外伝 第二章 6
私はダイダロスを起動させる。
ホワイトボード型端末に各種アイコンを呼び出して人物検索。手の届く限りの監視カメラで晰星を探す。
同時にゲームセンター内のカメラの録画を呼び出す。なるほどラスボスを倒している。画面には女神が現れ、地図が表示されている。画像を取り込んで補正する。
「重慶の南、車で20分ほどの距離ですね。公共交通機関は止めましたが、この距離なら他にいくらでも移動手段が……」
そして人物検索にヒットした。たった今の映像。
晰星だ。駅前でシェアバイクを借りている。やはりゲームセンターを出ていたか。
私はスマホを耳に当てる。
『はーい、もしもし』
「カストル、ポルックス、これから伝える場所に急行してください」
双子のいるホテルからはかなり距離がある。そもそも双子は移動手段を持っているのだろうか?
晰星のスマホに電話をかけてみる。だが電源が落とされている。
なぜ晰星は逃げた。
死者を生き返らせるという彼女の願い。それを私が横取りするとでも思ったのか。それとも女神の入れ知恵か。
これでいい。
「……」
そうだ、このぐらいは予想の範疇。
もっとずっと早くから、この事態は予感されていた気がする。彼女にとって願いはきわめてプライベートな事なのだ。その権利が手に入った以上。私たちと一瞬たりと関わる気はないのか。起きてしまえば違和感はない。
どうする。バイクのナンバーを警察に伝えて緊急配備を敷くか。それともシェアバイクはアプリで管理されてるはず、ハックして停止させられないか。
「……まだるっこしい」
私はダイダロスを操作してからトレーラーを飛び出す。ゲームセンター脇にはやはりシェアバイクが並んでおり、すべてのバイクがレンタル状態になっている。それに飛び乗って発進。
車が止まっている。姿勢を低くして交差点を全速で通過。市内のすべての信号を一時的に赤にしてある。
周囲からクラクションの音が聞こえてくる。ほんの15分ほどとはいえかなりの混乱だ。そう何度もやれることではない。
通行人にのみ気を付けて疾走。晰星は止まるだろうか。それとも赤信号を無視して一気に進むだろうか。
市街地を抜けて住宅街へ。川を越えて丘を駆け上がる、周囲にビルが見えなくなってくる。
「確か、このあたり」
やたらとひろびろとした場所に来た。周りには街灯も少なく、道路には車もない。左右には何やら銀色のものが広がっている。
「メガソーラー……ですね」
スマホを取り出す。このあたりは太陽光発電施設となっている。航空写真によれば、奥に一つだけ建物が。
「蓬来医院……。ダイダロスを経由、この病院の情報を」
「無駄みたいだよお姉ちゃん」
「うん、何の情報も出てこない。演算力で守られてるね」
と、カストルとポルックスの2人がやってくる。私は少なからず驚く。
「あなた方……もう来たのですか?」
二人ともいつもの銀のレオタードに薄手のジャケットを羽織った姿。目立つと言えば目立つが、バレエか何かの習い事の帰りと思えば不自然ではない。
二人はインラインスケートを履いていた。私はかなり飛ばしたつもりだったのだが、双子は15分ほどで2キロ以上を詰めている。やはり只者ではないか。
「晰星がその病院に向かったようです。行きましょう」
「うん、オイディプスのお爺ちゃんもいるかな」
「カストル、オイディプスは死んだよ」
双子はそう言っているが、私もまだオイディプスが死んだという実感がない。アルテミスの報告を疑っているわけではないのだが。
しばらく進むと見えてきた。3階建てのそれなりに大きな病院である。すべての窓は漆黒の闇。その入り口は開け放たれ、シェアバイクがうち捨てられている。
「わお、完全にホラーなやつだねこれ」
「プルートゥお姉ちゃん、トイレ行っとく?」
「結構です」
まあ、さすがに一人で入るのはためらわれるシチュエーションだ。双子がいることを心強く思う。
双子はどこからともなく高輝度のペンライトを取り出す。内部を円錐状の光が照らす。
「ほこりっぽいねえ」
「あーでもなんか匂いはするね。薬品の匂いだよ」
はっきり言って、女神の指示があるとはいえここに単独で入るのは尋常ではない。晰星の願いはそこまで強いのか。
から。
音に反応して銃を抜く。もちろん銃ぐらい用意している。22口径だが3点バーストの改造銃だ。闇の中に向ける。
車椅子だ。老人が乗っている。
「ようこそ、走破者の諸君」
声は車椅子から流れている。座っている老人は、濃いサングラスをかけているが眠っているだけだ。顔もオイディプスとは違う。
「あなたはオイディプスですか」
「そうだとも」
車椅子は反転し、闇の中をからからと進み出す。私たちはあとに続く。双子はインラインスケートのままである。
「その老人は」
「この施設の入院患者だ。ここは延命治療を研究する施設でね。欲にまみれた老人たちが、何百万ドルというカネを払って治療を受けていた」
「なぜ老人を乗せているのです」
「私のアバターのようなものだ。車椅子だけというのも味気なかろう」
「……」
悪趣味としか言いようがない。
だが、そこには何かオイディプスのこだわりというか、自分に課したルールのようなものを感じた。声だけの存在は自分ではない。かりそめでもその場に肉体がなければならない、と。
「ねーオイディプスのお爺ちゃん、死んじゃったってホントなの?」
「そうそう、ゼウスのお兄ちゃんも寂しがってたよ」
「ゼウスか」
その名を、オイディプスはやや重く発音する。オイディプスの声は合成音声のようだが、トーンや声調に感情を乗せられるようだ。もっとも、そのぐらいは市販のソフトでもできるが。
「君たちはゼウスの走破を見たことがあるかね」
「ええ、私は一度だけ」
「僕たちは三回ぐらいかな」
「ひどいものだろう。何かといえば重火器、戦車、戦闘機、そして核の使用をためらわない。それでクリアできるならまだいいが、迷宮の番人たちを怒らせてしまうことも少なくない。その上でさらにねじ伏せようとする」
……。
あまり肯定したくない。迷宮は基本的に力技を受け入れるし、力押しには力押しで応えてくる。それもまた走破者のあり方だと思っている。
「それが原因でオリンピアを離れたものも多い。迷宮のクリアの仕方は美学の領域だ。特にプロメテウスやヘルメスとは何度も言い合いになっていた。かの赤文字の迷宮、芸術とも言える迷宮においても」
「そんな話はどうでもいいでしょう」
私は銃は仕舞ったが、苛立たしさをあからさまにして言う。
「晰星という少女がここへ来たはずです。彼女に何をするつもりですか」
「願いを叶えるだけだ。友人を生き返らせる願いをね」
「そんなことは」
喉につかえる感覚。意図せぬ感情が出そうになった。目に力を入れて自制する。
「……あり得ない。死者は生き返らない」
「それはこの世界が、そういう法則というだけに過ぎない」
回廊の右側が光る。
晰星だ。彼女がいる。
だが映像だ。どこかで撮影されている映像を壁に投影しているのか。私たちの歩くのにあわせて映像もスライドする。
「夢菲、あなたなの」
「うん、そうだよ晰星」
晰星の前に現れる少女。柔らかな笑顔と緩やかに流れる髪。動いているのを見ると本当に美しい。白磁の人形のようだ。晰星は彼女に取りすがり、嗚咽のような声を上げる。
「会いたかった、私、あなたを失って、どれほど悲しかったか」
「これからはずっと一緒だよ、この場所で」
二人がいるのはゲームセンターのようだ。先ほどまでいた場所に似ている。だが晰星はゲームが目に入っていない。彼女の服に爪を立て、よじ登るとも引き下ろすともつかない動作で座らせる。夢菲は逆らわず、二人はもつれ合うように重なり合い、口を重ねる。深く濃密に。
私は眉をしかめる。足音を強く響かせる。前方をゆく車椅子から声が流れる。
「美しい眺めではないか。どうも執着が尋常ではないと思っていたが、それも納得できたな。夢菲という少女はあまりにも美しいのだ。儚さの中に肉感があり、愛嬌の中に蠱惑的なものが潜む。魔性というやつだ。蓋を開けてみれば何のことはない。晰星という少女はただ恋焦がれていたのだよ。人格や共有した思い出にではなく、ただ夢菲という少女の美しさにな」
「どうでもいい……これのどこが生き返りですか」
私は腹筋に力を入れて言う。画面に見入っている双子の頭をつかんで前を向かせる。
「あれは拡張世界、現実ではない」
自明のこと。演算力を使っているために解像度は相当なものだが、ゲームセンターという舞台のために一目で分かる。
「それの何が問題かね? 演算力の世界は現実と物理法則が異なる。夢菲という少女は確かに生き返っている」
「馬鹿なことを……人間には生理現象もある。永遠にあの世界にはいられない。目が覚めれば虚しいだけ」
「それよりも、私の目的が気にならないのかね」
オイディプスの声に挑発的なものが混ざる。
いつのまにか、廊下の片方がガラス張りになっている。中に何かが並んでいるように見えるが、よく分からない。機械の駆動音が聞こえる。
「天塩創一を気取っている、と見ましたが」
「ある意味ではそうだな。私はな、今の迷宮のあり方が不満なのだよ。傲慢な走破者たち、思想なき演算力の行使、それを受け入れようとする迷宮の寛大さも気に入らん」
電灯がつく。
廊下の端から一気に。そしてガラス張りの内側にも。
「だからすべて、やり直したいのだ」
「なっ……」
そこに並んでいたのは、数十もの寝台。
入院着で寝かされている人間の口には電極のコードが伸びている。おそらくはTジャックか。
だがダイダロスがない。サーバーマシンのようなタワー型のPCに接続されている。
「あの拡張世界にダイダロスは使っておらん。すべては人の脳のなせる業。あれは言わば自己の精神世界への全感覚投入なのだよ」
「それは……まさかBPU (ブレイン・プロセッシング・ユニット)、脳オルガノイドコンピューター」
「この世で最も優れたCPUの一つが生物の脳だ。140億個のニューロンを持ち、それぞれが数千個のニューロンと接続している。その複雑さは2次元的配列のCPUなど比較にならん」
高難度の課題をクリアできる。
強い願いを持つ人間。
「あ、あなたは、人間を、演算力の媒体に」
「必要だったのは優秀な脳。そして想念の世界に閉じこもる強い動機だ。ギブ・アンド・テイクだよ。私のサポートにより彼らは自分の願いを叶え、私は彼等の脳を演算力として利用する。彼らの生命は維持され、心は幸福で満たされている。誰も損などしておらん」
見れば若者が多い。彼らは天后の課題をクリアしたのか。強い願いを持ち、あの高難度のゲームに挑み、持てる力のすべてを使って突破できた脳の持ち主なのか。
これだけの数、いったい、オイディプスはいつからこの計画を。
「ダイダロスの演算力に換算して、25万台」
建国の宣言のように言う。
「この力を使い、私は現行の走破者たちを一掃する。その後は私の選んだ新しい走破者たちで、もう一度やり直すのだよ。めくるめく迷宮と走破者たちの宴をな」
走破者を、一掃する。
だが、どうやってそんなことを。高位の走破者たちはどんな公権力でも軍事力でも消すことはできない。いったい……。
「こんなことして、ゼウスの兄ちゃんが黙ってないよ」
「ここと同じ設備が4箇所ある。ゼウスが何をしようともう遅い」
オイディプスの声ははっきりと嘲りの色を帯びている。
ああ、やはり。
やはりこいつは、高潔な人間などではない。
倫理のタガが壊れている。走破者に不満があろうと、どんな考えがあるにせよ、もう人間のやることではない。
「……帰りましょう」
私は言う。
どうせここにオイディプスと呼べる存在はいない。双子の力があれば晰星ぐらいは助け出せるかも知れないが、あの寝かされた人間たちはバイタルを管理されている。暴れればどれだけの人的被害が出るか分からない。
「オイディプス、あなたも私たちを殺す気はないはず。あなたの言葉はゼウスに伝えましょう。今日のところはそれで十分なはず」
「ふむ、若いのに感情の幅のない娘だ。少しは歪んだ顔を見せるかと思ったが」
ぎい、と、脇にあった非常口が開く。
私たちはそこを出ていく。誰も追いはしないし、私たちも振り返らない。しばらく進むと背後の光も消え、あらゆる気配が途絶えた。
「プルートゥお姉ちゃん、どうするの?」
「どうもできませんよ。オイディプスは走破者を一掃する作戦があるようですから、我々は自衛に努めるしかありませんね」
ふう、と空を見上げる。ふざけているかのような満天の星だ。
「あなた方は先に帰ってゼウスに伝えてください。それと、ゼウスはこの施設を爆撃するぐらいは考えるかもしれない。私はそれは望みませんと伝えてください」
「うん、わかったよ」
「オオゴトだねえ。これポセイドンとかアフロディーテにも伝えたほうがいいかなあ」
双子はインラインスケートで走り去る。夜の静寂にローラーの音がよく響いた。
私もホテルに帰ろう。もう市内への干渉は解除されているが、それなりの騒ぎにはなっているだろうから、情報操作を……。
これでいい。
そんな言葉が浮かぶ。
なぜそう思うのだろう。
私は今のところ後手に回っている。ここから逆転の目などあるのだろうか。
これでいい。
確かに、最悪とは言えない。
今のところはオイディプスの計画通りだが、予想外の事態は起きていない。ゼウスによる干渉こそが最悪の結末。ベストではないが、モア・ベターであると言えるだろうか。
私はオイディプスの計画を阻止し、晰星を含めて犠牲になっている人々を救うことができるだろうか。
これでいい。
「……」
そうだ。これでいい。
私がこの一件で何を行うべきか。何を目指すべきなのか。
その答えは私が教えてくれる。
走破者はたくらまず、ただ走り抜けるのみ。
私の指がスマホをタッチする。心のままに操作する。
女神が現れ、願いを問う。
私は。
――父と。
そうだ、これでいい。
私が、本当に成したかったこと。
心の形。
私のすべて。
――父と兄に、もう一度会いたい。
Tips BPU
ブレイン・プロセッシング・ユニット。脳組織を利用したコンピューターのこと。
研究としては1940年代からあり、iPS細胞などを使って人工的に培養された脳細胞が利用されるようになって急速に発展。2020年代から一部で利用されるようになった。
非ノイマン型コンピューターであり、従来のCPUよりも省電力、高性能であるとされる。




