39話 嵐の前の嵐 その1
空港までは、水戸駅から直通のバスで一時間。十一時着の飛行機に合わせて、十時半に到着。バスターミナルから軽く歩いて、空港内に入る。
……こうやって来てしまうから、どんどん増長するんだろうな。ちょっとは厳しく接さないと、どんどんワガママになっていってしまう。
とはいえ、だ。
わざわざ北海道から来る妹を、迎えに来ないわけにもいかないだろう。
エスカレーターで二階に上って、滑走路の見える喫茶店に入る。コーヒーを頼んで、窓際に着席。
なにやってんだろうなぁ。俺。
帰宅部の夏休みって、もっとこう、退屈で死にそうな感じじゃなかったっけ。去年はそうだったのにな。家と図書館を往復するだけの、平和な日々。
……ま、こういうのも悪くはないか。
時間つぶしついでに、氷雨にメールを送る。泊まりのイベント、来るかどうか。来る。と返ってくる気がする。
送信して、コーヒーを飲み干す。見慣れた航空会社の便が、視界の片隅に入ったから。立ち上がって会計を済ませ、店を出る。
一階に降りて、到着口の近くで待機。
しばらく待っていると、どっと人が流れてくる。その中に、ぴょんぴょん揺れる黒髪を発見。小さな背を補うように、ジャンプ。人を探しているのだろう。
髪束を頭の横から垂らしたサイドテールに、大人しげな垂れ目。それを裏切るような、快活な表情。
俺のことを見つけると、パッと表情を輝かせ、パタパタと手を振る。
「あにぃー!」
リュックを背負い、大きなバッグを手に抱え、運動エネルギーを少しも減らさずに抱きついてくる。
「ぐはぁっ!」
アメフト選手よろしくのタックルに、全身が悲鳴を上げる。
ハグとか、そんな可愛いもんじゃない。タックルだ。悪質タックル。
「久しぶりだね! ちょっと痩せた?」
壁により掛かってダメージを緩和している俺に、けろっとした顔で話しかけてくる妹。
「お前、……頼むから、もうちょっと落ち着いてくれ」
「所帯を持てってこと?」
「将来的な話じゃねえよ。今この瞬間、もっと行動を控えめにしろ」
「地球環境のために?」
「人間一人の呼吸でそこまで二酸化炭素はでねえよ。自惚れんな」
「あにぃ。ちょっと賢くなった?」
「お前が変わらなすぎるだけだ」
深々とため息。相変わらず、凜と話していると収拾がつかなくなる。
後頭部をぽりぽり掻いて、心を落ち着ける。
「――で、なにしに来た?」
「あにぃの生態調査」
「質問を謎で返すな。もっと端的に答えてくれ」
「どんな生活をしているのか、解き明かしに来たんだよ。友達、食事、学校、勉強。それをお母さんとお父さんに報告するのが、凛の役目ッ!」
「…………」
抜き打ちチェックってやつか。
概ね予想通りというか、あの両親が許すならそういう理由だよな。という感じがする。ただの旅行では、愛娘を一人で飛行機に乗せたりしないだろう。
どうしたもんかな。
できる限り、こいつは誰にも会わせたくない。余計なことを言う可能性があるし、変な波乱を生みそうだ。
どうにか誤魔化す方法を考えていると、きゅるると可愛らしい音がする。
「あにぃ。妹が空腹に苦しんでいるよ」
「昼飯を奢れと?」
「一つ言っておくね。飛行機のチケット代、お年玉貯金を使いました」
「重い重い!」
そうまでして来るなよ!
奢るしかないじゃん!
せっかく茨城に来てもらったのに申し訳ないが、この県にはわかりやすいグルメがない。奥地にいけば蕎麦が美味しかったり、敷居の高い店に行けばあんこう鍋が美味しかったり。
その全部、高校生が手の届く場所にはない。
空港のフードコートで、醤油ラーメンを二人分。日本全国どこでも味わえるクオリティ。文明を感じてしまう。
「そういえば凛。お前、どこに泊まるつもりなんだ?」
「あにぃのベッド」
「俺の寝る場所は!?」
「床」
「清々しいなおい!」
こいつは悪魔の子なのかもしれない。当然だという顔をしている。
「じゃあ、あにぃもベッド使っていいよ」
「俺のベッドだからな。俺の寝る場所だから、権利は俺が優先だろ?」
「妹はなににおいても優先されるべきって、お父さんが言ってたもん」
「あの親父ィ!」
普通にしていればいい親なのに、凛が絡むとこうだ。しわ寄せはだいたい俺に来る。
「もしあにぃが抵抗したら――」
「抵抗したら?」
「このお金で布団一式買いなさいって」
ポン、とテーブルに置かれる茶封筒。
ホテルに泊まるよりは、確かにずっと安いよな。
◇
最寄り駅で降りて、家までの道を歩いている最中だった。
ふと思い出したように、凛が切り出したのは。
「そういえばあにぃ、花音さんの連絡先持ってるんだっけ?」
「持ってないよ」
内側で感情を握りつぶしながら、顔には出さない。
凛が来る以上、この話題は避けられないと知っていたから。落ち着いて向き合おう。
そう、決めていたつもりだったのに。
「花音さんが、あにぃの連絡先知りたいって」
「――っ、花音が?」
息が詰まる。心臓が早鐘を打つ。隠しようがなく、声は震えてしまった。
「後で送っとくね」
「……あ、ああ。わかった」
今更なにを求める?
とうの昔に終わった関係に、二度と帰れない初恋に、一体なにがあるというのだ。
蝉の音はどこか遠く、現実感のない響き方をする。
頬を伝った汗が、やけに冷たかった。




