3話 1カ月と10年
31回目
「レオ」
久しぶりに見たミリー痩せていた。どこか見覚えのあるローブを羽織っているが、頬のこけは隠せない。僕は少し迷っていつもの僕の台詞を選んだ。
「ミリー。最後に会ったときから何度陽が昇って沈んだと思っているの。暇つぶしにちゃんと付き合ってくれるという約束を忘れた? まったく、君は本当に馬鹿だよね」
ミリーがいない間の狂いそうなほどの寂しさは、絶対に見せないと決めていた。いったい何度、この僕を囲む魔法陣を消そうとしたか分からない。それでも、そんなことは絶対に言うものかと思っていたし思っている。僕を目覚めさせた小さな女の子に、そんなみっともない僕は見せたくなかった。
彼女がどうして僕のもとに来なかったのか予想が付いているからこそ、なおさら。
「レオ。魔法、完成したよ」
そう言ってミリーが見せたのは、透明な筒に入った不気味な色の液体だった。もう一つの手に持った長い木の枝で、僕を囲む魔法陣に何かを書き加えていく。
「……それ、本当に解くための魔法? さらに呪いをかける魔法じゃなく?」
おどろおどろしい呪いを掛ける瞬間に立ち会っている気分だ。
「大丈夫……な、はず」
「はず……?」
「掛けた本人に直接聞いたわけじゃないし、解呪の方法だってちゃんとした手順まで書いてあるのはなかったの。でも、たぶん合ってる」
「そういうときは自信がなくても自信があるように見せかけてくれない? とても不安になったよ」
「大丈夫任せてレオ」
完全な棒読みだ。
「君はハッタリの才能がないね」
「別にいらないもん」
そう言っている間にもミリーは準備を終えたようだ。ミリー自身も魔法陣の中に入ってきて僕に先ほどの液体を渡した。手をすり抜けてしまうのではないかと少し不安だったが、持つことができた。
「はい、飲んで」
「飲む!?」
いっそ手を素通りしてしまえばよかったのに、と思わず考えた。
「そう、それをレオが飲んで、それからあたしが魔法をかけるの」
「これどうしても飲まないといけないの? こんな不気味な色の薬、飲んだら一瞬で死んでしまいそうだよ?」
「大丈夫。あたしも飲んだけど死んでないし」
こうまで言われると飲まないわけにもいかない。
覚悟を決めて、その怪しい液体に口を付けて一気にあおった。
「……っ……っぐ」
吐きそうだ。
「吐いちゃダメだからね!」
涙目になりながらも胃から逆流しそうな液体をなんとか押し込む。
「……っは! こ、こんなひどい味のものはじめて飲んだよ……!」
「そお? あたしは何度かあるけどな。風邪薬とかきっついよ」
「その風邪薬はぜったいに飲みたくないな……」
ミリーはぐったりする僕を見て面白そうに笑った。
「これで狭間へ行ってもしばらくは大丈夫。じゃあ、行くよ」
「ちょっと待ってくれ。狭間へ行っても?」
「詳しい話は、向こうで話すから」
そう言いきるなり、ミリーは呪文を唱え出した。僕らを囲む魔法陣が点滅を始める。周囲の空気が色をなくすように変わっていく。ミリーの声が頭に響き、呪文が音としてしか聞こえなくなる。
「異界よ、我らを受け入れよ」
かろうじて分かったその言葉を最後に、懐かしい空気が僕らを包んだ。
■■
一見何も変わっていないようで、違和感のある光景。森の中に息づくはずの命が感じられない、『狭間』の世界へ来ることができたのだと分かり、あたしは息を吐いた。
「成功かな」
「これは……」
覚えのある感覚なのだろう。レオは眉をしかめて周囲を見回している。
「うん、完全なる狭間の世界。例えば今、お母さんがあたしたちのいるはずの場所を見ても、お母さんはあたしたちを見つけられない。あたしたちも、お母さんを見ることができない。同じだけど、違う場所。それが狭間の世界、らしいよ?」
なにせキーリの書き残したものから得ただけの知識なので、つい余計に一言加えてしまう。案の定、レオは嫌そうな顔をした。
「そういう人を不安にさせることは言わないでって言ったよね? ……まぁいいけど、これからどうするのか、僕はこれからどうなるのか、教えてくれるよね?」
「うん。あのね、キーリの残した日記や魔法書から分かったことは3つあるの。
1.呪いを解くためには、一定の手順を踏み、かつ呪いに込められた以上の魔力を持つ者によってそれを打ち壊すしかない。そして、その手順は一応分かっていること。
2.レオに掛けられた呪いは、異界へとその身を閉じ込めるものであること。
3.レオの状況が常に異界にないことからも分かるように、呪いはおそらく不完全なものであること」
「……色々聞きたいことはあるんだけど、とりあえず。手順は『一応』分かっている、とか呪いは『おそらく』不完全なものであるとか、曖昧な表現が多いのはどうして?」
「それはキーリの日記に書いてあったことなんだけど、感情に任せて呪いをかけてしまったせいで失敗があったみたいなの。だから、ちゃんとした呪いとは違うものになってしまってキーリ自身すら解くことができない呪いになってしまったって」
レオは呪いをかけてから一度もキーリは会いに来なかった、と言ったけれど正確には来ることができなかったのだ。あたしが最初に読んだ日記は、キーリが呪いをかけた直後に書いたもの。そしてその後に見つけた本には、でもそれから数年後、そろそろ許してあげようと思い呪いを解こうとした。そして自分の失敗に気がついて、呪いを解くために研究を始めたことが書かれていた。
「家に残っていたのはキーリの研究の一部だけだったけれど、あたしたちを囲む魔法陣だって、キーリがやったときには何も起こらなかったらしいし、時間の流れとともに呪いが弱まり始めているんだと思う。どんな呪いだって、時間の流れとともに劣化するし、かけた本人がもう死んでいるならなおさらね。だから、一部の研究の結果からでも今なら通じると思う」
一応確認のために、レオが繋がれている鎖めがけて杖代わりの枝で思い切り叩く。魔力を込めた枝に負けた鎖にはパキ、と音を立ててひびが入った。弱まったキーリの呪いよりもあたしの魔力が上回ったってことだ。これならいける。
レオはひびが入った鎖を驚いて見つめ、そしてため息を吐いた。
「キーリが僕のために、だなんて……意外だよ」
「意外って、レオの状況を考えれば当たり前じゃない?」
「君はキーリを知らないからそう思うだろうけど、キーリって本当に自分勝手でまるで自分を女王様だと勘違いしているような女性だったんだよ。そりゃあ兄の前ではしおらしかったけど、キーリを気にいらない女官たちのこまごまとした嫌がらせにも10倍返しは当たり前のようにしていたし」
本気で首をかしげているレオナルドは心底不思議そうだ。
「それに……それが本当なら、僕もたいがい馬鹿かもしれない」
「え?」
レオが自分自身を馬鹿なんて言うのは初めてで、その顔を見上げると眉をひそめてまるで何かを悔やんでいるような顔をしていた。
「僕は、キーリが僕のことを恨んで魔法をかけて、それで終わりだと思っていたから。キーリが呪いを解くために何かしていたなんて考えたこともなかったし。それですっぱり忘れ去られるものだと思っていたんだよ」
『レオ、あなたのことを忘れたことなんてない』
■■■
突然響いた第三者の声に目を向けると、黒い髪にミリーと同じ琥珀の瞳。そして今ミリ―が来ているのと同じローブを羽織った女性がいた。
見間違えるわけもない。たった2月ほどの付き合いしかなかったけれど。忘れるわけもない。
「……キーリ」
ミリーとよく似た面差し。違うのは唇にひかれた紅の鮮やかさか。いつまでも化粧っけのないミリーと違い、キーリは出会ったときすでに大人の女だった。
ミリーにとっても予想外の事態なのか、自分によく似た女性の出現に目を丸くしている。
『レオ。ごめんなさい』
「君に謝られると変な感じだな」
『仕返ししてやろうと思っていたけど、さすがにここまでやるつもりはなかったわ。せいぜい10年くらい閉じ込めてやるだけのつもりだったの』
「………」
十分ひどい、と思った。
『あたしが生きている間にはどうにも出来なそうなの。でもこの魔術は、呪いがゆるむ頃に発動するようにしてあるから、これを聞いている時には呪いを解くこともできるようになっているはずよ』
さっきのひびがきっかけということか。
『呪いを解くための研究結果をお師匠様に預けたから、もう少しで弟子の誰かが時に来てくれるはずよ。それまでここで待っていてちょうだい。きっと、元の世界に戻れるから』
「……弟子より先に君の子孫がなんとかしようと頑張ってくれてるんだけど」
『本当にごめんなさいね。レオ』
一方通行な会話は始まりと同じくらい唐突に、キーリの姿とともに終わった。過去を映したものだったのだろう。ぽかんと口を空けて見ていたミリーは、ようやく我に返ったようにゆっくりと息を吐いて、キーリがいた場所に駆け寄って誰もいないことをわざわざ確認した。
「あれがキーリなんだ。魔法ってすごいんだね」
「すごいって……あれくらいなら魔女ならできても違和感ないよ」
「そうなんだ。あたしも出来るかな」
「修行すればできるようになるんじゃないかな?」
僕に魔女のことは分からないけど。
「さっきのキーリの言葉からすると、やっぱり今なら呪いが解けるってことだよね!」
「ついでに言えば、少し待てばちゃんとした研究結果を持ったしっかり修行したやつが解いてくれるとも言ってたね」
つまり、何もやらないで待つ方が安全なわけだ。
「んー……」
ミリーは、考え込むように下を向いたが、すぐに顔を上げた。
「あのね、あたしもお母さんに聞いて知ったんだけど、4、50年くらい前、国が全面的に魔法を禁止してたんだって。うちに魔法が伝わってなかったのも使えると危なかったからあえて伝えなかったらしいの。だからキーリの残した本もほとんどなくなっちゃってたの。最近になってまた研究されるようになったらしいんだけど」
魔法を禁止しようとする動きは確かに僕の記憶でもないわけではなかった。
「つまり、キーリの研究はそのときに失われて伝わっていない可能性が高い?」
「そうそう。それでなくても、もしかしたら忘れられちゃってるかも」
……否定できないのが辛いところだ。
「結局、君に任せるしかないのかな」
「うん、任せて!」
木の枝を握って笑う姿を見ると今さらだが不安がこみ上げてきた。
■■■
実は、キーリの残した書物から分かったことは4つある。そしてその4つ目はむやみに期待させたくなかったからあえて言わなかった。
4.異界では時間の流れが現実とは異なること。異界に入りこんだものが奇跡的に出てくることができた場合に、遥か過去から来た者。また未来から来たと思われる者がいること。
つまり、上手くすればレオが呪いをかけられた時にまで遡ることができるかもしれない。
私が家で飲んで来たのは、レオにも飲ませた『狭間に入ってもそこに馴染んで帰ってこれなくなるのを防ぐため』の薬と、あとひとつ。
飲んだものの魔力を一時的にでも飛躍的に高めるもの。加えて、ローブの下にはお小遣いで買ったものと、家の中から掘り出した魔法具を付けられる限り付けている。
だから、きっと大丈夫。
「ミリー」
ぴと、と頬に冷たいものが当たり、ひあ、と変な声が出た。
「もしかしてと思ったら、やっぱり触れるんだね」
「い、いまは同じ狭間にある存在だから、そりゃあ触れるよっ!」
レオに触れられたのは当たり前だけど初めてで、妙にうろたえてしまう。
「へえ。人に触れるのは何年振りだろう」
でも、そんな私の心境に構わずレオはベタベタと頭をなでたり頬を触ったりしてくる。
「れ、レオ! 昔さんざんあたしのことを礼儀しらずって言ってたくせに、女の子にそんなにべたべた触って良いと思ってるの!?」
「おっと失礼」
ぱっ、と手を離されてようやく落ち着けた。
「よろしくね、ミリー」
「う、うん」
ばくばくとうるさい心臓を押さえて、あたしは準備を始めた。頬が熱い。
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また魔法陣にいくらかの線や意味のわからない文字らしきものを書き加えた後、ミリーは呪文を唱え始めた。これでなんらかの結論が出るのだと思うと、感慨深いものがある。ただ一つ不安があるとすれば、これが失敗したときミリーは大丈夫だろうかということだ。今頃そこに行きあたるなんて、どれだけ余裕がなかったのかと言う話だ。
「……ミリー」
止めてもいいよ、というにはもう遅いだろう。
ミリーには、呪文が唱え終わると同時に鎖が切れるはずだと言われている。そして元の場所に戻れると。
杖の代わりに木の枝を構えているというのに、この身に感じる魔力はキーリに呪いをかけられた時に感じたのものと遜色ない。鎖もどんどん軽くなっていくのが分かるし、周囲の光景も何だか違うものになっていく気がする。これなら大丈夫かもしれない。
冷や汗がミリーの顔に浮かんでいる。初めてであったときは暇つぶしにからかっただけだった。しかし何度も会ううちに、この状況を願うようになっていった。そして今、それが叶おうとしているのにこの身に感じる恐怖は何だろう。不安とも違う、どこか確信に似た恐ろしさが胸にあった。
ふいに、先ほどまでキーリのいた場所に再び、像が結ばれた。キーリだ。
『そうだ、あんたを繋いだ木の根元に色々埋めておいたから慰謝料代わりってことで勘弁してね。あ、あと研究してて、そこそこ魔力がある人の魔力を代償に時間を上手く操ればあんたが本来生きていた時代に戻れるかもしれないことがわかったわ。ただ色々矛盾とか起こるので本当に魔力が大きそうな相手じゃないと死んじゃうかも! 頼むならダメ元でね!』
「……は!?」
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魔法を勉強するのに一番困ったのは呪文だ。魔法としての意味を理解しながら魔力を込めて発音しないと発動しない。幸い、薬草づくりの時に決まった言葉を呟くのに似ていたから出来るようになったけど、長く続けるのは疲れる。
「あたしは魔女・ミリー。キーリの後を受け継ぎしもの、呪いよその式を解けよ! そして世界の時よ、この者――」
あたしは思い出す、初めて会った時にレオが微笑みながら教えてくれた名前を。何度も何度も声に出して紙に書いた。覚えられなくて泣いたし泣かされた。
今ではレオと呼ぶけれど、いつだって流れるように言えるようになったレオの本名。
「レオナルド・リオッド・マクスクライン・レレンダール・オズドル・ワズイルダムを、あるべき時へと――」
レオの鎖が完全に消滅したのを確認しながら、最後の呪文を続ける。これで終わりだ。この呪文さえ唱え切れば――。
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僕は咄嗟に掛け出した。頭の回転が速くてよかったと思う。キーリの言葉を理解するのと、鎖が消えたと感じるのと、そして周囲の光景が変わりつつあるのが時間が巻き戻っているからだと気付くのは一瞬で足りた。
駆け出し、そして懐から取り出した銀の短剣で――ミリーが掲げるように持っていた木の枝を叩き折った。
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32回目
魔女は強力な魔法を使うときには必ず杖を使うのよ、とは僕と彼女が上手くいっていた本当に短い期間に教わったことだ。それを聞いて、僕はすぐに破魔の効力を持つという短剣を取り寄せた。念のためと言うやつだ。
残念ながら、呪いについてはその限りではないのだと後から知ったが持つだけなら損にはならないだろうと持ち歩いていた。呪われてからは木に傷を付ける程度の役にしか経たなかった短剣だが、こんなところで役に立つとは思わなかったよ。
見覚えのある木の下で、目をつむって横になっているミリーの髪をなでると。その拍子に、ミリーはがば、と起き上がり周囲を見回した。
「い、今いつ!?」
「やあ、おはようミリ―。今は朝だよ」
朝露に光る葉。きらめく太陽。呼吸すると胸いっぱいになるかぐわしい空気。そして自由に動く手足。生きてるいることの素晴らしさを感じるには一番いい時刻だ。
「レオ、そうじゃない、そうじゃなくて」
混乱しているのだろうミリーに、見飽きるほど見飽きた木を示してやる。
「これを見て御覧、ミリー。この木の、そう、下の方だ」
「……線?」
「そう。これは僕が暇つぶしに君と会った回数を記したものだ。30回」
そして、もう一本線を引く。
「魔法を解きに来た時で31回目。そして、さっきまで君も僕も気絶してたからあえて32回目と数えておこう」
もう一本。
「ミリー。今は君が生きる世界だよ。君と僕が会話をして、流れた時間そのままのね」
琥珀色の瞳に涙が盛り上がった。そして泣きだす。
「れ、レオっ。な、なんで止めたの」
「君が死ぬかもしれないって聞いて止めない方がおかしいよ。君、やっぱり馬鹿だよ。馬鹿だ馬鹿だと思っていたけどそこまで底なしの馬鹿だとは思わなかった。救いようがない馬鹿だよ」
「え、死ぬ!?」
驚いた顔にむしろこっちが驚いた。
「分かってなかったの!?」
「ま、魔力が全くなくなっちゃうかもとは思ってたけど……し、死ぬとか考えてなかった……」
茫然とした後に怖くなったのか折れた枝を持った手で自分の体を抱きしめる。
「だ、だってそんなの書いてなかったし」
「それはたぶん、完成した研究資料じゃなかったからだろうね。君が呪文を唱えている最中に、キーリがまた出てきて言っていたんだよ」
「気付かなかった……」
かたかたと震え始めた体は冷たい。ローブだけでは足りないのかと上着を脱いでさらに掛ける。気絶している間は脈拍も息も正常だったから大丈夫だろうと思ったが、魔女ならではの症状もあるのかもしれない。
「ミリー、とにかく君の家まで行こう」
■■■
それからの記憶はほとんどない。気が付いたらあたしは自分のベットの上に寝ていた。
お母さんには怒られた。お父さんには泣かれた。でも、お母さんがあたしを怒ると、レオはそのたびに頭を下げるから、そのうち怒らなくなった。さすがにいかにも上流貴族という雰囲気のレオを怒り続けられないみたい。
あたしはどうやら魔力の使いすぎ?で重度の貧血のような状態になっていたらしくて3日くらい経つと普通に動けるようになったけど、しばらくは寝ているように言われてしまってようやく普段の生活に戻れたのは一週間後のことだった。
「レオ、馴染んだね……」
「そう?」
そして動けるようになったあたしが見たのは、いつになく繁盛しているお店と、お父さんの服を着て店番をしているレオの姿だった。
「旅の途中でレオナルドさん、森に迷いこんじゃったんだってねえ?」
「あの森は昔から不思議な伝説が多いからのう」
「でも、そのおかげで毒キノコをうっかり食べちゃったミリーを連れ帰ってくれたんだから、レオナルドさんもミリーも運がいいよねえ。なにせあの森はミリーかケティがいないとちゃんとした道が分からないからねえ」
思わずレオを店の奥に引っ張り込む。
「なんであたしが毒キノコ食べたってことになってるの!? あたし、そんな危ないもの食べたりしないのに!」
「でも、当たらずとも遠からずだよ。なにせ死ぬかもしれない魔法を使おうとするんだから」
「う、しょ、しょうがないじゃない。書いてなかったんだもん」
「そんなの知らなかったから毒キノコ食べた、と変わらないよ。そうでなくても、僕に一言言ってくれればそんな危険を冒さずにすんだんだよ。僕は時を戻すことなんて望んでなかった」
すまして言われた言葉に、思いのほか衝撃を受けた。
「なんで…? だって」
「僕はね、後悔してないんだよ。キーリを騙したことも、それで呪いをかけられたことも、それであれだけ苦しんだことも、僕が僕の判断で動いてきた結果だ。なかったことにしたくない。僕はあの時間を経て、今ここにいるんだ」
それにね、とレオは言った。
「キーリがあの言葉を残したということは、僕は戻らないままに今まで時間は流れて来たんだ。それなのに僕みたいに影響力のある人間が戻ったら、それこそ歴史が変わるかもしれない。誰かの経験や行動がなかったことになってしまうかもしれない。僕はそうすべきではないと思う」
「でも、でも、レオ、誰もいないんだよ? レオの知っている人、誰もいないんだよ?」
「いるよ。この村に人たちはみんな僕のことを知ってる。隣の村の人だって知ってるかもしれない。なにせこの容貌だからね、噂になりやすいんだよ」
茶化してにやりと笑うレオの顔には影が見えなかった。
「それに、君みたいに僕のために頑張ってくれた子もいるしね。――キーリが言っていたんだ。人を好きになるには一瞬で十分だし愛するには、1か月あれば十分だって。僕はそれを笑っていたけど、あながち間違ってないんだと思ったよ」
■■■
「あ、愛!?」
「ま、正確には1か月じゃないけど会話した回数から考えても、僕の体感だと1カ月ちょっとくらいだし」
「違うよ! 1か月じゃないよ! 初めて会ってから10年は経ってるよ!」
「愛は否定しないの?」
「う……愛じゃないもん、でも……大事だよ」
顔を真っ赤に染めながらそう言うミリーを見ながら、初めてミリーと出会った時のことを昨日のように思い出す。単純で可愛い女の子。
いざ生き伸びても、生きていく気力が自分にあるのか疑問だった。でもそれは杞憂だった。
「ミリー。僕も、君が大事だよ」
柔らかい頬を撫でてやると、簡単に熱を持つ。可愛い。
「さて、元気になったならちょっと付き合ってくれない? 森にいってキーリが僕に残したって言う慰謝料を掘り返しにいかないと」
「え、なにそれ!?」
「さていくらあるかなー、楽しみだなぁ」
「ちょっと、慰謝料? ねーってば!」
ミリーの手を引きながら歩く。
王子としての僕の居場所はもうどこにもない。
でも、貸してもらった服は地味だけど肌触りは悪くない。髪も手入れ出来ずに痛んできたけどあまり気にならない。力仕事だって自分がしなければ誰もしてくれないけど、体を動かすのは思ったより楽しかった。村人たちはなれなれしくて礼儀がなっていないけれど、どこの誰とも知れない僕を受け入れてくれている。それに、この途方もなくお人よしな少女もいる。
「ミリー」
「何?」
「商売人、向いてるかな、僕」
「おばさん達には受け良かったから、向いてるかもね。レオがちゃんと接客できるなんて思わなかった」
「得意分野だよ。じゃあ、頑張ってみようかな」
FIN




