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国王の下知によって、機動力に優れた三百名ほどの討伐隊が組まれ、盗賊団の掃討に向かうことになった。
この周辺を荒し回る盗賊団を何とかしてほしいという嘆願は、以前よりあちこちの属国からもたらされていた。だが賊の拠点や構成などの情報に乏しく、なかなか実行に移せなかった。今回のキルケの直訴は、オドナス軍にとっても果報だったのだ。
討伐隊は翌日の朝には野営をしていた岩場に到着し、その足で盗賊団のねぐらに討ち入った。正確な場所や内部の防衛の情報は、すべてキルケの口から伝わっていた。
いくら場馴れした盗賊団とはいえ、オドナス軍の訓練された精鋭たち、しかも三倍以上の兵力には太刀打ちできなかった。組織立った応戦もできぬまま、あっという間に制圧されてしまった。
砂漠を荒らす盗賊に対しては一切の情けをかけるな、というのがオドナス王の命令である。抵抗する者は容赦なく斬り捨てられ、降参した者は罪人として縄を打たれた。まさに、自分たちのやってきたことをやり返されたのである。
監禁されていた女たちは全員保護され、こうして、討伐隊は半日足らずで盗賊団を壊滅させたのだった。
砂漠の野営地で彼らの帰還を待ち侘びていたキルケは、同僚たちの無事な姿を見て心から安堵した。討伐隊の兵士に連れられて来た女たちは、さすがに疲労しているものの元気だった。
彼女らは抱き合って、お互いの無事と解放を喜びあった。あれほどの酷い目に遭っていながら、どの女も少しもへこたれたれていないのが頼もしかった。
師団長がキルケを呼んだ。
「盗賊団の頭目を捕えてきた。あなたに会わせろと喚いているらしいが、どうする?」
「……会います」
キルケは躊躇なく肯いた。
連行された盗賊たちの生き残りは三十人程度だった。縄で手を縛られ、野営地の隅に集められている。
罪人たちを王都まで連れ帰って裁くか、あるいはこの場で処分するか――それを判断するオドナス王は彼らの前に立ち、帰還した討伐隊の隊長から報告を受けていた。
頭目もまた同じように縛られて、仲間たちの最前列に引き据えられていた。キルケの姿を認めると勢いよく立ち上がろうとし、取り囲んだ兵士たちに押さえられた。
「やっぱりおまえの仕業か、キルケ!」
彼は血走った目で彼女を睨みつけた。衣服は破れ、あちこちに負った切り傷からの出血が黒く固まっていた。
庇うように前へ出る師団長を押し止めて、キルケは怯まずに睨み返した。
「思った通りだ、この売女め。自分が生き延びるために俺たちを売りやがったな」
「泥棒が偉そうに言ってんじゃないわ! 私たちの仲間を殺したくせに!」
「復讐だって言いてえのかよ? へっ、こいつらの手を借りるために何人の兵士をたらしこんだんだ? おまえはいい身体してやがるからなあ。そこの王様とも寝たのかい?」
カッとなったキルケが一歩踏み出すのと、周囲の兵士が殺気立って剣を抜いたのは同時だった。
それを見越していたのかもしれない。頭目は突然、手近の兵士に当て身を食らわせた。
よろけた兵士から剣を奪い取った頭目の両腕は、すでに自由になっている。砂漠を連行されてくる間に、少しずつ縄を緩めていたのだろう。
彼は一瞬で兵士を斬り倒し、キルケの腕を掴んで自分の方へ引き寄せた。
完全にオドナス軍の油断だった。兵士たちは国王の盾になるように立ち塞がり、頭目へ剣先を向ける。
「近寄ったらこの女殺すぞ!」
頭目はキルケの首に左腕を回して、威嚇するように右手の剣を振った。兵士の血が勢いよく飛び散った。
「俺たちを自由にしろ! 水と食糧を渡して砂漠へ放せ!」
「こんなことしたって……無駄よ……」
掠れ声で言うキルケの喉を、彼はさらに締めつけた。
「おまえは手放さねえぞ、キルケ。言っただろ、俺とおまえは同じだ。同じ踏み躙られた人間だ。他の奴らに復讐する権利がある」
耳元で囁かれ、うなじを濡れた舌が這う。キルケは肌に粟が立つのを感じた。
無事に逃げおおせるわけがない――分かっているはずなのに、男の声にはただ泥のような執着だけが籠っている。
「……全員の縄を切ってやれ」
静かな口調で命じたのは、オドナス国王であった。彼は盾になった兵士たちをどかせて前へ出てきた。
「しかし陛下……!」
「早くやれ」
反論しかけた師団長を鋭く制す。
昔からの友人であるという二人の視線が、交わった。
主の命令は絶対だったらしく、兵士たちは縛られた三十人の盗賊たちに近寄った。師団長も革帯に差した短剣を抜き、盗賊の一人の縄を切る。
その男がいきなり叫びを上げた――仲間の悲鳴に頭目が振り返る。
師団長の短剣は、縄ではなく男の腕を切り裂いていた。
「何しやがる……!?」
頭目は驚いて一瞬腕を緩めた。その隙を逃さず、咄嗟にキルケは身を屈めて逃れた。
「キルケ!」
声とともに、足元に白い抜身の短剣が滑ってきた。顔を上げると、国王が短剣の鞘を手に彼女を見据えている。
キルケは自分が何をすべきか分かった。
彼女は短剣を引っ掴み、身を捻った。
頭目が大きく剣を振りかぶり、彼女に向かって斬り下ろしてくるところだった。2人の間合いはあまりにも近すぎて、周囲の兵士には止められない距離だった。
キルケは俊敏に立ち上がりつつ、彼の喉元に向かって、下から短剣を突き上げた。
「……あんたがどれだけ酷い目に遭ってきたかは知らないけどね」
彼女は冷静に告げた。
自らを犯し隷属させた男の首に、渾身の力で刃をめり込ませて。
「だからって他の人間を踏みつけていいって理由にはならない。私はあんたとは違う!」
頭目の手から剣が落ちた。獣の唸りのような奇妙な声を上げて、よろよろと後ずさる。
キルケがいっきに剣を横に薙ぐと、彼の首から赤黒い血潮が雨のように降り注いだ。
彼の顔はみるみる土気色になっていったが、なおもキルケに向かって手を伸ばした。だが飛び出してきた師団長が彼女の前に身体を割り込ませ、頭目の胸から腹にかけてばさりと斬り下ろして止めを刺した。
時間にしてほんの数瞬の出来事だった。
ようやく我に返った兵士たちが、残りの盗賊たちを改めて取り押さえ始める。首領がやられてしまったことで、もう抵抗しようとする者はいなかった。
顔と手に返り血を浴びたキルケは、鮮血と臓物を撒き散らした頭目の最期を冷ややかに見下ろしていたが、やがて力が抜けたようにその場にくずおれた。
逞しい腕が背後から彼女を抱き留める。
「よくやった」
国王はキルケの体重をしっかり支えながら、自分の手が汚れるのも構わずに、血に染まった彼女の手を取った。固く固く握りしめられていた指が開き、血塗れの短剣は彼に引き取られた。
自分は動揺していない、とキルケは思っていた。だが震えが止まらない。
「は……はい……陛下のおかげです……」
「カタをつけたのはおまえ自身だ」
国王は落ち着かせるようにキルケの頭を撫でた。
「その男は、己の不遇を言い訳にしなければ盗みも殺しもできない臆病者だった。盗賊としては三流以下――おまえが囚われるほどの男ではない」
振り向いたキルケの前で、彼は微笑んでいた。眩暈がするほど明るい瞳で。
血の臭いが漂う。それは今死んだ頭目の返り血によるものだったのだろうが、キルケには国王の身体から滲み出ているように思えた。
殺戮と略奪に明け暮れる盗賊よりも、もっと濃厚な血の臭い。
それでいてなぜこの男は、これほどに翳りがないのだろう。
キルケの全身を訳の分からない熱が駆け巡った。
震えが止まり、指先が熱くなる。温かい、と表現するにはあまりにも強烈な、火花のような感覚だった。
言葉を失うキルケの汚れた頬を、国王は指で拭った。それからあっさりと彼女から離れ、兵士たちに命じる。
「罪人どもは全員ここで処刑せよ。王都に連れ帰っても同じことだ」
縛られた盗賊たちの間から悲鳴に似た絶望の叫びが上がった。
師団長がキルケに近づき、
「あなたは見ない方がいい。こちらへ」
と、彼女をその場から遠ざけた。
○●○●○
私と正妃はしばらくそこに留まって夜風に当たっていた。
お互いに言葉はなく、庭の木々越しに星を眺めるだけの時間であったが、不思議と気詰まりな感じはしなかった。
やがて、
「涼しくなったわね。もう中へ戻りましょうか」
正妃がおもむろにそう言って、私たちは廊下を引き返した。生ぬるい風ではあったが、しっとりと汗ばんでいた肌は乾いて冷えてきたようだった。
ふと、廊下の奥からこちらに向かって歩いてくる人影が見えた。
ほの明るい燭台の灯りに照らされたその長身の姿は、意外なことに――。
私たちに気づいて、国王は驚いたように足を止めた。侍従も女官も連れず、完全な独り歩きである。
私と正妃は顔を見合わせた。
愛妾との睦事を終えて出てくるには、いくら何でも早すぎやしまいか。それに彼の様子は明らかに憮然としていて、首尾は上々、という雰囲気ではなかった。
「このような所でいかがなさいましたの?」
正妃は身を屈めて一礼しながらも、怪訝そうに訊く。
国王は、悪戯を見咎められた子供のような表情で眉間を掻いた。
「うん、いや、ちょっとな」
「新しく入ったあの娘は? 何か粗相でもありましたか?」
あの娘とは新入りの彼女のことだろう。
彼はますます気まずげに目を逸らした。不機嫌なわけではなさそうだが。
答えを待つ正妃の前で、彼は自嘲気味な笑みを浮かべて、
「……あれにおまえの歌を聴かせるのではなかったよ」
と、私を見た。
どうしてここで私が出てくるのか分からなかったが、彼は何だか口をきくのも面倒臭そうな様子だったので、問うことはできなかった。
「今夜は疲れた……もう休むとする」
だるそうに伸びをする国王を前に、正妃は軽く息をついた。
「では私の部屋へいらっしゃいませ。これからご自室へ戻られるのも不都合がございましょう? 寝床くらいは用意しますわ」
「そうさせてもらおう――悪いな」
意外と素直な国王の了承に、正妃の口元が緩む。しょうのない人――母親のような大らかさで、その微笑みは語っていた。
「ではおやすみなさい、キルケ」
「気をつけて帰れよ」
二人に言われて、私は慌てて頭を下げた。
「はい……おやすみなさいませ」
寄り添うように去ってゆく夫婦の後ろ姿を、私は微笑ましく見送った。
つまり――新しい妻の元を初めて訪れたものの、何か言いにくい理由によって想いが遂げられず、かといってすごすごと後宮を出るのも気恥ずかしく、そこを正妻に救われたということなのか。
私は一人で可笑しくなって口元を押さえた。
国王と正妃の間には、もう夫婦の事はなくなっているのかもしれない。でも結局、国王が好き勝手に女を渡り歩けるのは、正妃の度量によるのだろう。
いや、国王が誰にも心を奪われないからこそ、正妃も許容できるのか。
国王は王位を継ぐため、正妃は己の地位を固めるために、異母姉弟の2人は結婚したのだという。打算的に始まった絆にも情愛は育つものだろうか。
二十年も連れ添った夫婦の繋がりは私にはよく分からず、ただ、自分は最も遠い場所に立っている気がして、少し寂しくなった。




