73話 君までの距離 その4
ジェットコースターにもいろいろあって、コースターが一気に水へ飛び込むようなものもある。
「うおおっ!」
「ひゃーっ!」
加速した車体が水にぶつかる衝撃と、飛び散る水滴。夏の気温で火照った肌に、爽やかな刺激が走る。
減速していくコースター。隣の小日向と目が合うと、二人して笑ってしまう。
「気持ちよかったな」
「ね」
何度も繰り返し乗っているうちに、ブレーキが外れたのか、あるいは安全だと悟ったのか、自分でもわかるくらいテンションが上がっている。
あれだけ怖れていたものが、今では好きなものの一つになっている。
「うわっ、もうこんな時間か……」
ただ、楽しくなってきた頃に時間切れ。というのはよくあるもので。気分はこれからでも、あっという間に日は傾き、閉園時間は近づいてくる。
「時間的に、次が最後かな」
パンフレットを眺め、考え込むように小日向が言う。
「最後、か」
「行きたいところがあるんだけど、いい?」
「ん。じゃあそこで」
最後に選んだものは、大きくて、遠くからでも簡単にわかった。
「せっかくだから、乗っておきたいなって」
「わかる」
遊園地と聞いたときに、真っ先に思い浮かぶものだ。そしてこれは、最初から苦手ではなかった。
「高いけど、大丈夫?」
「平気。ゆっくりだから」
ゆったりと回る観覧車を見上げて、ポケットに手を入れる。
初めて遊園地というものに行ったとき、幼い頃に経験したからか、苦手意識はない。
テンポがいいから、列も短い。すぐに乗れそうだ。
「いいよな、観覧車って」
「そ、そうですね」
「ん? どうした」
「な、なんでもないよ? 観覧車、いいよね」
急に態度がよそよそしいというか、慌てたふうになる。俺が首を傾げると、小日向は咳払いを一つ。
「いつも、最後は観覧車って決めてるんだ」
列に並んで、順番はすぐに回ってくる。
だが、やってきたゴンドラはなにか様子がおかしかった。
「な、なあ小日向。あれなんだけどさ」
「う、うん。……来ちゃったね」
ぱっと見でもかなりレアな部類に入るカラー。いや、カラーという表現はおかしいな。
だってそのゴンドラには、色がないんだから。
全面が透明な、いわゆるスケルトン。上も下も丸見えの、特別仕様だ。
後ろに人がいるから、立ち止まるわけにはいかなくて、乗る。
「こういうのって、別料金じゃないのかよ」
「ここはランダムなの。あたしも、乗るのは初めて」
「そのラッキーを素直に喜ぶ自信がないんだが」
「あはは。すごいね、これ」
向かい合って座った俺たちは、揃って背筋を伸ばし、カッチコチに固まっていた。
外の景色を見ようとすれば、否応なく目に入ってくる鉄骨。異様なほどはっきり伝わってくる高さ、揺れ、軋む鉄骨。
「これって、なんの意図で作られたんだろうな」
「どうなんだろ。度胸試しじゃないかな」
「観覧車にそんな要素いらんだろ」
こっちは景色を楽しみたいってのに。じっくりねっとりスリルを与えられても困る。心の準備ができていない。準備ができていたら、逃げていたかもしれないが。
乗ったからには、逃げ場などどこにもなく……
風に煽られ、ゴンドラが大きく揺れる。ぴくっと肩をすくめて、小日向が縮こまる。
「大丈夫か?」
咄嗟に身を乗り出して尋ねる。風はすぐに止んで、視線が合う。大きな丸い目がじっと俺を見つめて、それからくすりと笑う。
「テツくんこそ、怖くないの?」
「え、いや。揺れたのは驚いたけど、なんでだろ」
「なにそれ。あははっ」
自分より怖がっている小日向を見たら、そっちに意識が持っていかれた。みたいなことなのだろう。
「実はけっこう怖いので、隣に来てくれませんか?」
「お、おう。じゃあ、そうさせていただこうかな」
やけに改まった口調で言うので、俺も妙な調子で頷いた。
恐る恐る立ち上がって、移動する。小日向の左側。夕陽の側で、これがけっこう眩しい。避けるように顔を動かすと、また目が合った。今度は、さっきより近くで。座っているから、顔の距離も近い。
「肝試しのときもさ――」
静かなトーンで、小日向が切り出す。
「あたしが怖がったとき、テツくんは落ち着いてたよね」
確かにそうだった。あの時も、俺は冷静というか、普通にできていた。自信があったわけでもないし、勇気を振り絞ったつもりもないのに。
「たまたまだと思うけどな」
「そんなことないよ。いつもそうだった。いつも君は、誰かが困ってたら放っておかなかった。そのことを、あたしは知ってる」
ゴンドラは頂点に達し、夕陽のオレンジが小日向を照らす。
眩しそうに目を細めながら、それでも、俺のことを見たままで――
「だから好きなんだ。テツくんのことが、大好き」
淀みなく言い切って、はにかんだ。
俺は言葉を失ってしまって、我ながら情けないくらい動揺して、それを見て小日向が笑うまで、まともに言葉が見つからなかった。
「ごめんね。困ったでしょ?」
「違う。そうじゃなくて、困るとか、嫌とかじゃない。全然。全然って、おかしいよな」
小日向が俺のことを好いてくれている。そのことは、なんとなくわかっていたつもりだった。だけど、こうして真っ正面から言われると、考えていたようにはいかない。
「ううん。いいんだよ、困って。だってあたしたち、ずっと友達だったから」
関係が変わる。変わらざるをえない。
できていたはずの覚悟は、簡単に崩れる。名前のない関係は不安定で、確かなものに縋りたくなる。
「すぐじゃないくていいから。決まったら、教えてくれる?」
決まったらでいい。
その言葉に甘えて、二年待たせた相手がいる。できるなら、すぐに答えたい。
だけど、考えないといけないことだ。その場の勢いで済ませて――たとえそれで後悔することはなくとも、時間を置く意味などなくとも、俺は、落ち着いて考えたい。そうすると決めた。自分のエゴで。自分でその責任を持つと決めて。
その代わりに、どうにか作った表情で、今言えることを、絞り出す。
「ありがとう」
どんな葛藤も、痛みも、すべてが愛しさと同じだけの価値を持つ。
だから俺は、笑っていたい。




