69話 君までの距離 その1
俺は、どちらかといえば悲観的な人間なのだと思う。人から褒められると、疑ってしまいそうになる。この先のことを考えるにしても、まず最悪の状況をイメージしてしまったりする。
けれど。
そんな俺でもわかるくらい、はっきりと彼女は笑顔をくれた。
本当なら、怪我での一件が終われば済むはずだった関係。繋ぎ止めてくれたのは、小日向だ。
誰にでも笑顔で、誰からも好かれる彼女は、俺の近くにいてくれた。
スマホの画像フォルダをスクロールすれば、去年の文化祭、球技大会、ことあるごとに撮った写真が出てくる。
ウェイトレスの小日向を中心にして、一輝と三人で撮ったもの。作業中、クラスメイトから撮られたツーショット。球技大会、一輝と肩を組んでいる写真は、小日向が撮ってくれた。
高校生活。俺の記憶には、いつだってあの笑顔がある。
きっかけなど、今となってはわからない。どうでもいい平凡な日々の中で、繰り返される当たり前と共に、彼女に惹かれていった。
『今度、二人で遊びに行かない?』
メッセージが送られてきたとき、正直びびった。思わずスマホを落としそうになって、部屋の中で転んでしまうくらいには。
柄にもなく心臓がバクバクして、三度見直してようやく現実だと受け容れた。
一年。仲良くやってきてはいるが、小日向から、二人で誘いがくるのは初めてだ。その場の流れで二人で行動することはあったけど……。
どうするべきか。そんなこと考えるのは無意味だ。
誠実の意味など、今となってはわからない。
だから正直であろう。
返すメッセージは、簡素なものだった。
『いつでも空いてる。どこ行く?』
◇
日差しは少しずつ弱まっている。暑いことには暑いし、衣替えもまだだけど。確かに季節は変わっていく。
改札を抜けて、電車に乗り込む。遊びに行くにしても、電車に乗らないとどうしようもない。高校生というものは不便だ。
次の駅で開かないほうのドアへ背中を預け、ぼんやりと外を眺める。
決めなくてはならない。
小日向か、氷雨か。もう、目を背けられない場所まで来ているのだ。
この好きは、そういうものだ。どちらか片方しか持ってはいけないものだ。それくらい、もうわかる。恋を知らない人生じゃない。嫌になるほど知っている。
氷雨に対してやってること、実質保留だしな……。
まあ、その点に関して言えば。小日向にだって、そうなのかもしれない。
苦手な料理をして、お弁当を作ってきたのだと。言ってくれたあれが、そうじゃなかったらなんだというのだ。
気がつかないほど鈍感じゃない。ただ、認められる余裕がなかった。
余裕ができたら、一気に押し寄せてきた。それだけだ。
電車が止まり、ドアが開く。
タン、と軽い音を立てて入ってくる少女。人の流れの中で、彼女だけが鮮明だった。
「こっち」
軽く手を挙げると、歩いてくる。
「お、おは、おはようテツくん」
「大丈夫か?」
途中で何度かつまずきそうになって、なんとか隣に。
「ど、どうにか」
「ものっすごいぎこちないけど」
「そ、そんなことないよですよ?」
「語尾エグいことになってるじゃん」
「実はちょっと緊張してたり……します」
小日向がはにかんで、頬をかく。
白地のシャツに、短めの黒いスカート。困ったように揺れるポニーテール。
うっかりすると、見蕩れそうになる。
「遊園地でいいんだよな?」
話題を逸らして、今日の予定を確認する。
「うん」
「言ってたもんな」
「宿題、頑張ったんだよ?」
「終わったのか?」
「あとちょっと」
「偉いな。部活も大変だろ?」
「うーん。大変って言っても、そんなにかな」
「そうなのか?」
「だってほら、午前中で終わるし。なんだかんだ、時間はあるんだよねえ」
そういうもんか。
確かに、陸上部が一日練習しているイメージはない。
「テツくんは最近、なにしてるの?」
電車が揺れる。そのリズムに合わせて、車窓から差し込む日差しも揺らぐ。
「そんな大したことはしてないけど――」
くだらないやり取りが心地よいのは、きっと彼女が特別だからだ。




