6 岸の柳の木の下で
「100年前に発見されたのは遺跡ではなく、工房を持つ家族だったんだ。当時の国王は、工房のある森を王国の領土だと言い張った。自分達が後から来たのにさ。王国が新たに存在を知った先住民を勝手に国民としたんだよ」
「それは酷いな。先祖に替わり、詫びを申す。フィアレスウッドは正当な持ち主に還さなくてはならぬ」
心からの謝罪を受けて、エリンの暗い復讐心に信頼の芽が顔を出す。元来エリンは単純な人物なのだ。誠意を受ければ素直に受け入れ、自分も誠意を返す。
「ありがとう、リチャード1世陛下。事件の締めくくりはこうだよ。王は王妃を人質として、工房の家族に無償で研究させ、搾取し、テンダーアートを強奪しようとした。王妃が亡くなったあと、怪しんだ工房の家族が王妃と姫の墓に詣でたいと願い出たけど、拒否されたそうだよ。そこで何人かが証拠を求めて旧王妃館に忍び込んだのさ。その時、記録装置を持ち帰ったんだよ」
「しかし、そんな確かな証拠があったのに、なぜ揉み消されてしまったんだ?工房の家族はどうなったのだ?」
エリンは、よくぞ聞いてくれたとばかりに続きを話した。
「国王は、平気な顔をして工房を尋ねて来た。鴛鴦夫婦って触れ込みだったから、殺戮者への復讐のためだ、って嘘をついて兵器製作をさせようとしたんだよ。そんな恥知らずな要求なんか、誰も呑みはしなかった。反対に復讐を試みたそうだよ」
工房で作業していた王妃の家族は、口もきかずに素早く動いた。戸棚や引き出しから、目眩しや逃げる時間を稼ぐための道具を取り出したんだ。家長は強い光を国王たちに浴びせた。その妻は煙幕を作動させた。大きな音の出る装置を起動させる長兄、眠り薬を噴射する次兄。だが、柔和工房は戦闘には向かなかった。攻撃的な道具は、ただのひとつもありはしなかったのだ。
王は彼らの抵抗を鼻で嗤うと、容赦なく斬り捨てた。
「謀叛人めらが」
嘲笑いながらも、反抗されたことは我慢できなかったようだ。王は作業台に飛び乗り、工具や作業中の部品を蹴散らした。虫の息だった工房の家族は、その無慈悲な行いに心までズタズタにされてしまった。
「一家は国王に惨殺されたんだ。王はたった一人で圧倒的な戦力を誇り、その場にいた護衛も口封じのために殺したんだって。一人残らず仕留めた後で、色々と勿体無いことをした、と王は冷たく言い放ったんだ」
「えっ?それも、記録があるのか?」
「あるよ。事件が起きたのは工房だから、当然素人には見つからない場所に記録装置が仕掛けてあったんだよ。それに、末の妹がたまたま外に行っててさ。戻った時に惨状を見て、すぐに装置を回収して逃げたんだ」
テンダーアートは、一族の血に宿る古代龍と森林霊の混血した魔力がなければ動かすことができない。だから、そもそも強奪しても意味がないのだ。今なお研究が進まないのもそのためだ。
「そうだったのか」
太陽は朝から昼へと輝きを増しながら天の道を昇っている。低い石積みの上に花を見せる薔薇は、花びらに載せた朝露をすっかり乾かしていた。
「そんな非道なことをしておいて、王はさっさと後妻を迎えたんだって。国のためだ、って辛そうな演技をしたそうだよ」
強欲な王は利害が一致する外国王族から後妻を迎えた。その後妻から、リチャードから数えて六代前の王が産まれた。工房の真実は家族にも話さず、非業の死を遂げた王妃は運命の恋をした村娘とされた。
「それだけじゃ終わらなかった」
「まだあるのか!」
リチャードは悲痛な叫びをあげた。すべて祖先の罪である。どうつぐなってよいか解らない。生垣沿いに漂う芳しいソーングリフローズの香りが、却って陰鬱に感じられた。
「王は、過去に森を離れて別の土地で血を繋いでいる、柔和工房一族の者がいるかもしれない、と思いついたらしい」
「自分で皆殺しにしておきながら?」
「激情に任せて剣を振るった後で、惜しいと言ったくらいだからね。工房の一族にしか柔和機構を起動できないことは、多分知ってたんだ。自分で破壊しつくしたくせに、また作らせようとも思ったに違いないよ。強欲な王だもの。テンダーアートは諦めきれなかったんだろうよ」
ふたりは薔薇園の外周を通り過ぎて、柳の古木がある小川へと足を向ける。ふたりとも、話が重すぎて辛かった。歩いている方が気が紛れるのだ。小川は楽しげな音を立てている。ところどころに流れから岩が頭を出していた。小鳥たちが忙しなく囀りかわしながら、岩の上を跳ね歩いてている。
「王は古代遺跡を発見したのだとして、柔和工房の存在を国内外に発表した。それまでは、軍事機密扱いだったんだけどね。どこかで血を繋いでいる柔和工房の一族を、おびき寄せようという魂胆だったんだ」
「何と浅ましい」
ふたりは、暗い顔をして年を経た柳の根元に腰を下ろした。風がさやさやと枝垂れ柳の葉を鳴らす。鮮やかな若葉が揺れる度、日光がちらちらとふたりの顔や肩の上で踊っていた。
「研究旅行に出ていた一族の若い夫婦がいた。末の妹は、その夫婦を訪ねて行ったんだ。話を聞いた夫婦は復讐を決意した。それが、あたしの先祖だよ」
リチャードはもうすっかり言葉を失くし、遠くの空を見るともなく見つめた。生真面目な反応を見て、エリンはふといたずらな目付きで王を見た。
「ふふ、驚いた?恐ろしいだろ?我が一族は?」
リチャードはエリンのからかいに救われた気がした。流れ行く雲をぼんやりと眺めたまま、王は静かに座っていた。エリンも空に目を向ける。そのまま並んで、しばらく風に吹かれていた。後にこの場所は、ふたりの定番談話スポットになった。
しばらく黙っていた後で、エリンは静かに語りを再開した。リチャードはやりきれない思いで、じっと聞いている。
「夫婦は手紙で王妃の事件も搾取も知ってたよ。今は国に戻るな、と家長から止められていたんだって。気を揉んでいるところへ、工房が古代遺跡だなんて言う発表があった。末の妹が知らせに来たのはその後だけど、そこにいた家族は惨殺されたんだ、ってことは想像に容易いよね」
「そうだな」
リチャードの声は沈みきっている。エリンはついに最後の部分に到達した。
「夫婦と末の妹はこっそりと、王の血族を抹殺し始めたんだよ。トリガー一族の嫡流は身体が弱いから、放っておいても若くして亡くなる。けど放っておくと傍流が増える。生まれることさえなかった姫のことを思い、一族の無念を胸に、研究者とその末裔は王族を仕留めていったのさ。テンダーアートがあれば、病気をひどく悪化させるくらい朝飯前だからね」
話を聞き終わり、リチャードは複雑な表情をみせた。自分の一族が病気に見せかけて暗殺された、という話を聞かされたのだ。だがそれは、とんでもなく凶悪な先祖の所業に対する報復でもある。
「信じないかも知れないが、余は既に貴女から2回、そのほかの理由でやって来た暗殺者たちからも、合わせてたくさんの回数殺されている。もう復讐は果たされたということにはできないか?」
リチャードは、生きて柔和工房の再興を手伝いたいと考えた。
「余は王朝を終わらせるより、生きてこの国の王でいるほうが、貴女の役にたてると思うぞ。それが償いとなるかは解らぬ。だが、工房の再出発には援助の手を惜しまない」
エリンは工房の話より、回帰の話題に興味を惹かれた。
「やっぱり陛下も戻ってたんだね?でもそんなに?何度も死を経験しただなんて。辛かったろうね」
エリンは同情を禁じ得なかったのだ。リチャードは憎き仇の末裔ではあるが、常人ならば正気を失いそうな体験を重ねていると知った。しかもそのうち2回は、エリン自身が手を下した。
「暗殺者はみんな、前回の記憶を持ったまま同じ一日を繰り返したの?」
「いや違う。貴女の行動が変化したのは、ご自身の意思によるものだったのだね?」
「そうだけど」
リチャードはちらりと鉄槍を見た。
「貴女が復讐を遂げた日の他に、夢と全く同じ一日を繰り返したことはあるか?」
「どうだろ?復讐に行った夜以外、5歳の時から変わり映えのない毎日だからねぇ」
エリンは幼い日々からずっと、槍の稽古と柔和機構の研究ばかりしてきた。熱中するあまり、気がつくと数年経っていることもある。一日と次の一日の繋ぎ目もわからないほどだった。
リチャードは、奇書館の人々を思い出す。エリンも彼らと同様に、時間に対する認識の仕方が一般の人々とは違うのだろう、と結論付けた。そこで、回帰を確認する質問の内容を変えることにした。
「今日、薔薇園に来たのは何度目だ?」
エリンはキョトンとリチャードを見つめた。新緑よりもやや深みのある緑が、無邪気に見開かれている。瞼を縁取るダークブラウンの睫毛は、髪と同様カールしていた。その表情は、突然玩具を取り上げられた仔猫のようだ。先日エリンが壁を駆け上った様子が、リチャードの目に浮かぶ。
(この女性は、猫に似ている)
どんよりとした雰囲気に、少しだけ愉快な気持ちが加わった。王にそんな事を思われているとは露知らず、エリンはともかく質問に答えた。
「えっ?ああ、そういえば、あたしが何にもしてないのに、また繰り返しになりやがったから、いっそ自分が葬ってループするほうがほうがまだマシだ、って思ってさ。探査装置を使ってここに来た」
「いや、ご令嬢。100年の怨みも分からなくはないのだがな。これで死ぬのは怖いのだ。もう痛い思いをさせないでくれるとありがたいのだが。どうせ戻るなら、護衛してくれたらどうか?協力して回帰要素を全部排除したら、ふたりとも戻らないで済むのではないかな?」
なんだか丸め込まれた気がしないでもないが、エリンはとりあえず納得する。
「言われてみればそうかもね」
「決まりだな」
「わかったよ。引き受けてやるさ」
エリンは苦笑いした。
「近衛騎士団に入ってしまうと動きづらくなるから、私設護衛兵士、ってことでどうかな?」
王は、この機を逃すまいと畳み掛けた。
「何でもいいよ。けど、働かせるならお給金はきちんと支払って貰うからね?」
「もちろん、充分支払うとも」
「ならいい」
リチャードとエリンは、その日から王と私設護衛として行動を共にすることになった。
「じゃあ早速、知っておいて欲しい場所に案内するよ」
リチャードがエリンを連れて行きたいのは、レアリティハウスである。
「あ、でも貴女は不思議な生物の末裔だから、ご存知かも知れないが」
「どこのこと?」
「奇書館という」
「知らないねえ」
「そうか。じゃあ今から行こう」
「どういう場所なんだい?」
クレイグを呼びに行こうと立ち上がり、王ははたと気がついた。
「あ、案内してくれる人が熱で寝込んでるんだった。奇書館はまた今度にしよう」
「いつでもいいけど、結局、レアリティハウスってのはなんなんだい?」
「それはな」
王は元来た道を戻りながら、初めて奇書館を訪れた時の話を聞かせた。




