表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
94/99

92話 たどり着いた場所

 一日ぶりにちゃんと寝て、だいぶマシになった顔色。昨日のようにあくびも出なくて、体長は万全。楽しむ準備もできている。やるべきことは、ほとんど昨日終わらせた。

 教室に入って、細かい準備をしていく。八時にルリ先生がやってきて、人数確認。


「後は任せたわよ」


 と残して、来客の対応に向かう。

 教室に残ったクラスメイトは、欠席ゼロ。


 奇跡みたいなことだ。あれだけのミスが重なって、けれどすべて巻き返した。文化祭なんて、学校行事の一つにすぎないけれど。誰もが自信を持ってこの場にいる。なんだ俺たち、やればできるじゃん。みたいな空気が流れている。


 二日目。今日で終わりだ。

 最後の一日が始まる。このクラスでの文化祭に、二度はない。


 始まりの合図を求めて、視線は二人に注がれた。応じるように、小日向が前に出る。凛とした表情で、心なし力強くポニーテールが揺れる。

 一つ息を吐いて、顔を上げる。


「あたしは今回、すごく、すごく皆に迷惑をかけたと思います。いっぱいミスして、へこんで――でも、皆が助けてくれたから、今日も笑えてます」


 一点の曇りもない笑顔を、全員に向ける。その中にはたぶん、俺もいた。


「あたしは、このクラスが大好きです! だから、二日目、絶対成功させようね!」

「「「「うぉおおおおおお!!!」」」」


 一切の躊躇いなく拳を掲げる男たち。野太い声が教室に響き、たぶん下の階まで届くほど重なる。やや引き気味に拳を掲げる女子。

 それを俺は、後ろのほうで見守る。なんとなく距離を取って、彼女が立ち直ってくれたことを嬉しいと思う。


 これでいい。小日向は大丈夫だから。

 そうやって安心していたら、突然指名された。


「おいそこのテツ! なーに涼しい顔してんだ!」

「は?」


 間の抜けた声が出てしまう。あまりに急すぎて、理解が追いつかない。


「前でろ前!」

「え、なんで……」


「いいからいいから」


 一輝だけでなく、小日向まで手招きしてくる。余計に混乱した。


「いいから行けよ阿月」「いっちゃえいっちゃえ」「阿月くんも盛り上げて!」「できる、君ならできるよ!」


 連鎖するように、周りからも背中を押される。

 考えてもわからなくて、よくわからないうちに前に着いてしまう。


 その場所は俺が、絶対にたどり着かないと思っていた場所だ。

 誰かの前に立って、期待を背負って、それに応える役目。一輝と小日向のいる場所。人が苦手で、コミュニケーションの下手な人間にはいられない立ち位置。


 そこに今、俺もいる。

 もう話すことのないと思っていた小日向に招かれ、まともに向き合わないでいたクラスメイトに背を押されて。


 いろんな感情がわき上がってきて、言葉にならない。意味を為さない。まだ混乱が強くて、この鼓動が速いのは嬉しいからか、恥ずかしいからかもわからない。

 それでも不思議と、言葉は出てきた。


 盛り上げる言葉は、小日向が言ってくれた。同じ事を俺がする必要はない。


「……一つだけ告白しておくと、俺はホラーが苦手だ」


 おおっ!? と湧く教室。

 お化け屋敷を発案したのが俺で、配布する招待状も書いていたから、当然の反応だろう。


「その俺から言わせてもらうと、このお化け屋敷は絶対に入りたくない」


 笑いが起こって、それから「引きずり込んでやる!」と反応がある。真っ黒のウィッグを被った、口裂け女の生徒だ。こえーし、中身男かよ。

 ひとしきり笑いが収まって、やはり最後は一輝。


「んじゃまあ、今日もたっぷりビビらせてやろうか!」


 ひどく楽しそうに笑う顔は、悪人そのものだった。






 一度解散して、各シフトに分かれるタイミングで、小日向に声を掛けられた。


「あ、あの。テツくん」

「お、おう……どうした」


 およそ一ヶ月ぶりに向き合う。

 久しぶりにちゃんと見る彼女は、不安そうで、けれどその目は前よりも真っ直ぐに俺を見つめてくる。


「あたし、幸せになるから!」


 ただの宣言じゃない。もっと挑戦的な響きを持っていた。


「テツくんに負けないくらい、幸せになるから。勝負だよ」

「……なんだそれ。変なの」


「へ、変じゃないし! とにかく、そういうことだから」

「だから?」


 やっぱり意味がわからない。さっきからどうしたんだろう。


 無理をしているふうには見えないけれど。核心が掴めない。

 俺が首を傾げると、小日向は微笑んだ。その表情には、少しだけ弱さが垣間見えて、胸がじわりと疼く。


 やっと意味がわかった。

 その過去と向き合うために、声を掛けてくれたのだ。俺とのこれまでを吹っ切るために。


「気にしてないって言ったら嘘になるけど、でも、大丈夫だよ。ごめんね、時間がかかって」

「お前が謝ることじゃないだろ」


 どちらが悪いという問題ではないのだと思う。

 俺が謝るのは彼女への冒涜になるし、小日向が謝るのも違う。


「うん。そうだよね。ありがと」


 小日向が平気そうにしているから、辛うじて俺も落ち着いていられた。内心はぐちゃぐちゃで、頑張らないと表情が歪んでしまいそうになる。


 どちらか一人しか、俺には大切にできないとわかっていた。

 あの日自分がした決断を後悔はしない。何度同じ問いが繰り返されても、この人生に二度目があるとしても、俺は小雪を一番にする。


 だけどそれで、積み上げたすべてが消えるわけじゃない。


 こんなことを言う権利がないのはわかっているけれど。俺はそれでも、小日向と笑っていたかった。傷つけた分際で、願うことも許されない夢を見ていた。


 嘘のない答えは、いつだって汚れている。

 欲しいものだけを集めれば、あるのは自己満足だけだ。


「ねえ、テツくん。また最初から、友達になってくれますか?」


 だけどそれを、求めてもいいのだろうか。まだ手の届く場所に、それはあるのだろうか。あるのだろう。だから彼女はここにいる。


 最初から、また。

 きっとそれには、長い時間がかかる。かつて積み上げた一年より、ずっと長い時間が必要だ。高校を卒業して、別々の大学に行って、その後になるかもしれない。


 けれど、それでもいいと言ってくれるのなら。


「こちらこそ、よろしく頼む」


 ここから始めよう。もう一度。何度でも。


「――んで、どうせいるんだろ。一輝」

「うおっ、バレてたか」


 ばつが悪そうに、ポケットに手を入れて近づいてくる。


「心配かけたな」

「一輝には、一番謝らないとね」


 へっ、と不機嫌そうに鼻を鳴らす我が親友。それから複雑な表情で俺たちを見て、視線を逸らした。口元が緩んで、悪っぽく笑む。


「まったく……お前らは俺がいないと全然ダメだな」


 当たり前だ。

 わざわざ口に出すまでもない。







 午前中は少しだけお化け屋敷の受付係をして、十一時には引き継ぎを終える。自由になった身で校舎をふらついていると、保護者の中に知っている人を見つけた。すぐに向こうも俺に気がついたので、挨拶をする。


「こんにちは」

「お久しぶりです」


 氷雨(母)は、やはり小雪に似ている。雰囲気や細かな所作が落ち着いているのは、違いではあるが。いつか小雪もこんなふうになるのだろうな、などと考えられるくらいには、似ている。


「夏祭りからなんですけど……小雪さんとお付き合いさせていただいてます」

「ええ。聞いてるわ」


 なんと言えばいいのだろう。というか、なにか言ったほうがいいのだろうか。それすらもわからん。


「阿月くん」

「はい」


「うちの子について、なにか知りたいことはない?」


 氷雨さんは、楽しそうに目を輝かせていた。


「知りたいこと……ですか」

「パジャマの柄とか、教えてあげるわよ」


 なにそれすげー知りたい。え、ウサギ柄とか着てるの?

 ……落ち着け。その質問をしたら、なんというか、人としていろいろアウトな気がする。

 もっと他に、聞きたいことがあるだろ。もし文化祭で会えたら、聞こうと思っていたことが。


「じゃあ、聞いてみたかったんですけど―――ー?」


 俺の質問に氷雨さんは目を丸くし、それから微笑んだ。


「それは、あの子から聞いたの?」

「はい。たぶん、氷雨さんのものかなと思って」


「あなたが受け継いでくれるのね」

「できるなら」


 氷雨さんは頷いて、それから丁寧に教えてくれた。俺はスマホのメモ帳に、聞き漏らしのないようにメモをした。

 それが終わると、氷雨さんは満足そうに頷く。


「ありがとう。足止めしちゃってごめんなさいね」

「いえ、こちらこそ。ありがとうございます」


「それじゃあね。楽しんで」


 もう小雪のところへは行ってきたのか、そのまま階段を降りて去って行く。一礼してそれを見送り、歩き出す。

 いろんなことを整理して、晴れやかな気分だ。胸のつっかえは一つもない。


 いざゆかん。ネコミミ喫茶。

 氷雨の教室には長蛇の列。その大半が男で、ちらちら教室の中を見ている。


 けっこう待ちそうだな。廊下の壁に背中を預けて、スマホをいじる。


「あれ? 阿月じゃん」

「ナトリンじゃん」


「薬品みたいな呼び方すんな」


 ガシッ、と軽く脇腹を小突かれる。

 休憩中なのか、名取は制服姿だ。


「小雪のおかげで大繁盛。すごいでしょ」

「悪いけど、昼から連れて行くぞ」


「どーぞ。午前中だけで元は取れちゃったから、好きにして」

「そんなに来たのかよ」


「すごかったわよ。おかげで今は在庫がほんとどなくて、男子が必死に買い出し行ってるって状態」


 やはりネコミミは偉大。

 別にやましい気持ちは一つもないけど、後で買って家に置いておこうか。悪くない案だとは思うけど、普通に気持ち悪いからやっぱ却下で。


 そうこうしている間に列は進み、順番が回ってくる。


「ごゆっくり~」


 と手を振って、名取はどこかへ行った。

 受付係の女子が、伝票を持って近づいてくる。


「お一人様ですか?」

「あ、はい」


「ご注文は?」

「コーヒーで」


 中に入って、席に通される。


 小雪は忙しそうに動き回っていたが、目が合うと柔らかく微笑んでくれる。ウェイトレス姿で、頭にはネコミミ。

 惚れるわバカ。


 極めて冷静に紳士ぶってはいるものの、内心は乱舞している。可愛いにもほどがある。ちょっとは自重してほしい。いや自重はしなくていいか。


 座っていると、紙コップに入れたコーヒーを持って小雪がやってくる。


「お疲れさま。もうすぐ終わるわ」

「お、おう。頑張って」


 思えばこの構図も懐かしい。客の俺に、コーヒーを持ってくる。俺たちは、そんなふうに出会ったっけ。

 といってもまだ、懐かしむほど昔でもないか。







「せっかくだし、二人の写真撮ろうか?」


 小雪の仕事が一段落したタイミングで、カメラを持った女子が近づいてきた。小雪とは仲がいいらしい。さっきも楽しそうに話していた。

 小雪はまだ着替えていない。制服姿ならまた今度でもいいが、この服装は今日だけ。

 断る理由もない。


「せっかくだし」

「そうね。じゃあ、お願いするわ」


 色鮮やかに装飾された壁の前で、二人並ぶ。


「なにげに写真って初めてだな」

「緊張するわね」


「まあな」


 なにげに人目につく場所だし。お互いにぎこちない。


「おー、初々しいねえ。それじゃ、はいちーず!」


 かしゃっ、とシャッターの音。


「これでどう?」


 見せてもらった写真の中では、案の定俺たちはぎこちない。

 まあでも、


「いいな。これで」

「ええ。気に入ったわ」


 変に上手くやろうとしなくたっていい。これで終わるわけじゃないんだから。

 一緒に同じ時間を過ごして、少しずつ上手になればいい。


「着替えてくるわね。すぐ行くから」

「おう。外で待ってる」


 廊下に出ると、ちょうど左手から一輝と小日向がやってくる。


「昼休憩か?」

「つーこった。テツは今からデートか」

「デートか!」


「デートです」


 肩をすくめて、冗談めかす。軽く茶化してくれると、こっちも助かる。

 そういえば、小雪も小日向とは気まずい状態だったのではないだろうか。その話はしたことがないから、わからないけど――


「お待たせ。……あ」


 やっぱり気まずかったか。露骨に固まってしまう小雪。だがすぐに、俺たちの間の空気を察したらしい。すっと俺の横に来て、なにがあったのか目で問いかけてくる。


「大丈夫だよ。もう」


 俺から視線を離し、小雪は小日向のことを見つめる。

 二人の間にどんな感情があるのかはわからない。責任は俺が負う。なんてのは自己満足で、俺にはどうしようもない話だってある。


 ちらっと、一輝にアイコンタクト。それから、提案してみることにした。


「せっかくだし、みんなで昼ご飯食べに行かないか?」


「いんじゃね。俺はテツに賛成」

「私もそれがいいと思うわ」

「あたしも賛成!」


 ちょっとは躊躇いがあるかと思ったけど、全然そんなことはなく。口々に言って、自然と歩き出す。


 小日向が先頭で、一輝が続いて、歩き出そうとした小雪が振り返る。小さく頷いて、俺も着いていく。


 なにも変わらないようでいて、大きく違っている。正しいか、正しくないかは誰にもわからない。

 だけど、誇りを持っている。


最終章前半はここまでです。

いくぞ、次からが本当に最後だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 最初から、お友達からやり直すことができたか。大学生になってからも… と言えるのは、もう消えてなくなる必要がなくなったからだね。北海道には帰らないんだろうなあ。 壊して、作り直したものは金継…
[一言] 青春してるのぉ(ΦωΦ) 学祭、やり直したいな… でも、やり直せないから尊いんだが。
[一言] これで終わってもいいような感じですね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ