郎が襲いかかる瞬間だった。
「水責めですか。では上に行くべきですかね」
「水没した中で宝探しをする迷宮もあるが……その場合は潜水服ぐらい用意されるはずだ。そういうのを探してみるかねえ」
水位の上昇が速い。
そして足に感じる振動。これは濁流の勢いだけではない。
「プロメテウス、この九龍城全体が沈んでいます」
「ちいっ!」
この九龍城は平原の中に立っていた。全体が水没するほどの津波が押し寄せているとは思えない。ならば、この九龍城の周囲が水場に変わり、その中に沈もうとしているのだ。
悪いことには近くに階段がない。あっという間に水が押し寄せ、胸の高さまで浸かる。
「プロメテウス、ビルの隙間に行きましょう。水位が上がれば屋上部分まで行ける」
「ああ、全体が水没しなきゃいいがな」
九龍城のビルは一つ一つは大きくない。私たちは水中で鉄柵を見つけ、ビルの隙間と思われるあたりへ出る。
水位はどんどん上がっている。というより九龍城全体が沈んでいる。もう銃声も聞こえなければ、上空を飛んでいたドローンもいない。敷地の外にいたキマイラはどうなったろうか。もう私たち以外は残っていないのか。
「やばいな」
「ええ、そうですね。迷宮の何らかのギミックが」
「そうじゃねえ、来てやがる」
私ははっとなる。
20メートル先、鱗野郎だ。水面からわずかに体を出し、アパートの壁面を手がかりにして、上に登るように動いている。その意識は確かにこちらに向いている。
「プロメテウス、どうしますか。なんとか上に逃げるか、それともスイムスーツを出して水中に逃れるか」
「だめだな、今回は失敗のようだ」
プロメテウスは冷静に鱗野郎を見ている。
「……そうですね」
私も切り替えるべきだろう。
迷宮は必ずしも一度でクリアしなければいけないものでもない。せめて最後の一瞬まで情報を集めるべきか。
鱗野郎はどうやって攻めてくる気か。水位が屋上に達するまで待つのか、それとも仲間を呼ぶか。
どちらでもないようだ。鱗野郎はぐるりと首を巡らせて私を見る。飛びかかる気か。
だがあのスーツ。爆薬の鱗を含めて50キロ以上ありそうだ。さすがに水の中で私たちを……。
やつが、手すりから手を離す。
そして次の瞬間。大量の水がやつの後方に打ち上がり、その勢いのまま私たちに。
なるほど、爆薬で推進。そんなこともーー。
※
私が覚醒するとき、ちょうど対人レーダーが警報を鳴らし出した。私は警報音の中で自我を定着させ、手元の遠隔スイッチを操作してすべて解除する。
「お姉ちゃーん」
「大丈夫? 最後どうなった?」
双子がばたばたと入ってくる。私は固まっていた首の筋肉をほぐしつつ言う。
「迷宮が水没していきました。私はプロメテウスと合流してましたが、水位が上昇するさなか、鱗野郎に襲われてログアウトさせられました」
「そっかあ、知ってる走破者もみんなダメだったみたい」
「鱗野郎なかなかやるよねえ。次に潜るときは対策しとかないと……」
中国の思想では龍とは鱗虫(鱗のある生き物)三千種の長であるという。
あの怪物の鱗は爆薬。それは攻撃を防ぐリアクティブアーマーであり、水中での推進力となるもの。確かになかなかの怪物だ。
だが、赤文字の迷宮。すべての走破者を一掃するほどの強敵、とは言えないだろう。
「鱗野郎という呼び名はあまり適切ではありませんね」
「そうだね。もうちょいカッコいい名前を」
「そういうことではなく、野郎ではないからです」
「?」
「私に最後に襲いかかった個体には胸がありました。他に子供もいた。少数ですが老人らしき個体も」
蛟。やがて龍となる生き物。
「ひとまず蛟と呼びましょう。一体ではない。おそらく数十体、同じようなものが放たれている」
外骨格パワードスーツとリアクティブアーマー。一個体ですら並の走破者を圧倒する。意識が飛んだとしても多少ならばパワードスーツが体を動かすようだし、自爆特攻されるおそれもある。なかなかに愉快な相手だ。
問題なのは、なぜパワードスーツなのか。なぜ生身の人間が中にいるのか。
そしてなぜ、プロメテウスにやられた個体は消滅したのか。
「あれは走破者です」
「えっ」
迷宮のNPCと生身の人間を見分けることは困難だが、間近で見て分かった。人間らしい理性など感じないが、あの鋭い反応、迷いのない打撃、それでいながら格闘センスが無い。どこかひどく人間くさいのだ。
「オイディプスの走狗、操り人形、眷属。呼び方は何でもいいでしょう。オイディプスは脳オルガノイドコンピューターの構築のために優れた人材が必要だと言っていましたが、それと同時に迷宮に潜るプレイヤーを求めていたのです。迷宮にて蛟の一人となれる者を」
彼らの認知では何が起きているのか。まだそれぞれの思い描く夢の中にいて、無意識の領域だけを利用されているのか。それともあれもまた冒険活劇の一場面なのか。オイディプスに囚われた人々は剣と魔法の世界にでもいて、襲い来るゴブリンを蹴散らしてるつもりかも知れない。
「迷宮はきわめて難易度が高いですが、必ずクリアできるように作られています。心技体を極めた人間ならば突破できる難易度であり、一見すると不可能な課題に思えても抜け道がある」
「うん……」
「オイディプスはダイダロスのシステムに干渉しましたが、それでも迷宮の原則を変えることはできない。ではどうすれば走破者を一掃できるか、それはすなわち、対人戦です」
双子がはっと気づく。
「そっか! 対人戦で走破者を削り続ける作戦!」
「で、でも、優秀なプレイヤーって言っても一般人だよ。今はみんな押されてるけど、そのうち対策を立ててくるんじゃ」
それはそうだろう。オリンピアの連中はなんといっても場数を踏んでる。
それにまだ迷宮が生まれて一日だ。一ヶ月ルールがあるとはいえ、走破者たちも残機無限の中で成長する。オイディプスも当然そのぐらいは考えている。
だが、それより重要なことがある。
あの蛟たちがオイディプスの送り込んだ敵ならば、あの迷宮本来の仕掛け、赤文字の迷宮たる仕掛けはまだ現れていないことになる。
後半、九龍城全体が水没するように思えた。推測するにあれこそが迷宮本来のギミック。まだその取っ掛かりすら見えていないが。
「どうしようお姉ちゃん。作戦を練らないと」
「いいえ、私はあれとは戦いません」
え、と双子は目を丸くする。そんなに意外そうな顔をしないでほしい。何度も言っていることだ。
「私は「天后」の攻略に入ります。そして私もオイディプスの側につく。蛟の眷属となって走破者たちと戦います」
「お、お姉ちゃん……」
「あなたたちもそうしますか? 私はオイディプスを買っていますよ。彼もけして善人とは思いませんが、少なくとも優秀です。在野から演算力の存在に気づき、オリンピアとなった人物ですからね」
「うーん……」
「でも僕たち、夢で眠るってわけには……」
双子には何か目的があるのだろうか。迷宮に挑む理由が。
双子とはもっとコミュニケーションを重ねたかった気もするが、もうそんな段階でもないだろう。決別の予感が雲間の星のように見えている。
「では……お別れです」
「お姉ちゃん、僕たち」
「走破者は、走ること以外の何も求められない」
それは金言である。すべてから自由なものこそが走破者。誰にも犯されざる唯一の法則。
「走破者は人と人との繋がりすら求めない。そして最終的には一人だけになる。あなたたちとの日々も楽しかったですよ。でも永遠には続かない」
「……うん」
「お姉ちゃんとは戦いたくないけど、しょうがないね……」
双子はとぼとぼと、窓辺に寄ると窓をがらりと開ける。高層階なので強風が吹いているが、胸の高さの鉄柵をひょいと乗り越えて飛び降りる。最初にカストルが、ポルックスは私を見て何か言いかけたが、そのまま鉄柵の向こうに体を放り投げる。
私は部屋の中央に鎮座する筐体を見つめ、立ち上がって電源を入れる。ついでにダイダロスを操作して、すべての呼びかけを拒否設定にした。
すでにこのホテルは買収済みである。邪魔が入らないようにさまざまに手を打つ。思い出したように窓も閉めておく。
問題はまだある。
私がまだ「天后」の課題をクリアできていない。
ゲームをスタートする。序盤から濃密な弾幕が展開される。アイテムの取捨選択、バリケードの構築と逃走経路の確保。刻一刻と変わる戦場を把握しようとする。
私が休憩を取ったのは、それから16時間後のことだった。
Tips 外骨格パワードスーツ
人間が着用することで動作を補助する機構のこと。フレームだけのものと、スーツのように着用するものがある。流通や介護の現場で広く使われている。
その駆動方式や動力の有無などで細分化されており、着用した人間の動きをフィードバックさせるものはマスター・スレイブ方式。外部入力で動かせるものは遠隔操作式、アクティブ制御方式などと呼ばれ、用途や事業分野によってさまざまに呼称される。
入力経路は一つとは限らず、操縦式、外部入力式、またスーツが自己の判断で動けるロボット制御式など、これらすべてを兼ね備えることも可能である。




