外伝 第二章 5
※
毛布にくるまって、暖かさの中で丸くなる。
暖炉で火が揺れている。人形や積み木が散らばっている。私の横には父がいる。
これは夢だ。
私はいつも夢を客観的に見る。どこか冷めている。傍観者として夢に浴する。
父は開いた絵本を顔にかぶせて眠っていた。瞳の動きだけで兄を探す。兄は壁にもたれてコーヒーをすするように飲んでいる。ふっくらとした肉厚なソファは、私と父に譲ったらしい。
起きたか、と兄が言う。寝るなら寝室まで運んでやろうか、と。
ここが暖かいよ、ここで寝ようよ、と私が言う。その言葉も私は第三者的に聞く。
失われたものだから。
もう二度と戻りはしない時間だから。夢の中でもそれに耽溺することはない。
兄は毛布を取ってきて、ソファに三人が詰めて座る。少し窮屈だったけれど、より暖かくなった気がする。
外は雪だろうか。白夜が近いかも知れない。薄暮と月光と雪原、いくつもの仄白いものが混ざり合っているだろうか。
兄さん、と私が言う。
どうした、と兄が答える。
私は何を言っただろうか。何が言いたいのだろうか。父と兄と私で、どんな言葉を共有したいのか。
わからない。
もう失われたものだから。
死者は語らず。
そして、語りかけることも、二度とは。
※
静かに目を開ける。
暗闇。遠くで電子音が響いている。
銀色のアルミブランケットをそっと身体から剥がす。確かに保温性はいいのだろうが、どうしても味気なさがつきまとう。だから毛布にくるまる夢など見るのか。
晰星はまだプレイを続けている。私は音を立てぬように背後に近づき、そのプレイを眺める。晰星には及ばないかも知れないが、最大限の集中を意識する。
晰星のプレイは興味深い。十数時間と眺めてきて理解した。彼女の挑んでいるゲームは人間の限界に限りなく近いところにあり、彼女はまさに限界点に肉薄している。
並列的にいくつもの情報を処理し、何十手も先のことを読み、敵の攻撃に雷速で反応している。
そして最後の敵。もう百回は出てきただろうか。晰星は持てる力のすべてを使って戦う。
そして死闘の果て。爆発。ゲームオーバー。
彼女はすぐさま次のプレイを始める。私には気づかない。自分だけの世界に埋没している。
そして私もだ。晰星のプレイから学ぼうとしている自分がいる。達人の所作なれば、それが書であっても舞踏であっても私に示唆を与えてくれる気がする。
と、そこで気づいて腕時計を見る。
(……間に合いませんでしたね)
ゼウスと迷宮に潜る時間だ。私はそっと筐体から離れ、スタッフの一人を呼び止める。
「そこのあなた、晰星がクリアしたらこの番号に電話をください」
メモを渡す。その番号にかけると、私が迷宮にいても伝わるように出来ている。
「休息は適度に取らせてますね?」
「はい、すべて指示通りに。あの子は凄いですね。私たちはゲームは素人ですけど、反応速度はスポーツ選手なみですよ」
スタッフは一流の人材ばかりだが、誰も私の素性を知らない。本当に金持ちの気まぐれだと思っている。
「天后」についても恐らく知らないだろう。だから今ひとつ真剣味に欠ける部分があるが、まあサポートとしては十分だろうか。
私は建物を出て、近くに待機させていたトレーラーの荷台へ、そこにダイダロスを用意してある。
なるべくならクリアの瞬間に立ち会いたい。私は急いで電極を舌に当て、眠りと覚醒は等価となる。
空間が拡大する。無の領域から無限の情報が流れ出し、私の五感に訴えかける。
灰色の駐機場。ずらりと並ぶ古今東西の航空機。気温。風。空の高さ。
「やあ」
ゼウスはすでに潜っていた。もしかして野良の走破者がクリアするかとも思っていたが、駄目だったか。
「ゼウス、戦闘機の改良というのはできましたか」
「うん、さっそく行こう」
形状は前と変わらない。だが見た目にも分かるほど大量にミサイルを積んでいる。両翼にずらりとぶら下げていて、何となく「たわわに実る」という言葉が浮かんだ。
飛翔。一直線に雲の都市へ。
「ゼウス、あの単葉機がミサイルで落ちますか?」
「低温目標も低速度目標もロックオンできるようにセンサーを調整している。あの単葉機が天女の舞うように動いたとしても、現代の誘導ミサイルを回避できるわけがない」
「……」
だといいのですが、という言葉はさすがに飲み込んだ。
見えてきた。雲の浮島。密集して居並ぶ超高層ビル。それは天上の理想郷か。あるいは何も意味などないゲームの障害物に過ぎないのか。迷宮は黙して語らない。
プロペラ音。来た、あの眼状紋を備えた単葉機。モラーヌ・ソルニエL。浮島を取り巻く風の中を、奇妙な浮遊感を伴いつつ向かってくる。
都市がぎりぎり目視できる程度の距離で開戦。ゼウスがミサイルを撃つ。火線を曳いて突っ走る影は四つ。
単葉機の機銃が火を吹く。薬莢をばらまきながら放たれる7.7ミリ弾。空中で四つのミサイルが爆発。私たちは加速している感覚の中でそれを見る。
上空へ。ドバイを模した空の街が回転している。あの単葉機とこちらでは速度が違いすぎて、ほとんどドッグファイトが成立しない。
「撃ち落としたか、じゃあクラスターミサイルを試してみようか」
続けざまに撃たれる複数種のミサイル。機体を離れると同時に急加速。さらに空中で分解され、十数個の小ミサイルとなって広範囲に広がる。ヒガンバナにも見える軌跡。一瞬の死の包囲。
それを迎撃する7.7ミリ弾。信じがたい精度でミサイルを破壊。空中で起こる爆発。単葉機はまさに木の葉のごとく。きりもみ回転しながら正確無比に機銃弾をばら撒く。
「ふむ、落とせないか、じゃあ向こうの機銃が尽きるまで繰り返すか」
ゼウスが単葉機の射線から離脱。大きく距離を取るとともにジグザグな軌道を刻む。
旋回速度なら向こうに分がある。逆上がりのような動きで機体が縦回転。プロペラがこちらに、機銃弾が翼を直撃する。
「少し揺れるよ」
スクラムジェットエンジンの強烈な加速。体がシートに押しつけられ、血液が頭に上がってくる感覚。歯を食いしばって耐える。翼への着弾がやまない。
「しょうがないな、やはり大規模攻撃しかないか」
ゼウスは液晶を操作し、何らかのセーフティを解除する。
「用意があるのですか?」
「地上にミサイルを配備している。小型核で一度吹き飛ばしてみよう。ゴールプレートが砕ける可能性もあるが、まあ何度かやって要領をつかむさ。テルミット焼夷弾で広範囲を熱で包むとか、超々音速の戦闘機で衝撃波を浴びせてみてもいいな」
「……」
確かに、それでクリアできるなら手段を選ぶ意味はないだろう。
だが、水龍。
その言葉が脳裏をよぎる。
そんな超兵器の使用を迷宮が看過するだろうか。いや、迷宮は基本的には力技を許容するが、それに合わせた難易度を用意してくることがある。それが水龍なのではないか?
もし核を使って強引に落とそうとすれば、この迷宮は、とうていクリア不可能なものに変貌するのではないか?
その時。
私の目がふと違和感を覚える。ゼウスの操縦桿の動き。着弾の感覚。
「……反応速度がマイナスの域に達しています」
「何だって?」
「ゼウス、あなたが操縦桿を倒す前に敵機が照準を動かしている。何度かありました。こちらが移動するのにあわせて全弾を命中させてくる。こちらの操縦を先読みしていなければできないことです」
「それは……」
エンジンに被弾。一つが煙を噴くが、オートバランサーにより姿勢が保たれる。雲の都市を大きく回り込みながらゼウスが思考する。
「……興醒めだな。あの敵機はこちら側の動きをメタデータとして収集している。ジャンケンをする機械がこちらのボタン入力を読み取ってるようなものだ。正攻法では勝てるわけがないってことか。ならこちらも自由にさせてもらうぞ」
声に剣呑なものが混ざる。常に平静であり冷静、ダウナーな空気をまとったこの人物が、迷宮の理不尽さには怒るのだろうか。
「いいえゼウス、迷宮は完全な初心者でもクリアできるように作られている。演算力を持たないものは用意された飛行機から選ぶしかない。それで落とせない敵というのは不自然です」
「それは、そうだが」
思うに、この迷宮はどれほど初心者でも、どの機体でもクリアできるように作られている。ジャンボジェットでも小型ヘリでもだ。
その方法が――あるとすれば。
「私がやります。ゼウス、メインコントロールをこちらへ」
「分かった」
ゼウスは存外すぐに応じてくれる。よく知りもしない私を信頼しているのだろうか。それとも他人を疑うとか侮ることをするまいと決めているのか。
「どうするんだい?」
「あの敵機はこちらの操縦を読む。ですが、迷宮がメタデータを収集しているとは思えない。ならば可能性は一つです」
「……まさか」
私は機体を大きく回す。なるほどシンプルな操作系、セスナ機より簡単だ。
「思考走査です」
我々の脳活動は微弱な電磁波として観測される。高性能のMIRなどを使えば血流の流れを知ることもできるし、非常に透過性の強い放射線などを用いれば、ニューロン同士の化学物質のやり取りすら観測できるかも知れない。
あの単葉機はそれを行っている。私たちの脳を観測し、あるいは機体のすべての挙動を読み取り、気流を読み慣性を読み、重力や地磁気すら読み取って完全な偏差射撃を実現する。
レトロなどとんでもない。あの機体は人類の進化の果て。過去も未来も、この世のすべてを知る神の視座を持つ怪物だ。
それにどうやって勝つか、仮定なら一つだけ立てられる。
「あの機体はこちらの思考を読んでいる。敵意や害意に反応しているのです。だから心を無にして近づけば反応できない」
「待ってくれ、そんなこと可能なのか」
可能ではない。
もし心を空っぽにできたとしても、それでは機銃のトリガーを引けない。相手を目視してトリガーを引く、それだけは絶対に意識してやらねばできない操作だ。
私は心を平静に保つ。何も思考せず、アイカメラの中にある敵機について何も考えない。単葉機は、こちらから見ればひどくゆっくりした速度で近づきつつある。
「……どうやら僕は邪魔なようだな、あとは任せた」
ゼウスの姿が消える。ログアウトしたのだ。私はそれを意識しない。わずかに軽くなった機体の姿はオートパイロットが補正する。
相手を見る。そこに思考はなく意図もない。
「意」を消すこと。瞬時に、最初の一回でできねばならない。できねばならないという気負いすらも消す。
時間の伸長。自己からの離脱。収束と拡散。
そして、無。
接触。
刹那の時間。相手の木と布だけの機体は新聞紙のように引き裂かれ、機銃ががんと機体に当たり、燃料が空中にばらまかれて火花により引火。こちらの数十メートル後方で爆発。四散する。
「……なるほど、だから単葉機だったのですね」
体当たり、これしか相打ちにできる手段はない。そしてよほどのことがない限り、チタン装甲に覆われたこちらが沈むことはない。
「意」を消す。
達人が何度も口に上らせる極意ではあるが、具体的にこれがそうだと証明することは難しく、存在すら眉唾だと思っている者は多い。
私はまあ、上手くやれたようだ。
うなり声。
そう聞こえたのは雲の都市から。ドバイを模した純白の構造物が震えている。空の全景が獣の口に変わるような音。
ビルが動く。
すべてのビルが集まって一つの棒状のものになり、手足と鱗が生えてきて、その表面が鱗に覆われる。
「龍……」
白一色の龍。浮島もまた胴体となり、一匹の超巨大な龍に変わる。
だがそれは一瞬。龍が私を見たかと思った瞬間。その身をうねらせ、高飛び込みのような軌道を描いて、真っ逆さまに地面へと向かう。
「龍……あれは何なのですか? 龍が都市の姿を真似ていた……? あの単葉機は住人であり門番であり、仙人であり真人でもあるもの……?」
水龍。
私はふとその言葉を漢字でイメージする。確か、龍と水を組み合わせた字があったはず。
「瀧……」
真都、理想の都市とは龍だった。龍はその守り人であった飛行機を失った。
かくて真なる都は灰へと却り、ひとつの流れとなって堕ちてゆく。また水の流れとなって循環の輪へと却るのか。
「ゴールプレートは……」
あった。黒い点。私は望遠カメラで表面の文字を読み取る。
おそらく、この迷宮のクリアパターンは三つ。
雲の都市の中でかくれんぼをしてゴールプレートを探す。
単葉機を破壊して龍を落とす。
そして、あの水龍と戦う展開もあり得たのだろう。
あれはもう動作原理すら分からない超常の存在。ゼウスが超兵器を持ち出したら龍との戦いになったのだろうか。ぞっとしない話だ。
「……というより、単葉機と戦うのは想定ルートではなかった気がしますね。ゼウスがいなかったら、あの単葉機は私を都市に案内してくれたような気も……」
ログアウトする。暗がりの中でダイダロスの前にいる。ゼウスとの回線のアイコンが視野に入る。
「ゼウス、迷宮はクリアしました。あなたの仕事だったのに横取りしてすみません」
『そんなこと気にしないでくれ。迷宮は誰がクリアしてもいいんだから』
「それとオイディプスの件ですが、もうしばらく時間が必要……」
と、ふと気になってスマホを見る。ちょうどその時、スタッフからの着信が入った。
『君たちなら何とかできると期待してるよ、じゃあまた』
「ええ、またそのうち」
私は着信に出る。
「もしもし、晰星はクリアしましたか」
『ええ、見事でした、神業というのでしょうか』
「画面に何か表示されましたか?」
『地図が現れて、ここへ向かえと、あなたが戻ってくるまで待って欲しいと言っておきましたが』
「彼女はそこにいるのですね?」
『はい、今はトイレに行っていますが、じき戻るでしょう』
私は最後まで聞かずに通話を切る。
もちろん晰星がどこにも行っていない可能性はある。だが可能性などどうでもいい。
周辺の監視カメラ映像を表示。あらかじめ用意していた監視班に通達。交通網に警報信号を流して地下鉄とバスを止める。タクシーの無線を遮断する。
ダイダロスの制約とは早いもの勝ちの世界。
このゲームセンターの半径1キロは私が押さえている。
ビーチフラッグと行きましょうか、オイディプス――。
Tips 思考走査
ブレインテック、マインドリーディングなどとも呼ばれる人間の考えを読み取る機械のこと。電極によって脳波を計測したり、磁気を当てて脳の血流を測ることで思考を読み取るとされる。
人間の脳活動とは個人によって差異があり、実用的な精度を出すには当人の脳活動を長時間観察し続けなくてはならなかった。技術の進歩により、より汎用的な、脳言語とも呼べるものの解読が試みられている。




