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迷宮世界のダイダロス  作者: MUMU
第十三章 無相真宮世界
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第十三章 5






二週間後の夜。


世界各地で流星が見えたという。


砂漠で、雪原で、都会で、海上で。人々はその火球を目撃して絶景に歓喜し、あるいは密かな畏れを抱き、あるいは己の信じる何かに祈る。


それは自由落下する人工衛星だ。大気圏で燃え尽きながら落下していき、やがて無数の部品に分かれ、火球となって滅びていく。


「予想よりずっと多いです」


廃棄されていたはずの古い衛星、行方不明になっていた衛星、どこかの政府が極秘利に打ち上げた偵察衛星、そして走破者たちが上げた衛星。


「おそらく全て発見できました。公式には存在せず、走破者の支配下にあった衛星、その数1730基。すべて落とします」


それらは星となって光となって、燃え尽きて大気に溶けていく。彼岸花を下に向けたような、拡散しながら落ちていく火線が見える。

夜ともなればもうすっかり冬の空気である。イカロは学園指定の冬のジャケットを着ていた。私も白ジャケットを綿入りに変えている。


「ミズナさん、本当によろしいんですの?」


亜里亜が言う。私たちは三ノ須の裏手にある山、その頂上にある天体観測所に来ていた。イカロの前には三台のダイダロスがあり、魂が戻って目覚めたイカロがそれを操る。


「いいのよ……」


演算力を放棄する。

それはイカロの提案であり、最終的な演算力の保持者となった私たちの総意だった。


放棄の前に、解決すべきことは三つ。

一つは全世界の桃に起きた異変、それについては手が打たれている。私はその時のことを想う。


――ダイダロスにてプルートゥの本拠地、つまりケイローンの本拠地でもあった場所を暴きました。桃の変異に関するデータと、それらの株を元に戻すウイルスが存在しました。


――散布できる?


――すでに散布しました。全世界の桃が書き変わるまで一年ほど。研究室に保管されている株などはどうにもなりませんし、どうしても少量のネクタルは世界に残ると思います。


仕方ない。

そのぐらいは戦いの痕跡として受け入れるべきだろう。

桃に「死の恐れ」を封じることで人間のアップデートをくわだてる。それは恐ろしい計画だったが、どうにか入り口で食い止めた形だろうか。


もう一つの懸念、全世界のマイニングマシンに仕込まれているトロイの木馬。

こちらは難航するかと思った、何しろ天才である天塩創一の仕掛けだ。

だが、意外にあっさりと解決法が見つかる。


――トロイの木馬が全世界に作ったバックドアは非常に高度なものですが、マスターコードはそのバックドアを検索できる機能を持っています。この原理を全世界の主要なセキュリティソフトのアップデートに組み込み、木馬を発見させて消去させます。


――誰かがもう一度、似たものを作る可能性は?


――理論的に、侵入不可能なコンピュータは存在しないと言われています。僕の父よりも高度なクラッキングルートを見つけ出す人物が、いつか現れることまでは否定できません。


それも仕方のないことだろう。

コンピュータの世界は複雑怪奇。人間の理解を越えてさらに肥大しつつある。

それは生まれ持った原罪とでも言うべきもの。何かを手に入れることは、潜在的な脅威を一つ持つことと同義なのだ。

人は、これからもコンピュータという怪物と戦わねばならない。自動車や銃器や、他の多くの怪物たちと同様に。


そして最後の懸念とは、すなわち走破者たちの仕出かしたこと。

彼らが現実世界に与えた影響を探り、可能な限り復元していく。マスターコードによって得られた400万台ぶんの演算力を用いても、たっぷり二週間がかりの仕事だった。


結論から言えば惨憺たる敗北である。

走破者はあまりにも多くを動かしていた。とてもすべてを元に戻すことは不可能であり、被害を被った人間にだけはフォローを行ったものの、破壊された家屋、軍の倉庫から消えていた戦闘機、軍港からいつの間にか消えた原潜、そんなものをこっそり戻してそれで解決となるはずもない。


現実的に私たちの生命の安全というものも考慮すると、大部分を「復元」ではなく「隠蔽」で解決せねばならなかった。


その最後の大仕上げとなるのが、今日この時。

走破者たちが打ち上げた、あるいは廃棄された後に走破者がコントロールしていた衛星の破棄である。


「1730基……よく打ち上げたものですわねえ」


黒のゴスロリの上からフードつきのコートを羽織るのは亜里亜、水筒に紅茶を入れてきてティータイムの構えだ。


この場には私と亜里亜、そしてイカロの三人だけ。タケナカは昨日で私の補佐を「退職」したし、あの双子は病院を抜け出してどこかへ消えた。ま、逃げやすいように警備を緩めたんだけど。

アフロディーテは普通に三ノ須に残っているけどここには来てない。他の走破者たちも連絡がつかなくなったり行方をくらましたりだが、演算力がすでにない以上、彼らも迷宮を忘れ、普通の人間に戻っていくのだろう。


「ところでイカロ様、どうやって落としてますの?」

「推力を持ってる衛星は移動させて……あとはレーザー砲だよ。米軍のものを借りた。用が終わったあとは返すけどね」

「ええっと、イカロ様、レーザーだと破壊はできても落ちては来ないのでは?」

「大丈夫、横方向からレーザーを当てることで、相対的進行方向に対して減速させる。地球の重力に引かれて落ちてくるんだ」


レーザー推進というやつか、今回は減速に利用しているわけだ。

大気圏外へのレーザーの斜め照射、かなりの出力になると思うが、ダイダロスならそのへんの計算ミスはしないだろう。


「ミズナさん、今のが第一陣、自己の推力で落としてる分です。これからレーザーでの破壊になります」


私の目の前で火球は数を増す。

闇の垂れ籠める新月の夜を、まばらに落ちていく赤い光。火線を曳きながら燃え尽きていく。

おそらく、これが演算力で行う最後の仕事になるだろう。


「あと数十分です。日本時間の0時より、ダイダロスによる演算力の集約もできなくなります。ミズナさん、よろしいですか」


もはやイカロにも止められないのだが、彼は最後の確認のように呟く。


「ええ」


亜里亜とイカロ、二人が何度も確認するのには理由がある。


見つからなかったものもあるのだ。


イカロの母親、ノー・クラートは生死不明のままだ。ゼウスは繁栄ベスタを操っていたが、果たして元の使い手をどうしたのか。その記録はついに分からなかった。


そして、もう一人。


私の父もまた生死不明だった。

だがそれは数年前ではない。正確に言えば、二週間前からの足取りが掴めない。


ゼウスは確かに私の父を拘束していた。アメリカのモンタナ州、山あいの何もない町、そこにあるホテルに軟禁していたのだ。


だがゼウスの演算力が失われた瞬間、父も姿を消した。

演算力で追えないなら行き先は一つしかない、ロッキー山脈だ。


父は何かから逃れるように山に入り、そのまま人里に姿を見せていない。霧のように消えたのだ。


大規模な山狩りをすることもできた。しかし演算力は破棄すると決めたのだ。最後になってそんな大がかりな事はできない。


何より、父の意思。

山に入った意思を、長い長い軟禁生活が終わり、体力が衰えているにもかかわらず、冬のロッキー山脈に入った。そこには確たる意思が、あるいはひた向きな必死さが感じられた。


だから、追えなかった。


生きているのなら、それでいいと思うべきなのか。

父はテレビで私の事を知っただろうか。

ゼウスと何か言葉を交わしただろうか。

走破者のことを知っていただろうか。


何も分からない。

仕方がない。それが当たり前なのだ。神様のように何でも知れて、望むままに何でもできることは正しいあり方ではないのだ。


私はまた、迷宮に踏み込みつつある。


迷宮が終わればまた次の迷宮。それが世界の必然なのか。より困難で複雑で、ゴールがあるのかも見通せない。人生という名の迷宮が永遠に続くのか。


私は己の小ささを歯噛みする。演算力を失った私はただの迷子に戻るだけなのか。でも、それでもいつか、どこかに辿り着けると信じて……。


「来ます」


イカロが言い、私ははっと視線を上げる。


眼下には三ノ須の光。日本でも最大の学園都市は円形に輝き。

そして見上げれば、私たちを取り囲むような、無数の火線が。


「凄い……」


それはポンペイを滅ぼしたヴェスビオ火山か。九州を壊滅させた姶良カルデラか。そんな巨大火山を連想する眺め。


炎の矢が世界に降り注ぐような、月が砕けて落ちてくるような、ゆっくりと流れる縦方向の火線。それが三ノ須を、世界中を取り巻くように見える。


日本に落ちてきた衛星だけで50以上。それが数百の破片に分かれ、そして燃える。この眺めは世界中で、昼夜を問わず見られるのだ。

世界の終わりのような、あるいは大いなる転換点のようなこの眺めを、人はどのように受け止めるだろうか。原因は分からず、手も届かないこの眺めを。


我知らず、言葉がこぼれる。


「無相……真宮世界」


世界は、すべて迷宮。


手も届かず、認識できず、定まった形もない。

それは超越的概念であり、複雑さという条理。

それが世界を満たす大いなるもの、迷宮という概念なのか。


ならば。

私はまた走破者となるべきなのか。


この夜の底で少しだけ休んで、明日から、また終わりなき走りを……。


「うわっ!?」


急にイカロが叫んだので、私はぎょっとしてそちらを見る。コンクリートに置かれたダイダロスがぼんやりと光っていて、イカロはほっぺたを押さえて目を白黒させている。


「なんで今キスしたの!?」

「え? 今そーゆー場面でしたわよイカロ様。ムード出てましたわ」


亜里亜はよく見れば薄紅色のルージュを引いていた。少し右にはみ出したそれをテカらせて、じりじりとイカロににじり寄る。


「さあイカロ様、今夜は万感極まった夜ですわ。こんな夜こそ愛を語り合うべきですわ」

「な、なんでだよ! 僕たち小学生だろ!」

「愛に年齢は関係ありませんわ」

「み、ミズナさん、何とか言ってください」


…………。


……。


「いえ、そういう場面だったと思うわ、イカロが悪い」

「ほら」

「えええええええっ!?」


私は肩をすくめて、屋上の端、下に降りる外付け階段へと向かう。


「ていうかイカロ、あんだけ世界中巻き込んで色々やっといて、今さら僕たち小学生だろとか言っちゃうのはさすがにどーかと思うわ。無粋というか無作法というか、亜里亜にも普通に失礼。キスぐらいやっときなさい。しっかり口と口で」

「そ、そんな」

「さあイカロ様、愛を確かめ合うのですわー!」


私はカンカンと鉄の階段を降りていく。屋上から何やら叫び声が上がるが無視した。


さて、明日からまた走るか。


三ノ須の光はこうこうと夜を照らし。


落ちてくる無数の火が、ようやくこの長い長いお祭りの区切りを告げるのだった。












――演算力の消失に伴い、ネットワークへの侵入、網羅的情報収集を終了します。

――以降はマニュアルにて情報の検索を……。

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