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90話 嘘のない答えを その7

 文化祭の一日目を楽しむ余裕は、俺にはない。やりようによっては休憩も作れるのだが、それだと明日が空かなくなる。


 よって開会式が始まった後は、すべての時間を仕事に費やす。各クラスが出し物の紹介をする。その進行が時間通りに進むよう、適切な時間管理。それが終われば校舎に戻って、校内展示がスタート。


 実際にやってみると出てくる数多の不具合。隣のクラスのJポップがうるさくて雰囲気のでないお化け屋敷とか、逆におどろおどろしい音楽の流れる縁日とか。そういうクラス間での問題も出てくる。当人たちの会話で解決すればいいが、それができなければ駆けつける。


 また、明日に向けて来客用のアンケートを最終確認。校舎に入るときのための靴カバーが足りているか。

 やることは無限にあって、片付けてもキリがない。


 最後に少し、クラスでお化けの役をやって一日目はフィニッシュ。


 自分でも驚くほど、それ以外になにもしていない。

 まあ一日目なんてこんなもんだ。どこのクラスも、自分たちのところに精一杯で遊ぶ余裕なんてない。


 展示の時間が終われば、今日出た不具合を修正する。下校時間はいつもより遅くなる。

 いつものように、一輝と小日向が指揮を執って作業が進む。


 俺はというと、やはり小道具とか装飾には混ざれずにいた。なにこの疎外感……いや、別にいじめられてるとかではないんだけどね。普通に入れないっていう、その普通さがしんどい。


「テツ、招待状のやつ。明日用に印刷してきてくれるか?」

「俺、仕事、好き」


「ワーカーホリックになってやがる……」


 舞い込んできた仕事に飛びつき、職員室へと軽やかに歩く。いやはや、仕事とはいいものだ。やっている間は他のことを考えなくていい。







「久しぶりね。阿月っち」

「毎日雑用で呼んでますよね?」


 開口一番、戯れ言をのたまうルリ先生。


「今日は初会話よ。つまり久しぶり」

「愛の重たい彼女ですか」


「私以外の女と話そうなんて、いい度胸じゃない」

「なんかニュアンス違わない!?」


 メンヘラっていうか極道みたいな言葉選びだ。


「それで、今更なによ?」

「複雑な事情を感じさせないでくださいよ。印刷してもらいたいものがあるだけです」


「ああ。あれのことね」


 マウスを動かして、印刷をクリック。


「部数は?」

「とりあえず、四十部ほど」


 A4用紙一枚に招待状を四つ詰め込んである。それを切って使うから、百六十枚できることになる。

 画面から目を離さずに、ルリ先生がぽつりとこぼす。


「上手くやったみたいね」

「なんのことです?」


「はぐらかさない。教師ってのはね、案外なんでも知ってんのよ」

「…………」


「阿月っちがいなかったら危なかったんでしょ」


 昨日のことだ。


 今までの俺なら、俺一人でどうにかする方法を探した。それが不可能なら、小賢しいやり方で解決しようとしただろう。

 だけど昨日は、任せることにした。


 次はもっと上手くやれ。

 ルリ先生に出会ってから、何度も言われたことだ。


「一輝と小日向が、今まで積み上げたからですよ。俺は他より少しだけ、そのことを知ってた」

「なら、そのことを誇りなさい」


 背もたれに体を預け、ルリ先生は俺を見る。


「三年しかない高校生活で、信頼に足る人を見つけた。それって凄いことでしょ」

「それは……そうですね」


「じゃあもう行きなさい。印刷も終わったから」







 放課後の作業は常識的な時間に終わり、時間が合うから一緒に帰ろうということになった。昇降口を出たところで、ちょうど出てきた小雪と合流する。


「お疲れ。大繁盛だってな」

「お疲れさま。阿月くんも大活躍だと聞いたわ」


「今日やることやれば、明日楽だからな。明日はサボる」

「私は明日もシフトがあるわ」


「そんとき行ってもいいか?」

「首を洗って待っているわ」


「首を長くしてだろ。それを俺がツッコむのは恥ずかしいんだけど」

「ふふっ。それが終わったら、一緒に回りましょう」


「だな。遊び倒すか」


 歩き回っているだけで楽しいし、どこに寄ってもいい。体育館では吹奏楽部がコンサートをしたり、演劇部の劇があったり。普段は見られないものがたくさんある。


「楽しいのね。文化祭って」


 感慨にふけるように、小雪がぽつりと言う。

 拾うべきか考えて、やめた。代わりの言葉ならいくらでもある。


「大変だけど、それがいいよな」

「そうね。本当に大変」


 なにかを思い出したようで、可笑しそうに笑う。


「どうした?」

「いえ。名取さんがね――」


 そんなふうに誰かの話をする姿は、出会ったときとはまるで違っていて……うまい言葉にはまとめられないけど、胸が温かくなる。


 きっと俺も、なにかが変わっている。

 それは成長と呼べるほどのものではないのかもしれない。大人になれたわけでも、できることが増えたわけでもない。

 だけど、いろんなことがわかった。曖昧だったものに、今では理由をつけられる。


 楽しそうに話すのに相づちを打って、その時間はあっという間に過ぎていった。電車を降りて、改札を出る。そこから少し歩けば、別れるタイミングだ。


「名取さんで思い出したのだけど」

「ん?」


 唐突に、小雪が俺の袖を掴んだ。


「一つ、聞いてもいい?」


 上目遣いでやや不安そうに。そしてどこか恥ずかしげに。


「阿月くんは、私のどこが好き……ですか?」


 聞いてから、目を逸らしてしまう。


「嫌だったら、答えなくてもいいわ。……疑っているとかじゃないから」

「大丈夫。ちゃんと答えられるし、別に恥ずかしくもない」


 その問いには、ちゃんと答えるべきだと思う。特に俺は。


「じゃあ、もうちょっと一緒に歩くか。家まで送るよ」


 左手を差し出す。手を繋いでいるのも、ずいぶんと慣れてきた。

 慣れたから飽きるとか、そういう気配はちっともないから不思議だ。


「いろいろあるし、これからも増えていくと思うけど――小雪は、俺が弱いことを知ってる。見た目より脆いことも、いろいろ拗らせてることも、わかってくれてると思ってる。

 そういうことを真っ直ぐ見てくれるのが、人として尊敬できるし、好きだと思う」


 悲しいのを押し殺して笑っていたとき、誰よりも早くそのことに気がついてくれた。俺が自分自身に吐いていた嘘を、彼女は躊躇いなく暴いてくれた。


 真実は劇薬だ。苦しくて、耐えられずに振り払ってしまった。だけど、それがなければ俺は今も過去に囚われていたかもしれない。


 今の俺が、昔よりも強くなれたとするのなら。その強さは、小雪のおかげなのだろう。弱さと共に歩く勇気は、彼女がくれる。


「今度は俺が聞きたいんだけど」

「……だめ」


「え?」

「だめよ。恥ずかしいわ」


「えぇ。マジで?」


 そっぽを向いてしまっている。耳まで赤い。


「でも、あなたが好きよ」


 消え入りそうな声だったけれど、握った手にも力が入る。聞き間違いではないのだと伝えるように。


「じゃあいいや。それで十分だ」

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 小雪と小日向の友情関係も消えたの?なんか、こんなあっさり消えるのは違和感ある…
[一言] 自分でできる事が増えてなくても、信頼して任せられるようになったら、できる事は増えたことになるからねえ。 しっかりと、自分を見てくれること、が一番大事か。そのあたり、小日向さんは一歩譲っちゃ…
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