51話 かつての君と、今の俺と
割ったスイカを食べきる頃には日が落ち始めていた。
スイカは小玉で、おやつにちょうどいいサイズだったのだが……それゆえ、割ろうとしても当たらなかった。小さいし、低いし。
俺や一輝なんかは、立ったままではどうしようもなく、膝をついて棒を振る羽目になった。ちっとも威力はでないし、なんか恥ずかしいし。楽しい試練。という表現がしっくりきた。
「じゃ、撤収するかね」
パラソルに手を掛け、一輝が言った。
それぞれが残念そうな顔をしたが、作業自体はスムーズに進んだ。このあたり、高校生だなと思う。中学生では、こうはいかない。
シャワーで海水を流して、着替えて、再集合。
水着から普段着になると、一緒に疲労まで着込んだような気がした。油断すると、簡単にあくびがこぼれる。
気怠そうなのは、全員だ。疲れた体を引きずるように、海岸から少し歩いてバス停へ。泊まる予定のキャンプ場までは、三〇分ほどかかるらしい。
◇
バスの席は空いていて、俺たちは横並びに座った。左隣の一輝は目を閉じ、死んだように動かない。というか、ほとんど全員が眠っていた。
起きているのは、俺と、右隣の小日向くらいだ。
「みんな疲れてるみたいだね」
小日向にもたれかかって、すやすやと寝息をたてる氷雨。その頬をつつきながら、話を振ってくる。
そういう彼女も、目を懸命に開けていることは明白だった。
男女の境界になった俺たちは、うっかり相手に寄りかからないために起きているのだ。たぶん。小日向もそうなんだと思う。
「プールの後とかめっちゃ眠いし。あれと同じだろうな」
「そうだね。でも、なんであんなに眠いんだろ」
「体温が一気に変わるから。とか?」
「なるほど……ふぁっ」
頷きながら、かくんと力が抜けたらしい。バスが揺れて、ふらっとバランスを崩す。
「…………」
「…………」
「眠くないよ?」
「嘘つけ」
「ほんとはちょっと眠いです」
「寝てればいい。着いたら俺、起こすし」
なんだかんだで、目は冴えているし。話し相手がいなくても、今の時代はスマホがある。文明の力って偉大だ。
ふらふらになってぶつかられても、俺なら問題ないし。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
俯いて、小日向も目を閉じる。
寝顔を見るのもあんまりいい趣味じゃない。スマホをオンにして、しばらくネットを彷徨って。
それでふと、メールアプリに指を伸ばした。
返信を送るなら、今か。
送信先を『新島花音』にして、文章を作っていく。
『花音へ
俺は今日、友達と泊まりで遊びに来てるよ。
さっきまで海にいて、初めて海水浴ってのをやった。本州は暑いから、気持ちよかったよ。スイカも割ったし。
今からキャンプ場にいって、いろいろやるらしい。
こっちもこっちで楽しんでる。それじゃあな。
哲より
追伸:女子もいます』
推敲をすることもなく、送信ボタンを押す。
最後の一文は、なんというかお返しみたいなもんだ。悪意をこめたわけでもない。
ショックを受けたりはしないだろう。俺がそうだったように。
花音が遠い場所で、知らない男と仲良くしている。その事実は、どうしようもなく別世界の話だった。
時間が変えたのだと思う。
かつて俺が抱いていた傷は、知らない間にかさぶたになって、元に戻っていた。
今の俺が持っている傷は、自分でひっかいた傷だ。忘れないために、意地になって自傷した痕を、心に抱えている。
それだけの、事実を。
あいつとのメールの中で、俺は知った。
俺が執着してるのは、かつての新島花音だ。今のあいつじゃない。俺が抱えた理想は、とっくに死んでいる。
会えば、確信に変わるだろう。
それで俺はようやく、一歩を踏み出せるのだ。
バスが揺れて、小日向がもたれかかってくる。そっと寄り添うように。温かくて、とっさに身を固くしてしまう。けど、彼女は起きない。誰も起きない。
だから俺は、考えるのをやめて、窓の外を眺める。バスが揺れ、小日向が離れ、元通りだ。今度は一輝が寄りかかってきた。
鬱陶しいと思う。だけど、悪い気はしない。
チープな言葉だ。幸せなんて言いたくない。だけど、満たされている。いつかのように乾いていない。孤独じゃない。
知らない間に、景色は変わっていく。周りの人も、環境も。
雨はいずれ止むし、夜だって明ける。
俺が望まなくたって、終わりはやってくる。




