90話 嘘のない答えを その7
文化祭の一日目を楽しむ余裕は、俺にはない。やりようによっては休憩も作れるのだが、それだと明日が空かなくなる。
よって開会式が始まった後は、すべての時間を仕事に費やす。各クラスが出し物の紹介をする。その進行が時間通りに進むよう、適切な時間管理。それが終われば校舎に戻って、校内展示がスタート。
実際にやってみると出てくる数多の不具合。隣のクラスのJポップがうるさくて雰囲気のでないお化け屋敷とか、逆におどろおどろしい音楽の流れる縁日とか。そういうクラス間での問題も出てくる。当人たちの会話で解決すればいいが、それができなければ駆けつける。
また、明日に向けて来客用のアンケートを最終確認。校舎に入るときのための靴カバーが足りているか。
やることは無限にあって、片付けてもキリがない。
最後に少し、クラスでお化けの役をやって一日目はフィニッシュ。
自分でも驚くほど、それ以外になにもしていない。
まあ一日目なんてこんなもんだ。どこのクラスも、自分たちのところに精一杯で遊ぶ余裕なんてない。
展示の時間が終われば、今日出た不具合を修正する。下校時間はいつもより遅くなる。
いつものように、一輝と小日向が指揮を執って作業が進む。
俺はというと、やはり小道具とか装飾には混ざれずにいた。なにこの疎外感……いや、別にいじめられてるとかではないんだけどね。普通に入れないっていう、その普通さがしんどい。
「テツ、招待状のやつ。明日用に印刷してきてくれるか?」
「俺、仕事、好き」
「ワーカーホリックになってやがる……」
舞い込んできた仕事に飛びつき、職員室へと軽やかに歩く。いやはや、仕事とはいいものだ。やっている間は他のことを考えなくていい。
◇
「久しぶりね。阿月っち」
「毎日雑用で呼んでますよね?」
開口一番、戯れ言をのたまうルリ先生。
「今日は初会話よ。つまり久しぶり」
「愛の重たい彼女ですか」
「私以外の女と話そうなんて、いい度胸じゃない」
「なんかニュアンス違わない!?」
メンヘラっていうか極道みたいな言葉選びだ。
「それで、今更なによ?」
「複雑な事情を感じさせないでくださいよ。印刷してもらいたいものがあるだけです」
「ああ。あれのことね」
マウスを動かして、印刷をクリック。
「部数は?」
「とりあえず、四十部ほど」
A4用紙一枚に招待状を四つ詰め込んである。それを切って使うから、百六十枚できることになる。
画面から目を離さずに、ルリ先生がぽつりとこぼす。
「上手くやったみたいね」
「なんのことです?」
「はぐらかさない。教師ってのはね、案外なんでも知ってんのよ」
「…………」
「阿月っちがいなかったら危なかったんでしょ」
昨日のことだ。
今までの俺なら、俺一人でどうにかする方法を探した。それが不可能なら、小賢しいやり方で解決しようとしただろう。
だけど昨日は、任せることにした。
次はもっと上手くやれ。
ルリ先生に出会ってから、何度も言われたことだ。
「一輝と小日向が、今まで積み上げたからですよ。俺は他より少しだけ、そのことを知ってた」
「なら、そのことを誇りなさい」
背もたれに体を預け、ルリ先生は俺を見る。
「三年しかない高校生活で、信頼に足る人を見つけた。それって凄いことでしょ」
「それは……そうですね」
「じゃあもう行きなさい。印刷も終わったから」
◇
放課後の作業は常識的な時間に終わり、時間が合うから一緒に帰ろうということになった。昇降口を出たところで、ちょうど出てきた小雪と合流する。
「お疲れ。大繁盛だってな」
「お疲れさま。阿月くんも大活躍だと聞いたわ」
「今日やることやれば、明日楽だからな。明日はサボる」
「私は明日もシフトがあるわ」
「そんとき行ってもいいか?」
「首を洗って待っているわ」
「首を長くしてだろ。それを俺がツッコむのは恥ずかしいんだけど」
「ふふっ。それが終わったら、一緒に回りましょう」
「だな。遊び倒すか」
歩き回っているだけで楽しいし、どこに寄ってもいい。体育館では吹奏楽部がコンサートをしたり、演劇部の劇があったり。普段は見られないものがたくさんある。
「楽しいのね。文化祭って」
感慨にふけるように、小雪がぽつりと言う。
拾うべきか考えて、やめた。代わりの言葉ならいくらでもある。
「大変だけど、それがいいよな」
「そうね。本当に大変」
なにかを思い出したようで、可笑しそうに笑う。
「どうした?」
「いえ。名取さんがね――」
そんなふうに誰かの話をする姿は、出会ったときとはまるで違っていて……うまい言葉にはまとめられないけど、胸が温かくなる。
きっと俺も、なにかが変わっている。
それは成長と呼べるほどのものではないのかもしれない。大人になれたわけでも、できることが増えたわけでもない。
だけど、いろんなことがわかった。曖昧だったものに、今では理由をつけられる。
楽しそうに話すのに相づちを打って、その時間はあっという間に過ぎていった。電車を降りて、改札を出る。そこから少し歩けば、別れるタイミングだ。
「名取さんで思い出したのだけど」
「ん?」
唐突に、小雪が俺の袖を掴んだ。
「一つ、聞いてもいい?」
上目遣いでやや不安そうに。そしてどこか恥ずかしげに。
「阿月くんは、私のどこが好き……ですか?」
聞いてから、目を逸らしてしまう。
「嫌だったら、答えなくてもいいわ。……疑っているとかじゃないから」
「大丈夫。ちゃんと答えられるし、別に恥ずかしくもない」
その問いには、ちゃんと答えるべきだと思う。特に俺は。
「じゃあ、もうちょっと一緒に歩くか。家まで送るよ」
左手を差し出す。手を繋いでいるのも、ずいぶんと慣れてきた。
慣れたから飽きるとか、そういう気配はちっともないから不思議だ。
「いろいろあるし、これからも増えていくと思うけど――小雪は、俺が弱いことを知ってる。見た目より脆いことも、いろいろ拗らせてることも、わかってくれてると思ってる。
そういうことを真っ直ぐ見てくれるのが、人として尊敬できるし、好きだと思う」
悲しいのを押し殺して笑っていたとき、誰よりも早くそのことに気がついてくれた。俺が自分自身に吐いていた嘘を、彼女は躊躇いなく暴いてくれた。
真実は劇薬だ。苦しくて、耐えられずに振り払ってしまった。だけど、それがなければ俺は今も過去に囚われていたかもしれない。
今の俺が、昔よりも強くなれたとするのなら。その強さは、小雪のおかげなのだろう。弱さと共に歩く勇気は、彼女がくれる。
「今度は俺が聞きたいんだけど」
「……だめ」
「え?」
「だめよ。恥ずかしいわ」
「えぇ。マジで?」
そっぽを向いてしまっている。耳まで赤い。
「でも、あなたが好きよ」
消え入りそうな声だったけれど、握った手にも力が入る。聞き間違いではないのだと伝えるように。
「じゃあいいや。それで十分だ」




