86話 嘘のない答えを その3
俺は集団が苦手だ。
特にこういう、四十人近いクラスメイトがいる場所が、ふとした瞬間に怖くなる。
人は社会性を持つ生き物だという。群れる能力の高さが、人類をここまで押し上げたのだと。まったくその通りだ。
人は集団を作り、集団が一個の意思を持つことで大きな力を生む。
だが、この場所にいるのはまだ未熟な子供ばかり。学校というのは、不安定な社会を意図的に作らせる場所だと思う。そこでの失敗を、社会で活かせるように。失敗を前提に作られた箱庭。
ゆえにいじめが起こるのは必然で、誰かに依存したくなるのも当然の帰結で、支えを失えば崩れる。漠然とした空間で、散在するはずの責任を一極化させる。ほんの少しの悪意が連鎖して、誰かを押しつぶす。
小日向がわかりやすいミスをした。ストーリー担当が逃げ出した。
不満をぶつける場所が明確になれば、そこへ皆の注意は向けられる。口には出さずとも、空気がそれを示す。
集団の中で最も強いのは、リーダーではない。その集団を支配する空気だ。
それを変えるほどの力は、俺にはない。
だけど。
怖い怖いと逃げ出していい理由も、ない。
一輝と小日向が行ったのを確認してから、教室に入る。
床に広げっぱなしの装飾と、その近くに座っている人々。五人ぐらいのグループが何個もあって、立っている人はほとんどいない。
一斉に向けられる視線。それから、なんだ阿月かと注意が逸れていく。俺に対した力がないことは、皆知っているらしい。
期待されていないなら、むしろ好都合だ。
「ちょっと聞いてほしいんだけどさ」
大きめの声で言うと、半分くらいが反応してくれる。
心臓が潰れそうだ。鼓動が早くなるし、肺が苦しい。人前で話すのはいつぶりだろう。どんな顔をしているかわからない。顔が熱い。呼吸が浅くなりそうで、深めに息を吐いた。
「まずは、作業ありがとう。俺、ほとんどいなかったから、状況とかあんまり把握してないんだけど……結構、ヤバい?」
ヤバい、無理、終わってる。とちらほら声が上がる。そうじゃない人は頷いたり、俯いたり。
「そっか。ヤバいよな。一輝もそう言ってたし……」
人が集まって生まれる集団。それが今、目の前にあって、俺のことを見ている。
でも、その集団を構成するのは個人だ。普通の人間だ。
だから、弱さもある。弱さを隠そうとするから、その歪みが誰かを傷つける。
まずはそれを暴こう。
「……誰のせいで遅れてるんだ?」
「誰のせいって――」「ちょっと、そういうのよくないって」「阿月、お前なにがしてーの?」「やめようよ」「皆で頑張ればいいじゃん。まだ大丈夫だから」
一斉に上がる反論。よかった。ここにいるのは、敵じゃない。
再確認して、ゆっくり頷く。
「わかるよ。誰かのせいにしたいわけじゃない。でも、このままじゃその〝誰か”は、皆が思い浮かべた人になる」
望むと望まないとに関わらず、流れは出来上がっている。それを断ち切るのは、俺じゃない。俺にはできない。
「この中に、小日向がいてよかったって思ってるやつはどんだけいる?
ダルいと思った日とか、つまんねえ授業とか、毎週来る月曜日とか。そういうとき、あいつが楽しそうにしてるのに救われたやつは――俺以外に、あと何人いる?」
小日向は俺とも仲が良かったけど、だいたい誰とでも話す。いつも笑っているし、楽しそうだし、実際に楽しんでいる。
太陽は等しく、この場所を照らしていた。
この瞬間が、その証明なのだろう。ちらほらと上がる声が、前向きなものに変わっていく。顔を下げていた人が顔を上げたり、軽い冗談も聞こえてくる。
なあ、小日向。
俺はもう、お前を助けない。
そもそもお前は、俺に助けられるほど弱くないんだよ。
小日向ひまりが積み上げてきたものを、俺は知っている。皆知っている。
「小日向も一輝も、とっくに限界だ。それでも、なんとか乗り越えようぜ」
言い終わるか終わらないかで、「おおおお! なんか燃えてきた!」とお調子者が立ち上がる。にんまり笑って、親指を立ててくれる。あまりに軽い調子に、どっと笑いが起こる。
「燃えるっていうか……萌えるね」って言ったお前、絶対ラノベとか読んでるだろ。今度話そうな。
「家でできることとか、わけちゃおっか」「そだね」「阿月って前出るタイプだっけ?」「リーダー二号?」「阿月……氷雨さんと付き合ってやがるから嫌いだ」「ああ。同意な」「絶対に許さん」「でも、今回は乗ってやる」
「「「今回だけだからな!!」」」
ものっすごい殺気を向けられた。小雪のファンクラブ会員か、それとも俺のアンチか。どっちにせよ、頼むからそっとしておいてくれ。
さて。
「俺に手伝えるとこ……あ、そんなに人数いらない? そうか。……えっと、どうしよ。これで仕事ないと、完全に痛いやつなんですけど」
資材がないなりに、配置の確認などが各所で始まっていく。
なんにも知らない俺は、当然のようにハブられる。
やっぱ人の集団、嫌いだわ。
◇
手持ち無沙汰でうろうろしているところに、一輝たちが戻ってきた。小日向はすぐに呼ばれて、飾り付けのグループに入っていく。
一輝は教室をぐるっと見渡すと、口の端を小さく歪めた。
「なにやったんだよ」
「いや、これがビックリすることに俺、なんもやってないんだわ」
「ほんとか?」
「本当だよ」
有識者たちによって行われる会議とか、代替案の出し合いとか、今更混ざれないだろ感が強すぎてずっとうろうろしてた。
買い出しが戻ってきて、作業が再開してからもそうだ。
入ろうとしたら「ここは大丈夫だから、他のとこ行ってあげて」ってやんわり断られるし。泣いちゃうかと思ったよな。
「で、ルリ先生はなんて?」
「言ってみるもんだな。七時半までならってさ」
「よっし。……といっても俺は、どこいけばいいかわからんのだけど」
「そんなあなたに、重要なお知らせです。この頼みは、正直、他のやつにはしづらい」
「もったいぶらず言ってくれ。俺もちょっと役割がほしい」
「お化け屋敷のストーリー、考えてくれ」
「俺が?」
「テツが」
「マジで?」
「大マジで。本読んでるようなやつ、一人しか思いつかんかった」
一輝は冗談で言っていない。本気で嫌だと言えば引くだろうが、できると思われて頼んでくれている。
本を読むことと、なにかを書くことは根本的に違うと思うけど……。
「一輝、今夜うちに来い。俺一人じゃ不安だ」
「おう。ホラー大賞獲ったろうぜ」
「あと、最初に担当するはずだったってあいつにも……明日来るように伝えといてくれ」
数拍置いてから、一輝は小さく噴き出した。
「やっぱテツ、お人好しすぎんだろ」
「ちげーよバーカ」
ただで許そうとは思ってないし、向こうだって許された気にはなれないだろう。
だからまあ、上手い落とし所を見つけようという話だ。
「委員で忙しくて、クラスのシフトも入ると、ぶっちゃけ自由時間が怪しいんだ」
「デートの時間がほしい、と」
「そういうこと」
「なるほどね。了解了解っと」
遅くなるということは、小雪にも連絡しておかないと。
あとはデートの約束も。文化祭は二日あって、一日目が校内展示。二日目が一般公開。明日は時間がなさそうだから、明後日か。
帰る時間のことだけメールして、続きは帰ってからにしよう。
「とりあえず――出てくるお化けは把握しないとだ」




