83話 つつがなく日々は続き その3
しばらく待っていると、キッチンにいい匂いがし始める。フライパンの上では、着々とケチャップライスが作られていた。
その横で野菜スープを作りながら、無駄のない動きでフライパンを一度開け、そこに卵を流し込み、慣れた動作で包み込む。
途中からはあまりに真剣なので、俺も黙って見守っていた。
食べなくてもわかる。絶対美味い。
……俺の手料理、大丈夫か?
◇
盛り付けのすんだ皿をテーブルまで運ぶ。二人分用意しておいた食器類が、ここにきて役立つとは。
「完成よ」
「ありがとうございます」
湯気の立つスープとオムライスを前にして、深々と頭を下げる。
オムライスってことはケチャップでなんか書くのかなー、とかふざけたこと考えててすいませんでした。普通に「お好みでどうぞ」だった。心が汚くて申し訳ない。
「食べてみて」
「いただきます」
スプーンですくって一口。半熟トロトロの卵と、香りのいいケチャップライス。ほどよい塩気と、トマトの甘さが広がる。
「これを作ったシェフを呼んでくれ」
「私よ」
「マジで美味しい。すごい。なにこれ、どうやった? ほんとにうちにあった食材で作った?」
「ふ、普通にやっただけよ」
「常にこのクオリティか……」
ちょっと張り切ったとかではなく、毎日これ?
そんなん、これなしじゃ生きていけなくなるだろ。正直外食より美味しいし。
「喜んでくれたなら、よかったわ」
「最高です」
「今度は阿月くんが作ってね」
「ハードル高すぎるんだよなぁ」
俺にできること……お米が炊けます。あとはそうだな、電子レンジが使える、とか。
だからそんなキラキラした目で見るな。やめろ。やめてくれ。
「いちおう聞いとくけど、小雪の好きな料理は?」
「シュークリームよ」
作れねー。
こいつ、質問の意図がわかってないだろ……いや、なんかにやけてるな。
「からかってるだろ」
「そうね。少し、意地悪な答えだったと思うわ」
「じゃあ、心優しい答えは?」
小雪は口元を手で隠して、しばらく考え込む。好きな料理と聞かれると困る気持ちは、俺もわかる。
しばらくして、確かめるように彼女は言った。
「……ミネストローネ、かしら」
「自信なさげだな」
「しばらく食べてないから。あまり自信はないのよ」
「ふうん。ミネストローネ……ね。作れるかな」
今の時代はレシピを検索すれば、簡単に出てくるけれど。美味しいと思ってもらえるかは別問題なわけで。練習しておくか。
「なんでもいいわよ。嫌いなものはないから」
「わかったよ」
いわゆるあなたが作ってくれるならなんでも。ってやつか。めちゃくちゃ甘いような気がしたけど、ハードル高いな。
試されている……は言い過ぎにしても、そういうことなのだろう。お互いを知る過程だ。相手がなにを、どのくらいできるのか。どんなふうに応えてくれるのかをすり合わせていく。
全部を完璧にクリアする自信はないし、理想的ではあれないけど。ほんの少し踵を上げるくらいの努力は、続けていきたいと思う。
食べ終わった後の片付けは、俺の役割だ。食器を洗うのはわりと得意かもしれない。手早く水切りに入れて、部屋に戻る。
「さて、この後どうしようか」
「いつもはどうしているの?」
「読書、ゲーム、ネットサーフィン」
「健康的ね」
「だろ? けっこういいぞ」
肩をすくめて笑い、隣に腰掛ける。少しの距離を空けて、一息吐く。
その隙間を埋めるように、静かに小雪が移動してきた。ぴたりと肩が触れあって、温かい体温が伝わってくる。抵抗せず受け容れると、そのまま肩に頭をのせてくる。
図書館で眠って以来、よくくっついてくるようになった。
「この姿勢、お気に入りだな」
「嫌?」
「嫌じゃない」
「なら、このまま動きたくないわ」
「寝るのか?」
「眠くない」
「じゃあ、映画でも見るか。借りといたから」
「準備がいいのね。一回どきましょうか?」
「セットもしてるから、本当に一歩も動かなくていいんだ」
「先見の明ね」
そんな大層なもんじゃないけど。リモコンをいじって、開始する。
「ジャンルはなに?」
「口にするのは非常に恥ずかしい」
「そういうことね」
「察しが良くて助かるよ」
レンタルビデオ屋で小一時間ほど悩んで、なんの変哲もない恋愛映画を選んだ。誰か俺のセンスを笑ってくれ。
◆
映画を見て、ケーキを食べて、それでお開きになった。
映画を見た後の会話は、思い出しただけで悶絶しそうになる。なにを言ったか思い出したくない。あり得ないほど歯が浮くことを言った気がするし、言われた気がする。
阿月哲の黒歴史最新版である。
恋愛映画……恐ろしい。
本気でイチャついてるとき、本気でしょうもないことしか言わない。
そろそろ真面目な話。




