外伝 第三章 2
「修復されていく……」
有機的な眺めだ。生物的とも言えるだろうか。
あれは2つのことを意味している。すべてを更地にするような攻略は不可能であること、そして多少ならば破壊を受け入れること。
近づくほどに分かるが銃器や爆薬、電動の工作機械を使っている音もする。走破者たちが暴れ回っているようだ。
「畜生! またやられた!」
声の方を見る。バイザー型サングラスをかけた黒人女性がいた。
何度か見かけたことがある。キマイラだ。アフリカの国立公園のガイドであり、国際的な動物保護団体の活動家でもある。今度は選挙にも出るとか。
「お仲間が入っているのですか?」
「ああ、まあね」
走破者同士の距離感というのは独特なものがある。
基本的に対人戦はしたがらないので、空気が険悪になるような言動は避ける。時には複数人で協力すべき迷宮もあるので、仲間を作ろうとする者もいる。
だが走破者は現実世界では一人で何でもできる。だから迷宮だけの付き合いとなるし、必要以上に馴れ合わない。仲間を必要としないほど強い人間だけが走破者になるのだと、やや傲慢なことを述べる人間もいる。
そして赤文字の迷宮とは走破者にとって名誉でもある。キマイラは私との距離感を測っているように思えた。私はそのあたりの機微を意識しないように問いかける。
「中に敵がいるのですか? 史実によれば九龍城は黒社会が牛耳っていたと言われていますが」
「分からないね。もう10人近くが一瞬でやられてる。人間サイズの何かが襲ってくるようだが、まだ正確な姿が分からない。カメラを設置して回ってるやつもいるけど、すべて壊されちまうのさ」
「高性能のレーダーなら内部を観測できるかと思いますが」
「無理だね。むき出しの配線が電磁波を発生させてる。建材も大昔の九龍城そのままじゃないよ。ま、その手の覗き見は許さないってことだね」
キマイラは顎を振る。これ以上は自分で確認しろということか。
私たち三人は迷宮を見上げる。今にも剥がれそうなモルタル。壁面を這う配管と、不可思議な位置に取り付けられた空調の室外機。錆びた雨どいがだらりと垂れ下がり、朽ち果てた家電などが投棄されている。
「お二人とも、自分の身は自分で守ってくださいね」
「うん、任せて」
「お姉ちゃんぐらいは守るから、死にそうになったらログアウトしようね」
踏み込む。
内部はひやりとしている、空気の流れがあるのだ。
現実の九龍城もそうだったが、周囲に建物が全くないため、風が吹き抜けて行くのだろうか。
最初に意識されるのは配線だ。テープで乱雑に束ねられた配線が壁を這い、天井からたるみを持たせて垂れ下がり、ビルのすき間を竜巻のように昇っていく。
光量はある。いくつかの部屋には明かりがついており、家電が動く音が聞こえる。ラジオの音声も聞こえてくる。香港返還がどうの、という古いニュースが流れているようだ。
廃墟のように見えたが違う、賑わいがある。
飲食店があり、何かを煮込むような音と香ばしさの風。カラオケの音も聞こえる。広めのホールではダンス・ミュージックが流れている。人間はいないが、ここに確かに大勢が住んでいると感じられる。世界最大の人口密度を誇る場所だったのだと。
「立派なもんだねえ。映画のセットで700万ドルかけて再現したとか聞いたことあるけど、これはそれ以上かも」
「実在の場所を使ってる迷宮って、ガワだけ真似してるパターンと忠実に再現してるパターンがあるけど、忠実に再現してるなら本物の資料が攻略の役に立つかも」
確かに、攻略が数日に渡るなら資料が紐解かれることもあるだろう。
私たちは階段を登って上に向かう。何しろ銃声や爆発音がずっと続いているので、落盤を考えるとなるべく上に行きたくなる。
轟音。
私たちは足を速め、音のした方に向かう。アサルトライフルが乱射される音。瓦が砕けて落下していく音。そして何かが、それは例えるなら、10トンもの鉄球がコンクリートの壁にぶち当たるような。
「お姉ちゃん待って!」
「僕らが見てくる!」
双子が共用廊下から手すりを乗り越える。配線がラプンツェルの髪のように垂れ下がった中をすさまじい速さで上へ。
爆発。
手すりから離れる。ビルとビルのすき間を大量の建材が落下していく。複数の衝撃音が聞こえる。
どうやら複数人が何かと戦っている。銃声や打撃音に混ざって、何かとてつもなく重厚な音がする。一撃でコンクリートを砕き、ビルを傾かせるような衝撃。
私も行かねばならないが、ここを登れるだろうか。不可能ではないが、双子ほどの速度が出せなければ落下物の危険が無視できない。
だが双子を追いかける必要はなかった。凄まじい音とともにドアの一つが吹き飛び、中から粉塵が吹き出てくる。私はそちらの方に走る。
「くそっ! どこだ!」
叫ぶような声。そして自動小銃の連射。その人物は両腕にAK-47を持って乱射している。一般人の部屋のようできわめて狭いが、跳弾など気にしてられない焦りようだ。家具が根こそぎ粉砕されていく。
顔ですぐに分かった。アポロジーズ・ラファティ。世界的なテニスプレイヤーであり、ラテン系の色男である。対爆スーツのようなものを着込んでおり、粉塵で顔は薄汚れて。
瞬間。私から見て右方の壁が砕ける気配。脳内で映像がスローに感じられる。アポロがそちらを向こうとした瞬間。
何かが。
とてつもなく高速で動く物体がアポロに衝突。その対爆スーツで覆われた体がかんしゃく玉のように弾け、血と肉片が舞うかに思った瞬間。銃器も含めてすべてが消滅する。
「……!」
人間、あるいは蜥蜴。
その全身を何と形容したものか。緑色のタイルで覆われている。一つ一つは正方形。それがスケイルアーマーのように全身を包んでいる。顔には濃い緑の布を巻き、手にはやはりバンテージのような布。ワニのような太い尻尾があり、それもやはり正方形のタイルで覆われている。
「あなた、何者ですか」
相手は答えのかわりに前に体重をかけた。
構えたと思った瞬間。拳が私の顔面に。足さばきも見えぬ踏み込み。
かわす、凄まじい殺気に体が勝手に動いた。突きだと理解した瞬間に戦慄が走る。一瞬遅れて風が吹き抜けていく。
私は刀を出そうとする。だがこの部屋では刀を振るえない。私はあらかじめ用意していた設計図を起動させ、グロック17を出して。
「お姉ちゃん!」
その時双子が来た。いや、正確にはカストルだけが。
「そいつ撃っちゃダメ!」
引き金を絞りかける腕に制動をかけ、銃を放り投げる。双子は天井の大穴から落ちてきて蜥蜴に蹴りを浴びせるが、コマのような動きで避けられる。
「カストル、もう一人は」
「ログアウトしちゃった、あいつヤバすぎる」
つまり、こいつが迷宮の番人か。
「鱗野郎だって、他の人はそう呼んでた」
「あまりスマートな名ではありませんね」
なぜ撃ってはいけないか聞こうとしたが、その時には鱗野郎が床を蹴り、飛んだと思った瞬間にはカストルの真上に踵がある。
「くっ!」
カストルは両腕をクロス、ぎりぎりで間に合って受け止める。その時の音はとても人体が鳴らせる音とは思えない。華奢な床がトランポリンのようにへこみ、カストルは信じがたい柔軟性で衝撃を吸収、足から逃れるように横に飛ぶ。
「つっ……今ので骨いったかも」
「カストル、無理しないでログアウトしてくだ……」
がりがり、と音がする。
それは鱗野郎が壁に手を這わせている音だ。グラインダーで削るような音がして、細かな破裂音が鳴っている。
コンクリートの壁が削られている。手の幅に沿って溝が残り、鱗野郎の手には、豆粒のようなコンクリート片が大量に握られ。
「お姉ちゃん、逃げっ……」
鱗野郎の腕が、世界から消える一瞬。
散弾と化した石があっさりと音速を超え、放射状に拡散するすべてがベイパーコーンを発生させ、爆圧にも似た衝撃波があらゆるものを粉砕し、反対側の壁を濡れた紙のように引き裂いて。
「う……」
とっさに、ソファーの後ろに飛び込んだ。頭をハンマーで殴られたような頭痛と、強烈な耳鳴り、ソファーは戦時下の街に忘れられたようにボロボロになっている。
「カストル……」
負傷した直後にあれを避けられたとは思えない、ログアウトしただろう。
鱗野郎は私が生き残ったことに気づいた。くるりと体を向けてこちらに来る。緑の布は顔のほとんどを覆っており、目の色すら分からない。私は壁に空いた大穴に飛び込む。
そこはビルの屋上。おそらく5階建て程度の建物の屋根。私を追って鱗野郎も出てくる。
グロック17を向ける。オートで9ミリ弾をばら撒けば、鱗野郎は腕で顔面をかばう。そして凄まじい爆発。
弾丸に爆薬など仕込んでいない、では今のは。
爆煙をかき分けて鱗野郎が出てくる。その瞬間、さらにいくつもの爆発。
私は周囲を見る。アパートのベランダに、旗竿の上に狙撃銃を構えた走破者たちがいる。バズーカを肩に担いだ男も。
鱗野郎は膝を折り、次の弾丸が殺到する瞬間に跳躍。空中で爆発を繰り返しながら狙撃手の一人を仕留める。
走破者たちの攻撃も苛烈。ジェットを曳く弾道が超高速で鱗野郎に向かう。だが着弾の瞬間。二つの爆発が重なるような感覚。爆煙の中から鱗野郎が飛び出してくる。
「……リアクティブアーマー」
コンパクトミサイルの直撃にすら耐えている。
あれは生物なのか、それともロボットか。仮に生身であっても、迷宮の番人に爆発反応装甲の負荷など意味を持たないのかも知れない。
どうする。戦車砲のような特大の火力なら倒せるか。それとも、この九龍城の中にあれを倒せるヒントがあるのだろうか。
またたく間に走破者たちが倒されていく。そして最後の一人を沈黙させたあと、鱗野郎が再び私を見てビルから飛び降りる。だん、と屋根にヒビを入れながら着地。
「お嬢ちゃん、下がりな」
ずい、と、私の横に出てくる影。
その人物の顔も見たことがある。短く刈り詰めた髪と黒い肌。私のように裏社会に生まれた者にとってはカリスマ、伝説的なボクサー。
「ハムード・アルズ、元オリンピアとは聞いてましたが」
「ここではプロメテウスだ。あまりその、オリンピアってやつで呼ばねえでくれ」
彼はいつかのオリンピックでライトヘビー級の金メダリストだったはずだ。つまり本来的な意味でのオリンピアン。いや、本来的と言うならオリンピアンとはオリンポス山に住む神々のことであるから……まあそれはどうでもいい。
鱗野郎が迫る。
拳が。
私の知覚では当たっている。拳が煙に当たるような回避。ステップを利かせて体一つぶん離れる。
「下がるぞ嬢ちゃん」
後方に飛ぶ。そこは別のビルのベランダ。プロメテウスの拳がガラスをぶち割って、私も体をひるがえして後を追う。居室から廊下へ、雑貨店からまた別の廊下へ、どうにかプロメテウスに追いつく。
「嬢ちゃん、名前は」
「プルートゥです」
「ああ、ケイローンが見つけたって子だな、得意は何だ」
「刀を少し……あとは人並です」
「あれはヤバすぎる。ヘルメスもニュクスも一瞬でやられた。普通、ああいうのは迷宮の最後の方で出てくるから対策が取れるんだが、赤文字だけあって殺意が異常だな」
床屋を抜けてまた別の廊下、そこは狭く、曲がりくねっていて細かな階段もある。あらゆるものが散らばっている。私は彼の頭の動きを見て察する。
「プロメテウス、そこから右方、一階下にダンスホールがあります」
「わかった」
彼は戦える場所を探していた。ボクサーのフットワークが活かせて、鱗野郎が加速を付けられない程度の空間を。
後方からは敵の迫る音。やはり隘路でも速い。あのワニの擬態のような姿で障害物をすり抜けてくる。
滑り込む。そこは板張りのフロア。ダンス・ミュージックの流れる空間。本来であれば夜と言わず昼と言わず、九龍城に集まった人間たちが踊り明かす娯楽場。
鱗野郎も飛び込んでくる。私たちはフロアの中央で向かい合う。
「音を止めないと」
「いい、そのままにしといてくれ」
きゅっ、と足音が乾いたものに変わる。
プロメテウスの足にリングシューズが出現している。そしてかなり厚手のグローブも。通常なら10オンスだが、あれは16オンスほどはある。
「プロメテウス、あれはリアクティブアーマーを装備している。打撃で倒せますか」
「生き物なら脳を揺らせば倒せるさ。ロボットならもっと繊細ってもんだ」
その足がステップを刻む。細かく構えを変え、上半身が分身するようなフットワーク。重量級でありながらライト級なみと言われたスピードを実現させる、あの柔軟性とボクシングセンス。音楽に合わせて加速していく。
踊るような動きからの、蜂の一刺し。
拳が鱗野郎の顔面に吸い込まれ、上体が大きく弾かれた。
Tips リアクティブアーマー
爆発反応装甲のこと。戦車などの車体を爆発物で覆い、着弾に合わせて爆発させることで弾頭の衝撃が内部に浸透するのを防ぐ。
着弾に反応して金属片が飛び散るため、随伴歩兵に大きな被害が出ること、爆発反応自体が戦車の装甲にダメージを与えるなどの問題もある。




