外伝 第一章 4
戦車砲の一撃。それは目ではとらえられない。すべてが感じられるのは弾頭が通り過ぎてからだ、
熱の気配。衝撃波と音圧。私は着地する。
バスは回避している。瞬間的に左にスライドするように動いたのだ。同じく左に飛んでいなければ振り落とされていた。
「ほう、今の挙動によく耐えた。なかなかに勘が鋭い」
勘ではない、オイディプスが左に動くのが見えたからだ。それに合わせて左に飛んだ。だが二度できるとは思わない。
そしてこの運転手も同じ、あんな調子で何度も砲撃をかわせるはずがない。どうやって追跡する気なのか。
オイディプスが急加速。バスの先端へ行く。飛び降りるかと思ったが違う。屋根の先端に小径タイヤを引っ掛けたのだ。
その意図が分からない。だが私は屋根に張り付く。少しでも設置面を増やして急な挙動に耐えんとする。
そして来た。バスの前部がいきなりホップして直立。があんと金属同士がぶちあたる音がしてビルの壁面に張り付く。そして打ち上がるような真上への加速。
「う、ぐっ」
私は咄嗟に前に飛び、エアコンの吸気口に手をかけていた。腕がちぎれそうな勢いでバスが上昇。そしてカーブを描いて横向きに。
私はその瞬間を狙う。体が真上に振り上げられる勢いを利用して飛び、バスの側面へ。
「……迷宮、相変わらずイカれてる」
バスは高層ビルの壁面を走っている。確かにオイディプスの言ったとおりに金属板が設置されており、そこは言わば空の道路だ。底面の強力な電磁石で吸い付く力を生みながら走っているのか。よくよく見ればこのバスだけではない。数は多くないが壁面を走行している車両は他にもある。おそらくテロ騒ぎが起きているから車両が少ないのか。
オイディプスは前方にいる。バスが壁面に張り付く瞬間に前面に移動し、横倒しになる瞬間に側面へと移動していた。そこに派手な動きはない。最小限の動きで安全を確保している。
「ふむ……少し厄介な展開があるようだな」
その彼が声を漏らす。何かを見つけたのか。そもそも彼は目が見えているのだろうか。何らかの手段で情報を集めているようだが。
「お嬢さんがどれだけやれるか知っておきたかったが、どうもこのバスは狭すぎるな。先に行かせてもらおう」
そしてオイディプスは、バスの側面から身を投げ出す。
「なっ!」
下を見る。オイディプスはネオン看板の一つに着地したかと思った瞬間、前に飛んでいる。タイヤの強烈なスピンが白煙を上げる。ネオンを封じたガラス管を踏み割って次から次へと。
「先に戦車に行く気か」
この迷宮のゴールは、おそらく人質に取られているというロボットの女性。このバスはいずれテロリストに追いつくのかも知れないが、それより先にあの戦車を潰してもいいというわけか。
そして私は見た。戦車の箱型のフォルム。その四隅からアンテナのように生えてくる金属の筒。
ちかちかと明滅する光。マズルフラッシュを上げつつ乱射される機銃。数十のネオン看板を粉砕する。オイディプスは照準の到達より速く前方へ移動。
「機銃……そうか、戦車を早めに抑えようとすれば、異なる難易度が用意されているわけか」
この迷宮の主なクリアパターンは二つ。このバスに乗り続けてテロリストに追いつくまで生存すること。もう一つは大口径砲と四門の機銃乱射をかいくぐって戦車に追いつくこと。
前方に光。
飛び上がる真下を紫のネオン看板が抜けていく。だん、と着地した途端に強化ガラスがばあんと粉々に割れ、私はあわてて足をどける。
「……? ガラスが割れた?」
窓ガラスは非破壊設定になっていないのか。では……。
私はするりと窓枠に体をくぐらせ、バスの左側面の壁に着地。
バスは中央が広く取られている。左右にシートがあるロングシートタイプのバスだ。吊り輪ではなく鉄パイプが渡されている。乗客はこれを掴むのか。
『プルートゥ、中に乗り込むのは危険です。迷宮がそんな解答を許容するはずがない』
そうだろう。ケイローン様の推測はすぐに証明される。
ネオンサインだ。このバスはその内装にも大量のネオンが使われている。ネオンの看板は衝撃によって壁からもぎ取られ、配線がちぎれ、大量のガラス片と鉄板のかけらとなって車体の左側面に集まっている。
変化が起きる。バスが真上に駆け上がったのだ。そして大量の鉄とガラスが壁から離れて舞い上がる。
「ちいっ!」
鉄パイプを掴んで体を振る。無数の刃が私の真横を抜けてバスの後部へ。さらに何枚かの鉄板が壁から剥がれている。
バスが反転。戦車の方向と逆向きに。今度は右側面が下になる。そして急制動。目の前を戦車砲の軌跡がよぎる。
背後からの気配。1メートル四方の鉄板が回転しながら迫る。私は刀でそれを弾く。腕の芯までしびれる衝撃。大量のガラス片が前部へ向かう。
やはり迷宮、甘さなどカケラもない。
バスの外にいれば看板のハードル走。戦車を追いかければ機銃と戦車砲。バスの中に乗り込めば、ガラスと鉄板のシェイクというわけか。
ならば。
内股に力を入れるイメージ。革靴がバスの壁をとらえ、振り上げられた刀がネオンの酒ダルを粉砕。
バスが水平方向になる。外を見ればいつの間にか地面に戻っている。戦車との距離はさらに詰まっており、その戦車は真上に銃撃を繰り返している。おそらくオイディプスを迎撃しているのか。
「私がいるべきは、バスの中」
身を低く。
看板とガラス片が飛んでくる。その一つ一つのきらめきを目視。致命傷になりうる部分だけを守り、重量のある鉄の看板だけを迎撃する。
全身に裂傷。無数のガラス片が体を斬り裂いている。パンツスーツはボロボロになって足では骨に達する傷。
強烈な痛みが脳を揺さぶる。だが痛みで私は揺らがない。傷が増えるごとに意識が覚醒する。
これは多人数組手だ。降り注ぐガラスは袈裟懸けの斬撃、回転する鉄板は胴薙ぎ、いずれにも対応は可能。
窓の外に意識を広げる。光の流れでバスの姿勢を捉える。感覚ではなく目を信じる。足場を次々と変えていく、重力の変化に対応する。運転手の動きを視野の端に入れる。
急ハンドル。戦車砲を数十センチでかわす車体。コンマ以下の時間差で窓が粉砕されていく。バスはビルの壁面を走り、あるいは対向車線を逆走し、ガラス片と鉄板が宝石箱の街に撒き散らされる。私は壁から剥がれかけていた看板をむしり取り、窓の外に捨てた。蛇のように破断されたネオン管を踏みつぶす。これで致命傷を与えられる破片はもうない。
「ーーオイディプスは」
まだ分かっていないことがある。なぜオイディプスは勝負を急いだのか。私は鉄パイプを掴んで車体前部へ。
もうフロントガラスなど残っていない。ロボットの運転手だけは相変わらず運転を続けている。なるほど、舞い上がるガラスの暴風で傷を受けないために運転手がロボットだったわけで……。
「あれは……」
穴だ。
道の伸びる先。ぼっかりと巨大な穴が空いている。直径はおよそ300メートル。
『プルートゥ、こちらでラジオの音声を分析しました』
運転席からまだラジオは流れている。だがとても聞いている余裕はなかった。この迷宮では死の危険に対応しながら、ラジオで情報収集する必要まであるのか。
『テロリストは都市の中心にある縦穴に逃げ込もうとしています』
「あの穴は何なのですか?」
『高温岩体発電というものです。地下15000メートルまで伸ばされた縦穴の底にはマグマがあり、そこから莫大な電力を取り出しています。この都市はその縦穴からすべてのエネルギーと資源を得ているのです』
そのようなSF的発想があるのだろう。私の視線の奥で、箱型の戦車は穴に吸い込まれる。
「穴の底は複雑なのですか?」
『いいえ。ただ穴の底はそのバスでは耐えられません。おそらく運転手であるロボットも同じでしょう。穴の中ではおのずとタイムリミットが生まれます』
そしてバスも穴に突っ込む。底面の電磁力を最大にして、壁面に吸い付くような力を生みながら。
前方が下になる感覚。
そして見た。そこは円筒の楽園。
看板の密度が上がっている。差し渡し300メートルの円筒内に無数のパイプが伸ばされ、万華鏡のように看板がひしめいている。壁面はこうこうと光る窓で埋め尽くされ、やはり無数のネオン管が。
光の洪水。熱と電磁波の充満する気配。この縦穴にはあらゆる熱気が満ち満ちている。
ロボットの運転手。やはり運転技術は人間の比ではないのか、壁面に張り付きながら走行し、網の目のようなネオンサインをかいくぐっていく。
いや、正確には回避していない。支柱のスチール部分だけを回避してネオン管は粉砕している。側面から、あるいはもう残っていないリアウインドウからガラス片が降り注いでいる。
そうか。この都市は縦穴を中心としているのではない。
この縦穴こそが都市。
外の都市など城下町に過ぎないのか。
『この迷宮の名称……万旗紅灯の廻天、でしたか。なるほど、これは人の行き着く姿の一つ、ということですね』
「そうですね……」
廻天とは天下を一変させるような事象、または衰えていたものが勢いを盛り返すこと。
万旗とはネオン看板のことだろう。紅灯とは繁華街の賑わいを指す言葉。
人類は化石燃料を使い果たし、追い詰められていた。しかし高温岩体発電を実現し、地熱からほぼ無限にエネルギーを取り出せるようになった。人類は勢いを盛り返し、この縦穴から再びの繁栄を企んでいる……想像するならばこんなところか。
私の頬を熱風が打つ。ネオン管のスパーク音も。
なるほど、熱こそが生命の本質。欲求の原点。
それを電力に変換し、縦穴であってもおかまいなしに建物で埋め尽くしている。これは生命のダイナミズムだ。この街に人間がいればの話だが。
バスは速度を上げつつ、壁面全体を使ってらせんを描いて降りていく。すさまじいGがかかるが私はもう耐えられる。パイプを持つ腕を支点に、左右に自分を揺らすことで慣性を吸収する。
「縦穴は15000メートル……だけど地温勾配。100メートルあたり3度上昇するとすれば、おそらく2000メートルも行かないうちに私は死ぬか」
制限時間は3分もないだろう。だがどうする。下方にいる戦車をどう攻略する。
オイディプスの車椅子が見えた。
スチールの支柱を渡りながら下方へと降りていく。このバスよりかなり先行している。
見れば戦車はハッチを開き、そこから金属の頭を持つロボットが顔を出している。四隅から旗竿のように飛び出していた機銃はすべて喪失している。オイディプスが破壊したのか。
このままでは乗り込まれる。どうする、一か八か飛び降りてみるか。演算力でクッションを出しながら落ちればログアウトを回避できるかも。
だん、と音が。
咄嗟に刀を構える。バスの上に誰かが着地した。しかも音が二つ。
「お姉ちゃん、まだまだだねえ」
「まだ若いもんねえ、しょうがないよお」
声が二つ。しかし同一人物かと思えるほど同じ声だ。
「ま、ここは任せてよ」
「一度やってみたかったからねえ、オイディプスのお爺ちゃんと」
そして、バスから二つの影が飛び降りる。
それはごく幼い。まだ10歳にも満たないような子供。
銀色のレオタードのような服に白のタイツ。縦穴を落ちるような速度で駆け下りていく。鉄のパイプに、ブリキの看板に羽のように着地、ほとんど間を置かずさらに下方へ。
その体がネオン管に触れんとする。子供は腕を伸ばし、真下に向かう力が真横に変換される。そして放物線を描いて次の足場へ。
「な……」
信じられない。あの子供、いまネオン管を掴んで大車輪をやってのけた。あの薄くてもろいネオン管でどうやって。
それは無数の枝をかわしながら飛ぶフクロウか。あるいは摩天楼を飛び回るツバメか。
その子供たちに果たして体重などあるのか。信じがたい体術は破壊すら起こさない。一つのガラス管すら破壊せずに、自由落下を超えうる速度で駆け下りる。
戦車はその二人を認識しただろうか。もはや機銃もなく、満身創痍なところへ二つの白い影が飛び降り。
「ありゃ」
わずかに遅れた方の子供は周囲を見渡す。私も首を巡らせるが、オイディプスの姿はどこにもない。
縦穴の極彩色が変化したのはその時だ。
全体が虹色に輝く。下方から上方へと光の輪が昇っていく。すべてのネオン管が連動し、七彩のウェーブを作り出す。数千、数万のネオンが連動する光の輪。
迷宮の祝福。
だがそこに、すでにオイディプスの姿はなかった。
Tips 地温勾配
地下増温率とも言う。一般的に地下の温度は100メートル下るごとに3度上昇する。火山帯など地熱の高い地域ではこの上昇率は高くなり、100メートルあたり10度に達する場合もある。
地熱の主な要因は放射性物質の崩壊熱と言われる。




