表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
村に伝わる森の伝説  作者: marron
後編
15/25

怖がった子ども

 長い静かな夜は、涼しい風とともに森の中へ戻って行った。空が白み、夜明けの時間がやってきた。

 森の外れを歩く姿があった。

 黒いとんがり帽子に黒いマントの魔女だ。魔女は夜の眠りを覚まさないよう、ひたひたと静かに歩いていた。

 魔女は、目覚めの陽が今にも姿を現そうと光る森の向こうを細い目で見やると、そのまま、まだ紺色の眠りの色を残す夜空を見上げた。そしてまるで空を抱きしめるように両腕をあげて仰いでいた。

涼やかな夜風が魔女の周りを優しく吹くと、魔女は両腕を戻し、また歩き出した。

 森の際に沿って、時々遠くを眺めながら魔女は歩いていた。

 朝日が登りはじめ、森から長い影が伸びていた。その影が少しずつ短くなっていくのを、時間をかけて歩きながら眺めていた。

 そうして、誰もいない森の外れを、木々と語らいながら半日ほど歩いた時、魔女は森の外れの木の根元に、キラリと光る何かを見つけた。目を細めてそれを認識すると驚いた。

 水の魚がそこにあったのだ。そんなはずはない。水の魚が勝手に森に転がっているなどあり得ないことだ。魔女は急いで駆け寄った。

「どうしてこんなところに。」

 そう言いながら、ふとその水の魚の尻尾をしっかりと握っている子どもの手に気づいた。

 子どもは足の先から頭のてっぺんまで、カサカサとした土がこびりついていて、ものすごく生臭かった。

 魔女は顔をしかめ、何度もその子どもと、子どもが握る水の魚を交互に見やった。よく見れば、子どもは魔女のマントを腰に巻いていた。どういうことかしばし考え、どうしても答えにたどり着くことができず、子どもに聞いてみることにした。

 それにしても汚い子どもだ。触りたくない。

「おい、子ども。」

 返事はなかった。子どもは全く動こうとしなかった。死んでる・・・ようには見えない。呼吸をしていて、小さく胸が動いているのが分かる。

「おい!起きろ!」

 魔女は子どもの耳元でどなった。



 魔女の声に反応し、子どもの瞼がぴくぴくと動いた。続いていきなり呼吸がうるさくなって、鼻からズゴゴゴゴという音が聞こえてきた。魔女は驚いてちょっと立膝で身構えて見ていた。

 すると子どもはパッチリと目を覚まし、魔女を見た。

 見た途端に、叫んだ。

「ギャ――――――――――――!!!」

 それから、手に持っていた水の魚で魔女を殴ると、大慌てで立ち上がろうとした。ただ、手に魚を持っているためにうまく起き上がれずに、顔から転んだ。

「あ!」

 転んだ子どもに手を差し伸べようと魔女が一歩踏み出すと、子どもはまた叫んだ。

「ギャ―――――――――――!!!」

 それからまた魔女を水の魚で殴り、暴れに暴れて立ち上がり、よろよろと逃げ出そうとした。

「ちょ、ちょっと、ちょっと待て!おい!」

 魔女はいきなり2度も魚で殴られて、しかも叫ばれ、怯えられて、訳も分からず、それでも、その子どもを逃すわけにはいかず、とにかく追いかけた。

「嫌だ、嫌だ!助けてぇ!!!」

「いや、ちょっと、待ってってば!何もしないよ、怖くないから!」

 力のない子どもに、魔女はいとも簡単に追いつき、その手を掴んだ。子どもは大暴れしていて話にならない。どうしてそんなに暴れて怖がるのか。魔女を知らないのか。それにしたって、魔女はそんなに怖い顔をしているわけではない。

 魔女は杖を取り出し、呪文を唱えた。とたんに子どもはぐったりとして、そこに倒れた。



「なんなんだ一体。」

 魔女は倒れた子どもを観察した。

 汚れてはいるが、浮浪児のそれとは違う。どこかで泥遊びでもしてきたような、そんな汚れ方だった。しかし臭いは格別だった。ナマズのつかみ取りでもしてきたのだろうか。そのわりに、手には水の魚を持っている。どういう経緯でこの魚を手に入れたのかをどうしても聞きたかったのだが。

 頭のおかしな子ども、というわけでもなさそうだった。あの怯え方は尋常ではないが、着ているものや髪型や顔つきでだいたいは分かる。普通のどこにでもいる子どもだろう。

 ただきっと、これだけ汚れて臭くなった過程で、恐怖を覚えて今に至ったはずだ。だったら、再び目を覚ました時に、どうしたら良いだろうか。

 魔女は思案した。

 眠っている間に、身体を洗ったり、水の魚を取り上げたりしてはいけないだろう。それでも、安全で清潔で、魔女が悪者ではないと分かってもらえれば、きっと大丈夫なはずだ。

「安全で清潔には、できん。」

 魔女は途方に暮れた。

 先へ行きたかったが、しょうがない。こうなれば、この子どもと一緒に行こうじゃないか。子どもが目を覚ますまで、正気を取り戻すまで、一緒にいてやろうと、そこに簡単な寝台を設えると子どもを寝かせた。



--- --- ---


 カールは眠り続けた。実際、あの窪地へ行ってから森の中をどれくらいさ迷っていたかはわからない。随分と長い間訳も分からずに走っていたために、カールはついに森の反対側を抜けてしまったのだ。

 窪地で起こったすべてのことだけでも相当な疲労であったのに、さらに神経をすり減らしての森での逃走であった。

 疲れ果ててカールは眠り続けていた。

 魔女はカールのそばで小さな焚火を熾し、カールが目を覚ますのを待っていた。夜が来て、朝が来て、魔女は空を仰ぎ、夜から朝に変わる濃紫色の空を穏やかな顔で眺めた。そんな日が二日も続いた。

 日が登り辺りがすっかり明るくなったとき、カールが目を覚ました。朝が来て目を覚ます、そんないつもの当たり前の日々のように、ぽっかりと普通に目を覚ました。

「おや、起きたか?」

 カールが目を開けたのに気づき、魔女が声をかけた。

 カールは初め、自分がどこにいるのか分からなかった。自分の部屋ではない、どこか外で寝ていたので、寝ぼけながら目を擦った。そして、魔女に言った。

「・・・ジクムント?」

 ジクムントって、男の名前だよな?魔女は細い目をしてカールを見下ろした。この汚いガキは、私のことを男の名前で呼んだのだ。この可憐な魔女のどこが男に見えるのか。

「目を覚ませ、子ども。」

 そう言われて、カールは魔女をマジマジと見上げた。それからガバっと起き上がって、水の魚を振り上げた。

「それ、やめろ!」魔女は魚を避けて叫んだ。それから、落ち着いて言った。「お茶だ。」

 カールは大人しくなり、魔女に差し出されたコップを受け取った。キョトンと子どもらしい顔をして魔女を見た。

「ここ、どこ?」

 カールは自分がどこにいるか分からなかった。それでも今、危険がないことは分かった。

「ここいら辺は、オストと呼ばれる辺りだ。お前さんはどこから来たんだ?」

「俺?俺は…」

 そう言いかけて、カールは急に震えた。

 森の中で何を見たかを思い出したのだ。

 カールの顔が急に険しくなったのを見て、魔女はカールが何か恐ろしい体験をしたことが分かった。それで優しく言った。

「お前さん、名前は?」

「カール。」

「良い名前じゃないか。カール。よろしく、私は魔女だよ。」

 魔女と言われて、カールははたと目を見開き魔女の帽子のてっぺんを見上げた。そうだ、こんなとんがり帽子をかぶっているのは魔女しかいない。

「マジで!?魔女?あ、どうも、よろしく!」

 カールは笑顔になった。これだけ表情が柔らかくなれば大丈夫だろうか。



「魔女に会うのは初めて?その手にしてるのはどうしたんだい?」

「あ、コレ?えっと・・・」

 たった今、柔らかくなった表情が、また途端に強張ってしまった。しかし、魔女はここで話を聞いておいた方が良いと思った。それで、カールが話しやすいように、何も言わず小さく頷いただけにしておいた。

「あの、あのさ、これは、沼で見つけたんだ。」

「沼?どこの?」

「こ、この森、だと思う。俺、迷っちゃって、よく分かんないけど、多分、この森の沼だよ。」

「沼で見つけたのかい?」

 魔女は間髪入れずに聞いた。あまり怖いことばかりを思い出すよりも、出来事だけを思い出してほしかったからだ。

「うん、沼にいたんだ。俺の腕の中にスルって入ってきたから、捕まえたんだ。」

「偶然獲れたってことかい?」

「うん、そう。あ、でも、その前に泳いでるのは見えたんだよ。沼がなんか光ったからさ、それで俺、沼に入ったんだ。」

「これが、沼で泳いでたのかい?竜が持ってたのかい?」

「竜?」

 カールは魔女を見つめた。

 竜などいなかった。いたのは、あの恐ろしい小鬼だけだ。あとは骨と腐った肉の塊があっただけだが、それは竜ではなかった。アレは人間の塊だ。

「カール。私はね、その水の剣を探して旅をしているんだよ。それがどこにあったのか、どうして手に入ったのか詳しく教えてくれないか。」

「水の剣?」

「そう、私たちはそれを水の剣と呼んでいる。竜が持っているはずなのだ。」

 カールはどうして魔女が「竜」と言ったのかが知りたかった。だけど、自分が見てきたことも言わなければ、お互いに知りたいばかりで、話にならないということもなんとなく分かっていた。

 カールは、できれば思い出したくなかった。だけど話すことにした。思い出したくないのに、なぜだか話したいという気持ちもあったのだ。



 カールはきちんと座り直し、魔女にもう一杯あたたかいお茶をもらって、話しはじめた。できるだけさっぱりと、できるだけ明るく、何てことない出来事のように話そうと思った。

「俺は、友だちとキャンプをして、森の奥の竜を見に行くことにしたんだ。それで、森の奥に行ったら、崖があって、その下に沼があって、そこに、こ、小鬼がいた。

 竜はいなかったと思う。俺は、竜を探しに行ったんだけど、結局いなくてがっかりした。

 それで、小鬼が襲ってきそうになったから、逃げようとしたんだけど、捕まったんだ。小鬼に、沼に沈められて、死ぬかと思った。でも、なんでか小鬼は急にウワーって水にひっくり返ったんだ。

 それで、俺・・・あ、その前に、この魚、じゃなくて剣?コレが俺の手の中にスルって泳いできて、それで捕まえたんだ。そんな感じ。」

 カールはできるだけ短く話し終えた。こんな風に言えば、怖かったことをあんまり思い出さなくて済むと思った。だけど実際は、カールは話ながらなんとなく震えていた。そんなつもりもないのに、心臓がドンドン強く打っているような気がして、どうしたって、恐怖は忘れられなかった。

 話し終えると大きく息を吸って、懸命に息を整えた。

 魔女は静かに聞いていて、カールが話し終えると質問をしてきた。

「竜がいるって言い伝えがあったんだね?」

「うん。」

「雨は降ったかい?その沼の辺りだけよく雨が降るということはなかった?」

「雨?どうだろ?ウチの村からちょっと遠いんだよ。俺は子どもだからあんまり森に行かないし。」

 そういうちょっとずれた質問ならば、カールは簡単に答えられた。

「小鬼はどんな感じだった?」

「え?」

 それが聞かれたくない質問だ。カールは小鬼のことを思い出そうとするとどうしても怖くなった。もうここに居ないと分かっていても怖かった。

「小鬼というくらいだから、小さいのか?」

「うん、俺より小さいと思う。」

「身体は細かった?」

「うん、痩せてた。手・・・指もガリガリだった。」

 カールはなぜか少し微笑むような顔をして答えた。そうしていないと、怖くてしょうがないのだ。

「顔は、若かった?それとも、鬼だから人間とは全く違う顔だった?」

「あんまり年寄りじゃないと思うけど、でも、あのさ、なんか枯れてるみたいだった。」

 カールの声は震えていた。なんだか息もできない気がしてきた。

「わかった。ありがとう。沼に沈められそうになって、怖かっただろう。」

「うん、怖かった。すごく。」

 そう言ったきり、カールは何も言えなくなった。少しの間、表情も呼吸も止まってしまったかのように、まったく動かなかった。

 それから浅く息を吹き返すと、今まで我慢していた涙が急にあふれてきた。

 カールは、沼から逃れてから、泣いていなかったのだ。あれだけ怖い体験をしておきながら、森の中を逃げる間も必死で、泣いているヒマなどなかった。目を覚ましてからも、泣く機会はなかった。ずっと我慢していたのだ。

 カールは大声を出したり泣きじゃくったりしなかった。ただ、目から涙がとめどもなくあふれてきて、止められなくて、怖かった記憶を全て洗い流すかのように、信じられないくらい涙を流した。

 魔女が手ぬぐいを渡してやると、カールはそれがびちょびちょになるくらい、ずっと泣き続けた。



 ひと時して、カールが落ち着いてくると、魔女は笑った。

「あーあ、手ぬぐいが茶色になってしまった。しかし、お前さんの顔はどんな顔なのかやっと分かったよ。」

 茶色く汚れていたカールの顔は、涙が洗い流してくれて、子どもらしい皮膚が現れていた。

 代わりに汚れてしまった手ぬぐいを見て、カールも笑った。

「もうひとつ、ふたつ、質問に答えておくれ。それから私の話をしようじゃないか。」

 魔女はまたカールに言った。

「お前さんの村には、魔女がいるのかい?」

「魔女?ううん。昔はいたんだけどさ、俺のじいちゃんが子どもの頃に、いなくなっちゃったらしい。じいちゃんは見た事あるって言ってたよ。」

「じゃあ、そのマントはどうしたんだい?」

 魔女はカールの腰に巻いてある黒い布を指さして聞いた。

「あ、コレ?沼のそばの木にひっかかってたんだ。沼が寒かったから、これかぶってたんだよ。」

 カールがそう言うと、魔女はしばらく考え込んだ。

 それから魔女は大きく頷いた。どうやら、魔女は正しい答えを導き出せたようだ。カールが知らない、封印のことも魔女には分かったのだ。

 実は、あの村の人間で、この竜の伝説について一番詳しいのは、今のところカールのようであった。ヨハンの伝説、封印を壊した祖父、そして実際に沼にいた小鬼、それらを知っているのはカールだけなのだから。

「そのマントはね、魔女の持ち物なのだよ。きっと、カールの村の魔女が昔持っていたものさ。それが森にあったということは、その魔女は森で亡くなったんだろうね。それに、沼には小鬼がいたということだが、きっとその小鬼は竜のなりそこないだ。その魔女が、その人間が竜になる前に水の剣を作り隠したのだろう。かなり力のある魔女だったようだね。」

 人間が竜になる?カールは耳を疑った。

 もしや、本当に竜の伝説は、正しかったのだろうか。カールが見たのは小鬼ではあったが、場合によっては本当にあそこに竜がいたのかもしれない。

 小鬼のことを、子どもに分かりやすく「竜」と呼んだだけではないようだった。確かに、あの沼に行って、戻ってきた者がいないのならば、それが竜だろうと小鬼だろうとあまり大差はない。それがわざわざ「竜」と言い伝えられたということは、本当は竜になっていたかもしれないという前提があったのだ、ということにカールは気付いた。

 とにかく、ここから先は魔女の話を聞かなければ、分からなかった。そして、カールは本当のことが知りたかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ