84話 嘘のない答えを その1
文化祭。
なんの問題もなく、日々は続いていく。
昨日が今日になって、今日が終わって明日が来て。
穏やかに、けれど確かに前に向かって進んでいく。
◇
文化祭の準備ってやつは、その八割を前日から一気に行うものだと思っている。あらかじめ運んでおいたダンボールに装飾を重ね、机を教室から運び出し、瞬く間に作り上げられる一夜城。
その作業風景は、去年と変わらず地獄絵だった。
「ペンキ足りないよ! 買いだし行って!」「もう行ってる! っていうか全然帰ってこないんだけど!?」「それは後でいいから、こっちやってよ!」「終わりそう?」「やばい。ぜんっぜんできていない」「あっちのクラス、もう半分できてるって」「ほんとに?」「うわぁ。うちらだけ遅れてるっぽい」
塗料の匂いが充満する教室で、悲鳴じみた声を上げるクラスメイト。
体育館での開会式リハーサルが終わって戻ればこれだ。不安にもなる。
入り口近くにいた一輝が顔を上げた。
「おっ、戻ったテツか?」
「なんかキモいからやめろ。――順調か?」
「そりゃもう。火の車ですよ」
せっせと白い布に赤いペンキを塗りたくりながら、苦い笑みを浮かべる。
「テツの手も借りたいくらい、切羽詰まってるわけよ」
「残念ながら俺も火の車だ。屋外の出店が、設備で困ってるらしくて。すぐ行かないと」
「なにしに戻ってきたんだ?」
「メモ帳取りに来た」
「荷物ならベランダに出してるぞ」
「わかった。頑張ってくれ」
「そっちもなー」
前日準備ともなれば、全体役員のやることは鬼のようにある。潰しても潰してもでてくる予期せぬ不具合、トラブル、解決したことを蒸し返してくるクレーマー。
そのぶん達成感はあるから、終わってしまえばいい思い出なのだが。実際、やってるときはしんどい。しんどいと感じる暇もないから、しんどくはないのか?
あれやこれやと駆け回っている間に準備の時間は終わっていく。
各方面の対応を終え、明日の一般公開の準備までできた頃には、とっくに日が暮れていた。下校時間は過ぎている。これが残業ってやつか。
「ひとまず終わったぁ…………」
昇降口の階段に座り込み、情けない声でため息。
近くにいたエージも、隣に腰掛けて一息吐く。
「お疲れさまです。テツ先輩」
「おう。エージもお疲れ」
委員会に知り合いがいてくれて助かった。やっぱり知っているのといないのでは、話しかけるハードルが違う。
そしてエージは、ちゃんと働く。バカそうな言動ではあるが、それでいて周りからなにか吸収しようとする姿勢でいる。そういう後輩を持つと、こっちも気を抜けない。
「上手くいくといいっすね」
「だな」
「テツ先輩のクラスって、お化け屋敷でしたっけ。作業は順調ですか?」
「たぶん今、最後の追い込みじゃないかな。みんな必死だった」
「どこも大変そうっすもんね」
「だな。けど、俺のクラスは大丈夫だろ」
ちゃんと統率できるリーダーを持っているから。いつも最後はなんとかなる。
「自分のクラスは恐ろしいことになってますよ」
「エージのとこは縁日だっけ」
「そうっす。昼過ぎには作業が終わって、今はみんなで遊んでるところっす」
「最高かよ」
「というわけで、自分、遊んできます!」
勢いよく立ち上がって、敬礼。やっぱりサッカー部だから、俺より体力あるな。エージの笑顔からは、疲労が感じられない。
「おう。行ってきな」
若人を見送って、よっこらせと立ち上がる。
教室に戻った方がいい。頭ではわかっているし、それだけの体力も残っている――が。最初の一歩が出てこない。
その理由は、疲労だけではない。
夏休みが終わって、一ヶ月以上が経った。
その間、ほとんど小日向とは話していない。すれ違っても、目が合っても、なにもないままの日々を過ごしている。
それが当たり前だ。
俺は、そうなることまで覚悟して決めた。
悲しむ権利も、その時に捨てたことくらいわかっている。彼女に対してなにかはたらきかけることも、俺はもうできない。
つつがなく日々は続き、その中で俺たちの距離は離れていった。
もう、友達ですらない。
そんな彼女の笑顔がある教室に、元気な声が響くあの場所に、窮屈さを感じる。たぶん、小日向も同じだ。
俺が行かなければ、向こうも気を遣わずにいられる――とは思うんだけど、な。
「行きますか……」
それはあくまで個人の事情だ。これ以上サボっていい理由にはならない。
どんな顔をしたもんか。普通でいいか。終盤飛び込み参加で気まずいけど。むしろいいとこ取りするぐらいの気分でさ。軽くやればいいんだ。
そう思ってドアを開けると、目に入ったのは異様な光景だった。
「おう。戻ったかテツ」
難しい顔で腕組みしながら、一輝が声を掛けてくる。
教室中の視線が集まって、思わず息を呑んだ。
「…………」
ぱっと見だけでわかる。作業をしていたはずなのに、見た目は一度戻ってきたときから変わっていない。雰囲気は最悪。
そして、隅では女子が数人固まっていて、その中心で一人が泣いている。
泣いているのは、小日向だった。
一輝と並び、このクラスを引っ張っていく彼女が。泣いていて、顔を上げる。赤くなった目が、俺を見て、困ったように歪んだ。
近づいてきた一輝が、珍しくため息を吐く。軽く振る舞っているが、いつもとは重さが違う。
「わりぃ。今回はちょっと俺も、どうすればいいかわからん」




