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終章 玉鍵展翅の迷宮



――音楽が聞こえる。


「この足場……黒が36に白が52ある、ということはピアノの鍵盤……?」


目の前には白と黒の床。虚空に浮かぶ円形の床だ。それが魔法の絨毯のようにふわふわと浮いて、弧を描いて移動しては他の床とすれ違う。床はゴム地になっており、走るとキュッと小気味よい音が鳴った。

広大な空間には黒と白のマーブル模様。床の下は永遠を思わせる深さであり、そして上空にはピアノだ。巨大なピアノが上下逆になって浮いている。

音響板を上げた状態のピアノは内部の機構をむき出しにされ、ハンマーとピアノ線の幾何学模様が見える。私は何となく鮭の切り身を連想した。

外見は立派なグランドピアノのようだ。ようだと言うのは、野球場ほどの大きさがあるものをピアノとは呼ばないと思うからだ。


空にはそれ以外にもいろいろ浮いている。ハープ、バイオリン、トロンボーンにホルン、小さなやつはハーモニカだろうか、それらは通常サイズのようだ。


「楽器が浮いてるのって意味あるのかな?」


浮遊する円形の床には調度が置かれたものもある。壁があって風景画や欧風の花瓶が飾られていたり、絨毯が敷かれていたり、古書の詰まった本棚なども置かれている。そこに音楽の本などもあるのは何かの配慮だろうか。


この私、佐奈倉さなくら さくらは少しは音楽の心得もある。空のピアノが何かを演奏してるのは分かるが、なにぶん音源が遠いせいか、ピアノ線がピアノ柱になってるせいか、霧笛のようなボワボワした音になってて分かりにくい。

しかしこの曲、どこかで聴いた気がする。それは音楽を扱ったバラエティ番組で、豆知識的に紹介された曲だったような……。


まばらに鳴る音に合わせてフェルトのハンマーがピアノ線を叩く。ハンマーはショベルカーのスコップほどもあり、ピアノ線は電柱ほどの太さだ、音はほとんど除夜の鐘のように野太い。途徹もない勢いで叩いているため、ハンマーの先端がぐらついて見える。


「曲に対応した床を踏む? それはありそうだけど、同時に押す音とか表現できないし、それがクリア条件なら、床を踏んだときに音ぐらい鳴るはず。いや、床が円形だから音符ってこと? 音符だとして……うーん、それも何か違うような……」


何かの規則性に従って床を踏んでいく? どうにかして上空のピアノまで行く? それとも調度品の中にゴールが隠されている?


「どうしようかな。走り回ると何かが始まる感じなのかな。でも床がいきなり落ちたりしたら……」

「落ちないわよ」


びっくりした。背後から声がしたのだ。


「迷宮は騙し討ちはしない。ヒントもなしに落ちる床を配置したりできないの。創造者クリエイターがどれほど意地悪でもね」

「誰? どうしてここに?」


それは私よりだいぶ年上、20代半ばという印象の女性だった。足の筋肉がパンパンで、ランニングウェアが胴体に張り付き、エグいほど腹筋が割れてるのが分かる。


どこかで見たような。

そう感じたのは錯覚だろうか。


「こっちの台詞。あなたどうやって迷宮のことを知ったの? 変なメールとか受け取った?」

「迷宮……」


迷宮とはこの妙な空間のことだろうか。


「ええっと、これって都市伝説のアレでしょ? PF系オンラインゲームの有名プレーヤーが招待されて、走破したら100億円とかいうやつ」

「そうね、願いを叶えてくれる怪人とか、伝説のハッカー集団からの挑戦状だとか、いろいろ噂があるみたいね」


このお姉さんはライバルということだろうか。私より経験は積んでそうだが、できるだけ情報を引き出した方がいいんだろうか。


「私も何も知らないわよ」


どう質問したものかと思っていたら、先読みされたようにそう言われる。


「私は迷宮で迷子ロストシープを探してるだけ、無事に帰れるようにね」

「無事に?」

「そう、今の迷宮には最悪の仕様がある。迷宮はログアウト・・・・・しては・・・いけない・・・・。誰かがクリアして終わらなければいけないの。先に言っておくけど、迷宮内で死んだ場合にログアウトするか再挑戦するかの選択ができる。その時に必ず再挑戦を選んで。そうしなければ魂の一部を迷宮に残すことになる」

「私のいるのは「サジタリウス・オンライン」でしょう?」

「違う。ここはまったく別の空間。あなたにも分かってるでしょ?」


その女性は指で真上を指し示す。


「この解像度、視野範囲、市販のオンラインゲームでは絶対にあり得ない。どれほどカリカリにチューンしたPCでもこの世界は作れない。迷宮でなくてはね」

「迷宮……」


私のプレイしていたゲーム、そのマップにいきなり出現した鋼鉄の門。そこに浮かんでいた言葉が思い出される。




―――玉鍵ぎょっけん展翅てんしの迷宮―――




では、ここはふざけたハッカーが仕掛けた空間ではなく、本物の……。


「あなたはここで待ってなさい」


その女性は、背を向けてそう言う。


「え?」

「クリアは私がするから。誰かがクリアすると、プレイヤーをゴール地点に呼び寄せる事ができる。その時に正常なログアウトを選択できるの。必ずその終わり方をしなければいけない」

「でも、私……」


じりりりり じりりりり


突然の大音響。女性の足元に何やら黒っぽい機械が出現する。


「う、ちょっと待ってて」

「それ、機械? 拡張世界に機械を……」

「昔はもっと高度なものも出せたんだけど、今は制限が厳しくて……アナログ式の機械ぐらいなら何とか」


その女性は機械本体から一部を引き離し、それを顔にくっつける。何やら電話でもしてるような構えだ。


「はいもしもし。いま迷い子ロストシープと遭遇したとこよ。そう迷宮、野良かと思ったらかなりの大物ね。おそらくA、いえSクラスの創造者クリエイターの仕業だと……というか今週の当番はあなたでしょ。私、母さんとの買い物の約束あったのよ。え、何? 浮気された……って、いやちょっとね、あんたそれ何度目よ。するわけ無いでしょ彼が。こないだはサチがどうとか言い出すし、その前はお茶屋の野勢さんとか言ってたでしょ、あの人トシいくつだと思ってんのよ」


なんか生々しい会話が始まった。


「はあ? デート中に逃げられた? サービスエリアからパラシュートで飛び降り……。彼ってときどきワイルドなとこあるよね……。あのね、だからこれもいつも言ってるけど、サイドカーでツーリングデートなんて彼には向いてないから、デートなら映画とかに……え、何? アフロディーテ? あーそれはあるかもね、付き合い長いしけっこう話も合うみたいで……って、ちょっ、声、声が、電話壊れるから、じょ、冗談よ、冗談に決まってるでしょ!」


なんか電話? の向こうからハウリングみたいな音が聞こえた。超音波じみた絶叫があったらしい。


「私いま迷い子ロストシープを送るとこだから。そうよ仕事よ。相談ならタケナカの奥さんとかにしなさい。それじゃ」


通話を終えて、女性は何だかどっと疲れた雰囲気を出す。


「はあ、まったく……タケナカのとこの娘さんが悪影響受けないか心配……」


と、気を入れ直すように軽く伸びをする。


「それじゃ行ってくるから、ここを動かないでね」

「いやです」


私は宣言して、その人を追い抜くように前に出る。そして目の前に通りかかる黒の床に乗る。ゴム地がキュッとグリップを効かせるため、動いてる床でも乗りやすい。


「ちょっと」


その女性も後を追ってくる。足元の黒い床は弧を描いて動き、私は膝で慣性を吸収する。


「この迷宮、「本物」なんでしょう? クリアすれば何でも願いが叶う、とんでもないお金が手に入る」

「……それは噂よ。あなたは知らないだろうけど、迷宮に魂の一部を落としてしまった人が何人もいる。迷宮は人の魂を喰らう。喰らった魂をかてとして新たな迷宮を生み出す……」

「お金が必要なんです」


私は白と黒の床を飛び渡りつつ言う。言いながら段々と速度を上げる。


「私はアメリカに行きたいんです。勉強のために、世界大会の出場資格を取るために」

「アメリカ? あなたスポーツマンには見えないけど、ボクシング? バスケ? 陸上なら日本でも十分学べるわよ、三ノ須なんかもあるし」

「いいえ」


走りながら思い出した。


特大のピアノから響く、巨人のいびきのような音楽。この曲はヤニス・クセナキスの「ヘルマ」だ。

数学論的に作曲するという現代音楽家だが、この曲の最大の特徴は88の鍵盤すべてを使っていること。


そしてもうひとつ、側面からかなり浅い角度で見なければ分からないが、この円形の床には天秤棒のようなものが渡されている。床が二つ一組になって接続されているのだ。床はランダムに動いているように見えて、実のところはある一点を中心として点対称で回転している。

そして空中に浮かぶ通常サイズの楽器、ここまで来れば答えは見える。


「お姉さん! 上に気を付けて!」


言葉を背後に投げ、お姉さんが上を向いた隙を見て床を二つ三つと渡る。


そしてぼおおおんと極太の鋼線を殴ったハンマーが、衝撃で外れて落下。ある床へとぶち当たる。

その床と、私のいる床は点対象の位置にある。フェルトハンマーの一撃を受けて床が沈み込み、私のいる床は勢いよく跳ね上がって、私の体を放り投げる。


これは最古のビデオゲームのひとつ、「サーカス」


シーソーによるジャンプを利用して、画面上方に浮かんでいる風船を集めていくというゲームだ。私は20メートル近くも打ち上がり、目の前に来たタンバリンをゲットする。それは手で掴むと当時に消滅し、手のひらに「20」というペイントが残る。これが得点か。


ばん、と別の床に着地、床の表面がゴム地になっていたのは着地の衝撃を弱めるためか。

お姉さんが近くの床に来つつ、眼を丸くして言う。


「……よくこの迷宮の仕掛けを」

「私、こういうの慣れてますよ。年はお姉さんより若いけど、年齢、イコール、ゲーム歴ですから」

「……もしかして、アメリカに行きたいって、ラスベガス?」

「そうです。私、eスポーツ留学したくて」


今やeスポーツ人口は数億人、トッププレイヤーは年収数億円を稼ぎ、国民的人気を集める職業だ。

次のオリンピックからはいよいよ正式種目になるらしいし……。


……あれ?


「オリンピック……」


なんだろう、その言葉が何か引っ掛かる。

目の前のお姉さんを見たときに、ふと思ったような。

オリンピック……。

オリンピック代表、日本、の……。


「あっ! お姉さんもしかして!」

「そんなことは良いから、次来るわよ!」


はっと見上げればフェルトの怪獣。私は落下点を読んで対角線へ。

だけどお姉さんの方が早い。一足先に目当ての床に飛び乗って、そして床が跳ね上がり姿が消失。バイオリンを獲得して着地してくる。その手には「30」のペイントが残る。


「お姉さん、止めてもムダですよ。迷宮は私がクリアします」

「……あなたが挑戦すると言うなら止めたりしない。クリアできる実力さえあれば、迷宮は何者をも拒まない」


でも、とお姉さんは私のいる床へ来て、少し屈んで真正面から眼を見つめる。


「迷宮は何も約束しない。ゴールには何もないかも知れないし、ゴールしたって終わりとは限らない。何も手に入らないどころか、大きなものを失うかも」

「でも、あるのかも」

「そう、手に入るかも知れない。財宝も、望みを叶える魔法のランプも。でも本当に大事なことはそれじゃないの。たとえゴールしても……」


お姉さんは顔を伏せる。その姿には深い憂いが浮かび、何かに耐えるような短い震えを見せたけれど。

再び顔を上げたとき、そこには力強い意思があった。無限に沸きだしてくるような活力が。


「本当に困難な迷宮は、いつも心の中にあった」


お姉さんは私の眼を見て、私の体の中心にそっと手を当てる。


「走り続けることは、悩み続けることでもある。挑み続けて、問い続けて、そしてかすかに見えるゴールゲートをくぐっていく。それが迷宮。それが生きるということ。忘れないで」

「……」


お姉さんの語ること、すべては理解できなかったけど。


走り続けることは、悩み続けること。

それが強く心に残るような気がした。

お姉さんも悩み続けてきたのだろうか。どう生きるべきか。どう戦うべきか。


「あなた、名前は?」

佐奈倉さなくら さくら、お姉さんのこと見たことあるよ。あれでしょ、昔よくテレビで……」


その時。私たちのいる床にフェルトのハンマーが落ちてきて。

私たちは互いに後ろに跳んで回避。




そして、次のラウンドが始まる。





(完)


これにて完結となります。今までお付きあいいただきありがとうございました。

途中で別の連載をやりながらの更新だったので一年以上かかってしまいましたが、一応の結末を迎えられてホッとしています。


次の連載も準備していますので、なるべく早く開始できるように頑張ります。そちらも見ていただけたなら幸です。


最後になりますが、感想や評価点をお寄せいただけると大変励みになります。どうかよろしくお願いします。


ではまた、なるべく早いうちに。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 一気読みしちゃいました 壮大な大法螺を色んな科学用語で上手く化粧したSFだなあ〜、と 特に、現実と仮想の境界を曖昧にしていく手腕が素晴らしいですね 敢えて一つ気になる点を挙げるなら「演算…
[良い点] 良質なSFでした! 示唆に富み、程よく現実と繋がっていて、想像が掻き立てられました!
[良い点] 先日知って先程走破させて頂きました。 仮想世界の迷宮、演算力を草する走破者達。誰にも譲れない願いや価値観があり、その為に走る超越者たちは或いは人間の行き着くべき所にいるのかもしれません。 …
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