30話 太陽に咲く花 その3
佐藤一輝に伝えた後は、普通に家に帰って読書とゲームに時間を費やす。空いた時間で予習と復習もして、規則正しく眠りにつく。
茨城に来てからは、ずっとこんな調子だ。
ゲーマーの父親から送られてくるRPGをやって、一ヶ月に三つの世界を救ってしまった。読書は個人的な趣味で、週に二つほどの難事件に取り組んでいる。
果ては勇者かホームズか。少なくとも地球に居場所はない。
退屈だとか、虚無感はある。それでもゲームを起動させれば、本を開いてしまえば、そういう感情には目を向けずに済んだ。
人と関わらずには生きられないとか、一人の人生は退屈だと言うけれど。現代社会はそうではないと思う。ヒトカラ、一人旅を筆頭に、個人としての欲求を満たす方法が認められてきている。
人は一人でも幸せになれる。
あくびを噛み殺し、寝る準備をする。また明日も変わらない一日。それでいい。
布団に入って目蓋を閉じる。
蘇る記憶は何通りかあって、最悪なのは花音に告白された夜のこと。あの夢を見ると、頭がグチャグチャになる。怒りなのか、悲しみなのか、あまりに複雑すぎてわからなくなる。
それに比べれば、輝かしかった頃の記憶はマシなもんだ。
輝かしいほどに、愚かであれた時代。そんな日々が俺にもあった。
◇
翌朝の教室に行くと、俺の席に先客がいた。
「ういっす阿月」
「……なに」
爽やかな笑顔で手を挙げてくる佐藤に、表情が固くなるのを自覚する。返す言葉も、棘まみれだ。
「あの後、ちゃんと言っといたぜ」
「そうか。ありがとう」
「ところがどっこい、それで終わりじゃないんだ」
佐藤が視線をずらす。その先で、一人の女子生徒がこっちを見ていた。
小日向ひまりである。
俺のことを警戒するように、あるいは見定めるように。
「なんでお前……」
「誤魔化そうとはしたんだけどな。残念ながら、知識不足でバレた」
「…………」
嫌な予感はしていた。
俺の名前を伏せておくようには言ってあるが、その言葉に拘束力はない。必要とあらば、目の前の男は軽々と破るだろう。というか、破らざるを得ない。
冷静に考えて、走ってる姿から怪我を予測するなんて気持ち悪すぎる。
ストーカー(極)って感じだ。
それが俺かよ。自首しよっかな。
「つーわけで、あとは本人同士に任せていいか?」
「手遅れだろ……」
拒否権がないとはこういう状況のことを言うのか。
佐藤が去って行って、入れ替わりに小日向が近づいてくる。
席に着いていいのだろうか。それとも立っていたほうがいいのか。迷って立ち尽くしている間に、到着。
棒立ちのまま迎えることになってしまった。
「ええと、……阿月くん。でいいんだよね」
「小日向さん。だよな」
近くで見ると、思ったよりも小さかった。いつも元気で存在感があるから、実際よりも大きく見えるのかもしれない。
ポニーテールの少女は、胸に手を当てて息を吸う。その手をきゅっと握って、なにかを決意したようだ。琥珀のような瞳に、固まった俺が映る。
「後で大事な話があるので、昼休み、校舎裏に来てください!」
「「「んんっっっ!?」」」
ガタガタガタ――ッッ!
教室中の椅子や机が倒れたり、蹴飛ばされたり、叩かれる音。瞬間的に席替えと同じくらいうるさかった。
すごい空気だ。緊張感というよりも、好奇心の目がすごい。
そりゃあそうだ。昨日までなんの存在感もなかった俺が、急に小日向ひまりに呼び出されているのだから。
まずいな。
早めに誤解を解かないと、話しかけられてしまう。俺の平穏なぼっち生活が崩される。
考えて、最適解を口にする。
「ええと、……もしかして告白?」
「ちっ、ちちち違うし! あたし、陸上やってる間は恋とかしないって言ってるから! あれ、嘘じゃないから! っていうか阿月くんのことほとんど知らないし!」
真っ赤になって、自分が生んだ誤解を解いていく小日向。
教室中がほっとため息を吐く。
俺も胸をなで下ろす。
「わかった。それじゃ、昼休みに」
小日向は頷いて、自分の場所へ戻っていく。
佐藤がこっちを見ていた。その視線が意味ありげで、俺は気がつかないフリをする。
◇
昼休み。校舎裏。
ちょっとは野次馬がいるかと思ったが、そんなこともなく。俺と小日向は一対一で向き合っていた。
「脚のことなんだけどね……。たぶん、阿月くんの言った通りなんだと思う」
「今まで気がついてなかった?」
「恥ずかしながら」
小日向は小さく頷く。
「仕方ない。そういうもんだから」
妹以外の女子とまともに会話するのは、約一年ぶりのことである。緊張するかと思ったが、そんなことはないらしい。
最初からなにも期待していないから、失うものもない。
落ち着いて話を進めていく。
「痛い場所は?」
「臑かな」
「体を動かせば痛みが和らぐ?」
「うん。走ってたら治るから、筋肉痛みたいなものかなって」
そこが一番怖いところだ。この怪我は、自覚しても問題視しにくい。
特に部活動は痛いと言ったら負けみたいな場所。必死に隠している間に、取り返しがつかないことになる。
ま、俺が関わるのはここまでだ。
「自覚があるだけでだいぶ変わると思うから。大事にしてくれ」
「…………」
小日向は俯いていた。顔が見えなくとも、不安を感じているのはわかる。
それで俺は、後悔する。少なからず自分のせいで、彼女の恐怖心を煽ってしまったのは事実だから。
知らなければ無視できたことも、知ってしまえば逃げられなくなる。
「あたしは、どうすればいいのかな」
「…………」
こんどは俺が黙る番だった。
その問いに答えなんてないことは、よく知っている。
たかが部活だから、体を壊すまでやるなという人がいる。
それでも、彼女は部活に時間を注いでいる。覚悟を持っている。未来ではなく、今に生きている。
かつて俺がそうだったように。
「ごめんね。教えてくれただけでもよかった。あとは自分で考えるから」
もうなにも言うべきじゃない。
頭ではわかっているのに、言葉は止められなかった。
「俺は、続けたよ。それで壊した」
こんなことを言って、なんになると言うのだ。最悪だ。性格が歪んでいるとしか思えない。本当に言うべきことは、もっと別にあるはずなのに。
「わかった。もうちょっと調べてみるね」
精一杯の笑顔を見せて、小日向は教室へ戻っていく。
残された俺は、校舎の壁に背中を預け、空を見上げた。バカみたいに青い。こんな日に限って。
なんもできねえな、俺。




