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30話 太陽に咲く花 その3

 佐藤一輝に伝えた後は、普通に家に帰って読書とゲームに時間を費やす。空いた時間で予習と復習もして、規則正しく眠りにつく。

 茨城に来てからは、ずっとこんな調子だ。


 ゲーマーの父親から送られてくるRPGをやって、一ヶ月に三つの世界を救ってしまった。読書は個人的な趣味で、週に二つほどの難事件に取り組んでいる。


 果ては勇者かホームズか。少なくとも地球に居場所はない。


 退屈だとか、虚無感はある。それでもゲームを起動させれば、本を開いてしまえば、そういう感情には目を向けずに済んだ。


 人と関わらずには生きられないとか、一人の人生は退屈だと言うけれど。現代社会はそうではないと思う。ヒトカラ、一人旅を筆頭に、個人としての欲求を満たす方法が認められてきている。


 人は一人でも幸せになれる。


 あくびを噛み殺し、寝る準備をする。また明日も変わらない一日。それでいい。


 布団に入って目蓋を閉じる。

 蘇る記憶は何通りかあって、最悪なのは花音に告白された夜のこと。あの夢を見ると、頭がグチャグチャになる。怒りなのか、悲しみなのか、あまりに複雑すぎてわからなくなる。


 それに比べれば、輝かしかった頃の記憶はマシなもんだ。

 輝かしいほどに、愚かであれた時代。そんな日々が俺にもあった。







 翌朝の教室に行くと、俺の席に先客がいた。


「ういっす阿月」

「……なに」


 爽やかな笑顔で手を挙げてくる佐藤に、表情が固くなるのを自覚する。返す言葉も、棘まみれだ。


「あの後、ちゃんと言っといたぜ」

「そうか。ありがとう」


「ところがどっこい、それで終わりじゃないんだ」


 佐藤が視線をずらす。その先で、一人の女子生徒がこっちを見ていた。

 小日向ひまりである。


 俺のことを警戒するように、あるいは見定めるように。


「なんでお前……」

「誤魔化そうとはしたんだけどな。残念ながら、知識不足でバレた」


「…………」


 嫌な予感はしていた。


 俺の名前を伏せておくようには言ってあるが、その言葉に拘束力はない。必要とあらば、目の前の男は軽々と破るだろう。というか、破らざるを得ない。


 冷静に考えて、走ってる姿から怪我を予測するなんて気持ち悪すぎる。

 ストーカー(極)って感じだ。

 それが俺かよ。自首しよっかな。


「つーわけで、あとは本人同士に任せていいか?」

「手遅れだろ……」


 拒否権がないとはこういう状況のことを言うのか。


 佐藤が去って行って、入れ替わりに小日向が近づいてくる。

 席に着いていいのだろうか。それとも立っていたほうがいいのか。迷って立ち尽くしている間に、到着。

 棒立ちのまま迎えることになってしまった。


「ええと、……阿月くん。でいいんだよね」

「小日向さん。だよな」


 近くで見ると、思ったよりも小さかった。いつも元気で存在感があるから、実際よりも大きく見えるのかもしれない。



 ポニーテールの少女は、胸に手を当てて息を吸う。その手をきゅっと握って、なにかを決意したようだ。琥珀のような瞳に、固まった俺が映る。


「後で大事な話があるので、昼休み、校舎裏に来てください!」


「「「んんっっっ!?」」」

 ガタガタガタ――ッッ!


 教室中の椅子や机が倒れたり、蹴飛ばされたり、叩かれる音。瞬間的に席替えと同じくらいうるさかった。


 すごい空気だ。緊張感というよりも、好奇心の目がすごい。

 そりゃあそうだ。昨日までなんの存在感もなかった俺が、急に小日向ひまりに呼び出されているのだから。


 まずいな。

 早めに誤解を解かないと、話しかけられてしまう。俺の平穏なぼっち生活が崩される。


 考えて、最適解を口にする。


「ええと、……もしかして告白?」

「ちっ、ちちち違うし! あたし、陸上やってる間は恋とかしないって言ってるから! あれ、嘘じゃないから! っていうか阿月くんのことほとんど知らないし!」


 真っ赤になって、自分が生んだ誤解を解いていく小日向。

 教室中がほっとため息を吐く。

 俺も胸をなで下ろす。


「わかった。それじゃ、昼休みに」


 小日向は頷いて、自分の場所へ戻っていく。

 佐藤がこっちを見ていた。その視線が意味ありげで、俺は気がつかないフリをする。







 昼休み。校舎裏。

 ちょっとは野次馬がいるかと思ったが、そんなこともなく。俺と小日向は一対一で向き合っていた。


「脚のことなんだけどね……。たぶん、阿月くんの言った通りなんだと思う」

「今まで気がついてなかった?」


「恥ずかしながら」


 小日向は小さく頷く。


「仕方ない。そういうもんだから」


 妹以外の女子とまともに会話するのは、約一年ぶりのことである。緊張するかと思ったが、そんなことはないらしい。

 最初からなにも期待していないから、失うものもない。


 落ち着いて話を進めていく。


「痛い場所は?」

すねかな」


「体を動かせば痛みが和らぐ?」

「うん。走ってたら治るから、筋肉痛みたいなものかなって」


 そこが一番怖いところだ。この怪我は、自覚しても問題視しにくい。

 特に部活動は痛いと言ったら負けみたいな場所。必死に隠している間に、取り返しがつかないことになる。


 ま、俺が関わるのはここまでだ。


「自覚があるだけでだいぶ変わると思うから。大事にしてくれ」

「…………」


 小日向は俯いていた。顔が見えなくとも、不安を感じているのはわかる。

 それで俺は、後悔する。少なからず自分のせいで、彼女の恐怖心を煽ってしまったのは事実だから。


 知らなければ無視できたことも、知ってしまえば逃げられなくなる。


「あたしは、どうすればいいのかな」

「…………」


 こんどは俺が黙る番だった。

 その問いに答えなんてないことは、よく知っている。


 たかが部活だから、体を壊すまでやるなという人がいる。

 それでも、彼女は部活に時間を注いでいる。覚悟を持っている。未来ではなく、今に生きている。

 かつて俺がそうだったように。


「ごめんね。教えてくれただけでもよかった。あとは自分で考えるから」


 もうなにも言うべきじゃない。

 頭ではわかっているのに、言葉は止められなかった。


「俺は、続けたよ。それで壊した」


 こんなことを言って、なんになると言うのだ。最悪だ。性格が歪んでいるとしか思えない。本当に言うべきことは、もっと別にあるはずなのに。


「わかった。もうちょっと調べてみるね」


 精一杯の笑顔を見せて、小日向は教室へ戻っていく。

 残された俺は、校舎の壁に背中を預け、空を見上げた。バカみたいに青い。こんな日に限って。


 なんもできねえな、俺。

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